普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

加齢臭!

2012-04-29 23:51:10 | 普通な人々<的>な
 突如自覚した、加齢臭!!
 ラーメンの汁ような匂い。

 好きだけど、これは確実におっさん臭だ!!
 
 これをかぎつけた皆さん、ごめんなさいね!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

95000PV OVER!!

2012-04-27 14:00:44 | 普通な人々<的>な
 とうとう95000PVを突破しました。
 本当にありがたいことです。このブログを一度でも目にしてくださった皆さんに、改めて感謝の思いを伝えます。
 ありがとうございます!!

 「10万PVまでは報告する」と宣言し、「それだけじゃなぁ」などと思い返し、いろいろ葛藤もありましたが、「葛藤することでもないだろう?」とどこかから声が聞こえたりもしていますが、成り行きということで……。

 それにしても、ブログを始めた時から、10万PVというのは一つの目標でもありました。
 なにか一桁から二桁に移行すると言うのは、非常に大きなできごとのように思えて。

 それが間近にあるということが、ほとんど信じられない。

 これからもよろしくお付き合い下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春よ、何処へ?

2012-04-25 10:30:34 | 普通な生活<的>な
日本には四季がある。さらにその四つの季節を細かに分け、二十四節季などを立てたりする。さらにはそれぞれを初・次・末と細分化し、七十二候を立てたりもする。こうなると一年365日は、およそ5日ちょっとに一度、その時節を表す名前がついていることになる。

日本人の自然に対する観察眼というか、思いの深さは世界にも類がない。

風の呼び名、雨の呼び名、色の呼び名、音の聞き分け、気温の変化……五感どころか六感まで駆使して、表現しようとした。世界中の言語を総動員しても、例えば日本語で表される風を意味する言葉の数に及ばない。

数だけでなく、その意味する内容の豊さ深さは、はっきり言って日本人以外には想像の埒外だろう。

なぜ日本語は、それほど豊かなのか?

理由は意外に簡単で、豊かな自然に囲まれた環境であったことも無論だが、日本が国として成立する過程で、多くの大陸からの渡来人、南方からの海洋民などが、互いを理解し合うための共通言語を模索し定着させる過程で、あらゆる言葉、表現を排除しなかったから、だと思う。と言うより、むしろ新しい表現を奨励した節さえある。

万葉集や古事記などの歌を読んでいるとそう思えてくる。

だが、そうした古人の智恵の集大成としてあった日本語も、近年、端的に言えば戦後、おおよそ崩壊した。その理由は書かない。余りに悲しい。

さらに追い討ちをかけるように、自然のサイクルも狂いはじめたか、この数年、昔肌で感じた春と秋を感じられずにいる。

むしろ、春と秋がない。だから、急速に四季を表す言葉や二十四節季七十二候などの言葉が意味するものも、失われている。

今年は冬が半年近く続き、春を跳び越え夏が来る、そんな気がしてしょうがない。

日本の豊かさは、ある意味ゆったりと流れる時間と空気の色や匂いを愛でるという、経済活動とはまったく相容れないところにあったのかもしれない。

そうした自然のサイクルの狂いは、ただただ人の営みの狂いから来ると、いい加減気付いても良い頃なんだけれど……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホの大群

2012-04-24 18:57:42 | 普通な生活<的>な
いま帰宅途中の西武線の中。

自分もこうして原稿を書いているから当然のことだが、電車の中は携帯とスマホの大群。

ほぼ7割方の人が手元を注視し、なにごとかをしている。

その大半が、これまた! スマホだ。

すごい事になってきたものだ。みんなどれだけ仕事熱心なんだと思いかけて気づいた。

ほとんどみんな、ゲームをしたり、ワンセグ見たり、要は遊んでいるのだ。

それはそれで、すごい世の中! 遊べる余裕があるわけで。

テレビを見れば、お笑い芸人だらけで、スマホでゲーム三昧。
仕事の行き帰りの電車の中で、誰に迷惑かけるでもなく、ゲームしてなにが悪い? と、至極当然の顔が並ぶ。

何も!

