昭和の「文化」を、考察。
洒落でもなんでもなく、「文化」と名の着くモノが結構あった。
例えば、住宅。文化住宅って、どんな住宅なのか? ま、有り体に言えば二戸一。
昭和30~40年代にあちこちで建てられた。関西方面に多かったかもしれない。小ぶりな長屋とでも言えそうな建物で、壁一枚で二世帯が隔てられわさわさと暮らしていた。住んでいる間は良いのだが、やがて改築だという話になるとはなはだ厄介な代物になってしまった。おいそれと好きに改築もできず、あちこちで紛争の種にもなった。阪神淡路大震災後の厄介の種にもなっていたようだった。
文化包丁と言うものもあった。日本で包丁と言えば、様々な用途によって使い分けられる道具であり、その用途に沿った形状をしている。それを、一本の包丁で済ましてしまおうという、戦後の西洋合理主義的要請にきっちりと応えた包丁だ。
菜っ葉も切れれば肉だって、魚だって切れるという一見優れもの。使い慣れればそれで済むのだが、こだわり派は首をかしげながら、ぶつぶつ言いながらも結構便利で使っていた。
ひょっとすると、そんな名称は忘れ去られ、どこの家庭でも今まさに使われている形状の包丁こそ、文化包丁だったりするかもしれない。
文化釜というものもあった。厚手のアルマイト製(アルミニウム合金)で鉄製の羽釜にとって代わった。それというのも、かまどからガスコンロに熱源が変わり、この文化釜は便利なことにガスに対応できるように作られたものだったのだ。
実はいまでも売られている。結構なファンもいるようだが、電気釜の普及で一気に過去の道具になってしまった。
なにやら「文化」と名がつけば、物が売れたという時代だったのだ。昭和のハイソの代名詞が「文化」だったかもしれない。
なにしろ、「文化」といって最も良さげなものは、文化勲章だ。これは戦前に誕生した代物だが昭和の産物だ。勲章をもらって喜ぶという精神構造がよく理解できないのだが、日本の文化人にとって最高の栄誉であることは確かなようだ。