普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その18>雑誌②

2016-11-29 20:11:52 | 東京「昔むかしの」百物語
そう言えば、雑誌で思い出すのは「週刊新潮」だ。

我が家がまだ上板橋に住まっていた頃、我が家に「週刊新潮」という新しく創刊された週刊誌が送られてきていた。後に「黒い報告書」などの人気シリーズを生む週刊誌ブームの火付け役だった雑誌。

なんで送られてくるのかと思っていたが、後々父親が戦前に新潮文庫の編集者だったと知ることで、その謎は氷解した。父親にシンパシーを感じてくれる後輩編集者がまだいた時代だったのだ。

ボクはかなりませていたのか小学生時代に親に内緒でコッソリと「週刊新潮」を読んでいた記憶がある。コッソリとと言うのは、ちょっとエッチな内容もあったからだったが、ことにトップ記事は政界の内幕話や事件記事で面白かった。後にトップ屋と呼ばれる一人であった梶山季之などの原稿だったと知る。吉展ちゃん事件(営利誘拐殺人事件)やら、三鷹事件、帝銀事件などといった戦後の不可解な事件の真相を追い求める記事などがあったように記憶しているが、間違いかもしれない。

ボクはお芝居をやっていた関係なのか、なかなかに破天荒な生活を送っていた。そしてどちらかと言えば社会に対して斜に構えていたし、反体制的であろうと努めていた。

1970年代に、そんなボクが嵌った雑誌が幾つかあった。

「エロチカ」という高橋鐵や団鬼六などが関わっていた性風俗(今のような性風俗ではなく、むしろ民俗学的な切り口であり、文化的な印象すらある雑誌だった。澁澤龍彦につながる系譜も内に秘めていたように思う)を扱う雑誌だった。これは我が家の本棚を占領していた時期がしばらくの間あった。

他には「東京25時」などという突き抜けた雑誌もあった。まだまだ一種独特な雰囲気を持った雑誌があったが、正直タイトルが出てこない。

1970年代も終わりに近くなって創刊された「ムー」「トワイライト・ゾーン」なども面白かった。当時「ムー」が一歩リードしていた感があったが、へそ曲がりなボクは「トワイライト・ゾーン」の方が好きだった。

この雑誌タイトル「トワイライト・ゾーン」は、1960年代のアメリカ・テレビシリーズ「Twilight Zone」から取ったもので、テレビシリーズは「Outer Limits」と双璧の不思議系テレビシリーズだった。後のスカリー、モルダーの「Xファイル」の先駆けのような番組だった。日本の誇るウルトラマンを生んだ「ウルトラQ」の生みの親でもあるだろう。

マンガ雑誌にも「ガロ」という金字塔があったなぁ。
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東京「昭和な」百物語<その17> 雑誌①

2016-11-29 01:06:18 | 東京「昔むかしの」百物語
子どもの頃を思い出してみた。

上板橋に住んでいた頃、ボクはまだ未就学の幼稚園生で、父も母もまだボクにそれほどの手をかけはしなかった。例えば習い事や、勉強。

畢竟、姉には少女雑誌や少女漫画を買い与えたが、ボクにはまだ何も与えられなかった。

だから姉の手元に届く「少女クラブ」などを読んでいた。その中で最高に面白かったのは『リボンの騎士』だった。時々付録のような小冊子になっていた記憶がある。

やがてボクは両親の許しを得て「少年」を読み始める。横山光輝の『鉄人28号』、堀江卓の『矢車剣之助』、テレビとメディアミックスしていたような九里一平の『海底人8823』とかわくわくしながら読んでいた。もちろん『鉄腕アトム』もだ。

少年誌では「冒険王」「少年クラブ」などあったが、「少年」が最高峰だった。

内容に触れていると膨大になるので、雑誌名だけ取り上げることにする。

小学校4年生の時に画期的にも週刊少年漫画誌「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊、第一号から読み始め、結局34歳まで欠かさず読んでいた。