ただ、日本の行く末が、少しだけ、心配になった。
もちろん、ボクの手元も含めて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帽子、髭

2012-04-24 13:36:59 | 普通な人々<的>な
これまでの人生で、無精髭以外に髭を生やしたことは、一度しかない。

あまりそういったことに頓着しなかっただけなのだが、最近少し頓着している。

それなりに歳をとりたいと思って生きてきたのだが、少し髭を生やそうかなどと考えるようになった。

髭を生やさないはっきりした理由も実はある。奥さんが嫌いなのだ。見たこともないだろうに、ボクの髭は「薄汚い」というのだ。

そうかもしれない、と自分でも思う。

一度だけ意識的に髭を生やしたことがあるが、それは芝居の役作り。1ヶ月髭を剃らず、一週間の公演を終え、奥さんの要請で、即刻剃った。

ここに来て髭云々いうのは、法令線のせい。長く深い自分の法令線を隠したいと思ったのだ。

なにを今更川端柳だが、なぜか少しは若く見える方が良いと思い始めているのだ。

それと帽子。今目の前に、洒落た帽子の70歳がらみの紳士が立っているのだが、そろそろ帽子を被るのもいいかなと思い始めた。

帽子もこれまでの人生で被ったことがない。この冬の寒さ対策で、初めて日常的に被った。

そうした自分自身の変化があって、周囲を観察すると、意外にも多くの人が被っていることに気づいた。

帽子を被るのも、普通に毛が生えているから、被る必然性がなかっただけだが、確かに薄くなってきた。だからこの冬、寒かったのだ。

髭に帽子、どちらも無用といえば無用。なんとはなしに、「女もすなるお洒落というものを、男もしてみんとてするなり」といった、これまでとは違ったスタンスでしてみようかなと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

只今、ただいま!

2012-04-22 09:47:41 | 普通な人々<的>な
 夜中のお仕事から、只今、ただいま帰りました。

 今日の夜中は、眠くならなかった。それほど寝ていないにもかかわらず。

 良かった良かった!!

 それにしても。

 寒かった。これは少しおかしいなと思えるほどの寒さ。

 そういえば太陽の地場の異常が報告されていた。北半球、南半球それぞれに南北の極が発生しているそうで、10年後にその異常が地球に影響を及ぼすそうだ。

 その影響は寒冷化だそうだが、あれだけ騒いだ二酸化炭素による温暖化はどこへ行ってしまうのだろうか? 正直、ボクは元々信じてないけどね、温暖化は。
 だからといって寒冷化を「そうなんだ」と信じもしない。

 何一つはっきりとしたことが分からない森羅万象の動きを、何一つわかっていない学者が言うのだから、信じようもない。

 前々回に書いた「因果応報」に、友人からコメントが届いた。ボクはあまり難しく考えるのはやめている。だから暴論のように、こうした太陽の異常も、因果律から判断すれば、何十億年か前にその原因があったと考えるのも、あながち間違いではないのかなと……。

 また、怒られそうだけど……。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜中の仕事、復活!

2012-04-21 15:52:05 | 普通な人々<的>な
 夕べは、またいつぞやの一時のように徹夜でお仕事。

 仕事そのものは、どこまでも仕事で「面白い」だの「面白くない」だのという予断の入り込む余地はないのだが、なぜか異常に眠かった。それは頗る問題で。

 前日寝ていないというようなこともなかったにもかかわらず、26時頃に1時間ほど休憩したが、あろうことか瞬殺で寝入ってしまい1時間経っても目覚めなかった。そして、仕事の間中眠かった。これは過去に経験のないこと。
 
 これが疲労から来るものであろうと、加齢から来るものであろうと、ちょっとショック。

 今日も夜中のお仕事だけれど、また同じように眠くなるのだろうか?

