普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

年の瀬

2010-12-30 11:29:26 | 普通な人々<的>な
 ハッと気付けば、すでに年の瀬、30日ではありませんか! 2010年もあと今日を入れて2日とは! 驚きです。

 2011年をどんな年にするか? いまからじっくりと考えて…と、いうのはちょっと遅すぎの感あり。あらゆる手立てを駆使して、最良の年にします。

 しないと死ぬ。

 ところで。2010年は電子出版元年だそうですが、本当のところはどうなのでしょう? 暗中模索という感じがあります。要するに、電子出版に関するガイドラインもなく、早い者勝ち的状況のような気がします……というより、やった者勝ちかな?

 一斉に出版社が名乗りを上げてますが、一般論的には、なにか予測の範囲内の着地点ではないところに降り立ちそうな気がするのは、ボクだけでしょうか?

 大昔の、VHS vs ベータ戦争的ハードとの整合性も問題だし、著作権など作品の権利関係の問題もまったくクリアではないし、なにか、靄がかかった感じが否めません。

 明日も原稿を書こうと思いますが、もしUPできなかったときのために、良いお年を!!

 今年よりは、ずっと良いお年を!!
 
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父・加藤千代三のこと ①

2010-12-27 14:53:53 | 父・加藤千代三の短歌
 ボクすらすでに還暦を越え、父・千代三が生きていれば、104歳になっている。いまから10年前の2000年2月に94歳で彼岸に渡った。
 明治時代人の気骨を保ちつつも、物腰の柔らかな人だった。ボクは彼が42歳の時の子どもで、実際に父と子の関係を自覚し得たのは、わずかに10年程度だったろう。
 なぜならボクが10歳という、運動能力も備わり、周囲との関わりを模索する程度ではあるが、それなりに人間らしくなる年代に父は既に52歳、当時の感覚で言えば初老に差し掛かり、父というよりはむしろ祖父といった方がいいような関係になっていた。しかもボクは20歳で家を出た。その間、わずか10年程度なのだ。
 一緒にキャッチボールなどの運動をした記憶はない。それも当然で、父は若かりし頃は、歌人であり、青年期は編集者・作家であり、壮年期には社会運動家であり、老年期には再び物書きに戻った。常に俗に言う文系であり、まったくの運動オンチだったのではなかろうか。なにしろ戦前の軍隊にも「丙種合格」という、当時としてはあまり誇れない成績でかろうじての合格だった。偏に運動能力の不足だったろう。
 この父のことを、時々書こうと思う。昭和の初期に、彼は島崎藤村の知己を得て、藤村の推奨で、当時できたばかりの岩波文庫の編集者となり、新潮文庫の編集者となった。その当時のことは、彼自身の著作『昭和前史の人々』に詳しいが、この書籍もすでに発行されてはいない。彼の書籍を少しずつ紹介もしたい。
 なぜこのような試みを思いついたかといえば、父・加藤千代三は、優れた物書きであり思想家でもあったのだが、遂に陽の目を見ることがなかった。一部では評価されたが、決して本人が満足できる成功は収められなかった。
 だが、彼の人間主義、生活主義という思想基盤は、今でも充分に社会に必要なファクターだと思えるのだ。混迷し迷走する社会の道標になり得るものだとも思う。
 だから、時々父のことを書くことにする。
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音楽遍歴<その7>

2010-12-23 14:58:07 | 音楽にまつわる話<的>な
 ロッキンf編集部内でのパンク/ニュー・ウェーヴの評価は低かったが、ボクはひたすら追いかけた。
 海外の流れも追い、来日したブロンディ、トーキングヘッズなどの関連バンドはおおよそインタビューした。なんともクレバーな連中だった。イギリス組では、最も好きだったストラングラーズがやはり記憶に残っている。
 日本に目を向ければ、S-kenの主導した東京ロッカーズの存在が大きい。NYから日本に戻ったS-kenは、高いモチベーションで東京のロックシーンを作り変えていった。その手始めがS-kenスタジオの設立だった。当時ワーナーの洋楽ディレクターだったY氏との共同作業だったと記憶しているが、そこからS-kenはもとより3/3(後のフリクション)、リザード、ミラーズ、Mrカイトといったバンドが、ムーブメントとしての東京ロッカーズを創りあげていった。
 ボクは編集部内では評価の低いパンク/ニューウェーヴを掲載するページを、なんとかこじ開けることに力を注いだ。もちろんムーブメントを追いはしたが、東京ロッカーズを掲載するのはなかなか至難の業だった。

