普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

11月1日(土) トーク・イヴェントに参加します。

2014-10-31 00:17:10 | 普通な人々<的>な
ざっくりとした内容は、以下の通り。

タイトル:「ニュー・ウェイヴとはなんだったのか vol.4 〜雑誌カルチャーとニュー・ウェイヴ〜 」
会場:Cafe Bar & Music Gazio/茨城県つくば市吾妻3-16-7
H P:http://gazio-tx.com/
日時:2014年11月1日 (土) 14:00開場/16:00開演(18:00終演予定)
語り手: 加藤普(久明)(http://blog.goo.ne.jp/katohfu) ← これ、ボクね!
ゲスト: 平沢裕一
聞き手: 高橋かしこ(ファッシネイション)
要予約:(先着40名 空有)
料金: 1500円(1ドリンク付き/店頭でお支払いください。食事は別オーダー+700円(予約時選択))

70年代後半の比較的コアな話をしようと思います。ただしボクの知り得た範囲のローカルな話ですが……。
たぶんまだ、席は空いています。

こっぱずかしいけど……お暇なら、来てよね、私寂しいの……ってか。

エボラ、日本へ?

2014-10-28 09:25:12 | 極端な生活<的>な
エボラに関しては、8月の初旬からここで書いてきているが、何度か触れたとおり、とうとう日本にも無関係なものではないということが証明されてしまった。

初めてエボラに関して触れた8月時点では、死者数もわずか730人だった。映画「アウトブレイク」ほどにはパンデミックも起こりにくい病気とすら書いている。とんでもなかったね。

羽田空港に到着したリベリアからの帰国者であり、カナダ国籍の日本人男性ジャーナリストは「運良く」陰性だったと判明したが、同様の経路での感染者の入国、ウィルスの国内への侵入の可能性は、逆に高まったと言えるのではないか?

アメリカでも、何人か罹患した可能性のある方々が陰性であったという報道もあり、なにか大山鳴動的な緩い気分が蔓延することが怖い。

日本の検疫、水際での防疫はそれなりに効を奏しているようだが、当然のことだが100%ではありえない。

もっと怖いなと思うのは、日本製の抗ウィルス薬・アビガンが効くかもしれないという期待があるが、ほとんど妄想に近いのだということが理解されていない。現時点では、可能性はあるというだけであり、治療そのものは対処療法しかないのが現実なのだ。

エボラ自体の伝播のシステムも、空気感染はしないという「予測」はたっているが、ほとんどわかっていない。空気感染はないにしても、接触感染の可能性は、HIVほどの重さはなく非常にカジュアルに感染するらしい。だからこその急激な感染。

前回も書いたが、これから先は「不可知領域」。だから恐怖も半端ではないが「パニックとdiscriminationだけは、戒めたい」ということだ。

追記≫ 武蔵村山の国立感染症研究所でエボラの確認作業が行われた。この研究所は我が家から車でわずか5分ほどの所。こういうニュースに接するだけで、意外にゾクゾクするほど怖い。今回は陰性だったが、陽性の体液からウィルスがどういう形でか外に漏れ出す可能性(運搬中に転ぶとかさ…)も0ではないわけで、近くにいるということがどれほど怖いことか!

地球上で初の、ウィルス・パンデミックの始まり?

2014-10-18 01:14:06 | 普通な生活<的>な
P-MODELに関わる非日常は、あっという間の出来事で、スッと日常に戻りました。

エボラ出血熱です。

ボクが8月3日の時点でこのブログに書いた「パンデミック? エボラ出血熱」で心配をしていた通りの展開になってしまった。すでに患者数は全世界で1万人(掌握できる実数)を超え、死亡者も5千人を超えているだろう。

アメリカ、スペインからアフリカのエボラ出血熱への対処・応援に赴いた医療関係者が自国に帰り、発症し二次感染が起きた。先進国での発症は、まさしくパンデミックの前提だ。

こうした伝播率の高い病は、本当のことを言えば根絶やしにすることは基本的にはできない。発症しないキャリアが、次のチャンスに至るまで其れとは気づかずに、気付かれずに、ウィルスなどを生かし続けるからだ。

最近の報道で最も恐れるのは、スペインの三次感染(確定ではないようだが…)のプロセス。二次感染した看護師の搬送に使った救急車を介して感染した可能性があるということ。

これは日本などでの最悪のシナリオを考えれば、電車の吊り革で感染するということに等しい。接触感染と言えども非常に簡単に感染することを意味している。

これから先は、この地球上に住む誰一人として理解も判断もできない不可知領域に突入する。いや既に突入している。

ボク達は、どう対処すれば良いのだろう? 少なくとも、パニックとdiscriminationだけは、戒めたい。

SHOCK! P-MODEL SHOCK & 平沢SHOCK!