 ボクとて生き物であり、眠らなければならないのは当然のことだが、ある程度自分でコントロールできていた(車の運転時だけは、ダメだったが)はずで、正直夕べのようなコントロール不能の、所謂「人事不省」状態は未経験だった。

 仕事中に眠くて昏倒するようなことがないように、祈りながら、いざ出発!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

因果応報

2012-04-20 14:47:26 | ちょっと宗教<的>な
 仏教にはなかなか冷徹な法理がある。
 その最たるものの一つが、因果応報という法理。

 因果とは、原因と結果であり、応報とは、原因に応じた報いがあるということ。
 最近の人は、この「報い」という言葉を、悪い意味で理解する人が多いようだが、報いとは単に結果のことだ。

 本質的に仏教は、悪い結果を想定することなどほとんどない。因果応報の言葉も、原因があれば結果が生ずるという当たり前のことを、なんの予断もなく説明しているに過ぎない。

 どこが冷徹かと言えば、結果としての現在は、過去に必ず現在という結果を生む原因があったということなのだが、ほとんどの場合その結果を予測しながら何かを行なってきたことなどなく、畢竟なにが原因だったのかまったく分からない、詰まるところ、因果応報という言葉の持つ意味は実感できないままに終わるからだ。実感できないと言うところが、冷徹なのだ。それでも「因果応報」は、厳然とあるのだから。

 もっといえば、この考え方で行けば、いま自分が意識しようが無意識であろうが考え成していることが、未来の「果」を作っているわけだが、それがどんな結果になるのかなど、誰も考えながら生きてはいないし、よしんば考えたとしても「果」を想像することは困難だ。

 仏教で説く「因果律」は、実はさらに深く遠い所にある。
 仏教では永遠の生命を説く。従って、現在という「果」を生んでいる「因」はいつ生命に刻まれたものなのか分からないのだ。
 ひょっとすると、例えばボクが「加藤 普」として生きている生命とは異なる、過去世というまったくあずかり知らない、前世、過去世で作った「因」かもしれないのだ。

 そうなると、まったくあずかり知らない「因」ということにもなり、それが、従うべき法則「因果律」に律せられた「果」であるかどうかさえ、我々には分からなくなってしまう。

 と同時に、だからこそ日々を自ら律しながら生きようという、人間としての本源的な律に従うこともできる。その本源的な律=宗教=仏教に従うことの中に、因果応報も含みこまれるということなのだろう。

 だから、冷徹なのだ。
 こうした類いのことは、実は考え始めれば自分の人生にも深く関わりあることのように思える。その結果、なにか悪業だの悪因縁などという「威し」に自分の生命が屈服してしまうこともある。これが最も怖い。よくいう宗教のマインドコントロールは、多くの場合ここに潜んでいる。

 宗教の正邪を見破る一つの方法が、この「脅し」や「デメリット」が教えの中にあるかないかだ。もちろんないほうが正しいに決まっている。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画俳優は神秘的な存在だった

2012-04-18 22:24:17 | 普通な人々<的>な
ボクは子供の頃から映画が大好きだった。初めて見た映画はヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」だったか、アーヴィング・ラパーの「黒い雄牛」だったか、ディズニーの「ピノキオ」だったか、フェデリコ・フェリーニの「道」だったか、定かでない。

小学校の低学年はほぼ毎週、当時住んでいた上板橋の東映に3本立てを見に行っていた。

当時の東映時代劇スターは、片岡千重蔵、大河内伝次郎、市川歌右衛門といった、戦前からのスターで、中村錦之助(後の萬屋錦之助)、東千代之助、里見浩太郎らが若手のスターとして台頭著しい時代。

他の映画会社には少し後だが日活には石原裕次郎、小林旭、東宝には森繁久弥の一党、大映には勝新太郎、市川雷蔵、松竹には……とスターが並んでいた。
実は松竹だけは余り興味がなかった。だから……。ただ、長谷川一夫は忘れられない。

それでもやはり東映映画が好きだったな。

そして、ことに東映のスターがそうだったのだが、ほとんど私生活は謎だった。

いまとなってはその理由の一分がわかる。

これも殊に東映時代劇スターに顕著だったのだが、実は皆さんスタイルが悪かった。ほとんど5頭身、6頭身。

余り日常的に人目に触れるのを避けていただけだったのだ。

スクリーン映えするのは、顔のでかい、短躯の役者と決まっていたのだ。

だからスターは、私生活を見せないことで自らをただの役者からスターに昇華していたのだ。

と、思うのだが如何?