 掲載した写真は、当時の東京ロッカーズを記録した映画『ROCKERS』(監督:津島秀明 発売元:トランスフォーマー)の、2008年に発売されたDVD(スタンダード・エディション)のジャケ写。以下に記したバンドの音がまとまって聴ける唯一の音源でもある。
 
1. デストロイER /LIZARD
2. CITY BOY /8 1/2
3. MR.TWIST /SS
4. CRAZY OR LAZY /MR.KITE
5. リズムの時代 /THE PAIN
6. ぶた /自殺
7. CRAZY DEREAM /FRICTION
8. BOYS I LOVE YOU /SPEED
9. PASSENGER /MIRRORS
10. 環七 /MIRRORS
11. ぶちやぶれ /S-KEN
12. HANGING AROUND /THE STRANGLERS
13. DEATH AND NIGHT AND BLOOD (YUKIO) /THE STRANGLERS
14. マシンガン・キッド /LIZARD
15. コカ・コーラ /SS
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八王子の風景

2010-12-22 12:17:39 | 普通な生活<的>な
 八王子に、滝山城址というところがある。戦国時代に大石氏が築城した城の跡地だ。若い人たちは、ここを心霊スポットと呼んでいるようだが、春は桜が美しいらしい。

 この間、滝山街道を走っていたら滝山城址入り口という看板があったので、車で行ける所まで行ってみようと、登ってみた。城址への登山道の入り口までしか行けなかったが、良い風景で、しばしボーっと見とれていた。

 ついでに写真を撮った。これだ! 
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クリスマス週間

2010-12-22 01:28:06 | 普通な生活<的>な
 今週末はクリスマスですね。

 クリスマスの一番の思い出は……60回もあったから、忘れちゃいました!

 ひとつだけ。

 パーティーやろうと、家に集まった人が10何人かいた30何年も前のある年のクリスマス。

 その中に、一人だけ誰だか分らない人がいました。結局誰か分らないままそのパーティーはお開きになりましたが、後から誰に聞いても、誰もその人の事を知りませんでした。

 誰だったんでしょうか? いまだに不明です。
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アカシアオルケスタ インタビュー

2010-12-21 01:36:07 | 音楽にまつわる話<的>な
アカシアオルケスタ
独占インタビュー
大人こそ聴ける、アカシアオルケスタに注目!!

メンバー:佐野優(ba.) 藤原岬(vo.) 西村広文(key.) 北川慶祐(dr.)

アカシアオルケスタ
タイクツシノギ
OMCA-1138
2500円
12月15日発売
オーマガトキ/日本コロムビア


 アカシアオルケスタ。久しぶりに、大人の鑑賞にたえるJ-POP。
 2007年に活動を開始、これまでにインディーズでアルバムを2枚(『テアタリシダイ』〔07年10月〕、『カゴノトリ』〔08年10〕)、シングル3枚(「ヒトリアソビ」〔08年9月〕、「大嫌い」〔09年4月〕、「プレイゲーム」〔09年12月〕)をコンスタントに発表、現在、iTunes限定で5曲入りマキシシングル「ソノバシノギ」も配信中。おまけにライヴは数知れず! とキャリアを着実に積み上げて、この12月15日、満を持してメジャーデビュー。
 それにしてもさすが関西人! 初のインタビューとは思えないノリの良さ&歯切れの良さ。ちなみにベースの佐野は、いるのだが発言のタイミングを逃し、一言発言で終了した。
 J-CAST独占インタビューの始まり!
(加藤 普)


 東京事変のような曲も、Perfumeみたいな曲もある。オルタナな曲もあれば、それこそアゲアゲな曲もあるが、それらのすべてがきちんとアカシアオルケスタの音になっている。音のキャパシティー、間口が広く、懐が深い。とにかくカッコ良い!! 男3人は60年代のモッズを髣髴とさせるし、紅一点の藤原岬嬢はゴスロリ風でインパクトもある。