ボクの子どもの頃の少年誌は、実は戦争色の濃いものだった。作品ではなく、巻頭の特集などは野球や相撲といったスポーツヒーローもの以外は、日本の戦艦や武器などの解説、どれほど日本の科学力が優れていたかといった内容のオンパレードだった。中にはドイツとの比較やら、ヒトラーを肯定的に紹介するような記事もあったように記憶している。宇宙ものも多かった。光子ロケットなどと言った宇宙航行のアイデアは、当時「少年マガジン」や「少年サンデー」ですでに取り上げられていたと思う。

やがて第二次性徴期を迎える頃になると、青年誌に移行するわけだが、ちょうどその間を埋める「ボーイズライフ」などという雑誌もあった。この雑誌はオカルト的な記事もあり、ボクらの脳髄を刺激してやまなかった。

青年誌では「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」と並んで「F6セブン」という雑誌があった。ちょうど「パンチ」と「プレイボーイ」の間に創刊された記憶がある。活字の多い雑誌だったがピンナップは結構刺激的だったかな?

(この項続く)
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例の、UFO画像を

2016-11-28 18:38:41 | 超常現象<的>な
このブログで過去にアップしたモノも、併せて再録します。

これはUFOなどではないという意見もあろうかと思いますが、すべてボクが撮ったものなので、ボクとしてはUFOだと思いたい。なにせそういうの好きだから。

というわけで、上から2010年12月27日目撃のUFO


真ん中は2013年11月3日目撃のUFO
一番下が2016年11月22日目撃のUFO

11月22日は動画で撮っているのですが、データが重いのでキャプチャーした3枚を載せます。時系列は左から右です。電信柱の上の部分に合わせてあります。


以上です。
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さや様へ

2016-11-26 01:38:11 | こんなことを考えた
10月15日に、6月20日に書いたボクの原稿に「返答」と題して原稿を書きましたが、その原稿に対して「さや」さんから「不完全燃焼である」との意味合いのコメントを頂いたので、再度パラレルワールドについて書くことにしました。

「さや」さんの言葉は、本当は「不完全燃焼である」などというものではなく、ボクと奥さん二人のパラレルワールドに対する説明を聞きたいとのことでしたので、あらあら書かせていただきます。

ボクと奥さんのパラレルワールド「論」は、実は基本的にそれほどの差異があるわけではありません。

仏教の「一念三千」という法門がベースにあります。

「さや」さんが、この「一念三千」という法門の意味をご存じないという前提で書きます。もしご存じなら失礼ぶっこきます。
 
仏の示した「一念三千」の意味(本当は仏の真意を天台大師が解き明かした)については、2012年の3月28日と30日の二度に分けて、このブログで少しだけ書いているので、参考にしてください。

さて、「一念三千」とは、文字通り「一瞬に想起する一念に、三千の認識、言葉を換えれば選択肢が生じる」ということです。言ってみればボクたちは一瞬一瞬毎に、必要な選択をし続けて生きているということになります。

考えてみればストレスの多いことこの上ないわけですが、仕方ありません。そうしなければボクの思考も意識も停止してしまう、言い換えれば生命としての「死」を迎えるからです。「一念三千」は、生きる意味を表わした法門でもあるのです。

さてその「一念三千」ですが、三千というのはもちろん仏法的にきちんと裏付けのある数字なのですが、それは置いておいて、数多のという意味合いで捉えていただけばいいと思います。人は一瞬に常に移ろう三千の世界を抱え、瞬間瞬間にその一つを選び取って生きている存在というわけです。

これはどういうことかといえば、いつでもシフトできる三千の世界、つまりパラレルな三千の世界を人は誰でも抱えているということです。別の世界に移ろうと思えば、いつでも移れるのです。

それは、人間は自分が選べば自分にとって最良の世界を選び取ることができるということです。

その方法は、例えば仏教的には修行などといいますが、そんなことではない。要は「深い思い」です。

自分にとって最良の世界を選ぶというのは、決して最高にハッピーな世界、というわけではないということに注意してください。

自分にとって最良、というのは自分が気持ちのいい世界であり、幸せとは限りません。ぐずぐずと他人に対して文句を言うことが大好きな人もいます。自分の生活に不満ばかりあることが好きな人もいます。人と別れることが実は楽しくて仕方ない人もいます。そうしようと思って人は自分の人生を選んでいるのです。

いまの自分の境遇、境涯は、ほとんどすべて自分が望んだ結果としての世界なのです。

傍から見るともの凄く不幸に見えても、平気な顔で生きている人もいます。それは自分が選んだ世界に納得しているからです。

最高の誰から見ても幸せな世界から、最低の誰が見ても不幸な世界まで、人は三千の世界を選びながら生きているのです。だから強い思いで「最高に幸せな世界、自分だけでなく人も幸せにしていける世界」を望めば、一瞬にしてそうなるのが、ボクたちの世界なのです。

それがパラレルワールドの本質だと、ボクは考えています。実は奥さんもそうです。ただ、異なるのは実践です。

奥さんは見事に実践の人で、パラレルワールドの中から最高に幸せな世界を選び取れる人です。ところがボクは理論的な理解はできていても実践が伴わない、と奥さんは感じているのです。実はボク自身もそう思ってしまっている節がある。

そこが異なります。最高に幸せな人生とはどんな人生なのだろうか? そう自問自答し続けようとボクは思っているわけです。そしてある日ふとそのことの意味が分かり、行動に移すことに何の抵抗もなくなり、ボクは別の世界にシフトする、そう思っています。

さやさん、こんな感じです。

もう少し補足すると、量子力学ではパラレルワールドの存在が証明されたそうです。簡単に言うと同一の量子が二カ所に存在できることを確認したということのようです。つまり一つの存在に少なくとも二つの世界があるということです。

こんな感じです。

最初にさやさんが「不完全燃焼」と言ったと書きましたが、それはパラレルな別の世界のボクの認識・受け取り方だったということです。ほんの少しのずれ。それこそがパラレルワールドなんだと思います。
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東京「昭和な」百物語<その16> 恋愛事情

2016-11-25 08:07:48 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和の終わり頃になると、それまでの一般的な恋愛観は相当崩れていたような気がするが、実は、昭和の恋愛観を決定的に突き崩したのは、1960年代後半のヒッピームーブメントと学生運動だった。

ボクの子どもの頃は、それこそ女の子と手をつなぐことなど「夢のまた夢」とでも言うような、この世の出来事とは到底思えないことだった。

それが、高校くらいになると、あれよあれよと世相が変化した。それはベトナム戦争、ヒッピームーブメント、反戦という三題噺のような若者の関心事が目の前に突き付けられたことによるとボクは思う。簡単に言えば外国からの輸入モノが呼び水になった。

フリーセックスなどという刺激的な言葉が世の中に登場したのも、この頃だ。ことに北欧の自由奔放な若者の性が雑誌などで取り上げられたりし始めた。

それを後押ししたのは、もちろん映画やお芝居という若者のカルチャーだった。ピンク映画、日活ロマンポルノなどという映像が溢れ、海の向こうのオフオフブロードウェイでは「ヘアー」、「ジーザスクライスト・スーパースター」などといった完全なるサブカルチャーから生れた舞台が好評を博していた。

そうした表現はすべて自由な恋愛、自由な性を標榜していたように思う。

それでは、昭和の元々の恋愛観は、どんなものだったか?

調べて見ればわかる通り、日本は元々フリーセックスの国である。ただし、身分制度に縛られ、なおかつ婚姻は家同士で行うものという前提があった。その前提をわきまえれば、恋愛は自由だった。平安時代の妻問婚の名残りなのか、夜這いなどという風習も全国に偏在していた。

だが、戦争という出来事を前に、性に対する規制や観念的な忌避が生じた。すべては国家によってコントロールされた。

だから昭和の恋愛事情は、そもそもの出発点から国家のコントロール下にあるものという、歪んだものであったわけだ。

女性は何より「貞節が一番」的なコントロール。その割には「産めよ増やせよ」と夫婦の尻は叩いた。

日本人はそのコントロールから戦後もなかなか抜けられなかったが、前述の通り、外国からのフリーセックス等という呼水で、1960年代後半に一気にタガが外れた感がある。元に戻ったといったら言い過ぎか?

