以前にも書いたことだが、23年前のあの日、あの災厄を関西圏以外で最も早く知ったのは多分ボクだった。
後に全壊指定地域となった灘区に住む、義理の母からの間違い電話で、ボクは地震発生とほぼ同時に、阪神淡路大震災の起きたことを知ったのだった。
あわてふためく義母の様子から、なにか尋常ならざることを想起できはしたが、後に知ることになる巨大な災厄であったことなど、想像の埓外だった。
一週間も経ず、実際に自分の目で見ることになった惨状は、例えようもないトラウマを、ボクに植え付けた。
あれから23年。ボクの中に残り続ける固い滓がある。
そして、それはボクが宇宙に溶け込むまで、残り続けるのだろう。
いやいや、来世にまで持ち越されるかもしれない。
あの災厄は、そういうレベルのものだった。
また、1年後にそのことを強く意識せざるを得ない日がやって来るのだ……。
後に全壊指定地域となった灘区に住む、義理の母からの間違い電話で、ボクは地震発生とほぼ同時に、阪神淡路大震災の起きたことを知ったのだった。
あわてふためく義母の様子から、なにか尋常ならざることを想起できはしたが、後に知ることになる巨大な災厄であったことなど、想像の埓外だった。
一週間も経ず、実際に自分の目で見ることになった惨状は、例えようもないトラウマを、ボクに植え付けた。
あれから23年。ボクの中に残り続ける固い滓がある。
そして、それはボクが宇宙に溶け込むまで、残り続けるのだろう。
いやいや、来世にまで持ち越されるかもしれない。
あの災厄は、そういうレベルのものだった。
また、1年後にそのことを強く意識せざるを得ない日がやって来るのだ……。