作家 井上香織 Official Blog

せつない純愛小説、やさしい目線で描かれたエッセイで人気の作家 井上香織が贈る癒しの空間 

追悼・レコーディング・エンジニア・大野進さん・PART1

2024-09-22 | 井上香織 LIVE

御彼岸ということもあり。

今回は、14年前にお亡くなりになった私の恩人・・

レコーディング・エンジニア大野進さんのお話をさせていただきたく思います 

 

大野さんは私、井上香織のディレクターのみならず、

ミキシングも担当してくださっていました。


最初に紹介された当時、スタッフの方たちから、

大野進氏の経歴に関して、詳しく訊かされてはいなかったのですが。

のちに・・・


1973年 担当した井上陽水さんの『氷の世界』は

日本ではじめてLP売り上げ100万枚を突破 

 

エンジニアとしての技術はもちろんですが、

ハスキーで味のある独特のお声をなさっていたので。

『もーれつア太郎』というアニメに登場するニャロメというネコ(?)の声を

担当なさったこともあったそうです 

 

音楽に関しては厳しくも、とてもおやさしい方でした。

新人のエンジニアさんをはじめスタッフへの心配りはもちろん、

素人の女子大生である私に対しても、いつも穏やかに接してくださいました 

 

井上香織・作詞の『静けさの中で』という曲のレコーディングの際、

音の世界に入り込みすぎて、サビの途中からこみ上げる感情があり、

私はつい涙ぐんでしまったのですが ・・笑・・

狭い歌唱ブースのガラス越しに、

卓の前にいる大野さんに助けを求めふと目をやったところ、

私の異変に気づいた大野さんは、微笑みつつ、大きくうなずいて・・

そのままラストまでオケをとめず、最後まで歌わせてくださいました。


歌い終えたあと。

「・・すみませんでした・・」

指先で涙をぬぐい、苦笑いを浮かべつつ、ブースから出て謝ると、

大野さんは、

「感情がのっていてすごくよかったよ。ちょっとだけ休んでこのまま、もう一回いこうか」

そう言って、紙コップのコーヒーを手渡してくださいました。

 

プロのシンガーとは決していえない私をいつも精神的に支えてくださっていたのは、

大野さんでした。

そして。。。

感情の起伏により、ムラのある私の歌唱を優れた技術でつないでくださいました 

 

 

左側・・難しい表情を浮かべ煙草を手にしている方が、大野進さんです 

 

このスタジオ、通称[KRS]

大学から近かったこともあり、

私は午後の講義を抜け出して、レコーディングに通っておりました。

 

・・・ちょっと長くなりそうなので、

    続きは後日、書かせていただきますね・・・

 

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新しい目覚まし時計・・そして・・

2024-09-18 | ★Diary★

8月中旬。

いつも頼りにしていた淡いシャイニーブルーの目覚まし時計が

動かなくなってしまいました 

ずっと元気でいてくれたのに。

電池を入れ替えても、

もう動いてくれなくて・・


そして・・・

いろいろ迷った末

こんなアンティーク調の目覚まし時計を購入いたしました 

 

 

命尽きてしまった古いSEIKO製の目覚まし時計・・・

写真に残さないまま、すでに処分してしまいましたが。

こうして書きつつ、ふと過去の出来事が蘇ってまいりました。

 

[夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・PART1]]に書かせていただいたエピソード

父の葬儀の朝、実家の2階にて、

誰もONに設定などしていないのに、勝手に鳴り響いていた、あの目覚まし時計は、

まさにその淡いブルーの目覚まし時計でした 

 

しかも。それは。

私が・・例の[忌まわしき]・お祝い事の際・・

約30年前、父にプレゼントしたものでした 


父の逝去後。

ひとり、断捨離をはじめた母から、

『これ、もう使わないけど、どうしよう』

そう相談され、たまたま新しい目覚まし時計の購入を考えていた私が

引き取ることにした・・そういった経緯がございました。


なぜ今まで、そのことを失念していたのか。

我ながら、ちょっとびっくりいたしましたが。 

 

つまり。

亡き父があちらの世界から贈ってくれていたメッセージの数々

その力はもう尽き、ようやく安穏な世界へ逝った・・・

ということなのかもしれません 

 

 私は新しい目覚まし時計のお世話になることなく

   朝4時起きで始発にて実家へ通っております 

 

