PART 25 キララってもうオジサンだったの!?
盗撮男の事件があった翌日の夕方。
私は早々にパソコンのスイッチを切り、キララとともに中央公園の広場へ向った。
昨夜のキララの活躍ぶりを誰かに話したくてうずうずしていたのだ。
とはいえ……..リードを片手に自転車のペダルをこぐ私の中に、
ちょっとした葛藤が湧き起こっていた。
私は、自身のことはもとより、聞かれもしないのに身内の自慢話を他人に
吹聴するような破廉恥な言動を忌み嫌う謙虚な両親のもとで育てられてきた。
昨夜のことを公園のみんなに話すことは、いかがなものだろうという
抑制の気持ちが頭をもたげていたのだ。
しかし、公園が近づくにつれ、胸の中のおしゃべりの虫はすでに、
ざわざわと騒がしくなりはじめており、黙らせておくことはできそうになかった。
昨夜この公園で起きた一連の出来事をただ語るだけのことであって、
決して自慢ではない。
私はそう自分に言い訳をした。
広場の横のベンチではディズニー・ママと遥之介・ママが談笑していた。
「こんにちは」
私は自転車をベンチの横にとめ、キララをリードから解き放った。
キララは桜の木のあたりをひとり散策していたマメ柴の小梅ちゃんに向って
まっすぐに走り去っていった。
その姿を見送りながら、
「昨日の夜ね――」
早くも私は口を開いていた。おしゃべりの虫にせきたてられるように。
「すごーい」
キャバリアのディズニーを膝に抱き抱えながら、ディズニー・ママは感嘆の声をあげた。
「キララちゃん、警察犬の訓練学校にいたことがあるって言っていたものね」
「うん。でも、実際に怪しい人を見分ける能力があるなんて思ってもみなかったから、
びっくりしちゃった。そいつ、あの茂みに潜んでいたのよ」
私は誇らしい高揚感を味わいつつ、昨晩、警官に示したのと同様の動作で、
手前にツツジの植え込みがある木立の奥を指差した。
「でも、その黒づくめの男のあとをキララちゃんと一緒に追ったんでしょ?
逆切れされて、刃物かなんかを持ってこっちに向ってくる可能性だって
あったわけじゃない。怖くなかったの?」
遥之介・ママが言った。
「怖いなんて感じる暇はなかった」
私は首をすくめかぶりを振った。
「その男は熊野神社を経由して、十二社通りを突っ切っていったの。
それをきーが追いかけていくものだから、車に轢かれでもしたらどうしようって。
とにかく無我夢中だった」
「ねえ、キララちゃんて、いくつ?」
唐突に遥之介・ママが言った。
「ええっと。9月に誕生日が来ると5歳?かな」
私は答えた。
「そう。もう5歳なの」
そして彼女は犬の年齢について語りはじめた。
「うちの遥もそうだけど、大型犬って年をとるのが早いのよね。
生後1年で成犬って言われてるでしょう」
「成犬って・・・生まれて1年で20歳ってこと?」
驚きを隠せず、私がそう言うと、遥之介・ママは冷静な口調で続けた。
「ううん、20歳ってことじゃなくて、成犬と同じ大きさまで体が発育するってこと。
人間の年齢に照らしあわせると、生後まる1年で12歳。
2年目からは1年に7歳ずつ年をとるらしいの」
「そうなんですか」
答えながら、キララは今、いくつなのだろう。私は素早く計算を試みた。
12+(年齢マイナス1年)×7という公式にあてはめてみると33という数字が算出された。
5歳の誕生日まであと2ヶ月ということを考えると限りなく40歳に近い。
継母である私に対するやんちゃな行動から鑑みるに、まだ反抗期の少年くらいだと
思い込んでいたのだが……..。
もうオジサンと呼ばれる年齢なのではないか。
軽いショックを受けている私に彼女は、
「その年齢っていうのは、あくまでも肉体の年齢。
小型犬はもう少しゆるやかに年をとるみたいだけど、大型犬は寿命が短いの。
人間より早いスピードで老化に向かっていることを知るためにも、
年齢を知っておくことって大切なんですって」
そう言って微笑んだ。
「うちは遥が20歳になる日を計算して、成人式をしたのよ」
「成人式?」
私は目をまるくした。
「そう、神社でお宮参り。神主さんにお願いしてお払いもしていただいたの」
彼女はちょっと照れたようにそのときの様子を写した写真を携帯で見せてくれた。
彼女は萌黄色の和服姿、鼻の下に立派な髭をたくわえた御主人は
きちんとダークスーツを着て首をたれ、遥之介くんと三人で厳かに式に臨んでいる。
詳しく訊いたことはなかったが、熟年のご夫婦の間にお子さんは
いないらしい。
二人がどれだけ遥之介くんに愛情を注いでいるのか、あらためて
わかった気がした。
そのとき、愛娘の様子を見守っていた小梅・パパが、
「小梅、帰るぞ」彼女の名前を呼んだ。
その声を聞くやいなや、小梅ちゃんはまっすぐにパパのもとへ
駆けもどってきた。
彼女のあとを追ってキララがこちらへ走ってくる。
つい先日、お風呂に入れたばかりなので、ふわふわとした
首のあたりの毛が夕陽を浴びて黄金色に輝いていた。
「九月に誕生日を迎えたら、四十歳なのね」
思わず、しみじみとした口調のそんな独り言が口をついていた。
「へんなこと話しちゃって、ごめんなさい」
遥之介・ママが申し訳なさそうに言った。
「ううん」
私は慌ててかぶりを振った。
「そんなことない。教えていただかなかったら知らないまま
過ごしていたかもしれないし」
彼女はほっとしたような笑顔を浮かべ、傍らでパグのナナちゃんと
戯れている遥之介くんの頭を撫ぜた。
「でも、だからこそ、毎日毎日を大切に慈しんであげないとね」
そんな遥之介・ママの言葉は私の心にあたたかく、そしてせつなく
沁みわたっていった。
二ヵ月後。
はじめて一緒に迎えたキララの誕生日。
私は心づくしのバースデー・プレートをつくった。
(ハムやソーセージの下は、いつも通り、おからを混ぜ込んだ
グレービーソース風の缶詰)
「お誕生日、おめでとう。これからもずっと元気でいてね」
そう言って私はプレートを差し出した。
残念ながら、キララはその言葉の意味を深く考えようともせず、
いきなりプレートに鼻を突っ込み、がしっがしっと音をたてて
咀嚼しはじめた。