普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

生井秀樹カメラマン

2021-06-15 22:29:06 | こんなことを考えた
45年以上、ボクが信頼し続けたカメラマン、生井秀樹氏が亡くなった。

カメラマンとしてはもちろんだが、長きにわたり数少ない友人の一人として接してくれた、掛けがいのない存在だった。

ロックが好きで、繊細なくせに豪放磊落を気取り、いつも少しにぎやかな場を好んだ。

初めて会ったのは、ボクが25歳の時だった。マネーライフという雑誌の編集者とカメラマンとしての出会いだった。
思い出せないくらいたくさんの仕事をした。

ボクがロッキンFという音楽雑誌の編集者に転身し、音楽関係の写真を依頼すると一も二もなく手助けしてくれた。
彼の写真はモノクロにハードエッジとでも言える大きな特徴が表れていて、読者に大きなインパクトを与えた。
中でも、日本のニューウェーブシーンを席巻したP-MODELの写真は、ライブもアーティスト写真も、すべてを生井氏に依頼した。

そんなこともあってか、ボクが音楽と無縁の仕事を始めてからも、生井氏はP-MODELの写真を撮り続け、それはついこの間まで変わらなかった。

ボクが新星堂の仕事を始めた時も、写真は生井氏にすべて依頼していた。矢沢永吉のポスターも、生井氏に撮ってもらった。評判が良かった。

音楽関係の仕事は、昨日まで生井氏に頼んでいた。ライブがあれば連れだって出かけた。中島みゆきの夜会まで一緒に出掛けた思い出がある。

もう、それもできない。何かが欠落してしまったような気分だ。

今年の初め頃から体調を崩していたが、これほど早い別れの時は想像もしていなかった。

コロナ禍で、別れを告げることもできない。だが明日、無理を承知で会いに行こうと思う。

多分、遺体安置所。

もう一人、日本のトップ芸能記者だった江原氏と三人で、定期的に飲んでいた。サイゼリアが定席で、浴びるほどワインを飲んだ。ひょっとすると、あれが良くなかったのかと、ふと自責の念が沸き起こる。

いやいや、楽しかった。だからそんなことはないと思いたい。

そんなことはない、と今日の夢にでも出てきて言ってくれないか、生井秀樹よ。

合掌。


在りし日の生井秀樹カメラマン
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京「昔むかしの」百物語<... | トップ | 東京「昔むかしの」百物語<... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
古茶 (フラだ)
2024-05-20 22:25:09
江原ちゃんと生井ちゃん、ひょっとしてニュー九段ビルの某女性雑誌でご一緒しませんでしたか?
返信する
その通り! (katohfu)
2024-06-17 14:13:34
どなたでしょうか? 三人ともおっしゃる通り某女性誌で一緒でした。2人は中でも花形でしたね。
返信する

コメントを投稿