昔の女優さんはトイレに行かなかった(と信じている人もいた)。日常生活など誰も詮索もしなかった。スターの生活は庶民とはかけ離れていて、想像すらできなかったのだ。そうあるべきだったのだ。

今時は、スターもTwitterで片時も息を継げないような衆人環視の真っ只中にいる。秘密など持ちようもなく、むしろ自分から自分の生活を暴露したりする。

隣りのお姉さん、週末のヒロイン、会いにいけるタレントなどと言っている今とはまるで異なるスターの有り様だったのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呆気なさすぎ

2012-04-17 16:23:17 | 普通な生活<的>な
立川に帰り着くと、すでに雨は降り止み、西の空は、明るくなっておりましたとさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪天候!

2012-04-17 15:57:06 | 普通な生活<的>な
仕事が予定より早く終了、早くも家路。

だが、早めに終わり正解かもしれない。

というのも、急激な天候の悪化が進行中で、あと2~3時間もしたら、歩くのも辛どくなりそうな感じがするのだ。

小石川では雷が鳴り響き、高田馬場ではやや強めに雨が降り始めている。

噂に聞けば、とんでもな雨風になるそうで、注意が必要だそうだ。

まぁ、一時のことのようだが、それなりにご注意のほど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムカムカする!!

2012-04-14 13:45:30 | 普通な人々<的>な
(さすがにお金に縁のないボクが書いたものだけに、大いに間違いがありました。まずくじの勘違い。LOTO6ではなくBIG6億円でした。そして運営・販売は、みずほ銀行関連ではなく、NAASH(独立行政法人日本スポーツ振興センター)でした。関係各位には間違いでご迷惑をかけました。以下、その内容に書き換えたものを原稿にします)

 いとうあさこが「イライラする!」なら、こちとら「ムカムカする!」
 
 ムカムカするのはおそらくボクだけなのかもしれない。といっても、歳の所為で胃の調子が悪いとか、そういったことではない。なにか、不愉快な感じがするのだ。

 なにに対して不愉快なのかと言えば、最近のCMだ。こんなことに腹を立てるとは少しおかしいだろうと言われても仕方ないが……。例えば。

 高田純次がマスクマンで登場する「BIG6億円」だったかのCM。風采の上がらないサラリーマンに高田純次が「BIG6億円」を買えとすすめ、買えば当たるような流れで、当たるとおそらくそれまでは縁がなかったろう花嫁姿の女性が大挙して押し寄せてくるというもの。

 それがなぜ不愉快か? こうして説明することすら、なんだか嫌なのだが、なぜこんなことを書いているかといえば、このCMが面白いと言う人が回りに何人もいるから。

 まず見ていて気に障るのは、大好きな高田純次が、マスクマンでいること。彼の最高の武器は普通のオヤジめいたおっさんが、あらぬことを口走るから面白いのであって、高田純次という存在自体がカリカチュアされていることに価値がある。
 それが、例えこれまでの流れの中での設定であったとしても、薄汚い印象のコスチュームに、世の中のオヤジ全体を小馬鹿にしたような高田純次への演出のあざとさ、これが気に障る。だがこれはまだ、ボク個人の趣向の問題。

 最も不愉快なのは、花嫁衣裳の女性が大挙して押し寄せてくるシーン。
 世の若い結婚適齢期の男性は、残念ながら金がないことで結婚に躊躇しているそうだが、このCMでは、まるでお金がすべてと言わんばかりに花嫁衣裳の女性が、サラリーマンが「当たった」とつぶやいた瞬間に殺到してくるのだ。

 この拝金主義者としか思えない馬鹿なCM製作者は一体誰なんだろうと思う。品もクソもない。そしてその放映を許可しているスポンサーである「BIG6億円」の運営・販売元であるNAASH(独立行政法人日本スポーツ振興センター)の品性も、恐ろしく下品としか言いようがない。

 なにより、女性を馬鹿にしすぎだろう。女性が結婚相手を見つけるための条件は「お金だけでしょう」と言わんばかりの演出。

 こういうモノしか作れない連中が、いま日本のそれなりの部署の中枢にいることが恐ろしい(ここでは「BIG6億円」を代表として取り上げたに過ぎない。他にもまだまだムカムカするCMがたくさんあることは、言を待たない)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤独死 2

