いやあ、エライものを観聴きしてしまったな!
本当に正直に告白するけれど、これほどのステージにはそうそうお目にかかったことがない。
始まるまでは、置いてけぼりを食らうかなと少し恐れていたんだけれど、その杞憂は最初の15分で払拭。
なぜなら、「これはコンサートでもなく、ライブでもなく、劇的空間でもなく、世界観である」と言う結論に達したから。
分厚い書物を読むに等しい作業で、一つ一つの舞台上での作業、営為はボクの頭の中で進行しているものと理解したのだ。
つまり、置いてけぼりを食らうことなどない。なぜならボクの頭の中で進行していることなのだから、素直に従えばいいわけで。シンクロニシティという言葉に置き換えても良いかもしれない。
いままで見聞きしてきた音楽のライブ、コンサートとはまったく異なるもので、例えばセットリストなどと言うものはまったく不要で、感覚的な受容がすべてを決定づける感じ。
正直なんと表現していいのか、戸惑うんだけれど、いまのところ言葉にできるのは、こんなところ。
また改めて、解析作業をする機会があるかもしれない。
それにしても、「世界観」だけで成立するパフォーマンスってものを、初めて観たのだよ!!
楽屋で平沢先生に会ったけれど、なにか平静でとうとう「仙人か?」という印象を受けるところまで来てしまった。
いくら名前に「進」と入っているからと言って、どこまで行ってしまうのだろう? 平沢進先生。
本当に正直に告白するけれど、これほどのステージにはそうそうお目にかかったことがない。
始まるまでは、置いてけぼりを食らうかなと少し恐れていたんだけれど、その杞憂は最初の15分で払拭。
なぜなら、「これはコンサートでもなく、ライブでもなく、劇的空間でもなく、世界観である」と言う結論に達したから。
分厚い書物を読むに等しい作業で、一つ一つの舞台上での作業、営為はボクの頭の中で進行しているものと理解したのだ。
つまり、置いてけぼりを食らうことなどない。なぜならボクの頭の中で進行していることなのだから、素直に従えばいいわけで。シンクロニシティという言葉に置き換えても良いかもしれない。
いままで見聞きしてきた音楽のライブ、コンサートとはまったく異なるもので、例えばセットリストなどと言うものはまったく不要で、感覚的な受容がすべてを決定づける感じ。
正直なんと表現していいのか、戸惑うんだけれど、いまのところ言葉にできるのは、こんなところ。
また改めて、解析作業をする機会があるかもしれない。
それにしても、「世界観」だけで成立するパフォーマンスってものを、初めて観たのだよ!!
楽屋で平沢先生に会ったけれど、なにか平静でとうとう「仙人か?」という印象を受けるところまで来てしまった。
いくら名前に「進」と入っているからと言って、どこまで行ってしまうのだろう? 平沢進先生。