普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

歌がつむぐ♪日本の地図 発刊 -2-

2013-03-29 00:35:44 | 音楽にまつわる話<的>な
再度、ご案内!!

およそ、この2年ほどをかけて帝国書院「歌がつむぐ♪日本の地図」の原稿を書いていたが、ようやく3月15日に発刊された。



全国各地をその地にちなんだ歌で紹介しながら、1都1道2府43県を網羅している。

ボクが書かせてもらったのは冒頭のイントロダクションと、各県版のページに挟み込まれた特集ページ。

ボクが書いた部分の評価は別にして、全体としてみればとても面白い本(地図)になっている。読みどころも満載だ。

当初は、もう少し「今」よりの時代相の中で歌われた歌や音楽、クラシックやロック、ジャズなども含み込んだ内容になる予定で進行していたが、昭和歌謡を中心としたものとなった。

それが、逆にえも言われぬ雰囲気を醸し出して、より一層おもしろさを感じさせるものになっている。

皆さんにとって、地図とはどんな意味を持つものだろう? 単に道をさがすだけの道具だろうか? それとももう少し自分自身にとって意味のある、例えば彼女との思い出につながる道を指し示すものでもあろうか?

そんな中でこの本(地図)は、歌をモチーフに人の時間、空間、思い出を切り取るようにできている。この本を手にした人一人ひとりが、それぞれ全く別の時間、空間、思い出を小脇に抱えることができるのだ。

昭和という時代は長かった。それ故、小脇に抱える時間、空間、思い出に連なるのは、より多くの人々ということにもなろうか。

是非、一冊手にとってみていただきたい。


『歌がつむぐ♪日本の地図』
帝国書院・刊 200p
2,520円(税込)



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遠くから、花見

2013-03-23 18:03:36 | 普通な人々<的>な



仕事で本所に。少し早目に終わったので、隅田川沿いを散歩。

吾妻橋から隅田公園方向をみれば、なんとまあ! 桜は満開ではないか!!

そして人のなんと多いことか! 橋を普通に渡れない。

考えてみれば、早くも咲き誇る桜の、今日が天候も加味して考えれば、最高のお花見日和。

それにしても隅田川クルーズの乗り場も隅田公園も、人人人……。

浅草も、人人人……。

ちょっと早めに裏道へ。
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「白」か「黒」か

2013-03-21 13:47:03 | 普通な人々<的>な
日銀総裁人事は、黒田東彦アジア開発銀行総裁の就任で一件落着。

安倍首相のアベノミクスの柱でもある2%のインフレ率達成を、「グローバルスタンダードである2%の物価目標を掲げたのは非常に画期的で正しい」と語り、政府と足並みを揃える日銀の金融政策を示唆した。

前総裁の白川方明が、15年に及ぶ日本経済のデフレ環境に、小出しの対応しかしなかったのと対照的だ。

もう少し二人を比較すると、白川はどちらかといえば「日銀大事」的な、小さな内向きの組織防衛に汲々としていた感が否めない。

一方の黒田は、「グローバルスタンダード」を言う辺り、目は外に向いている感じがする。ただ、FRBの戦略的な金融策あたりにうまうまと乗ってしまいそうな危険も感じる。

多少的はずれな感じもあるけれど、この人事の引き継ぎで、名前が「白」から「黒」へと変わった。これが妙に面白い。

江戸期の1783年、天明の大飢饉を経て経済の逼迫した中、賄賂などが横行した老中・田沼意次の「悪政」時代を経て、白河藩主・松平定信が老中となり行った幕政改革を「寛政の改革」というが、この改革は田沼の重商主義から農本主義的転換を計り、質素倹約を旨としたもの。その初年に当たるのが1783年。ちょうど230年前。

だがあまりにも理想的過ぎて、やがては庶民の間で「白河の清き流れに魚住まず 元の田沼の泥が恋しき(この歌の末尾は「~元の濁りの田沼恋しき」などとも伝わっている)」などと揶揄されるようになり、最終的に定信は失脚する。

日銀の人事の引き継ぎを見ていて、「白」から「黒」へという言葉遊びみたいなものだが、このことを思い出してしまった。世の中、必ずしも「白」が良いわけでもないという歴史的な示唆が寛政の改革にはあるわけだが、「白川」から「黒田」へという文字を見ていると、「白河」と「田沼」を思い起こしてしまうのだ。

閉塞した状況の中でいかに耐えるかという「白河」≒「白川」と世の中を大きく動かすことで状況打開を図ろうとした「田沼」≒「黒田」。

なんてね。ただの言葉遊びです、悪しからず。
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福島第一原発

2013-03-20 02:12:36 | 普通な人々<的>な
今の日本の、すべての禍々しさはこの福島第一原発に起因する。

「停電」というだけで、これほど背中がゾクッとする場所もない。

「冷却水」とはいえ、水が日本すべてにとっての安全と同じ価値をもつ場所も、ここしかない。

そして、むざむざと人が死ぬる場所もここしかない。死ぬ必要のない日雇いの、時間給の「派遣社員」が「原因不明」で死んでいる。

死因は、放射能障害以外に考えようもないが、原因不明だ。

原因不明(原因不明だらけだな)の「停電」で、冷却水の供給ができないという状況は、回避したようだが、「原因不明」はそのままで、また何時なんどき同じような状況に立ち至ってもおかしくはない。

対処療法的に、今日のところはやり過ごせたと言うに過ぎない。

本当にいつまでこんな体たらくが続くのだろうか。

日本の原子力行政も含めて、どこもかしこもくすんでいる。
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根比べ

2013-03-15 11:26:50 | 普通な人々<的>な
最近、言葉って面白いなと思ったこと。

一つは、少し前に書いたが「アベノミクス」。安倍首相の推進する経済政策の総称とでも言うべき言葉だが、安倍首相が少しでも〈苦〉を厭えば〈ク〉が抜けて、「アベノミス」になってしまうという、なにやら未来を予見でもしたかのような、言葉になる面白さ。

もう一つはローマ法王の話。ベネディクト16世の生前の退陣による新法王選びが行われていたが、その選出の儀式を「コンクラーヴェ」と呼ぶこと。本来の意味は「厳重に鍵のかかった」という意味合いだそうだが、言ってみれば秘密会議ということなのだろう。
今回も何度かの投票で決着がつかず、五度目にようやくアルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿に決定、法王名としてフランシスコ1世を名乗ることが決まった。

この過程を見るだけでも「コンクラーヴェ」は「根比べ」だとわかるだろう。

ボクと同じようなことを考えた人はたくさんいるだろうけれど、どうやら、鎖国期の日本に宣教師によって「コンクラーヴェ」という言葉がもたらされ、根比べの語源になったとする説もあるそうで、誰でも同じことを考えるものだなぁ、と思ったけれど、やっぱりローマ法王の選出の儀式が根比べだということの、ダジャレ的感覚は面白いと思った次第。


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2011年3月12日福島

2013-03-12 23:52:33 | 普通な人々<的>な
あの日、ボクは家にいた。そして東日本大震災に関するニュースを食入いるように見ていた。

その報道の中に、福島第一原発に関するものもあった。何チャンネルだったかは覚えていないが、ボクが見ていたオンタイムの福島第一原発の映像で、あの水素爆発が起こった。

当初、東電も政府も水素爆発ではないと頑なに言い張った。

「嘘つきハンス」の始まりだった。

あの時の衝撃は忘れない。福島原発の何号機かはわからなかったが、空気が弾けるように空に向かって「何か」が飛び出していった。「災厄」という名の何者かに思えた。

パンドラの箱が開いたような印象も持った。

あれから2年が経った。何一つ変化もせず解決してもいないのだが、まるですべて丸く収まっているかのような印象を、多くの人々は持っている。

ひょっとすると「嘘つきハンス」は、うまいことやったのかもしれない。

とてもうまくいっているとは思えないのだが、うまいことやっているのかもしれない。

嘘もつき通せば、やがては本当のことのように思える時が来る、と「嘘つきハンス」はしっているのかもしれない。

騙されてしまうことほど恐ろしいことはない。

けっして騙されないようにと、祈ろう。

それでも騙されるのが人間なんだが……。
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3.11 祈る。

2013-03-12 02:20:50 | 普通な人々<的>な
なにか、仕事をしながら、2時46分が近づくのが少し怖かった。

3月11日は、仕事先が地下で、スマホがつながりにくく、情報がまったく入らない場所だったから。

なにか大きな災厄があった時に、自分がどこにいるかというのも、安全をはかる分水嶺になるなと思った。

2時46分に黙祷を捧げた。東日本大震災で亡くなられた方、そして震災復興の中で、自死した方、憤死された方、すべての方に黙祷を捧げた。

3.11という教訓を、すべての日本人は、生きるという場で活かしているのだろうか?

ことに福島という誰もが自分のことと引き受けて考えるべき、大きな教訓を、活かしきれているのだろうか?

どうあっても、日本人は、あの災厄を阪神淡路以上に、原点としなければならない。

痛みは祈りでは消えない。だが、忘却は祈りで防げる。忘れないことを祈ろう。そして忘れないことを原点に、未来を志向しよう。

祈りは、明日への決意でもあり、希望でもあるから。
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3月11日が近づいてきた。

2013-03-05 00:18:12 | 普通な人々<的>な
2年前の3月11日、ボクは家にいた。息子と娘もなぜか家にいた。奥さんだけが仕事で隣りの市に出かけていた。

地震の瞬間、かなり大きな地震だとは思ったけれど、後後に知るほどには大したことはないと思っていた。事実、モノも落なければ倒れもしなかった。

息子や娘は、近間の本棚やタンスなどを押さえたが、揺れに負けるようなこともなかった。

ただ、奥さんだけは、地震そのものはやはりそれほどの被害は受けなかったが、帰りの足に窮した。あの時、鉄道はじめ交通網は完全に麻痺してしまった。

帰宅難民という言葉が、本当に当たり前のように語られた。

ボクは車で奥さんをピックアップしに出かけた。幹線道路は完全に麻痺状態だったが、裏道はスイスイ走れた。

普段奥さんを送って迎えに行くのに、片道およそ20分程の道のりだったが、あの大震災のあとにも関わらず、3~40分で迎えを完了した。同僚の女性を立川まで送りさえした。

さすがジモティ! あんな時には相当な力になると思った。

あれから2年。東南海はじめ、巨大地震への警鐘と準備は嵩増しに語られるようになっている。

いま一番具体的なのが、箱根山の噴火の可能性を秘めた群発地震だろうか? およそ1700回に及ぶ有感地震が起きている。箱根を含む地震帯は、富士山に影響を与えると学者も警鐘を鳴らす。

前述の東南海が複層して起きたら、日本列島はひとたまりもなさそうだ。

ボクの身近で言えば、立川活断層の引き起こす地震が、身近で怖い。

なんにしても、意外に、思うほどには緊張もしていない。語るほどにも喫緊の問題ではない。それがいつ起こるかわからない地震の恐怖への素直な反応だろう。


いつ何時どんなきっかけで地震は起きるかもわからない。ひたすら、こころしておくしか、地震に対処はできない。
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