2012-04-12 09:42:14 | 普通な人々<的>な
誰かがきっと、助けてくれる。

窮すれば通ず。という言葉があるように、人は誰かを信じ、あてにして生きている面も大きい。

何時の頃から、この日本ではそれは犯罪的な行為と認識されるに至った。人を頼ることは誰かに迷惑をかけることであり、自己責任の名において、自死するなりしなさい、という論調だ。

世の中が、家族という単位を放棄させられ、孤立した人々がほぼ完全にシステムとマニュアルで管理されるようになったバブル後は、まさにそうした流れが社会の潮流と言って良い。

昨今の全国各地で起きている孤独死は、その当然の帰結だ。
自分の力や意志ではどうにもならないことを前にすると、人は途方に暮れる。

最近の人は良く「頑張れ」「負けるな」「きっと良くなる」と激励してくれる。だけれど助けてくれることは稀だ。

助けてと呟く人は、激励して欲しいのではなく、助けて欲しいのだ。

窮すれば通ず、と書いたが、今は、貧すれば貪す、というのがほとんどだろう。
以前にも書いたが、孤独死も、今は顕著ではないが自死もまた、増えていくだろう。

最後に書くが、これほどの経済の逼塞感はかつて経験したことがない。金というファクターが、この日本の“人”という財産をいたずらに失わせているような気がしてならない。

自死する者など、弱者であり、そもそもからして敗者、という考え方もあろうが、家族という身を寄せることのできた最後の場をも失った人々は、人知れず失われていくしかないのだろうか?

残念な世の中と思う。

それではどうすればいいのか?

日本人の三分の一が人を助けることに躊躇しない意志をもち、経済、とりわけ金偏重の心を改めれば、変わる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林幸子事務所問題について

2012-04-11 13:36:47 | 音楽にまつわる話<的>な
基本的に、芸能マスコミが口出しする問題でもないし、もっと言えば問題でもないことのはずだったろう。

それがなにか大問題ででもあるかのように喧伝されるのは、マスコミの作り上げた幻想に過ぎない。

マスコミの一分を担った人間としては、書きたくもないことだが、こと芸能マスコミに関して言えば、マッチポンプが普通で、普通のこともあらぬところであろうとどこだろうと、乾いた火の着きそうなところには、とりあえず火を着けてみる。

それがなにかの弾みで燃え始めればしめたもので、はじめはそれとはわからない程度に油を注ぎ、ある程度燃え上がれば今度は消しにかかる。

手慣れたもので、まるでマニュアルがあるかのようだ。

よく考えると、まるで言葉通りに放火犯のようだが、犯罪には当たらない。せいぜい人としてどうなのかが問われる程度。本当ならそれが一番問題なんだが、ね。

小林幸子事務所のことは大して知りもしないのだが、前社長のコメントを読んで思った。

これは小林幸子という商品を、老舗の店頭でこれまで通り売るか、新しい意匠を与えて売るようにみせて、老舗の権利を奪おうという新興勢力(亭主)の仕掛けた主導権争い、というに過ぎない。

こんなことはどんな仕事の場でも、日常的に行われていることで、問題にもならない。

ただ火が着きそうなところがあった。それが前社長の心情的な揺らぎだった。

30年以上も一緒に夢を追いかけて来たのに、という思い。
ここに火を着ければ燃える。

前社長としてみれば不満はあっただろうが、訴訟合戦などするつもりはないだろう。

だが、それでは感情に火をつけた手前、マスコミとしてみれば面白くないし、長く引きずれない。引きずった方がオイシい。

マスコミはおそらく担当を振り分けて、両者を煽り続けるだろう。

退っ引きならないところに立ち至ったあたりで、どちらかを悪者に仕立てて、終了だろう。

この勝負では、片方はドラスティックに法律を盾に、もう一方は感情論でということになっているが、勝負はついている。

今の世の中、感情や心などクソの役にも立たないと思っている人々が大半だ。だから結局はそういう流れになるだろう。

なんでこんな原稿を書いたのか、自分でも分からない。

なにかやるせなかっただけなんだが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

90000PVを越えました!

2012-04-10 02:57:30 | 普通な人々<的>な
 本当にありがとうございます! 90000PVを越えました。後、御礼&報告は2回ということに。
 前にも書きましたが、あまりそう言う細かいことは気にせず、気ままに行こうとは思いますが……。
 今後ともよしなに、ね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする