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作家 井上香織 Official Blog

せつない純愛小説、やさしい目線で描かれたエッセイで人気の作家 井上香織が贈る癒しの空間 

新しい目覚まし時計・・そして・・

2024-09-18 | ★Diary★

8月中旬。

いつも頼りにしていた淡いシャイニーブルーの目覚まし時計が

動かなくなってしまいました 

ずっと元気でいてくれたのに。

電池を入れ替えても、

もう動いてくれなくて・・


そして・・・

いろいろ迷った末

こんなアンティーク調の目覚まし時計を購入いたしました 

 

 

命尽きてしまった古いSEIKO製の目覚まし時計・・・

写真に残さないまま、すでに処分してしまいましたが。

こうして書きつつ、ふと過去の出来事が蘇ってまいりました。

 

[夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・PART1]]に書かせていただいたエピソード

父の葬儀の朝、実家の2階にて、

誰もONに設定などしていないのに、勝手に鳴り響いていた、あの目覚まし時計は、

まさにその淡いブルーの目覚まし時計でした 

 

しかも。それは。

私が・・例の[忌まわしき]・お祝い事の際・・

約30年前、父にプレゼントしたものでした 


父の逝去後。

ひとり、断捨離をはじめた母から、

『これ、もう使わないけど、どうしよう』

そう相談され、たまたま新しい目覚まし時計の購入を考えていた私が

引き取ることにした・・そういった経緯がございました。


なぜ今まで、そのことを失念していたのか。

我ながら、ちょっとびっくりいたしましたが。 

 

つまり。

亡き父があちらの世界から贈ってくれていたメッセージの数々

その力はもう尽き、ようやく安穏な世界へ逝った・・・

ということなのかもしれません 

 

 私は新しい目覚まし時計のお世話になることなく

   朝4時起きで始発にて実家へ通っております 

 

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中学時代の恩師・蘇畑瑠璃子先生のこと・・追記

2024-09-14 | ★Diary★

かつてこのブログに掲載させていただいた 

追悼・・恩師 蘇畑瑠璃子先生

という記事に、[晴海中学校]さんよりコメントをいただきました 


『私は1992年~1995年までの中学三年間、蘇畑先生に社会を教わっておりました。

どんな時でもぶれることなく、信念をお持ちの先生でした。

~(中略)~ 珍しいお名前なので、こちらで先生の訃報に接することができました。

まさかこんな検索結果になってしまうなんて悲しい限りですが、

発信下さりありがとうございました』


晴海中学校さま

コメントいただき、ありがとうございます 

私がこのブログに、はじめて蘇畑瑠璃子先生に関する文章を書いたのは2012年の秋頃でした。

その後、あなたと同様、私の出身中学校の後輩にあたる方からも、

『恩師・蘇畑先生のことを検索した結果、井上さんのブログにたどり着きました』

というコメントをいただいたりもいたしました 


もしかしたら・・

同窓会というタイミングで、お世話になった先生方の消息を探していらしたのかもしれませんが、

卒業後、長き刻を経た今も、

蘇畑先生のことを検索してくださる教え子がいらっしゃるなんて・・

 

おそらく、先生の最初の教え子であり、

また新設中学の一期生として、そしてバレー部の初代主将として、

大変お世話になった私としては、心よりうれしい限りです 

 

 

蘇畑先生からは、たくさんのお手紙をいただきましたが、

残念ながら現在、手元に残っているのは・・

 


下の文章は・・・

年賀状として送っていただいたもの。

右上の南国風の葉書には・・ [名瀬市〇〇 蘇畑瑠璃子]とあり、

夏休み後半、先生が故郷、奄美大島に帰郷中、お送りいただいた絵葉書です。

先生が不在の間、先生が担任をしている同級生の母上が突然の事故で亡くなってしまい・・

その知らせを受けたあと、書いてくださったお葉書。

・・・貼ってあった切手はなんと・・10円切手・・・

 

『休みも残り少なくなってきました。

風が吹くたびに夏の終わりの寂しさが心の内を吹き抜けてゆくようです』


そんな一文のあと、告別式にて同級生たちの誘導係を務めた私へのねぎらいの言葉があり、

『私は帰ってからお参りさせてもらいます。

今日の夜遅く、船で出発します。

この葉書よりも私が先でしょうね』

 

それから。。。。

[晴海中学校]さんたちを担当なさっているときもそうだったのかもしれませんが。

当時、先生はかなり本格的なカメラをお持ちで、

私たちの記録をたくさん残してくださいました 

 


霞台中学・一期生・バレー部の四人が

蘇畑先生に鎌倉へ連れて行っていただいたとき、

由比ガ浜の海岸にて、先生に撮影していただいた写真です 


・・・Yちゃん、KUNKUN、 EMIちゃん

   許可なく勝手に写真を掲載してしまいました 

     どうぞ蘇畑先生への哀悼の意に免じてご容赦くださいませ・・・

 

[晴海中学校]のみなさま、

そして霞台中学のみなさま。。。

これからも、折あれば。

蘇畑瑠璃子先生という、凛々しく素晴らしい教師がいらしたこと

思い出してくださいませね 

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・Part4

2024-09-09 | ★Diary★

9月に入ったというのに、相変わらず猛暑の日々が続いておりますが、

みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?