岬「元々私の中にバンドとしての完成像があって、それを具体化したらこうなったんです。最初からメンズは黒のスーツ、私はきちんとしたドレスにピンヒール」

 バンド結成は07年6月。インディーズで1stアルバム『テアタリシダイ』を出すわずか4ヶ月前。

西村「僕はキーボードとして最後にバンドに加入したんですが、初対面の1週間後にはレコーディングしてました。初対面で骨組だけの譜面を渡されて、セッションする中でその日の内に7割方曲は出来上がっていましたが、その時に岬嬢から『来週レコーディングだから』と告げられて。そんなタイトさのまま、このバンドはスタートしました」

 メンバーの北川(dr.)と佐野(ba.)は元々、シンガーソング・ライターとして活動していた岬嬢のサポートメンバーだった。

岬「音楽活動の事で真剣に悩んだ時期があったんですが、皆と音を出していると凄く楽しいなと思えて、一緒にバンドという形で演りたいと。ヴィジュアル含めて演りたいことが頭にあって、とにかく説得しようと呼び出して……。ただ彼(北川)は以前にも別のバンド活動をしていて、バンドの大変さをよくわかっているから『せっかくここまで1人で演ってきたんやから、そのままの方がえぇんちゃうん?』という話もありましたが、私は計画したら実行しないと気がすまないタイプで、すでにスタジオも押さえて」

 北川は、最初呼び出された時は「告白される」と思い、「どう彼女にするか?」そんな事を考えながら出掛けて行ったそうだ。この時点で勝負あり。

岬「音ではなくイメージ、世界観を話しました。簡単にいえば、ヴィジュアルもステージングもサウンドも、すべてがカッコ良いと言われるバンドがやりたい、というような説明をしました」

 その言葉どおり、とにかく全員がステージで最大限に自分の魅力を発揮している。カッコ良いのだ!

北川「完全に自分達もカッコ良いと思ってます(笑)」
西村「バンドとしても個人としてもカッコ良いと思ってます」
佐野「ライヴ中に言ってしまうくらい…」

 西村によれば、ベースの佐野は「ライヴの最中に近寄ってきて、耳元で『カッコ良い! カッコ良い!!』と叫ぶ」のだそうだ。それほど自分たちの演奏、スタイル、形すべてに自信をもち、力も持っている。すべてを括るバンド名の由来は、「アカシアは大きな木で、オルケスタ=オーケストラも大編成。その大きさを4人で表現」という意味合いだそうだ。

北川「これが必要最低限の人数で、これ以上の音も必要ないという意味でのオルケスタです。バンド結成が6月と、アカシアの花が咲く頃でもあり、上手くまとまったなと…」

 そして、バンド結成3年半でメジャーデビュー。関西方面での彼らの評価はすでに高く、各地のライヴハウスをソールドアウトする実力。そしてメジャーデビュー・アルバムの音は、彼らを関西から全国へと解き放つに充分なもの。

北川「09年の6月からレコーディングし始めて、色々ありまして、結局今年の夏一杯まで録っていました。ラテンのリズムもありで、オルタナ、グランジの音を出そうとしているバンドというのは、他にいないと思います」

 自分たちの音を表現するのに時にラテンのリズムが必要なのであって、ラテンを演りたいわけではない、まず自分達の音ありきというスタンス。ライヴ・アレンジもその場その場の即興性を感じた。

西村「抽象的な言い方ですが、演ってる内に『どうせ、そこにいくんでしょ?』という感じです。『やっぱりね』『あっ、そっちにいきました? じゃ、そっちにいってみましょうか』って感じです」
北川「ライヴでも、決めてるところは決めてますが、決めてないところも随所に残されています」
岬「普通のバンドとは真逆で。普通はバンドの音がカチッとあってヴォーカルが遊ぶけれど、ウチの場合は私がキチンとラインをキープして、バンドが遊ぶみたいな」
 
 そしてもうひとつ面白いのは、ギターがいないこと。ただ、このバンドに限ってはギターがいないことがまったく問題にならない。ベースやキーボードがギターの代わりをする、というのではなく、ギターが不用。

