戦後の演劇運動で、最大の潮流となったのは、俳優座、文学座、民藝を三本柱とする『新劇』と呼ばれる一派だった(いまは劇団四季の一人勝ち!)。
元をただせば戦前の、小山内薫らの築地小劇場を母体とする演劇運動と根を同じくするもので、プロレタリア演劇と言ってはいたが、決して思想性も政治性もなかった一派だった(戦中の活動を見れば分かる)。
それが戦後の左翼運動と連動し、ある種のプロパガンダ(日共と組したのだが、誰が何のためにと言う合目的性は希薄だった)を担っていた。
だが幾多の名優を輩出したのも、この新劇だった。
ことに、民藝の宇野重吉、文学座の杉村春子、そして俳優座の滝沢修は、まさに「新劇の巨人」だった。
その後、演劇界の大転回は70年安保の学生運動と連動する中で起こった。
小劇場運動から、今の大御所と呼ばれる俳優が数多輩出し、彼らの中には、明らかに新左翼系の集団から頭角を現してきた者も多い。
名前は伏せるが、日本を代表する演出家として名を馳せるNYなども中核系の新劇人反戦青年委員会のメンバーだった。
そういう意味では、そこそこのアイデンティティを持っていたと言えるのだが、結局、ファッションだったかな?
ま、結果よければ全て良しということで。
(なぜこんな原稿を書いたかと言うと、撮りだめていた「進撃の巨人」のVを観ていたから、つい)
元をただせば戦前の、小山内薫らの築地小劇場を母体とする演劇運動と根を同じくするもので、プロレタリア演劇と言ってはいたが、決して思想性も政治性もなかった一派だった(戦中の活動を見れば分かる)。
それが戦後の左翼運動と連動し、ある種のプロパガンダ(日共と組したのだが、誰が何のためにと言う合目的性は希薄だった)を担っていた。
だが幾多の名優を輩出したのも、この新劇だった。
ことに、民藝の宇野重吉、文学座の杉村春子、そして俳優座の滝沢修は、まさに「新劇の巨人」だった。
その後、演劇界の大転回は70年安保の学生運動と連動する中で起こった。
小劇場運動から、今の大御所と呼ばれる俳優が数多輩出し、彼らの中には、明らかに新左翼系の集団から頭角を現してきた者も多い。
名前は伏せるが、日本を代表する演出家として名を馳せるNYなども中核系の新劇人反戦青年委員会のメンバーだった。
そういう意味では、そこそこのアイデンティティを持っていたと言えるのだが、結局、ファッションだったかな?
ま、結果よければ全て良しということで。
(なぜこんな原稿を書いたかと言うと、撮りだめていた「進撃の巨人」のVを観ていたから、つい)