kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

死を通して学ぶもの

2008-07-18 | Weblog
生きとし生けるものに寿命があることは

誰もが知っていること。

その事実を避けられないことも・・・

ヒト一人亡くなることの意味は、

居なくなって分かることも多いのです。

例え病に伏し、寝食が別れて久しく

身近に居ないことが日常化されて来ていても

そこには息遣いが感じられ、

会話が成り立たなくても、

それはそれで自分の拠り所となっている訳で。。。

幾つになっても、どんな状況でも

愛するヒトには変わりなく、

1分でも1秒でも同じ世界を共有したいと願うもの。

近年 尊厳死なるものの意思表示の有無も考慮され、

本人の意思表示の確認の取れぬ状態でも、

意識のない状態での

長い時間の拘束を望まない事が多くなっていますが、

その事は元気なうちに家族間の確認が必要になってきます。

いつか 別れなければならない事実を

受け入れるには日頃の考えや関わりが重要、

『親孝行したい時に親は無し』

そんな言葉も聞かれなくなった昨今、

今回の喪主Aちゃんは、

年々衰える父の車いすを押し、

大好きな温泉旅行を年3回は実行

その道中、大洗に寄るのも恒例となり、

毎年我々も楽しみにしていました。

それも来年は・・・・淋しいな~~~

誰もが親としての立場から

Aちゃんのような孝行な子どもを持ちたいと願い、

誰もが子どもの立場から、

そこまで親に関われる自信がなく。

改めて葬儀を通しSおじさんとAちゃんの生き様を

垣間見ることができました。

ヒトの数だけ生き方があり、

どれが正解かなんて言えません。

ただ 思う事は最後の時に

「有り難う」と心からお礼を言って

別れられる関係でいられることを望みますね。