2014-10-16 01:34:28 | 音楽にまつわる話<的>な
ボクのブログの訪問者は、普段は100人前後だ。PVだって多くても1,000程度。

それが。昨日P-MODELのライブに参加したことを書いたら、訪問者数は2,000人を超え、PVは5,000を超えた。もちろん平沢先生の周囲のスタッフが、記事のリンクをツイートしてくれたからなのだろうが、これは正直ショックである。平沢先生の影響力の大きさを過小評価していた。

もちろん訪問者数が跳ね上がるだろうことは想像の範疇だったが、500人くらいだろうと思っていた……。

それにしても。掲載した写真は、まるで太った柄本明(ボクのことね)が、平沢先生に毒づいているかのようだが、ボクにはただただ嬉しいカット。ライブ終わりの疲労困憊TIMEに押しかけたから、疲れ気味の平沢先生と、いやに元気な柄本明とのツーショットになってしまった。ごめんなさい。

それでもボクの中では宝のONE CUTに。

3日間のステラボール・ライブ、ボクより一世代若い知人達にも行けなかったことを残念がっている連中が多々。

も少し頻繁にライブをするというのは、やっぱり、無理なのか?

なにしろ、平沢先生のライブ、ステラボールならぬドラゴンボールの「仙豆」並みの回復力を与えてくれたから(写真のボクがやけに元気そうなのは、これが主たる理由なのだ)。殊に精神の。何度でも参加したいなと、思ってしまったのだった。


核P-MODEL×平沢進→HYBRID PHONON

2014-10-15 08:26:46 | 音楽にまつわる話<的>な
11日の土曜日、本当に久しぶりに平沢(進)先生のライブに行ってきた。

平沢ライブでもP-MODELライブでもなく、核P-MODEL×平沢進→HYBRID PHONONライブ(この辺りがボクにはもう追いつかない平沢先生の背中なんだが…)。

隣りで奥さんも参加。P-MODELを初めて聴いた時のことを思い出した。

実は、Aという音楽出版社に勤めていた奥さんが、放置されていたたくさんのデモテープの中から、P-MODELの「美術館であった人だろ」を見つけ出して聴き、その衝撃のままボクに電話をしてきて「聴いて!! 凄いよこのバンド!!」と、電話回線を通じて聴いたのが、すべての始まりだった。

その時の衝撃は、いまでも覚えている。

彼らのライブを聴くために下北沢に当時あった「ロフト」に出向いて、メンバーと少し話したと思う、それからすぐに8社くらいのレコード会社のディレクターに回状を送って、次のライブを聴かせ観せた。

そこで、ワーナーのディレクターS氏が「どうしてもやりたい」ということで、デビュー・アルバム「IN A MODEL ROOM」はワーナーからということになった。

そんなことを思い出しながら、ステラボールでのハイブリッド・ライブを観聴きし続けた。

ライブ終了後、楽屋へということで、久しぶりのご対面。


●ライブ後の楽屋にて。平沢先生と。先生の頭は真っ白ではあるが出会った頃の髪の長さ! ハリウッドメイクの○○と、こっそり教えてくれた。

いろいろあったけれども、リスペクトしてくれて嬉しかった。

それにしても! 当時を思い出すとまさに隔世の感あり。

時代は、いまや死語の世界的な「アナログ」から「デジタル」へ移行の真っ最中で、すべてが新しい世界を作り出せる可能性に満ちていた。その中で、ひとりP-MODELだけが突出して新しい世界を作り出していた。それは音を聴けば誰でもわかることだった。

そして今回のライブでも平沢先生は、まだ新しいことをやり続けている。すさまじいエナジーとイマジネーション。

平伏!!!

皇室と出雲大社

2014-10-06 15:51:21 | まあまあ社会<的>な
昨5日、出雲大社・権宮司の千家国麿さんと、皇室に連なる高円宮典子さまの結婚式が行われた。

一昔前なら、あり得ない事が起きたのだが、あまりそのことに触れるメディアもない。

ボクの知る限り、出雲大社と皇室の関係は、言ってみれば征服者と被征服者としての関係から始まる。記紀に登場する所謂「国譲り」神話に描かれているものだ。

4月に「故郷・島根のこと」でも「国譲り神話は、土着の縄文系住民と大陸或いは半島からの移住民である弥生系住民との覇権争いの結果惹起した、非常に現実的なパワーポリティクスというか、権力の平和的移譲という事実としてある」と書いたが、土着の大国主命(=大物主命)が、大陸からの移住民である天孫系の先遣隊長とでもいうべき建御雷神(タケミカツチノカミ)に、出雲大社の建設を条件として「国譲り」を承諾したとされるのだが、記紀神話が歴史的な事実とは言わないまでも、歴史の一コマを記したものであるなら、今回のお二人の結婚は、日本と言う国家を揺るがすような、2千数百年を超えたある種の政治的和解の儀式とでもいえるのだ。

