普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

太田水穂

2019-03-20 01:17:11 | 父・加藤千代三の短歌
最近、仕事で出向くのは小石川界隈が多く、少し前から昼の休みには周辺を散策するようにしている。

なぜなら、ボクが5歳の頃(おぉ! 64年も前の事!)の住まいは、富坂上近くの横丁を入った、6畳一間だったか、4.5畳一間だったかの、超おんぼろ安アパートだった。仕事先の小石川から意外に近いのだ。

島根から家族で上京し、代々木の叔母宅に居候した後に家族4人で住んだ。それほど長い間ではなかったが、思い出深い。

文京区の富坂(小石川)、春日、小日向、といった地域は、何か独特の雰囲気がある。

ことに小日向は坂も多く狭隘な道路が細かく走っている。

おそらく富坂(小石川)のおんぼろアパートに住んだのは、父・加藤千代三があの辺りに土地勘があったからではなかったかと、今では思う。

岩波文庫、新潮文庫の編集者時代には、西片町にあった島崎藤村の居宅に通ったと書き残している。もちろん戦前の話だが、西片も富坂から近い。

それはそれとして、先日小日向のあたりを歩いていたら、藤寺(正式名称は曹洞宗・伝明寺と案内板に書いてある)という禅宗の寺の前に出た。



脇には藤坂。



案内板によれば江戸幕府三代将軍家光が伝明寺に立ち寄る機会があり、寺に藤の花が咲いているのを見て「これこそ藤寺なり」と言ったとか。

そして、ボクが少し驚きなにか運命を感じたのが、その案内板の末尾に詠まれている短歌を読んだ時だった。

「藤寺のみさかをゆけば清水谷
        清水ながれて蕗の薹もゆ」

そして、その詠み人は、太田水穂だった。戦前の短歌界を束ねた「潮音」の主催者であり、天才少年歌人と言われた父・加藤千代三を、島根の田舎から東京へ連れ来たって島崎藤村に委ねた、その人の歌だったのだ。
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再録 超高齢化社会でなにが起きるか?

2019-03-03 23:11:17 | まあまあ社会<的>な
ブログを始めた頃、こんな原稿を書いていました。
なんだか、この時に書いたことが毎日のように現実化し、ニュースになっているのが少し胸が痛いのです。
それでも、これはもう一度読んでいただければと思い、再録します。

◆2011年2月20日付 
 久しぶりです。
 10日間もブログのためにPCの前に座ることができませんでした。
 アラブ世界だけでなく、中国にまでSNS革命とでも言えそうな新しい革命の波が押し寄せているようですね。
 それにしても、なぜ日本ではまったくそうした動きが起きないのでしょうか? 正直なところ、日本は「心身ともに」病んでいるような気がしてなりません。元気の出しようがないという気がします。その理由のひとつは、高齢者の処遇にあります。
 多くの学者や社会活動家が、日本の行く末を解き明かそうと発言しています。超高齢化社会は眼前にまで迫ってきています。
 超高齢化社会ではなにが起きるのでしょうか? 若者が一人で何人もの高齢者の社会保障を支えなければいけなくなるなどということは、そう大した問題ではないと僕は思います。そんなものは社会保障の制度を変えれば済むことですから。
 問題は、高齢者は働き手ではない、社会を構成する要素から外れているといういまのままの考え方でいけば、まったく高齢者は社会構成要素から外れたままになり、二度と社会の構成員として浮かび上がる事がなくなるということです。60歳を過ぎた途端に、まったく就職先がなくなるなどという歪みは、あってはならないことでしょう。高齢者の社会参加意識を鋭利な刃物で削ぎ取っているようなものです。
 なぜ高齢者を中心に据えた社会という考え方ができないのでしょうか? このままでいけば高齢ではあるけれど、多くの有用な労働人口も優秀な頭脳も失われるままになるだけです。
 なにより高齢者の生理ということを考えると、おそらくあと何年もしないうちに、すべてのスピードがいまよりスローダウンするはずです。それを無視すれば、必要以上の軋轢が生じ、不慮の事故や事件が多発するようになるでしょう。そのことの方が、遥かに重大な問題だと、僕には思えます。

 社会というものは、流れの中で変化するものです。国民の意識や生理が国家そのもののありようすら変えていきます。冒頭に書いたSNS革命などもそのひとつの現れでしょう。
 日本人は、すでに何かを諦めてしまっているようにも思えます。そこから崩壊が始まります。日本という国体はすでに崩壊に向かっているようにも感じます。政治などすでに崩壊の初期段階に足を突っ込んでいます。もう後戻りはできそうもありません。経済も浮かび上がる端緒すらみつけられずにいます。そしてこれこそが最も恐ろしいことですが、拝金主義が日本中にいきわたり、思想も哲学も組み伏せられてしまい、息も絶え絶えだということです。
 今の日本が高齢者を脇に追いやる考え方の基本は、合理的という名のやはり拝金主義がベースにあります。
 どうか、政治に携わる皆さんは、高齢者を中心に据えた社会構造を模索してください。それが小さな政府を招こうが、経済の縮小につながろうが良いではありませんか。高齢者が大半を占める世の中を基本に考え、若者がその中で生き生きと活躍できる社会を模索する方が健全です。
 無理矢理に勢いのある若者中心の社会を構築する必要はありません。でなければ、日本は後10年ももたないのではないかと危惧します。

読んでいただきたいのは、黄色文字の部分です。

ひとつ付け加えておきます。この当時の日本は民主党政権下で、なにをかいわんや、な時でしたっけ……。
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