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中学時代の恩師・蘇畑瑠璃子先生のこと・・追記

2024-09-14 | ★Diary★

かつてこのブログに掲載させていただいた 

追悼・・恩師 蘇畑瑠璃子先生

という記事に、[晴海中学校]さんよりコメントをいただきました 


『私は1992年~1995年までの中学三年間、蘇畑先生に社会を教わっておりました。

どんな時でもぶれることなく、信念をお持ちの先生でした。

~(中略)~ 珍しいお名前なので、こちらで先生の訃報に接することができました。

まさかこんな検索結果になってしまうなんて悲しい限りですが、

発信下さりありがとうございました』


晴海中学校さま

コメントいただき、ありがとうございます 

私がこのブログに、はじめて蘇畑瑠璃子先生に関する文章を書いたのは2012年の秋頃でした。

その後、あなたと同様、私の出身中学校の後輩にあたる方からも、

『恩師・蘇畑先生のことを検索した結果、井上さんのブログにたどり着きました』

というコメントをいただいたりもいたしました 


もしかしたら・・

同窓会というタイミングで、お世話になった先生方の消息を探していらしたのかもしれませんが、

卒業後、長き刻を経た今も、

蘇畑先生のことを検索してくださる教え子がいらっしゃるなんて・・

 

おそらく、先生の最初の教え子であり、

また新設中学の一期生として、そしてバレー部の初代主将として、

大変お世話になった私としては、心よりうれしい限りです 

 

 

蘇畑先生からは、たくさんのお手紙をいただきましたが、

残念ながら現在、手元に残っているのは・・

 


下の文章は・・・

年賀状として送っていただいたもの。

右上の南国風の葉書には・・ [名瀬市〇〇 蘇畑瑠璃子]とあり、

夏休み後半、先生が故郷、奄美大島に帰郷中、お送りいただいた絵葉書です。

先生が不在の間、先生が担任をしている同級生の母上が突然の事故で亡くなってしまい・・

その知らせを受けたあと、書いてくださったお葉書。

・・・貼ってあった切手はなんと・・10円切手・・・

 

『休みも残り少なくなってきました。

風が吹くたびに夏の終わりの寂しさが心の内を吹き抜けてゆくようです』


そんな一文のあと、告別式にて同級生たちの誘導係を務めた私へのねぎらいの言葉があり、

『私は帰ってからお参りさせてもらいます。

今日の夜遅く、船で出発します。

この葉書よりも私が先でしょうね』

 

それから。。。。

[晴海中学校]さんたちを担当なさっているときもそうだったのかもしれませんが。

当時、先生はかなり本格的なカメラをお持ちで、

私たちの記録をたくさん残してくださいました 

 


霞台中学・一期生・バレー部の四人が

蘇畑先生に鎌倉へ連れて行っていただいたとき、

由比ガ浜の海岸にて、先生に撮影していただいた写真です 


・・・Yちゃん、KUNKUN、 EMIちゃん

   許可なく勝手に写真を掲載してしまいました 

     どうぞ蘇畑先生への哀悼の意に免じてご容赦くださいませ・・・

 

[晴海中学校]のみなさま、

そして霞台中学のみなさま。。。

これからも、折あれば。

蘇畑瑠璃子先生という、凛々しく素晴らしい教師がいらしたこと

思い出してくださいませね 

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・Part4

2024-09-09 | ★Diary★

9月に入ったというのに、相変わらず猛暑の日々が続いておりますが、

みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?


こちらは・・・

つい先日、幼馴染のYちゃんのお父様がお亡くなりになりました   

5月の末頃から入院なさっていたのは存じていたのですが・・・


ふだん、Yちゃんと私は、必要伝達事項があるとき以外、

ほとんどメールのやり取りはしていなかったのに、

ここのところ、父の死にまつわることを思い出しつつ過ごしていたせいか、

なぜかふと気がむいて、

『毎日暑いけど元気? 無理しないようにねっ

何気ないメールを送ったところ、その翌日。

『メールありがとう。返信が遅くなってごめんね。

じつは昨日、父が・・・』

という返信が・・・


家族葬とのことでしたので、お弔いには伺わず、

母とお線香をお渡しするのみといたしました。

 


ひとりぼっちになってしまったYちゃんのことを思うと、

心が痛みます・・・

頬もこけ、すっかり痩せてしまったYちゃん・・・

これから彼女が少しずつでも笑顔を取り戻してくれるよう、

さりげなく応援していきたいと思っております。

 

追伸

ソライロノタネさま

いつも心和むエピソードや、おやさしいコメントをありがとうございます 

シニアの悲劇]・・・傷はもう癒えましたでしょうか?

