普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

音楽遍歴<10>

2011-05-22 00:28:10 | 音楽にまつわる話<的>な
 久しぶりに戻ってきた。
 ブログに原稿を書き続けることの難しさを感じている。
 気軽な日常の報告というスタンスで向き合えば、ブログの世界(ネットワークの向こう側の皆さんの存在も含めて)とももっと親密になれるのかなとも思うが、つい立ち向かってしまう。そこのところが昭和世代の「新しい世界」との付き合い方の限界かなとも思う。もちろんそんな構えたスタンスではなく、軽やかに「新しい世界」と付き合っている昭和世代もいるのだろうが……。なんだかボクには難しい。

 90年代に日本のポピュラー音楽は激的な変貌を遂げる。変貌というよりは発展と捉えていた音楽関係者が多かったかもしれない。だが、傍から見ていると(ボクは当時、音楽に関しては完全な傍観者だった)その音楽的な質的変化、量的な変化は異常だった。とても発展(プロセスを経て、積み重ねを経て出来上がるという意味)という感じではなく、むしろ突然変異といった方が良かったかもしれない。音楽の市場規模はCD販売を中心に1998年には6000億円規模に。だが、そこから底の見えない落ち込みが始まるのだ。
 その突然変異を一気に推し進めた代表格が前回も触れた小室哲哉だった。彼個人が蓄積した音楽のエッセンスを一気に爆発的に日本の音楽界に放出した感があった。誰もがその勢いに「酔い痴れた」。この「痴れた」というところがミソで、後に小室の暴走に繋がっていく。だが、小室哲也は紛れもなく当時の日本では比肩するもののないプロデューサーでありコンポーザーであり、クリエーターだった。その評価は、残念な事件を考慮しても、なんら変わることはない。
 篠原涼子、華原朋美、trf、安室奈美恵、globe…小室は、どう考えても当時の小室にしか創造できない、日本という枠組みでは捉えられない洋楽と邦楽の最高のミックスというスタンスを崩さない音を創り続けた。正直ハマリにハマった。
<続く>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東電

2011-05-12 23:04:08 | 普通な人々<的>な
 福島原発。
 とうとう底抜けの一号炉の実態が白日の下に。
 思うに最初からわかっていたことだったんだと思えて仕方がない。決定的なチャイナシンドロームにいたる過程を少しずつ少しずつ小出しにしつつ、危機を糊塗してきただけで、こうなるのは予定調和だったと思えて仕方がないのだ。
 震災が起こり、福島第一原発がなんだかヤバイということになり始めた3月の半ば過ぎ頃、子供たち(といっても大人だが)に、福島第一原発は収拾がつかなくなるのではないかと話した。すると子供たちは「あなたはいつもそういう風に話を悪い方に考え、人のいう事を信じない」と言われてしまった。
 ちょっとショックだったが、それでもこの日本という国の政治、経済を貫く論理を考えると、意見を変えるわけにもいかなかった。
 「君達がボクの年代に近づくにつれて、生き難い世界になっているなどとは想像もしたくないが、日本という国のこれから先に辿るであろうプロセスを考えると、暗澹たる思いになる」
 それだけは言っておかなければと思った。「だから心の準備は怠らずに、覚悟すらしておけ」と。
 それが誤った予測であればと、心から思うが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きるということ

2011-05-05 02:57:52 | 普通な人々<的>な
 今年に入って、本当にさまざまなことが起こっている。
 とうとう国家が殺人を犯し、それをまるで正当な行為のように世界に宣言するという、まったくもってわけのわからない事態まで出来した。そこには戦争という国家の趨勢を賭けた大儀もなければ、対テロ戦争の名分もない。なによりおぞましいのは、その殺人の行なわれている現場を、殺人を命じた主だった人々が見ているという事実。
 かつてこれほど反人類的ともいえる、大規模かつ無批判な殺人があっただろうか…。
 こうしたことが日常に埋没している今の世界の中で、如何に生きるかという問に、一人一人が真摯に向き合わなければならない、そんな気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする