普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その38>明治神宮「内苑」

2018-04-15 22:44:10 | 東京「昔むかしの」百物語
明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする大正9年創建の神社。その規模は22万坪を誇る。

鬱蒼とした木々に覆われている明治神宮を、もともとからの森林地域と思っている人も多いのだが、実はほとんどが植樹だ。

元々は肥後藩加藤家の江戸屋敷別邸だった。その後井伊家の下屋敷、御料地と変遷し、明治天皇崩御後、天皇を慕う国民からの自発的な請願で明治神宮が創建された。

全国の青年の労働奉仕で造られた。

約300種ほどの全国から集められた木々を植樹し、現在は15万本強の森林となっている。

周辺には馬場、代々木公園、競技場などがあるが、戦前は練兵場が広がっていた。その名残が馬場だ。

戦争末期の東京空襲で焼失したが、終戦1年後の昭和21年には再建に踏みだし、還座祭は昭和33年に行われた。

実はこの時に再建された本殿の屋根瓦の一枚に、ボクの名前が刻まれていた。父が寄進をしたということだった。

明治神宮には外苑と内苑がある。内苑はとても趣のある一角で、子供の頃から足しげく通った。

初夏の5月には躑躅が咲き乱れ、6月になれば思いがけないほどの起伏に富んだ菖蒲苑が紫に染まる素晴らしい景観を誇っていた。

そしてなにより、清正の井戸と呼ばれる湧水があり、その清涼な佇まいはいつ訪れても胸がスーッとする思いになった。

ほぼ毎年内苑を訪れたが、昭和63年を境にまったく足を向けていない。これといった理由はないのだが、なにか足が向かない。

10年ほど前に、清正の井戸に行きたくなったのだが、パワースポットと呼ばれるようになっていて、長蛇の列をなした女性の姿をみて、やめた。

それでも明治神宮には、なかなかの思い出があり、機会があればまた通ってみたいと思う。

躑躅と菖蒲は、一度見たら忘れられないものなのだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京「昭和な」百物語<その37>百貨店

2018-04-13 00:31:05 | 東京「昔むかしの」百物語
ボクが東京に家族と移住してきた頃、東京の繁華街のランドマークはほぼ百貨店だった。

銀座には松屋、三越、松坂屋、日本橋には白木屋、有楽町にはできたばかりのそごう。東京には大丸。

白木屋は呉服店として江戸期から続く名門だった。昭和7年、火災で多くの女性が焼死するという痛ましい事件が起こる。なぜ女性が多く焼死したのかといえば、当時の和装の女性たちには下着をつける習慣がなく、高所からの救助にホトが見えてしまうのではないかと二の足を踏み、焼死したらしい。そしてこの火災を契機に、日本女性も下着(ズロース)を着用する習慣が生まれたと言われている。子どもの頃白木屋と聞くと、道を挟んだ反対側に赤木屋というプレイガイドがあり単なる赤白という対比が印象的で、記憶に残っている。いつの間にか名前が変わり、業態自体もなくなってしまった。

そごうは有楽町の再開発で誕生した関西系の百貨店だった。日本で初めて「エアー・ドア(カーテン)」、要は今で言うエアコンを導入したデパートだったと記憶している。物珍しさに誘われてその風に当たるためだけに母親と出かけた思い出がある。それまでは、どこの百貨店でも夏には大きな氷柱を通路の真ん中に設えて涼を提供していた。エスカレーターもそごうが先鞭をつけたのではなかったか? フランク永井が唄って大ヒットした「有楽町で逢いましょう」という昭和歌謡は、このそごうのコマーシャルソングとして作られた曲だった。

銀座周辺以外の繁華街も、百貨店がランドマークだった。

ボクが一番出掛けたのは新宿で、東口では伊勢丹と三越が覇を競っていた。西口には京王、小田急ができたが、伊勢丹、三越の方が格上と思われ、新宿と言えば東口がメインだった。昭和40年頃まで、伊勢丹の一角に「額縁ショー」を売りにしたストリップ劇場があったように記憶しているが、間違いかもしれない。

池袋には東口に西武、西口に東武があった。このねじれがまた面白かった。東口には三越もあった。西武の最上階の大食堂で、よくカレーを食べた。

澁谷には東急と西武があった。東急にはプラネタリウムが併設されていた。

ざっと東京の繁華街を思い出してみると、こんな感じだ。昭和40年前後までは、この図式に変化はなかった。それが昭和45年を境に、音を立てて変化し始めた。そして平成になると、百貨店そのものの凋落が顕著になり、現在でも残ってはいるものの、他のランドマークにとって代わられ始めている。

昭和を知る者にとっては、少し寂しさを感じるが、ま、やむを得ないと言うところだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする