最近、時間をかけてじっくりと色々なサイトを眺める機会があった。
そして、少し前にも書いたが、地震予知の「松原照子」さんのサイトにたどり着いた。
その内容は、衝撃的ではあるけれど真摯で真面目な人柄がにじみ出ていて好感が持てた。ただ、それからすぐにそれまでのブログが閉鎖され、一般への発信もしつつ有料というサイトにシフトした。その理由はボクには分からないが、なにかそうすべき理由があったのだろう。
同じ頃に、やはり地震予知を行なう「みゆ吉」さん、「イオン」さん、「カズ」さん、「小林朝夫」さんなどという人たちがいることを知った。
松原さんのブログが引っ越したことは書いたが、多かれ少なかれ、どの方のブログもなにやら変化している。ひょっとすると、地震予知という特性上、当たる当たらぬということで、批判を浴びたりすることがあるのかなと、予測する。
皆さん、さまざまな独自の方法で地震と向き合っている。その予知・予測が当たるか当たらないかは、科学的であると一般には思われている「地震予知連絡会」などの予測データでさえ、ヤマカンの域を出ないわけで、当たるか当たらないかを彼等に求め、その責を問うというのは、言ってみればおかしな話。
こうした予知のような特殊な能力に対しては、ことに地震と言ったような大きな災害と背中合わせの予知に対しては、「人を惑わす」というような批判もあるようだが、世界の終わりを予言しているキリスト教ほどあほらしくもなく、金を取って人生の指針を下す「占い」ほど、あこぎでもない。
むしろ、「サジェスチョンしてくれて、ありがとう」というべきだろう。
それにしても。インターネットの中は、想像もつかない混沌が支配している。この数十億の混沌情報から、瞬時に必要なものだけを選び取ることができれば、生きる上での勝者になれるな。
検索エンジンがどうしたこうしたと言うことではなく、正しい生き方の指針もクソのような情報と混在しているということを、言っている。
いちばん必要な情報を阻害するのは、嫉妬、意味のない批判、愚かな自慢……要は、自分を正義だと思い、他者を排斥しようとする態度、言動、思想、哲学。
だからといって、そうした傾向の情報があることを否定はしない。ただ、それを取捨選択できればなとは思う。
そして、少し前にも書いたが、地震予知の「松原照子」さんのサイトにたどり着いた。
その内容は、衝撃的ではあるけれど真摯で真面目な人柄がにじみ出ていて好感が持てた。ただ、それからすぐにそれまでのブログが閉鎖され、一般への発信もしつつ有料というサイトにシフトした。その理由はボクには分からないが、なにかそうすべき理由があったのだろう。
同じ頃に、やはり地震予知を行なう「みゆ吉」さん、「イオン」さん、「カズ」さん、「小林朝夫」さんなどという人たちがいることを知った。
松原さんのブログが引っ越したことは書いたが、多かれ少なかれ、どの方のブログもなにやら変化している。ひょっとすると、地震予知という特性上、当たる当たらぬということで、批判を浴びたりすることがあるのかなと、予測する。
皆さん、さまざまな独自の方法で地震と向き合っている。その予知・予測が当たるか当たらないかは、科学的であると一般には思われている「地震予知連絡会」などの予測データでさえ、ヤマカンの域を出ないわけで、当たるか当たらないかを彼等に求め、その責を問うというのは、言ってみればおかしな話。
こうした予知のような特殊な能力に対しては、ことに地震と言ったような大きな災害と背中合わせの予知に対しては、「人を惑わす」というような批判もあるようだが、世界の終わりを予言しているキリスト教ほどあほらしくもなく、金を取って人生の指針を下す「占い」ほど、あこぎでもない。
むしろ、「サジェスチョンしてくれて、ありがとう」というべきだろう。
それにしても。インターネットの中は、想像もつかない混沌が支配している。この数十億の混沌情報から、瞬時に必要なものだけを選び取ることができれば、生きる上での勝者になれるな。
検索エンジンがどうしたこうしたと言うことではなく、正しい生き方の指針もクソのような情報と混在しているということを、言っている。
いちばん必要な情報を阻害するのは、嫉妬、意味のない批判、愚かな自慢……要は、自分を正義だと思い、他者を排斥しようとする態度、言動、思想、哲学。
だからといって、そうした傾向の情報があることを否定はしない。ただ、それを取捨選択できればなとは思う。
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