こちらは・・・

つい先日、幼馴染のYちゃんのお父様がお亡くなりになりました   

5月の末頃から入院なさっていたのは存じていたのですが・・・


ふだん、Yちゃんと私は、必要伝達事項があるとき以外、

ほとんどメールのやり取りはしていなかったのに、

ここのところ、父の死にまつわることを思い出しつつ過ごしていたせいか、

なぜかふと気がむいて、

『毎日暑いけど元気? 無理しないようにねっ

何気ないメールを送ったところ、その翌日。

『メールありがとう。返信が遅くなってごめんね。

じつは昨日、父が・・・』

という返信が・・・


家族葬とのことでしたので、お弔いには伺わず、

母とお線香をお渡しするのみといたしました。

 


ひとりぼっちになってしまったYちゃんのことを思うと、

心が痛みます・・・

頬もこけ、すっかり痩せてしまったYちゃん・・・

これから彼女が少しずつでも笑顔を取り戻してくれるよう、

さりげなく応援していきたいと思っております。

 

追伸

ソライロノタネさま

いつも心和むエピソードや、おやさしいコメントをありがとうございます 

シニアの悲劇]・・・傷はもう癒えましたでしょうか?

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・PART3

2024-09-05 | ★Diary★

亡き父が生前、

とても気にかけてくれていた私のプライベートにおける、

忌まわしきしがらみ・・・

それを断ち切る不思議な出来事が起きたのも・・

奇しくも父の命日でした 

 

最初は亡くなった翌年。

そして、二度目・・

完璧に決断せざるをえないきっかけ・・

警察を呼ぶまでの事態にいたる事件が起きたのは、七回忌の年。

命日の早朝のことでした 

 

1年は365日もあるというのに、

なぜ、まさにその日、そんな稀有な出来事が私の身に二度も起こったのか、

今、思い出しても、不思議な想いがいたします。


そういえば。。。

今から7年前、父の命日前日に、

おそらく最初で最後の単独ライブを開催させていただいたことがあったのですが、

そのとき撮影していただいた映像を観てびっくりしたことも・・・


お忙しい中、足を運んでくださった会場のみなさまに、お礼の言葉を述べたあと、

 

『なぜ、今日という日を選んだかというと・・明日が父の命日なんです』

 

私が生真面目で頑固な父とのエピソードを語っているとき。

私のすぐ左隣にいらしたリードギターの谷川さんのうしろあたりに、

照明とは考えられない光が、いくつもゆらゆら立ち上っては消えてゆくのが

はっきりと映っておりました・・・


そのような光は、ほかのシーンでは、いっさい映っておりませんでしたので、

もしかしたら、それは、

いわゆる オーブ と言われているものなのかもしれません。


つのだじろう先生はすでにご逝去なさってしまいましたが。

あのライブ映像をご覧になったら、先生はきっと、

『これは御父上が、娘のあなたのことが心配で会場まで

観にいらしてくださったんだと思います』

そう言ってくださるように思います・・・


私も・・・

あの不可思議な光は、父が応援に来てくれたものと思いたい・・ 

 

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・PART2

2024-08-31 | ★Diary★

・・夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・

その続きです。


父の一回忌は、親族にもお集まりいただき、命日より少し前に済ませたのですが、

命日、当日。

足の悪い母が、どうしてもお墓参りに行きたいというので、

私は再び実家へ向かうこととなりました。

当時は今のように庭仕事担当ではなかったため、

始発電車ではなくゆったりめの時間に都内の自宅を出て、実家に着くと、

「忙しいのにありがとう」のあと。

「ねえ・・今朝、6時頃、うちにFAXを送った?」

玄関先で、いきなり母にそう訊かれました。

 

これから母の元へ向かうという朝。

もし急ぎの確認事項があれば電話したはず。

もちろん、FAXなど送信するはずもありません。

「私は送ってないけど、どうしたの?」

「朝の6時頃ね、電話が鳴ってね。受話器をとったら、

FAXのピ~っていう音が聞こえたから、紙が出てくるのを待ってたんだけど。

それが白紙だったの」

「えっ・・白紙・・


たしかFAXって、用紙の端に送信元と時刻が印字されているはず。。。

私はそのFAXを確認いたしたく思ったのですが、

気味わるく思った母は、その感熱紙の用紙をまるめて生ごみに突っ込み、

すでにゴミ出ししてしまったとのことでした・・・

 

母は、目覚まし前にちゃんと目覚めるひとなので、

決してお寝坊したりはしないのですが。

また、亡き父が・・お知らせしてくれたのかもしれません 

 

ちょうどその頃。

私は『恐怖新聞』『うしろの百太郎』などの代表作で著名な漫画家つのだじろう氏に

取材させていただく機会がありました。

そのインタビューを終えたタイミングで、

亡き父にまつわる不思議なエピソードをちらっとお話させていただいたとき、

『その現象がなんであったか、物理的に説明はできないとしたら、

お父さんからのメッセージ・・という可能性もあるかもしれませんね』

つのだ先生はそうおっしゃってくださいました。


私も・・・そう思いたい・・

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