北川「さっきも言いましたが、音はこれで充分。それにつきます。はじめはギターを探していたんです。それが西村と出会って、こいつがいるならギターは不要だと」
西村「ギターがいて当たり前、と言う前提があるギターレスと言う言葉は嫌いで……。ただ、バンドにはギターが要るというのは概念としてある。だからギターレスといわれる中で、キーボードとベースでカヴァーしていかなければならないというのはあるわけで、ベースとキーボードの阿吽の呼吸も、このバンドの見所、聴き所という気がします」

 ヴォーカルも含めて全員の演奏技術の高さは特筆モノ。全員のバランスが取れていて、それが音のタイトさや圧力を生み出している。そして忘れてはいけないのが、詞。

岬「歌詞は私が書いているんですが、私にしか書けない詞があると思っています。皆、自分で気付いていない自分の気持ちを気付かせてくれる歌詞を求めているんじゃないかと思うんです。私もそうですから。1曲目から最後のトラックの最後の言葉まで、一語一語に魂を込めて書き、歌っています」

 最後に読者の皆さんに一言、というと北川がこんなことを言った。

北川「アルバムで言えば、今は曲をばらばらに買えてしまうけれど、アルバムを通して緊張と開放というウェーブがあるんです。そのウェーブに歌詞が乗っていっている。是非、このアルバムで開放されて欲しいですね。それとライヴですが、その場でしか生まれない高揚感を一瞬でつくりあげられる自信があります。だから、僕らの音楽はカッコ良いと言う自負の元、前に前にいきたいですね」

 アカシアオルケスタは、やはり、佇まいもサウンドも、かなりカッコ良いバンド。ボク的には、今年のJ-POPでの大収穫! ということになった。


【タイクツシノギ 収録曲】
1. ハジメニ
2. つまらない夜
3. エゴイスト
4. 旅人
5. フカンゼンハンザイ
6. 狗尾草
7. レインコート
8. 賛美歌
9. ナイモノネダリ
10. 大嫌い
11. ヒナドリ
12. 息吹
13. プレイゲーム

<J-CAST12月10日号より転載>
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ちょっと怖い話⑨ あるアパートで

2010-12-14 13:48:52 | 超常現象<的>な
 これは自分のアパートの話ではなく、25歳当時仲の良かった友人が引っ越そうと見つけたアパートの話。

 若い頃、杉並区に住んでいた。実家が荻窪だったこともあり、阿佐ヶ谷、荻窪周辺にアパートを借りて住んでいた時期が結構あった。

 友人が、「どうせ一緒に遊ぶんだし、出来ることなら杉並で、お前のアパートに近いところで借りる」とアパートを見つけてきた。杉並区の清水の方だった。

 ところが一度下見に行った友人が「一緒に行って下見してくれ」という。なにがどうということもないのだが、なにか違和感があるのだという。

 そのアパートは、昭和30年代に建てられた古いタイプで、廊下の両側にまるでハモニカのように部屋が並んでいた。共同炊事場、共同便所、風呂なしという、まあ安い一般的なモルタル2階建てのアパート。部屋数は上下で16室。

 そこの2階の端の部屋を借りようとしていたのだが、ボクは友人とそのアパートの入り口までいって、即座に契約するなと言った。

 周囲は住宅街で、アパートは木に囲まれ、一見静謐としたいい環境の中にあった。

 だが、入り口を見るなり友人が感じた違和感の正体が分った。

 不動産屋の言うには住人の大多数は「学生さん」だそうで、一緒に行ったときも、入り口には10足ほどの靴があり、明らかに、少なくとも10人は人がいるはずなのだが、あまりにも静かなのだ。人がいることで感じる空気の揺らぎのようなものがまったくない。

 背中がゾクゾクした。なによりボクが違和感を感じたのは、脱がれた靴だった。10足ほどの靴が、きれいに並んでいるのだ。軍隊でもこうはいかないというぐらい、きれいに並んでいるのだ。大家でも近くにいるのかと思ったが、そうではないらしい。

