PART 37 ディズニー・ママご懐妊
ディズニー・ママから、
「ジツはねっ・・子供ができたんだっ」
と打ち明けられたのは、中央公園の桜の木の枝にぽつりぽつりと固い蕾が宿りはじめた頃だった。
ご主人とは社内恋愛。結婚後も彼女はしばらく仕事を続けていたのだが、
「共働きは家事がおろそかになる」「早く子供を」
お姑さんのたっての希望で二年前に退社したと聞いていた。
いつだったか、
「昨日もダンナのお母さんから電話がかかってきて。
犬なんて飼ってるから子宝に恵まれないんだとか言われちゃった」
そうこぼしていたことがあった。
「ひどい・・」
私も・・似たようなことをキララの飼い主の母親から、言われ続けていた。
「ディズニーちゃんはご主人がペットショップで一目ぼれした子だったって前に言ってなかった?」
「うん。もともとうちのダンナは犬が好きだったらしいの。
でもお母さんが大の犬嫌いで、小さい頃、何度頼んでも飼わせてもらえなかったんですって。
だから、いつか結婚して親と別居したら、絶対に犬を飼いたいってずっと思っていたみたい。
私と結婚して・・・共働きしているときは、昼間はひとりでお留守番させることになるでしょう。
それはかわいそうだからって、飼うのを我慢していたんだけど」
そう言ってから、彼女はベンチの足元にいたディズニーを膝の上に抱き上げた。
「私ね。仕事をやめてから、ちょっとノイローゼっていうか、鬱みたいになっちゃったの」
「えっ?」
「本当は、子供ができるまで仕事は続けたかったのに。
結局、向こうのお母さんに押し切られて、やめることになっちゃったでしょう。
家に入ったからといってすぐに子供ができるわけでもないし、
家事に専念するといっても、マンションの狭い部屋の掃除なんてすぐ終わっちゃうし、
食事のしたくをして待っていても、ダンナの帰りは遅いし。
おまけに毎日のようにお母さんから子供はまだなの? 早く孫の顔を見せてって、電話がかかってきて。
挙句、できないのはあなたに何か問題があるに違いないから産婦人科に検査に行けとまで・・・」
「そうだったの」
「そんな私を見かねて、ダンナがペットショップに連れて行ってくれたの。
それでディズがうちに来てくれたのよね」
彼女は愛おしそうに目を細め、ディズニーの細くしなやかな毛を指で梳いた。
「今、私が元気でいられるのはこの子のおかげ」
そんないきさつを聞いていたので、「子供ができた」という彼女の報告はとてもうれしかった。
「昨日、病院へ行ってわかったの。生理が遅れてたし、
ご飯作ってるときに気持ち悪くなったりしたから、もしかしたらと思っていたんだけどね」
春先の木漏れ陽の下、彼女は少し恥らうようにそう言って笑った。
「おめでとう。よかったね」
「ありがとう・・そう言ってもらえるとうれしい」
とても晴れやかな笑顔だった。
「お姑さんも喜んだでしょう」
私は、キララの首輪からリードをはずしながら言った。
キララは、待ちかねていたように、広場へ飛び出していった。
「それはもう大変」
彼女は苦笑した。
「安定期に入るまで、親戚の人たちには言わないでってダンナ経由で頼んでおいたんだけど。
お母さん、あっという間にみんなに吹聴しちゃったみたい」
私はキララが広場で走り回っているのを確認してから、
顔なじみのパグと無邪気に戯れるディズニーに目を向けた。
「ディズニーちゃんのこと、大丈夫?」
もしかしたら犬嫌いのお姑さんに厳命され、ディズニーを手放さなければいけない事態に
追い込まれてしまうかもしれないと危惧したからだ。
私の言葉の意味を察したのか、彼女は「もちろん」と力強く頷いた。
そしてなにか思い出したらしく、くすりと笑みを浮かべた。
「ディズって・・・自分のことを快く思っていない人のことが、わかるのね。
私の母が来てくれたときは、尻尾を振ってまとわりつくのに。
ダンナのお母さんが尋ねてくると、ディズ、吠えまくるの。
そのあとはソファの下に避難して、ずっと威嚇の態勢。
この子がうちに来る前は、息子の家は我が家同然って感じで、かなり頻繁に抜き打ち訪問されて、
まいったこともあったけど」
「あ。それわかる!!」
似たような経験のある私は、思わず言った。
「お姑さんって、こっちが掃除さぼっているときに限って、連絡もなしにいきなり来たりするのよね」
「そうそう。朝ごはんのお皿がまだ流しに置いてあったり」
「これから、洗おうと思ってたのに~みたいなタイミング」
私たちは、大きく頷きあいながら、くすくす笑った。
「うちは、ディズのおかげで『たまに遊びに行っても、犬がうるさくて落ち着かない』って、
お母さんの足が遠のいたのよ。
だから、いろいろな意味でディズは私の恩人なの」
「ディズニーちゃん。えらいぞっ」
私は手入れの行き届いたディズニーの頭をそっと撫でた。
「でも、つわりがひどくなったりしたら、今までみたいに、ここに来れなくなるかもしれない」
「私にできることがあったら、なんでも言ってね。
体が辛いときはディズニーちゃんのお散歩でも、買い物でも」
「ありがとう。そう言ってもらえると心強いな。この子と」
ディズニー・ママはダウンコートのおなかにそっと手をやった。
「ディズはきっと仲良しになってくれると思う」
「そうね、ディズニーちゃん、やさしい子だし」
やわらかな陽射しが差し込むラグの上。
ミルクの匂いのするちいさな赤ちゃんのそばに寄り添うディズニーの姿が目に浮かび、
私の口元はゆるんだ。
それはとても心あたたまる光景だった。
・・・冒頭の写真は、(もちろん) キャバリアのディズニーちゃんではなく、
ピレネー犬・遥之助くんのお宅に招いていただいたときの写真です・・・