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・PART3

2024-09-05 | ★Diary★

亡き父が生前、

とても気にかけてくれていた私のプライベートにおける、

忌まわしきしがらみ・・・

それを断ち切る不思議な出来事が起きたのも・・

奇しくも父の命日でした 

 

最初は亡くなった翌年。

そして、二度目・・

完璧に決断せざるをえないきっかけ・・

警察を呼ぶまでの事態にいたる事件が起きたのは、七回忌の年。

命日の早朝のことでした 

 

1年は365日もあるというのに、

なぜ、まさにその日、そんな稀有な出来事が私の身に二度も起こったのか、

今、思い出しても、不思議な想いがいたします。


そういえば。。。

今から7年前、父の命日前日に、

おそらく最初で最後の単独ライブを開催させていただいたことがあったのですが、

そのとき撮影していただいた映像を観てびっくりしたことも・・・


お忙しい中、足を運んでくださった会場のみなさまに、お礼の言葉を述べたあと、

 

『なぜ、今日という日を選んだかというと・・明日が父の命日なんです』

 

私が生真面目で頑固な父とのエピソードを語っているとき。

私のすぐ左隣にいらしたリードギターの谷川さんのうしろあたりに、

照明とは考えられない光が、いくつもゆらゆら立ち上っては消えてゆくのが

はっきりと映っておりました・・・


そのような光は、ほかのシーンでは、いっさい映っておりませんでしたので、

もしかしたら、それは、

いわゆる オーブ と言われているものなのかもしれません。


つのだじろう先生はすでにご逝去なさってしまいましたが。

あのライブ映像をご覧になったら、先生はきっと、

『これは御父上が、娘のあなたのことが心配で会場まで

観にいらしてくださったんだと思います』

そう言ってくださるように思います・・・


私も・・・

あの不可思議な光は、父が応援に来てくれたものと思いたい・・ 

 

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・PART2

2024-08-31 | ★Diary★

・・夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・

その続きです。


父の一回忌は、親族にもお集まりいただき、命日より少し前に済ませたのですが、

命日、当日。

足の悪い母が、どうしてもお墓参りに行きたいというので、

私は再び実家へ向かうこととなりました。

当時は今のように庭仕事担当ではなかったため、

始発電車ではなくゆったりめの時間に都内の自宅を出て、実家に着くと、

「忙しいのにありがとう」のあと。

「ねえ・・今朝、6時頃、うちにFAXを送った?」

玄関先で、いきなり母にそう訊かれました。

 

これから母の元へ向かうという朝。

もし急ぎの確認事項があれば電話したはず。

もちろん、FAXなど送信するはずもありません。

「私は送ってないけど、どうしたの?」

「朝の6時頃ね、電話が鳴ってね。受話器をとったら、

FAXのピ~っていう音が聞こえたから、紙が出てくるのを待ってたんだけど。

それが白紙だったの」

「えっ・・白紙・・


たしかFAXって、用紙の端に送信元と時刻が印字されているはず。。。

私はそのFAXを確認いたしたく思ったのですが、

気味わるく思った母は、その感熱紙の用紙をまるめて生ごみに突っ込み、

すでにゴミ出ししてしまったとのことでした・・・

 

母は、目覚まし前にちゃんと目覚めるひとなので、

決してお寝坊したりはしないのですが。

また、亡き父が・・お知らせしてくれたのかもしれません 

 

ちょうどその頃。

私は『恐怖新聞』『うしろの百太郎』などの代表作で著名な漫画家つのだじろう氏に

取材させていただく機会がありました。

そのインタビューを終えたタイミングで、

亡き父にまつわる不思議なエピソードをちらっとお話させていただいたとき、

『その現象がなんであったか、物理的に説明はできないとしたら、

お父さんからのメッセージ・・という可能性もあるかもしれませんね』

つのだ先生はそうおっしゃってくださいました。


私も・・・そう思いたい・・

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夏の終わりに、ちょっと不思議なお話・・PART1

2024-08-26 | ★Diary★

先日、日記の断捨離について書かせていただいたのですが。

 

そこに父の死にまつわる不思議な出来事に関する記述が

いくつかございました 

記憶が曖昧だった部分もあったので、

こうして、古い日記を改めて読み返すと、ちょっと・・


最初は、葬儀の日の朝のこと。

緊急手術、そして・・父の命が尽きたのは術後3日目のことでした。

当時私は『さよならの向こう側』(KKベストセラーズ刊)初稿チェックの〆切間際。

一度、自宅に戻り、

喪服とその原稿の束をキャリーバッグに入れ、お通夜と葬儀のため再び実家へ。


その数日間、睡眠時間は2、3時間くらいでした。

母をはじめ親族の方たちも。

私の原稿の〆切が3日後に迫っているなんて、もちろんご存知ない。

とにかく父を・・

きちんと見送ってあげたい。

そして喪主である母を支えなければ。

本当に過酷な日々でした

 