 ただキレイ好きの住人がいるだけかもしれないが、この生活感の無さと、靴の並びは異常だ。それでボクは「止めろ」と言った。
 少なくとも、友人を訪ねてこのアパートに遊びに来たくはなかったから。
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回文 3

2010-12-11 14:52:54 | 普通な生活<的>な
 ちょっと長めの回文を、ご披露します。また作り溜めるまで、しばらく回文はお休みです。

●金利利下がり 闇の飲み屋 利が去り 悋気
●那覇の騾馬の見た 民のバラの花
●那覇は賑わう。皆花見。上着には花
●浮く鯛も貝も、イカもいた。食う
●供の平井、喧嘩、いけないな。警官警邏、日の下
●相当意外な映画、だが言えないが言うと嘘

 こんなところでしょうか。回文は結構頭も使うし、良い脳の訓練になると思いますね。
 ここに紹介した作品で、自分で最も気に入っているのは、「那覇は賑わう。皆花見。上着には花」です。なにか、いい雰囲気を醸し出しています。




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11月3日のUFO?画像を、6枚アニメ化してみました<2>

2010-12-10 12:34:29 | 超常現象<的>な
 昨日アップしたUFOのアニメ化画像は、ゆれが激しいと言う意見もあり、見やすく作り直しました。
 改めて11月3日のUFO?写真画像をアニメ化したものをUPします。昨日のものは削除します。

「11月3日に、これってUFOか?と写真を3枚載せてみましたが、その時撮った6枚の写真をアニメ化してみましたので、公開します。
 ほんと、なんだと思います? マンションの階段を上っている時に、西の空に光る点があって、なにか動いているような気がしたので家からカメラを持ち出し撮影しました。この後、下の雲に隠れるわけですが、この6枚の写真を撮影した時間は、ほんの15秒程度です。
 ちなみに空気が澄んでいる日は、この光点の場所に富士山が見えます。」

[アニメ作成には、GIFアニメ工房さん(http://www.animegif.net/)のGIFアニメ作成ソフトを使わせてもらいました。感謝]
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11月3日のUFO?画像を、6枚アニメ化してみました

2010-12-09 14:57:36 | 超常現象<的>な
 11月3日に、これってUFOか?と写真を3枚載せてみましたが、その時撮った6枚の写真をアニメ化してみましたので、公開します。
 ほんと、なんだと思います? マンションの階段を上っている時に、西の空に光る点があって、なにか動いているような気がしたので家からカメラを持ち出し撮影しました。この後、下の雲に隠れるわけですが、この6枚の写真を撮影した時間は、ほんの15秒程度です。
 ちなみに空気が澄んでいる日は、この光点の場所に富士山が見えます。
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民族楽器は不協和音を奏でない 今聴きたい「ミャンマーの竪琴」

2010-12-09 12:55:03 | 音楽にまつわる話<的>な
▲久々の投稿です。11月29日にJ-CAST「音盤見聞録]に掲載した原稿を、再録します▼

World Roots Music Library(東南アジア8 ビルマ)
ビルマの音楽~竪琴とサイン・ワイン
KICW-85012~3(2枚組)
2800円
2008年7月9日発売

今年の1月にミャンマーのマウン・ウ内相が、11月にも非暴力民主化運動指導者・アウンサンスーチーさんを解放すると発言していたが、その言葉どおり、約7年半ぶりに軍政による軟禁状態からアウンサンスーチーさんが解放されたというニュースを聞いて、ミャンマーの今後に光が見えたように感じた人も多かったのではないだろうか。

ここで政治向きの話をするつもりはないが、このニュースを聞いてミャンマーの音楽が俄然聴きたくなった。というのも、最近のミュンマー情勢からは想像もできない美しい音楽が、そこにはあるからだ。

ミャンマーといえば、竹山道雄が戦後まもなく著した児童小説「ビルマの竪琴」の舞台となった「ビルマ」が、我々昭和世代にとっては近しい国名。ちなみに漢字では「緬甸」と表記するそうだ。旧首都ヤンゴンは「ラングーン」だった。いまや首都は、熱帯雨林を切り開いて創出された「ネピドー」となってしまったが、それでもなぜか、「ビルマの竪琴」から受けたインスピレーションは今でも消えることがない。

「いま聴くのがベストのタイミングだ」
ビルマの竪琴とは「サウン・ガウ」と呼ばれる民族楽器で、古代インドで生まれたとされる。この「サウン」はじめ、ビルマの音楽を彩る楽器は数知れず。世界で最も美しい黄金のオーケストラ「サイン・ワイン」、竹琴「パッタラー」、弦楽器アップライト・カーヌーン「ドゥンミン」、ビルマ風マンドリン「マダリン」などの音を収録したのが、今回紹介するキングレコードの誇るWorld Roots Music Libraryからのアルバム『ビルマ音楽/竪琴とサイン・ワイン』だ。

2008年の発売だが、いま聴くのがベストのタイミングだと、勝手に思っている。こんなにも美しい音楽を民族の財産として持ち、かつ仏教徒であるミャンマーの人々が軍政下という政治のステージを、そういつまでも力任せの体制を維持できるとは思えないから。

アウンサンスーチーさんの今後の活動も、軍事政権側の対応も、自分たちの音楽という民族としての財産に耳を傾けてから、という約束事を決めても良いくらいだと僕は思う。それほど心が広がる音なのだ。
 
 DISK2の最後の17曲目の曲名を良くよく見て欲しい。

【ビルマの音楽~竪琴とサイン・ワイン 収録曲】
[DISC1]
1. ウェイザヤンダー(ヨウダヤー)
2. ザティアナー・サチャーウェイラー(ヨウダヤー)
3. 雨の歌
4. タン・パッタラーの演奏
5. ドゥンミンの演奏
6. パルウェイの即興演奏
7. マダリンの演奏
8. ベインバウン(レイギン)
9. ナンボウン・ティーハー・ボウェイ(ヨウダヤー)
10. アテッケー・シーセイ・ロウ(ティーロウン)
11. ウェイザヤンダー(ヨウダヤー)
[DISC2]
1. パナーマ「挨拶の序曲」
2. 5種類の音楽
3. パナーマ音楽
4. ネーとパット・ワインの即興
5. ラー・サンダー(「月」)
6. パルウェの即興
7. 雨季~マンダレーの都
8. 国王を讃える歌(ネー・ジー)
9. 月光の下で恋人を馬に乗せる
10. トー・ボエ(男声)
11. トー・ボエ(女声)
12. 恋人の気持ちを戻す歌
13. 夏が来ると雪が消える
14. 愛する雪
15. ティーダ
16. サウンの即興
17. ミャンマーの多民族は仲良くしよう

<J-CAST NEWS モノウォッチ『音盤見聞録』掲載原稿を転載>
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奥さんは魔女 その2

2010-12-03 15:38:35 | 思いもよらない未来<的>な
 ボクの奥さんは<医者>だと書いたが、もうひとつ事例を挙げておこう。
 あれは6~7年前だったか、奥さんが突然「病院に連れて行って」と言った。朝5時のことだ。ボクは眠い目をこすりながら、すぐに準備をした。奥さんがこう言う時は、かなり事態が悪化しているということなのだ。すぐに車に乗せ、はじめて「どうしたの?」と聞いた。なんだか大きな荷物を抱えて「喉が痛い」という。
 車で10分ほどのところに夜間診療の受付がある総合病院があった。そこに向かった。すると「他にないの?」と聞く。他のところは遠いし、夜間診療があるかも分らないと言うと、「仕方ないか…」とつぶやいた。
 殺風景で乱雑な病院の内部だった。どう見てもインターンとしか思えない宿直の青年医師が、20分も待たせた挙句現れた。眠そうな腫れぼったい目をしていた。
 なんだか乱雑な廊下のベンチで診察の終わるのを待つ。だが、いつまで経っても奥さんどころか病院関係者の姿すら見えない。およそ2時間が経った頃、さすがのボクも業を煮やした。あちこち歩き回り、ナースステーションを見つけると、眠そうな目をした看護士に「妻はどこか」と荒っぽく尋ねた。「入院」と眠そうに答えた。7時を回っていた。
「なんだって? どうした?」
 ベッドに横になり点滴を受けている奥さんに矢継ぎ早に聞く。
「なんだか、ヘンな病院」
 奥さんはポツリと言う。診察すると医師は眠気も覚めたように、説明もないまま「入院が必要」といったそうだ。「一度戻って入院準備を」と続けたそうだが、奥さんは「もうできてます」と大きな荷物を見せたという。即刻入院。
「多分溶レン菌にやられたんだと思う」と彼女は言った。2日も入院して点滴すれば治ると奥さんは言った。
「焦ることはないけれど、放っておいたらどうなっていたか分らない」と物騒なことも言った。
 それにしても! 早朝に病院に行ったボクたちだったが、本当に乱雑で汚らしい病院だったのだが、入院したその日の夕方に、仕事を終えて見舞いに行くと、ぴかぴかの病院になっていた。
「なんだか嫌な感じがしたんだけど、今日が病院の転居日なんだって。なんでまたよりによってそういう日にね……。今朝入院していた病室は前の建物、そしてここは新しい病室」
 きっちりと、朝の診療開始時間に、病室も移らされたそうだ。
 奥さんは結局、予言どおり、2日間入院して帰宅した。「家に抗生物質があれば、もしぶり返したとしても大丈夫だから」と、てんこ盛りのクスリをせしめて、戻ってきたのだった。


