普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

父・加藤千代三の短歌 7

2021-05-11 15:19:33 | 父・加藤千代三の短歌
くれていく 雲のうごきの おごそかよ
片空かけて 晴れていくなり


前回紹介した2首とは、趣が変わる1首。同じ時期の作品だ。19歳というから1925(昭和元)年頃の作品と思われる。

次から紹介する数種の端書に、こうある。
「潮音を去ってから作歌をはなれてしまった。折にふれて浮かんでは消えていったものは多い。以下はそのときどきに、どこかの隅に書きつけていたものである」
ここでは内1篇だけ紹介する。冒頭の歌とどこか対比できる歌のように感ずる。

夕あかり まさに消えつつ 西空の
雲ひとひらの 赤のきびしさ
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東京「昔むかしの」百物語<その67> 少し角度を変えて、音楽

2021-05-11 09:39:07 | 東京「昔むかしの」百物語
ボクにとって、音楽が生活の一部だった時期もあったが、今となっては寸毫も生活とは関係がない。そういう意味でいえば、純粋に個人的な好き嫌いで音楽を聴ける環境にあるといって良いのだが、昔のように、音楽に対してそれほどの意味を感じることがない。

昔むかし、ボクにとって音楽が生活の一部だったのは、1970年代=昭和の後半にあたる。音楽雑誌を作っていたということはもちろんのことだが、それだけではなく、音楽に大きな可能性と意味を感じていたのだ。簡単に言えば、音楽は世界を変える可能性すら秘めた、変革の道具とさえ思えたのだ。

1960年代後半から80年代前半の約20年、昭和40年頃から60年頃までが、ボクにとって音楽は生活の一部だった。毎日のように歌い、ギターをかき鳴らし、自分の表現欲求を満たしていた。そして他の「彼ら」の歌や音に、耳を傾けていた。

海外からは、驚くほど斬新で革命的と思えるほどの音楽が、毎日のように姿を現し脳髄を刺激した。フォークという潮流が現れ、ロックへと移行していった。そしてそれは、世界の政治動向とまったくリンクしていた。

今の音楽とは違って、当時の音楽は確かにすべての同時代人に共通するカルチャーだった。だから政治にも敏感に反応した。アメリカのベトナム戦争遂行という、今から考えれば暴挙としか言えない戦争行動に、世界中の若者が音楽でも対抗しようともがいていた。それはヒッピームーブメントや、学生運動と連動していった。

当時、保守的な社会と右翼的政治傾向がベトナム戦争遂行の主体者であり、それを阻止するのは左翼的政治傾向の標榜する革命的な行動しかないと、多くの若者が信じ行動した。

音楽そのもので何かができるわけではないとは知っていたが、音楽は確かに次の行動を見定め決定付ける指標にはなり得たように思われた。

1970年前後まで、音楽は革命的だった。というより左翼的だった。だがそれは瞬く間にエンターテインメント業界に取り込まれていった。「金の成る木」として「大人」が認めたのだ。そこから生れる「金」は、本来革命的だった「彼ら」を「大人」に変えた。それですべては終わった。1970年代前半は、その移行期で玉石混交とした時代だった。

だがそこに、レゲエとパンクという、まったく「大人」とは縁のないカウンターカルチャーの代表格が現れたことで、音楽は一変した。右翼だの左翼だのと言うステレオタイプの思想傾向ではなく、存在意義を問うかのような音楽たち。たちまちこの潮流は若者を、音楽を変えていった。だが、結局レゲエもパンクも、たちどころに「金の成る木」として「大人」の認知するところとなった。5年も持たなかった。

形だけのレゲエとパンクがもてはやされることになり、それはポップスの一つの形に過ぎなくなった。

ロック・ミュージシャンが、何億という「金」を稼ぐなどと言うのは、1970年頃まではあり得ないことだった。ここで書いてきた通り、ロックも含め音楽は意味のあるカルチャーの一つだった。だから「金」とは無関係のものだった。「金」は結果として付いてくるものであり、目的とするものではなかった。だから意味が持てた。「金」が目的になった瞬間に音楽の意味は消え失せたのだ。

したがって現在は、ボクにとって音楽は「寸毫も生活とは関係がない」のだ。

2020年のアメリカ大統領選挙で、アメリカのミュージック・スターたちが、選挙動向に影響力を行使しようとしていた。ことに女性ミュージシャンたちにその傾向が強かった。

だがボクの目には、肌を露わにし煽情的なダンスで何十億という金を稼ぐ彼女たちが、まるで街娼のようにしか見えない。つまりは「金」を目的とし、手段の一つとして身を売った女性のようにしか見えないのだ。

その彼女たちが、巨万の富を背景に政治を語ることの陳腐さを、はっきりと見せてくれたのが今回のアメリカ大統領選挙だった。

そう、音楽はボクの知るそれとは、まったく別のものになり果てているのだ。

それは日本でも同じことなのかもしれない。ボクの肌感覚では、そうなのだ。
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佐井好子という稀有のアーティストの復活

2021-05-06 16:07:56 | 音楽にまつわる話<的>な
1976年から1980年まで、日本の音楽シーンの最先端で仕事をさせてもらった。

国内外を問わず多くのアーティストと接し、インタビューをしたり、音源の紹介をしたりしたのだが、何度か言及しているように、その間にボクが心震わせたアーティストは3組だけだった。

沖縄のハードロックバンド・コンディショングリーン、P-MODEL、そして佐井好子だ。

ロック雑誌を作っていたが、当時の世界はハードロック全盛でことにギタリストの人気が高かった。E・クラプトン、J・ペイジ、J・ベック、R・ブッラックモア、サンタナなどなど、ワンフレーズ聴くだけですぐにそれとわかるギタリストが、大勢いた。
 
だが日本では、彼らのコピーすらままならない時期が続いていたが、海外ギタリストとの差を一気に詰めたのがコンディショングリーンのシンキだった。沖縄の海兵隊のキャンプにあったライブハウスまで聴きに行った彼のギターは、心技体が一体化した聴く者の心揺さぶるものだった。

コンディションは、作っていたロック雑誌の要請に則した中でのマイ・フェイバリット・アーティスト。

そうではなく、ボク自身が聴き手として心を打ちぬかれたのがP-MODEL。Punk New Waveとカテゴライズされた一群のアーティストの中で、彼らの存在は群を抜いていた。カテゴリーに縛られないという意味での彼らの斬新な音とライブ感は、いまでもピカ一の最先端だ。

そして、佐井好子だ。当時は、山崎ハコ、森田童子、中島みゆきなど、まさに時代を体現するような女性アーティストが元気で、初めは佐井さんも、そんな一人に見られていたような気もするが、それはとんでもない間違いだった。

テイチクから1975年8月のファーストアルバム『萬花鏡』をリリースしたのを皮切りに、翌1976年にはセカンドアルバム『密航』。1977年にはテイチクから日本コロムビアへと移籍『胎児の夢』を、1978年には『蝶のすむ部屋』をリリースする。1977年には詩集『青いガラス玉』(婦人生活社)、日活映画『夢野久作の少女地獄』の主題歌を担当するなど、音源制作以外でもその才能を発揮していたが、『蝶のすむ部屋』を最後に、1979年、突如活動を停止する。

なぜ活動を停止したのかは、以前一緒にお茶を飲んだ時に「憑物が落ちたみたいに」と言っていたが、彼女とは現役時代からよくお茶を飲んで話をした。彼女と話ができたのは、ボクが新青年系の作家(夢野久作、小栗虫太郎、橘外男、久生十蘭、横溝正史などなど)が好きで、佐井さんもまた彼らが好きだったことによる。話しはSF小説にまで及んだ。

まだ覚えているのは、彼女が活動休止してしばらく経った頃に、荻窪の喫茶店で話した内容。SF小説の潮流、サイバー・パンクと代表作家・ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』について。ボクは「指輪物語」について話した記憶があるが、間違いかも。

その後、音信が途絶えたのだが、このブログが再会のきっかけになったことは書いた。再会後は友人を交えて飲んだりしたが、先日驚きの電話があった。東京に家も買って生活の基盤は東京と思っていて、近々連絡しようと思っていた矢先だった。「奈良に帰る」というのだった。

そしてこんなメールが。

「加藤さん、その後お元気ですか?
私は前にお話した通り、奈良に引っ越しました。元気にしています。
件名に書いた通り、私の過去の作品が、CDのタクラマカンを含め、すべてレコードで再発されます。ライブのアンコールで歌った新曲を入れたBOXも」

おっと、これは! 少しフライング気味だけれど、再発レコードの情報を掲載する。

—————————————————————————————————————————
<アナログBOX情報>
280_plbx1

『佐井好子特別限定アナログBOX』
品番:PLBX-1
定価:¥29,700(税抜¥27,000)
発売日:2021年7月7日
★ディスクユニオン & P-VINE OFFICIAL SHOP限定販売
★完全初回数量限定生産

<ディスクユニオン 予約ページ>
https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008258701


https://anywherestore.p-vine.jp/pages/saiyoshiko-box

<特製BOX内容>
●今回発売のLP5枚
『萬花鏡』『密航』『胎児の夢』『蝶の住む部屋』『タクラマカン』
●7inch record 
A面:「日本一小さな村」(山本精一が監修 / コラボした新曲です)
B面:「暗い旅」(書籍『 青いガラス玉 』にのみ付けられたCDから日活映画『少女地獄』(1977年)挿入歌のフルヴァージョン。バックはコスモス・ファクトリー)
●ブックレット(B5判24~30Pを予定)
秘蔵写真や本人による詩、イラストそしてJOJO広重による「佐井好子ストーリー」をまとめたもの。
●7inchとブックレットを投げ込んだ直筆サイン入りの白ジャケット(直筆ナンバリング付き)

