普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

ゴールデンWは、シルバー世代にはどうなんだろう?

2015-04-29 13:31:29 | 普通な人々<的>な
黄金週間の中で、シルバー世代のボクはどう過ごせばいいのか?

素直に疑問だな。言葉遊びをしてるわけではなくて、なにか黄金週間という言葉には「輝き」だったり「明るさ」だったり「若さ」「欲望」などといった、なにか弾けるような感覚があるが、シルバーという言葉には逆に、「落ち着き」「渋み」「沈着」といった、むしろ動きのない感覚がある。

ゴールデンウィーク=黄金週間の煌めきの中で、シルバー世代ははしゃぎきれずに家で渋茶でも啜っているような、明らかな対比が生まれている感じがある。

ボクは確かにシルバー世代だ(確かに頭はシルバーグレイだ)。

考えてみれば、50歳代までは普通に(覚悟はいらないという意味)車をふっとばして旅行に出かけたり、飯を食うにもBBQが真っ先に頭に浮かんだりしたものだが、60歳を過ぎたら途端に、できれば出かけたくないとか、近間で済ませようとか、食うなら「魚」みたいな感覚が出てきた。

黄金週間ときいても、さして心は騒めかない。なんというか、シルバー世代には黄金週間は存在しないも同然という感覚なのだ。

なにかつまらないな、とは思うのだが、こればかりは仕方がない。

きっと、老老介護でそれどころではないという人も多いだろう。高齢者の中には遊んでる暇などないほど生活に窮している人もいるだろう。

ボクも時々、死ぬまで働かなきゃならないと言うことがある。これは言葉のアヤやほのめかしではなく、真実なのだ。そしてこの言葉を言うたびについて回る「あと何年は……」という感覚が、どんどん短くなる。このボクでさえとうとう一桁台に突入した感がある。だからシルバーなんだよね。

身体も元気、頭もそれほど耄碌していない。だけどなにか、どこかが違う。

これが老いなんだろうかな? (おいおい!)
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二重人格の割に、たいして変わらない人格だったりして……

2015-04-26 17:53:57 | 普通な人々<的>な
「少し疲れたかな……。
帰りの電車内で、運の良いことに座れた。座った瞬間に寝込んでしまった。
降りる駅を乗り過ごし。次の駅まで行った。戻る電車はない。20分、いや30分かけて家まで歩くことになった。
それでも。あまり辛くはない。むしろ家で何をすることもなく、蛇口から流れ出る水をコップになみなみと注ぎ、一気に薬を飲み下しているような生活よりは、はるかにましなのだ。
毎日仕事のある有難さは、きっと息子や娘、ひょっとすれば奥さんにもわかってもらえないかもしれない。
そうは言っても、毎日夜中になるのは、やはり疲れる。
職住隣接などとイカシタ環境があるわけではないから、仕事先への往復に、3時間弱はかかる。
だから例えば、仕事場を22時に出ると、家には23時半に帰り着く勘定で、家に戻ってから何かを考える暇もない。
今日は、23時に仕事場を出たから、いますでに夜中の12時半を回っている。家に帰りつくのは夜中の1時になるだろう。
だが、そんな仕事を選んだのはボク自身なわけで、誰に文句を言える筋合いもない。
最早人っ子一人いない、街灯も50㍍おきにしか人助けをしないような田舎道を、とぼとぼと歩きはじめる……」
と、いうようなことを頭の中で考えていた。原稿の中に登場する人物は、たいていの場合自分の別人格の投影、自分の中の別人格に光を当てているようなもの。だが、最近は別人格のつもりで書いているのに、妙に近い。自分に近い。
なんだか二重人格や多重人格のようでありながら、あまりというかほとんど区別のつかない人格しか、頭の中に登場しない。これって、オレじゃん? って話だ。
小説の中で、呻吟する60歳代のオヤジを書くと、自分が登場してくる。同じ穴の狢というか、同じような環境に身を置くオヤジなわけで、結構彼の意識に寄り添いすぎてしまうのかもしれない。
とはいえ、いつか、高齢者の思いを素直に書いてみたいと思う。
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わかるかなぁ! わかんねぇだろうなぁ! イェーイ!

2015-04-25 00:27:42 | 東京「昔むかしの」百物語
久しぶりです。ほとんど毎日、午前様状態。
原稿一つも書けませんでした。

さて、タイトルの、この言葉を知っている人は、最早それほど多くもないかな?
ショカクヤチトセ(松鶴家チとせ)という落語家(名前はそれ風でも、単なるピン芸人だったかもしれない)の生み出した、1970年代に一世を風靡した流行語。
なぜこの言葉をここで選んだのかというと、この言葉の持つ、深い哲学的な側面をみたからだ。
ポイントは、はじめから「わかるはずがない」と決めつけていることで、「イェーイ!」でダメを押している。
要するに、俺の話が分かる奴はいるはずがない、という意味合いを、少しだけオブラートでくるんで断定しているという言葉。
当時も今も、これほど相手に対して断定的にものを言っている言葉は、そうない。
正直、当時、あか抜けない田舎の兄ちゃん然とした松鶴家チとせを、鼻で笑っているようなところもあったが、今となっては、ひれ伏すのみ。

要は、人を小ばかにしたようなこの言葉も、今となってはとても人に対して優しい言葉と受け取られるのではないかと、ちょいと思ったりするのだ。
ボクとしては、言葉は生き物で、いつ何時豹変するかもしれず、いつ何時色を失うことがあるやもしれず、いつ何時思いもよらず人の心を打つこともあるかもしれないということが、言いたいだけなのだ。

たったひとつの言葉が、まるでカメレオンのように意味も、姿も変える。
これは面白いことなのかもしれないと、最近思い始めているのだ。

久しぶりの原稿が、こんな話?

この回路でしか頭が回らないのよ、今日は。


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寒い! と、こんな時期まで言わなければならないなんて!

2015-04-12 23:24:10 | 極端な生活<的>な
寒くないですか?

三寒四温とは言うけれど、これは反則だろう! と大声を上げたくなる、寒さ。

最近、自分のこのブログを客観的に見ていて、本当に「寒い」と言いすぎるくらい書いている。それほど寒いか? と聞かれても「寒い!」としか言いようもない。

気象庁の話だと、例年並みの寒さと温かさの繰り返しのようだが、暖かい日もあるにはあったが、実感としては甚だ寒いとしか言いようがない。

ひょっとすると前にも書いたかもしれないが、ボクが歳を取っただけのことなのかもしれないが、それでも言える内は言っておきたい。

「寒い!!」

もっと問題なのかなと思うのが、この寒さが、突如暑さに代わる最近の気象事情。

春は、単に桜の花が咲き散ったという一週間程度のことで、一気に夏が来やしないかという心配。

なにせ寒さも堪えるが、暑さもこたえるという、おじいさんの話だ。
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東京「昭和な」百物語<その6> 上板橋1

2015-04-05 23:50:16 | 東京「昔むかしの」百物語
小石川から、上板橋に引っ越した。たぶん6歳になっていたはずだ。
東武東上線の上板橋は、池袋からおよそ12~3分だったと思う。今から考えればそれほど遠くもないのだが、当時は相当に遠かった。

緑ヶ丘幼稚園という幼稚園に転園した。ふと思い出したが、小石川で通っていた幼稚園は大山とかなんとか、そんな感じの名前だったような……。残念だが、まだ曖昧だ。

緑ヶ丘幼稚園には、半年くらいしか行っていない記憶だが、どうだったか……。

ボクが上板橋に引っ越した当時は、自治体が汚物を回収するのに、まだ牛の曳く大八車に肥桶をつんで各家庭をめぐっていた時代。それは直ぐに車での回収に代わり、バキュームカーにとって代わられたのだが、確かにまだ大八車だった。そのうちに、クロガネの三輪車やミゼット(ミゼットには肥桶は積めないけどね)などが登場してくる。

車と言えば、タクシーはルノーだらけだった。なぜフランス車だったのか? なんでだろう?

小学校は文京区立窪町小学校に入学した。越境入学というヤツだ。姉も同じ窪町小学校に通っていた。

小学生のボクは、革靴を履いて、制服などなかったが、まるで制服のように立派なテイラードの上下を着て、毎朝通勤客で満員の東上線から池袋で乗り換えて、できたばかりで淡路町くらいまでしか行かなかった丸ノ内線で茗荷谷まで通っていた。

窪町小学校の一番の思い出は、地下一階のコークス貯蔵エリアだ。冬のダルマストーブ用の燃料を、子供たちがバケツを下げて地下まで取りに行くのだ。そのエリアはほとんど灯りも無いような薄暗いスペースで、子供たちにとっては一種の肝試しのようなものだった。

まだ、あのコークスの乾いたような臭いを忘れない。二人組で行くのだが、恐る恐る出かけて行っては、コークスで一杯の重たいバケツをぶら下げて、逃げるように早足で階段を上った。

学校には基本電車で行くのだが、実はボクは電車で行くうちに気分が悪くなっていった。耐えられない日もあって、そんなときはバスで池袋まで出た。このバスも壮絶で、乗降口の扉が閉まらない状態で、ステップにしがみつくようにして乗った記憶もある。

通勤ラッシュが始まりかけた時代。それは凄まじいもので、無理やり客の尻を押し込んで、閉まらない扉を無理に閉めるという荒業が、毎日行われていた。

その中に身長110㎝位の子供も一緒に押し込まれる。降りたくても降りられないなどという子も大勢いた。幸いボクは終点だったから、そんな憂目には合わずに済んだ。

茗荷谷から地下鉄に乗るのが嫌で、歩いて帰ったこともある。池袋から上板橋まで歩いたこともある。電車で帰るよりは、はるかに気分が良かったのだ。

<続く>

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5・29佐井好子ワンマン at 渋谷 TSUTAYA O-Nest

2015-04-03 01:52:51 | 音楽にまつわる話<的>な
言わずもがなだね! 佐井好子36年ぶりのワンマンLIVE! 皆で行こう!

皆って誰? って話だけどね。

ボクはもうチケットを買ってしまいましたとさ!
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暖かくなって、嬉しい

2015-04-02 00:24:18 | 普通な生活<的>な
もう! 暖かくなって、嬉しい! それだけです!
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