明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

感性の一致

2009-05-30 03:02:50 | 想い
また3時をまわった。

私は夜更かしが好きだ。
夜は自分に対して正直になれる時間だからかもしれない。

さっき、夫の親友であり、私のマイミクでもある人の日記を読んだ。
音楽を志している人で、夫が書いた詩を日記に載せてくれていた。
「この詩だけが味方」だと、そう書いてあった。

それは、とても彼らしい、いい詩だった。
上手、というより、熱いソウルがあった。
身内を褒めるのもなんだけど。

彼と付き合い始めた頃、お互いが書いた文章を読んで、
他の誰にもわからない感覚を、お互いに得たことを覚えている。

「私が書いたみたい……」
「俺が書いたんか……?」

決して文体が似ているとか、そういうわけではないのだけど、
なぜか二人ともそう思った。
これが「感性」というものなんだろう。

この間、久しぶりに夫がブログを更新していて、
最終電車の中、携帯で言葉を追いながら、
ああ、やっぱりこの人の文章がすごく好きだと思った。

彼との出逢い。
それは、偶然「ブルース」で検索してひっかかった彼のブログ。
マディ・ウォーターズと大江健三郎というワード、
そして、心地良い言葉のリズムに心惹かれた。

顔も知らない彼の文章のファンになり、
ふと思った。
こんな文章を書く人と現実に出会えたらいいな、と。

それから数ヵ月後、本当に彼と出会うなんて、夢にも思わなかったけれど。

今、幸せに平和に毎日が過ぎていく。
ふと、去年の今頃は何を考えていたんだろうかと、
自分の過去のブログを辿ってみた。

印象に残ったタイトルは「きらきら」だった。
きらきらした日常の一コマを書きたいと、
誰のためにでもなく、自分のために書きたいと、
そう綴ってあった。

それを読んで、また自分に嫌気がさした。
同じことの繰り返しで、一歩も前に進んでいない自分にため息をつく。

私はどこに向かっているのかなぁ。

わからないけど、
でも、一つだけわかってることは、
仕事になってもならなくても、やっぱり“言葉”が好きだってこと。

そのことをいつも夫の文章を読むと思い出す。
だから、ずっと彼には書き続けてほしいのだ。
彼の文章が一番私の感性を刺激してくれるから。

彼の文章を読むと、なぜか自分も書きたいと思う。
魂が揺さぶられる感じがして。

「俺が生活費は出してもいいから、かおりは好きな文章を書いていいよ」
といつも言ってくれる彼。
それに甘えられたらどんなにいいだろうかと思う。
でも、無理なんだ、それは。

悲しいトラウマ。
そういう生活を想像するだけで、身震いするほど怖くなる。
ありえない。

幼い頃からすりこまれた「稼ぐ人間にならなければ」という想いは
絶対に消えそうもない。

今日、自分が最後に書いた小説を読んだ。
最後まで完成させた小説。
2003年のものだった。

読んでみて、思ったより悪くないと思った。
HPに掲載したときは、たいそう評判が悪かった小説だけど。

ああ、そうか、と気づく。
自分を癒せばいいんだと。
誰かに認められようと思うから苦しいんだ。
これを書き上げたときの喜び、恢復、それを思うと今も涙が出てくる。

それでいいんだった。

それでいいなら、また書ける気がした。

そして、そろそろ働くことにした。
3月・4月とほとんど仕事をせずにいて、
5月も2週間くらいしか働いていない。
当たり前だが、収入を支出が上回って、大変なことになっている。
毎日飲み歩いていたら、そりゃそうだ。

とりあえず、働こう。
来週からまた営業を始める。
どんどん仕事を受ける。

でも、自分のために、何か書けるような気がする。

以前やっていた本のブログから、1つ次に。
これが、今の私の想い。



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