<商品情報>

240_plp7122

佐井好子 / タクラマカン
Sai Yoshiko / Takla Makan
品番:PLP-7122
定価:¥4,180(税抜¥3,800)
発売日:2021年7月7日(水)
夢野久作/谷崎潤一郎/つげ義春の世界観が!独自の幻想ワールドでファンを魅了する佐井好子が2008年にリリースした30年振りの新作!
1978年の4枚目を最後に「自分の気に入った歌が出来るまでは」と休止宣言をして、、30年。
その幻想魅惑の世界をサポートするのは山本精一、早川岳春、芳垣安洋、JOJO広重、片山広明、プロデュースは吉森信。
更に渚にての柴山伸二も参加!より熟成し妖艶な佐井好子の世界が堪能できる!ジャケは勿論本人によるイラスト!

240_plp7123

佐井好子 / 萬花鏡 
Sai Yoshiko / Mangekyo
品番:PLP-7123
定価:¥4,180(税抜¥3,800)
発売日:2021年7月7日(水)
極めて耽美幻想的歌手=佐井好子1975年衝撃のデヴュー・アルバム。
日本的な土着性~民謡的歌唱が幽玄な空想世界へ誘う名作。大野雄二のアレンジも冴えわたる。

240_plp7124

佐井好子 / 密航 
Sai Yoshiko / Mikkou 
品番:PLP-7124
定価:¥4,180(税抜¥3,800)
発売日:2021年7月7日(水)
「密航」をテーマにシルクロードあたりの異国情緒溢れる佐井好子幻想ワールドが炸裂する傑作アルバム。
まさに女性にしか描けない世界、、聞くものをゆるやかにインナートリップさせる。眠れぬ夜の脳内に彷徨うシルクロード。

240_plp7125

佐井好子 / 胎児の夢
Sai Yoshiko / Taiji no Yume 
品番:PLP-7125
定価:¥4,180(税抜¥3,800)
発売日:2021年7月7日(水)
1枚目に続き大野雄二がアレンジャーとして参加しより音楽的要素を支えた夢野久作的怪奇性極まる佐井ワールド。
タイトルの「胎児」が示すようにより内なる精神世界への旅。佐井好子弱冠24歳、詩人で画家で歌手としての孤高なる存在。ジャケも傑作。

240_plp7126

佐井好子 / 蝶の住む部屋
Sai Yoshiko / Chou no Sumu Heya
品番:PLP-7126
定価:¥4,180(税抜¥3,800)
発売日:2021年7月7日(水)
山本剛トリオをバックにした極めてジャズ色の強いアルバム。
内なる精神世界から外の世界へ出口を見出したかのようなシュールでダイナミズムな世界。
この78年のアルバムの後、佐井は「自分が気に入る曲が書けなくなった」と世界に旅に出る
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解説は、多分JOJOさん。

いま当時のままに、レコードと言うのが良い!

皆さんの手元に届けと、ご紹介。
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お久しぶりです 2ヶ月のご無沙汰です

2021-05-06 15:52:35 | 普通な人々<的>な
色々ありました。

友人が病に倒れる(コロナではありません)も、この嘘くさいコロナ禍を慮って見舞うことも会うこともままなりません。

別の友人がプロデュースした本の原稿を、ずっと書いておりました。その内、紹介いたします。

90歳を過ぎた、神戸の義母の見舞いにも行けません。

なにやら人の足を止め、家に籠らせることが、コロナを理由に推し進められているようですが、家に籠ることが必要な、コロナではない何らかの出来事が起こるのかなとも思っています。

ボクは昭和の人ですから、反骨精神を大事に生きています。ですから、こっそりと家を抜け出してどこぞへ出かけたりもしています。少し離れたスーパーとか、電車に乗って買い物とか……。

それも難詰されることであったりすると、ボクはよけいに大胆に何かをしたくなってしまいますが、しかし、そこはぐっと抑えています。ボクはそうだけれど、ボク以外はそうでもないので。

お久しぶりでしたが、近況報告でした。
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父・加藤千代三の短歌 6

2021-05-06 15:36:14 | 父・加藤千代三の短歌
父・加藤千代三は上京したのも束の間、理由は定かではないが一年も経たず信州の小諸に居を移す。おそらく人間関係の軋轢か何かがあったのではないかと、想像する。同時に大恩ある太田水穂の「潮音」から去る。
まだ19歳だった。ここで、幾多りかの人々と交流を持ったようだが、それがどなたであったのか具体的には分からない。

さしかかる 木曽の山路に 雪とけて
椿の花の 紅をこぼせる


しばし、小諸で暮らすが、思い出すのは故郷の母の面影だったようだ。

母上よ その山かげにおわさずや
夕べは雲の かならずおりつ
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