 
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音楽遍歴<その6>

2010-12-02 14:45:22 | 音楽にまつわる話<的>な
 1976年、ロッキンfをはじめたその年、S-kenはヤマハからの派遣でNYに行っていた。そこからNYの最新音楽事情をレポートしてくれていた。その記事を何というタイトルで掲載したか記憶にないが、おそらく「NY最新事情」とか、S-kenが傾倒していた久生十蘭にちなんで「魔都通信」とか、なんだかそんなタイトルにしたような気もする。
 話しの本題は別だった! そのレポートのほとんどは、NYパンクに関する記事だった。マーキームーンやCBGBといった最前線のライブハウスでの、パティ・スミス、トーキングヘッズ、ブロンディ、テレヴィジョン、ラモーンズ等の動向を伝える、他の雑誌にはない記事だった。そういう意味では、ロッキンfは当時の海外のパンクムーヴメントをレアに伝えた最初のメディアだったのではないかと思う。
 前回の原稿の最後に「一気に音楽が若者の手中に落ちる『事件』が起こる」と書いたが、このパンクムーヴメントこそが、まさに「事件」だった。
 上手くて当たり前のバンド、テクあってのバンド活動という既成の概念を、パンクはぶち壊した。テクよりエモーション。3コードしか知らなくても(本当は皆上手かったんだけど)音楽は出来る、むしろ人に伝えられると、次々と生きの良いバンドが登場したのだ。
 NYのS-kenからも、イギリスのパンクの動向が伝えられてきたりもした。
 パンクは、世界を動かし始めていたのだ。
 日本ではどうだったか? はじめは「なにそれ?」的反応が普通だった。ことにロッキンfの読者は、ことにプレイヤー思考が強かったこともあって、拒否反応があった。「下手で良いわけねえじゃねえか」ということだった。
 そんな中、ボクはというと、一気にパンクにのめり込んで行った。なにしろレゲエとパンクは、レベル・ミュージック=反抗の音楽なのだ。音楽、ことにロックがへなへなと体制に順応し長いものに巻かれてどうする? と、その頃のボクは思っていたから!

(掲載したジャケ写は ブロンディ『妖女ブロンディ』(1976))
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回文 2

2010-12-01 11:44:03 | 普通な生活<的>な
 昨日に引き続き、回文をお披露目。今回は少し長めのものを。
 回文の面白さは、ピタッとはまったときに感ずる「おーッ!?」みたいな感じを一度でも味わうと、良く分る。なかなかありませんがね…。

●恨むと痛いな心、此処なの遺体? 弔う
●絵の隅の この小石が清しい この子の御簾の絵
●夜人家に行き 奇異に感じるよ
●素で ママ飲んだふり 普段のままです
●好きで来た 草の葉の咲く 滝でキス

 今回は此処まで。
 この中に、「おーッ!?」と思ったものが一つだけありますが、さて、どれだと思います?




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