百年も前ならこのことは、国民を二分するような議論を巻き起こしていたかもしれない。また百年も前ならそれこそ「お下げ渡し」的な受け取られ方をしたことだろう。

まぁ、いまと言う時だからこそ可能だった結婚なのだろう。

それにしても。これは日本という国にとって、なんらかの意味ある出来事なのだろうなと思う。具体的に「なにか」を言うことはできないけれど、できることなら前向きな何事かであって欲しいものだ。


人を呪わば……

2014-10-04 02:04:09 | 普通な人々<的>な
穴二つ、というようなことを言う。

「穴二つ」と言うのは、人を呪えば必ず自分にもその呪いは返ってくる。極端な話、人を呪い殺せたとしても自分にも呪いは返ってくる。結局自分も必ず死ぬことになる、墓穴は二つ必要なんだよ、と言うような意味。

日本にも、この呪いの文化があった。というより、今でもはっきりとある。

いつ頃からあり続けているのかと言えば、平安期以前から。日本の風俗・土着の習俗・宗教には呪いの要素が横溢している。

もっといえば、神話時代からあり続けていると言っても過言ではない。

そのルーツというものを探っていくと、伊弉諾・伊弉冉のおどろおどろしいエピソードに行き当たる。それは黄泉平坂での二人の会話。

黄泉の国で、黄泉の飯を食し穢ればかりで覆われた姿を伊弉諾に見られた伊弉冉は、そのことを恥じて恨みに思い、伊弉諾に「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と、有体に言えば呪いをかけるのだ。これが、日本における呪いの端緒。

それに対して伊弉諾は「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」と言い返し、日本の人口は減ることなく発展を遂げてきた、はずだった。

だが、最近の日本の人口推移は、皆さんもご存じの通り。減少に転じる分水嶺にある。

神話時代からの伊弉冉の呪いが、今頃になってジワジワと効果を発揮し始めているというわけだ。

これは笑い事ではない。日本人、いや地球上のすべての人々に等しく掛けられた呪いなのだ。

この呪いに、穴は二つあるのか、そこのところは判然としない。ただ、伊弉冉の住まう黄泉の国はすでに穴である。とすれば、伊弉冉は単純に呪う相手の穴を用意すれば良いだけ。

考えてみるに、ひょっとすれば日本の総人口分の穴を伊弉冉は用意しているかもしれない。世界の総人口分かもしれない。それは、穴二つと言うのだから、70億人を収容できる巨大な一穴かもしれない。

なにが因で、我々も穴に入ることになるか? その理由・原因が、なんとなくうすぼんやりだけれど形を露わにしてきたような気がするが、それはボクの思い過ごしだろうか?

芝居! 演りたくなってきた!①

2014-10-03 00:20:25 | 東京「昔むかしの」百物語
ちょっと長くなるけれど、書いておかないとなと思ったので、何回かに分けて書く。

中学を卒業する間際、もうじき高校入試という年の瀬。

東京12CHが、開局準備の試験放送のような形(確かまだ本放送は開始していなかったと記憶している)で、その年の高校演劇コンクール東京都大会・優勝校=東京都立杉並高等学校演劇部の「教室」を放送した。

ボクはそいつを見てしまった。衝撃だった。「この高校に入りたい」と、舞台放映を見終わった瞬間にそう思った。

同じ都立のT高校を受けるつもりで準備していたのだが、杉並高校受験に切り換えた。私立のW高等学校受験も準備していたが、こちらは親には申し訳ないが答案を白紙で出した。背水の陣とでも気取ったのかと、今では思う。

実は、当時親と進路で話し合いをしていた。ボクは中学卒業と同時に子役というか芝居の世界に入りたかった。だが親は「せめて高校は卒業して(大学入試の時も「せめて大学に入るだけでも入って」といっていたな)」という。それが、高校に入っても、充分自分の芝居に対する思いを充足させることのできる環境がある! と思ったわけだ。

結局、ボクは杉並高校に入学、脇目も振らずに演劇部に入部した。

1年の夏には、新幹線で岡山まで高校演劇コンクール全国大会に東京都代表として出かけ、12CHで見た「教室」で全国優勝を果たした。もちろんその時は裏方。忘れもしない岡山駅前の天満屋というローカルデパートのステージだった。

2年になって、今度は自分で脚本を書いて、東京都大会に出場。「現代の戦い」というちょっとシュールな脚本だったが、どうした加減か東京都で2位となった。だが、残念ながら全国大会行きは果たせなかった。

この段階で、ボクは芝居の世界で生きると決めた。

だから大学は「入るだけ」と言う約束で、W大学の第二文学部演劇科に入学した。同時に「三期会」というブレヒト劇団に研究生として入った。

なにか、楽しい日々の始まりを予感させたのだが、そうは問屋がおろさなかった。

続きはまた次回。