葬儀場にて・・たくさんの教え子の方たちにお言葉をいただき、お通夜を終え、

明けて翌日は葬儀というその朝のこと。

6時にどこからか、[目覚まし時計]と思われる、・・・RIRIRIRIRI・・・

弱々しくも、しつこい音に起こされてしまいました 

明け方、ようやくうとうとしはじめたというのに。

起きだしてきた母と・・

「この音ってなに?」

「わからない・・」

ふたり目をあわせたあと、私は音源をさがし、二階へ。

そして、二階の奥の和室・・・

そこには、父を弔う祭壇を設置するスペースをつくらなければならないため、

親族の方たちがお手伝いくださり、急遽運び込んだ家具や父の愛用品などなどが、

置かれてありました。

音の大きさから考えて、この中に、その[目覚まし時計]は絶対ある。

そしてその中に足を踏み入れると・・

まさにそれはありました 

 

古ぼけたアナログタイプの目覚まし時計。

背面のOFF部分を2ミリくらいスライドさせると、

ようやく、けたたましい音は鳴りやんでくれました 

 

・・・この不思議なお話には、まだまだ続きがございます・・

  また後日、書かせていただきますね。

 

 

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・・日記の断捨離・・

2024-08-21 | ★Diary★

いつもご覧いただき、ありがとうございます 

 

井上は・・

二十数年前から書き続けてる日記を断捨離する作業に着手いたいたしました。

 

 

 

とりあえず。

三年日記を二冊ですので六年分・・・

ハードカバーから破り取り、そのままシュレッダーにかければいいのですが、

その前に。

もういちど読み返し、ピックアップできる事柄があったら。。

もの書きとしてのいやらしい性格が・・・

 

二十年ぶりに開いてみると・・・

 

[講談社『〇〇〇』原稿 〆切は明後日。今夜もひたすら原稿]

 

[夕刻、「そろそろお散歩の時間だよ」とキララがデスクの下に入り込み催促。

18時頃ようやく書き上げ、お散歩の準備をしつつプリントアウト

そしてFAX』


なんて記述もございました・・笑・・

 

キララというのは当時、同居していたゴールデンレトリバー


それはともかく。

過去、記した自身の六年分の記録を読むのは、

なかなか辛いものがございました 

しかし。

その間、仕事的にご連絡いただいた方、

ご依頼いただいた原稿のことなどなど。

過去の記憶をピックアップすることができました 

 

もちろん。

読後、六年分の日記はシュレッダーにかけ、ビニール袋に入れました。

ゴミ出しする前、ふと思い、その袋にお塩をふりかけました・笑・


『苦難に満ちた私の過去をどうぞ葬ってください』


願いを込めて・・

 

・・・追伸・燃えるゴミとして出しました・・・

    

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台風・・そして痛恨のミス

2024-08-16 | ★Diary★

強い勢力のまま関東に接近しつつあった台風7号 

東海道新幹線が終日運休を発表したり

交通機関にもかなり影響がでたようですが、

みなさんは大丈夫だったでしょうか?

 

前日まで実家にいた私は、大型台風が接近しつつあることを知り、

今のうちにできることをしておかなければと、

早朝から庭仕事や外回りの整備に励んでおりました。

午後になって、またまた脚の痙攣がはじまってしまい・・・

母が整形外科で処方していただいている[鎮痛消炎剤]を両脚のふくらはぎに貼り、

軽くストレッチなどしてしのぎつつ、過ごしていたのですが。

夕方のニュースを見て、急遽、予定を変更し、自宅へ帰ることといたしました。

 

その日はもちろん電車も正常運行で、スムーズに帰宅できました。

荷ほどきをし、シャワーを浴びようとしたとき、

私はあることに気づいてしまいました。

湿布をはがすのを忘れていたことを 

 

たまたま七分丈のデニムパンツをはいていたので、湿布はほぼ丸見え状態 

しかし。。。

みなさん家路を急ぐ時間帯でしたので、

私の後ろ姿に目をとめる方などいらっしゃらなかったかと・・・

しかも。

母にもらった医療用の湿布は肌色なので、さほど目立たなかったのではないかなと、

苦しい言い訳をして・・・

自身のミスをなかったことにしようとしている井上なのでした 

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ベランダ便り~ハツユキカズラ

2024-08-12 | ★ベランダ便り★

パリ・オリンピック・・・

もう終わってしまったのですね。

 

私がLIVEで拝見したのは・・・

母がずっと応援していた男子バレーくらいだったかもしれません。

 

以前から母は、石川祐希さんのファンだったのですが、

今回、西田有志さん、

そして・・ルックスに魅かれたのか高橋藍さんにも注目していたようです  


試合時間が様々な中、

そのたびに母と一緒に応援していたのですが。

残念ながら、メダルへの夢が潰えてしまったところから、

なんとなく、オリンピック観戦から遠ざかってしまったままでした 

 


こちらはベランダの ハツユキカズラ

昨年の秋、強剪定をしたところ、

春から新芽がたくさん伸びてきてくれました 

 


酷暑の中。

ベランダにでるたび、この白とピンクに癒されております 

 

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