その受け皿というか、大義名分というか一つの役割を担ったのが「同棲」という概念だ。

それまではお見合いを通じて家単位での婚姻が一般的だったが、男女の個のつながりでプレ婚姻、お試し婚が広く認知された。上村一夫のマンガ「同棲時代」がその先鞭をつけた。

かくいうボクも1970年に同棲した。3年間だったが充実した日々だった。なにが? と聞かれても答える気はないが……。

とにもかくにも、昭和の後半は婚姻の形もお見合いは一気に廃れ、自由恋愛が当たり前の時代に移行した。手を握ることなどに躊躇している暇もないほど、事は先へ先へと進んだわけだ。

1970年頃には、ディスコなどに行くとトイレでその場しのぎのセックスに興じる男女を見かけることも普通だった。

恋愛を時代でひとくくりにするのは、無理があるなといま感じたが、もう遅いな。
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また、UFO

2016-11-24 01:07:04 | 超常現象<的>な
なぜかこの時期になると、UFOが現れます。

今回は11月22日の夕方。西北の空をゆっくりとした流れ星のように流れていきました。

今回はスマホで動画を撮りました。ただデータとして重いので、ここには載せません。

少し経ったら写真でもアップします。お好きな方はこうご期待。

ついでに、その時に前のものも掲載しておきます。

なぜかというと、どうも同じもののような気がして。

一応ご報告。
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クラス会

2016-11-22 13:30:14 | 極端な人々<的>な
それも小学校の。

以前にも、この歳になるまで続く小学校のクラス会は大したものだよな、というようなことを書きましたが、まったく同じ感慨を抱いております。

クラスの同級生はおよそ50人ほどいた団塊の世代ですが、幹事のS藤君の話を聞けば、連絡のつくクラスメートがまだ30人前後いて、出したハガキに30人弱が返事をくれたとのこと。

実際参加したのは20人弱でしたが、物凄い参加率だなと感心します。

担任のK澤先生は、お歳がお歳なので、前回で最後と言っていましたが、お近くまで行ってまたやりたいと、全員が賛同しておりました。

場所は麹町のイタリアン。同級生のご子息のお店「麹町カフェ」。これがまた良い店で土曜日のオフィス街にも拘らず、クラス会開催時間は4時間もあったのに、ずっと満席。料理も良いお味でした。普通にまた行きたいお店です。

さらに凄いのは、二次会に行こうと入ったのが「タリーズ」。もうお酒を飲もうということにはならないわけです。

素晴らしい一時でしたy。

幹事さん、ありがとう! 感謝です。

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なかなか

2016-11-21 17:59:14 | 普通な生活<的>な
なかなか仕事は見つからないものですね。それでも引き続き就職活動中です。

いろいろ書きたいことがありますが、お隣の韓国に関する日本のマスコミのアプローチは、確かに自分のことではない他人事ではありますが、なにかいけ好かない感じがあります。

あの出来事を韓流ドラマ、イベントであるかのように論じている。他の国からどう見えようが、当事者は苦しんでいるのだろうと推察します。その苦しみは、おそらく明日は我が身なのであり、丁寧に伝えるべきものだろうと思います。

朴槿恵大統領を選んだのは韓国国民であり、そのことに痛みを感じて退陣を要求しているということなのだろうと思うのですが、日本のマスコミの論調を見聞きする限り、まさにイベントの紹介。ちょっと切ない感じです。

今日ニュースを見ていたら、韓国の高校生が朴大統領の退陣を要求する傍から「われわれが主役だ」というような意味のことを言っていました。

それが何を意味するのか? 日本のマスコミは取り立ててそのことに触れもしませんでした。若い世代が自分たちの可能性を口にしているのでしょうが、ただ、それは違うかなと。高校生は主役にはなれないしなってはいけない。SNSの弊害としか映りませんでした。むしろ朴大統領擁護派の発言の方が、まともに思えました。

正直、海を隔てているとはいえ最隣国である韓国は、好き嫌いという感情論はありますが、いまの韓国に対しては冷静かつ沈着に判断、対応することが求められるのではないでしょうか?

