普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

軽井沢。お孫に会いに

2016-09-26 00:52:21 | 普通な生活<的>な
今日は、いろいろ理由もあり朝6時に発って軽井沢へ。

お孫に会いに。

本来は避暑地なのだが、訳あってお孫は軽井沢で暮らしている。5歳。

9月10日が5歳の誕生日、少々時期はずれたが誕生日祝いをもっていったというわけ。

さすがに良い季節で、ボクは奥さんと「ねーね」とお孫が慕う娘と、息子とお孫と5人で軽井沢にある「おもちゃの王国」で、都合6時間も遊び倒した。

釣りまでやった。

お孫はすっかり大人びて、背も高くなりすらりとしたスタイル。

実は彼、生まれてこの方髪の毛を切ったことがない。だから今では肩甲骨の下あたりまでの長髪に。

これがなかなかの美男子で、超イケメン。






どこか、ボクの幼い頃によく似ている! なんてね。

毎日のことだときっとなにか忠言や小言の一つも言うのだろうが、本当にたまに会うお孫は、無条件に可愛いわけで、ただひたすらにやにや見つめるだけ。

次はいつ会えるのかな。楽しみだな。

ディズニーランドに行きたいと言っていたから、今度は東京で会うことになるのかな。

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久しぶりです。いつの間にか世の中は、秋

2016-09-15 01:21:26 | 普通な生活<的>な
秋の日は釣瓶落とし

去年の秋にも同じことを書いたような気がしますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

世の中の変遷はめまぐるしく、いかにも昭和なたたずまいの僕などは、瞬殺ですね。

ところがどっこい、はたから見れば瞬殺、かもしれませんが、元気に僕は生きているといったところです。

アナログ人間の強いところは、故障しても修理が効くというところでしょうか。

デジタル人間は、完全に廃棄か新しいものに交換ですものね。

人生の秋も、釣瓶落とし的に急ぎ足ですが、僕の場合、まだ何度でも秋が経めぐってきそうです。
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1+1=?

2016-09-02 01:00:02 | こんなことを考えた
なぞなぞのような等式だが、実はこれが本当の世界だと、最近つくづくと思う。
簡単な話、ボクの仕事の実力が1だとしよう。そしてボクの同僚の実力も1だった場合を考えてみる。

ボクの1と同僚の1が、そのままの実力と仕事量で換算できれば1+1=2になるかもしれない。だが絶対にそんなことはない。ありえない。

なぜならそれぞれの1には、プラスかマイナスかはわからないが、必ず相乗効果あるいは相殺効果がある。それは、例えばボクの知らないことを同僚が知っているという1点だけで、1+1=2の等式は崩れる。また、二人とも知らない事案が出来すれば、やはり等式は不成立になる。

これはどういうことかといえば、俗にいう会社組織内の「工数管理」という概念が成立しないことを意味する。

工数管理の眼目は、一定の作業は同じ人間の行為として常に一定であるという前提がある点にある。「ある」ばかりが続いて気持ちが悪いが、仕方がない。もっと言えば、同じ作業は別の人間が行っても工数としては全く同等であると換算する。そうでなければ、工数という数字での管理など意味がない。

もう少し複雑な工数換算法があるのかもしれないが、基本は同一の労働単位、時間単位を持たなければ成立しないのは事実だ。

ボクは労務管理士でも、労働監督責任者でもないので詳しいことはわからないが、工数管理などという労働効率の管理法は、いかにもデジタル的だ。

そういう労働環境に身を置いているが、1を1としか換算できない経営者、上司の下では働く意欲はダダ下がりだろう。

労働はもっとフレキシブルで、予測もつかない出来事の積み重ね、きわめてアナログ的だ。どうせならそうした発想の経営者、上司と働きたいものだと、つくづく思う。
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