2013年8月のこのブログで、「宇多田ヒカルがやっとわかった」というタイトルで原稿をアップした。
それ以前に「J-cast news」で連載していた「音盤見聞録」で既出の原稿だったが、このブログではとてもたくさんの方々が目を通してくださっている、原稿。
ありがたい限りなのだが、いまから1、2年ほど前(えらい違いだが)だったか、宇多田さんが自分のTwitterで「歌姫って、なに?」というようなつぶやきをされたのを目にしたことがあった。
その時は何気なく見過していたのだが、最近それをふと思い出し、なんとなく気になって、自分の「宇多田ヒカルがやっとわかった」という記事を読み返してみたら、案の定「歌姫」という言葉を使っていた。それも何度も。
もとより、宇多田さんがボクのブログの原稿を読んでつぶやいたわけではないだろうが、「歌姫」と書いたボクとしてはやはり気になる。
だからボクとしても、「歌姫」という言葉を使ったからには、その理由を開陳しておきたい衝動に駆られるわけだ。
というわけで、開陳する。
「歌姫」というのは、有体に言えば「素晴らしい女性の歌うたい」ということだ。それは、はっきり言って聞き手の評価。だから、歌を歌うアーティストが気にすることではない。
言葉のニュアンスがなんとなく、スッキリと腹に落ちないということもあるだろうが、単に歌を歌うアーティストへの肯定的な評価と思えば良い。
このブログでもボクは、「ボクにとっての…」と書いている。
宇多田さんのTwitterの言葉のニュアンスは、「歌姫」という表現を否定的に受け止めていたと思えるのだが、正直それは、宇多田さんが考える必要のないことだろうと思う。
言葉のニュアンスとして、気に入らないということであれば、ボクは宇多田さんに対しては二度と使う気はない。ただ、僕自身の思いとしては、宇多田ヒカルは僕にとっての「歌姫」であり続ける。
そういうことなのかな…。
それ以前に「J-cast news」で連載していた「音盤見聞録」で既出の原稿だったが、このブログではとてもたくさんの方々が目を通してくださっている、原稿。
ありがたい限りなのだが、いまから1、2年ほど前(えらい違いだが)だったか、宇多田さんが自分のTwitterで「歌姫って、なに?」というようなつぶやきをされたのを目にしたことがあった。
その時は何気なく見過していたのだが、最近それをふと思い出し、なんとなく気になって、自分の「宇多田ヒカルがやっとわかった」という記事を読み返してみたら、案の定「歌姫」という言葉を使っていた。それも何度も。
もとより、宇多田さんがボクのブログの原稿を読んでつぶやいたわけではないだろうが、「歌姫」と書いたボクとしてはやはり気になる。
だからボクとしても、「歌姫」という言葉を使ったからには、その理由を開陳しておきたい衝動に駆られるわけだ。
というわけで、開陳する。
「歌姫」というのは、有体に言えば「素晴らしい女性の歌うたい」ということだ。それは、はっきり言って聞き手の評価。だから、歌を歌うアーティストが気にすることではない。
言葉のニュアンスがなんとなく、スッキリと腹に落ちないということもあるだろうが、単に歌を歌うアーティストへの肯定的な評価と思えば良い。
このブログでもボクは、「ボクにとっての…」と書いている。
宇多田さんのTwitterの言葉のニュアンスは、「歌姫」という表現を否定的に受け止めていたと思えるのだが、正直それは、宇多田さんが考える必要のないことだろうと思う。
言葉のニュアンスとして、気に入らないということであれば、ボクは宇多田さんに対しては二度と使う気はない。ただ、僕自身の思いとしては、宇多田ヒカルは僕にとっての「歌姫」であり続ける。
そういうことなのかな…。