ただ韓国の政治家、司法に携わる人々、当事者すべてから醸し出される「民度の低さ」には、あきれるばかりです。なにか、思い込みと自己主張だけが人々の体の向きを決めている。要は、自分が発言することで関わりの生まれてくるであろう人々への配慮や思いがどこにもない。一方的発言のオンパレードですね。 

朴大統領もこれまで一貫してそうした姿勢でした。

韓国は国際社会の中では、明らかに日本の盟友、同盟国であってほしい国です。このままでは、アメリカやフィリピンとは別の意味で、日本にとっては危機的な状況を招きかねない結果も想像できます。

どうにかならないものかな?

感情論的にはボクにとってはどうでもいいことなのだけれど、結構、いまの韓国、心配です。


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おーい、アメリカ!?

2016-11-12 23:33:09 | 極端な人々<的>な
反トランプ・デモがあちこちで行われているアメリカ。

木村太郎と、共和党の熱狂的トランプ支持者以外、ほとんど誰も予想すらしていなかったトランプ大統領の誕生。

今から考えてみれば、なるほどさもあらん的な納得の仕方はできる。

いくつかの要素の内、ボクがつくづく思うのは以下のこと。

大統領はエスタブリッシュメントの代表、あるいはエスタブリッシュメントそのものでなければならないという、勝手な思い込みが招いた結果だということ。

少しは頭が良さ気で、何か聞かれたら立て板に水、気の利いた答えが即座に口をついて出る。そんな人間にしか物事は任せられないと勝手に思い込んでいること。ことにメディアのそうした思い込みが顕著だった。

実際は、そういう奴は鼻持ちならない。もういい加減「俺」より「私」より優れている的なアピールにはうんざりだ、と労働者階層の白人たちは思っただろうが、実はそう思ったのはこれまで民主党支持者然としていたリベラル、高学歴、移民支持、寛容性の高さをもった連中も同様だった。WASPはもちろんのことだ。

クリントンが嫌われたのは、政策に瑕疵があるからでも不安を感じさせる要素があったからでもない。ただただ、鼻持ちならずうんざりさせられただけ。

ボクはクリントンが勝つと思っていた。だが、投票日の朝ふと「クリントンがなったら、アメリカはどこに向かうと言っていたのだっけ?」と思った。よく考えたら、そうした指針は何もなかった気がした。むしろ頭も悪い、金のことにしか頭の働かない、女好きのスケベおやじで、思ったことをつい口走ってしまうろくでもないトランプの言っているの方が、内容の良し悪しは別にして確実にこちら側に届いているという事実に思い至り「ひょっとするとトランプが勝つかも」と奥さんに言ったのだった。

アメリカは、抜けることのできないカオスに突入したように思う。

どう考えても、トランプの政治力は低次元で、国家を壟断するということになりそうな気がする。

だが民主国家アメリカは、まぎれもなくトランプを自分たちのやり方で選んだのだ。

はたから見ていると「アメリカ人の阿保さ加減にはつける薬はない」と思うのだが、そうも言っていられない。なにしろこれまでのアメリカは「世界の警察」「世界経済の牽引役」だったのだから、そのレベルに至らない大統領の誕生は、世界を混乱に陥れるしかない。

ISIS、アルカイーダ、ボコ・ハラム、タリバン……イスラム過激派は大喜びだろう。打てば何かが返ってきそうだから。テロのやりがいもあろうというもの。

どちらかといえば、アメリカ人をボクは好きだ。だが、つくづく阿保だと思う。その落とし前は、自分でつけるしかないのだが、おそらく周りには思いもかけない大迷惑をかける結果になるだろう。

アメリカの大統領選挙。

世界の何かが、変わった日だった。
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