普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

講師をしました。

2012-11-26 18:44:00 | 普通な人々<的>な
今から30年ほど前に、あしかけ3年ほど音楽の専門学校で講師をしていたことがある。
当時としては珍しく、音楽業界に関わる経済を教えていた。ロイヤリティービジネスを軸に、著作権法、未来への音楽の展望などを教えていた。
生徒との対話は楽しく、自分も大いに勉強することができた。

その内の未来展望に関しては、自分の想像力を駆使して話をすることになったのだが、概要以下のような内容の話をした。

●レコードはやがてデジタル・パッケージ・メディアに取って代わられる。(当時はまだレコードの時代で、CDのようなものがやがてできるというプロセスの最中だった)
●デジタル・パッケージ・メディアも、やがてパッケージである限り、大きく変化する。
●ゆくゆくは、電話回線を通して音源を売り買いする時代が来る。
●その時に、ロイヤリティー・ビジネスが音楽産業を支えるビジネスになる。
云々。

そんなことを思い出したが、先週の土曜日、文章講座で講師をさせてもらった。
人と対峙して話をすることの緊張感と充実感を感じたのは、久しぶりのことでなにか背中に羽根が生えたような、自由な感触まで味わった。

ありがたいことだった。

何も書けず。

2012-11-23 22:12:09 | 普通な人々<的>な
 気づけば10日以上も原稿を書けなかった。

 何故か?

 書く事はある。書く意志もある。書く道具もある。

 ただただ、書く時間がなかった。

 煎じ詰めればの話。

 まったく時間がなかったわけではない。

 寝る時間を削って書けばいい。

 ただ、寝る時間を削るほどの情熱はなかった。

 再びモチベーションの復活する日が、近々に来る。

 それはわかっている。


 

ディズニーランド・デビュー!

2012-11-04 01:46:12 | 普通な人々<的>な
息子の息子が、11月2日、晴れてディズニーシー・デビューを果たしたとのこと。

1歳2ヶ月弱。きっとまだディズニー・ワールドの楽しさは分からなかっただろうが、肌から染み込むワクワク感のようなものはあったに違いない。

それにしても、何ゆえディズニーランドではなく、ディズニーシーだったのだろうか? やや大人な感じのディズニーシーより、子ども子どもした感じのディズニーランドも良かったのではないかいな。

そして、ボクは仕事で行けなかったのだが、息子はなにやら相当の熱があったらしく、無理を押して出かけたらしい。

これもまた何ゆえのことだったのだろう? 一度決めたこととはいえ、ディズニーワールドはいつでも行ける。親としては、無理をするようなことだったのかと、思ってしまった。これから先、何度となく行くことになるだろうディズニーワールドなんだから…。

と書いていて、息子を初めてディズニーランドに連れて行った時のことを思い出した。ベビーカーに乗せてただうろつきまわった感じだった。そして、ボクも体調が悪かった。結構だるかったのを思い出した。それでも楽しかった記憶がある。

ディズニーランドの開園は1983年の4月、息子が生まれたのは1984年の6月。初めて連れて行ったのは、1歳になるかならないかくらいだったから、1985年のこと。

気がつけば、あの赤ん坊だった息子が、息子を連れてディズ二ワールド・デビュー。同じことをやっているのだが、なにかほっとするような気分もある。

ディズニー・ワールドというのは、なにか特別の感じがある。