また3時をまわった。
私は夜更かしが好きだ。
夜は自分に対して正直になれる時間だからかもしれない。
さっき、夫の親友であり、私のマイミクでもある人の日記を読んだ。
音楽を志している人で、夫が書いた詩を日記に載せてくれていた。
「この詩だけが味方」だと、そう書いてあった。
それは、とても彼らしい、いい詩だった。
上手、というより、熱いソウルがあった。
身内を褒めるのもなんだけど。
彼と付き合い始めた頃、お互いが書いた文章を読んで、
他の誰にもわからない感覚を、お互いに得たことを覚えている。
「私が書いたみたい……」
「俺が書いたんか……?」
決して文体が似ているとか、そういうわけではないのだけど、
なぜか二人ともそう思った。
これが「感性」というものなんだろう。
この間、久しぶりに夫がブログを更新していて、
最終電車の中、携帯で言葉を追いながら、
ああ、やっぱりこの人の文章がすごく好きだと思った。
彼との出逢い。
それは、偶然「ブルース」で検索してひっかかった彼のブログ。
マディ・ウォーターズと大江健三郎というワード、
そして、心地良い言葉のリズムに心惹かれた。
顔も知らない彼の文章のファンになり、
ふと思った。
こんな文章を書く人と現実に出会えたらいいな、と。
それから数ヵ月後、本当に彼と出会うなんて、夢にも思わなかったけれど。
今、幸せに平和に毎日が過ぎていく。
ふと、去年の今頃は何を考えていたんだろうかと、
自分の過去のブログを辿ってみた。
印象に残ったタイトルは「きらきら」だった。
きらきらした日常の一コマを書きたいと、
誰のためにでもなく、自分のために書きたいと、
そう綴ってあった。
それを読んで、また自分に嫌気がさした。
同じことの繰り返しで、一歩も前に進んでいない自分にため息をつく。
私はどこに向かっているのかなぁ。
わからないけど、
でも、一つだけわかってることは、
仕事になってもならなくても、やっぱり“言葉”が好きだってこと。
そのことをいつも夫の文章を読むと思い出す。
だから、ずっと彼には書き続けてほしいのだ。
彼の文章が一番私の感性を刺激してくれるから。
彼の文章を読むと、なぜか自分も書きたいと思う。
魂が揺さぶられる感じがして。
「俺が生活費は出してもいいから、かおりは好きな文章を書いていいよ」
といつも言ってくれる彼。
それに甘えられたらどんなにいいだろうかと思う。
でも、無理なんだ、それは。
悲しいトラウマ。
そういう生活を想像するだけで、身震いするほど怖くなる。
ありえない。
幼い頃からすりこまれた「稼ぐ人間にならなければ」という想いは
絶対に消えそうもない。
今日、自分が最後に書いた小説を読んだ。
最後まで完成させた小説。
2003年のものだった。
読んでみて、思ったより悪くないと思った。
HPに掲載したときは、たいそう評判が悪かった小説だけど。
ああ、そうか、と気づく。
自分を癒せばいいんだと。
誰かに認められようと思うから苦しいんだ。
これを書き上げたときの喜び、恢復、それを思うと今も涙が出てくる。
それでいいんだった。
それでいいなら、また書ける気がした。
そして、そろそろ働くことにした。
3月・4月とほとんど仕事をせずにいて、
5月も2週間くらいしか働いていない。
当たり前だが、収入を支出が上回って、大変なことになっている。
毎日飲み歩いていたら、そりゃそうだ。
とりあえず、働こう。
来週からまた営業を始める。
どんどん仕事を受ける。
でも、自分のために、何か書けるような気がする。
以前やっていた本のブログから、1つ次に。
これが、今の私の想い。
私は夜更かしが好きだ。
夜は自分に対して正直になれる時間だからかもしれない。
さっき、夫の親友であり、私のマイミクでもある人の日記を読んだ。
音楽を志している人で、夫が書いた詩を日記に載せてくれていた。
「この詩だけが味方」だと、そう書いてあった。
それは、とても彼らしい、いい詩だった。
上手、というより、熱いソウルがあった。
身内を褒めるのもなんだけど。
彼と付き合い始めた頃、お互いが書いた文章を読んで、
他の誰にもわからない感覚を、お互いに得たことを覚えている。
「私が書いたみたい……」
「俺が書いたんか……?」
決して文体が似ているとか、そういうわけではないのだけど、
なぜか二人ともそう思った。
これが「感性」というものなんだろう。
この間、久しぶりに夫がブログを更新していて、
最終電車の中、携帯で言葉を追いながら、
ああ、やっぱりこの人の文章がすごく好きだと思った。
彼との出逢い。
それは、偶然「ブルース」で検索してひっかかった彼のブログ。
マディ・ウォーターズと大江健三郎というワード、
そして、心地良い言葉のリズムに心惹かれた。
顔も知らない彼の文章のファンになり、
ふと思った。
こんな文章を書く人と現実に出会えたらいいな、と。
それから数ヵ月後、本当に彼と出会うなんて、夢にも思わなかったけれど。
今、幸せに平和に毎日が過ぎていく。
ふと、去年の今頃は何を考えていたんだろうかと、
自分の過去のブログを辿ってみた。
印象に残ったタイトルは「きらきら」だった。
きらきらした日常の一コマを書きたいと、
誰のためにでもなく、自分のために書きたいと、
そう綴ってあった。
それを読んで、また自分に嫌気がさした。
同じことの繰り返しで、一歩も前に進んでいない自分にため息をつく。
私はどこに向かっているのかなぁ。
わからないけど、
でも、一つだけわかってることは、
仕事になってもならなくても、やっぱり“言葉”が好きだってこと。
そのことをいつも夫の文章を読むと思い出す。
だから、ずっと彼には書き続けてほしいのだ。
彼の文章が一番私の感性を刺激してくれるから。
彼の文章を読むと、なぜか自分も書きたいと思う。
魂が揺さぶられる感じがして。
「俺が生活費は出してもいいから、かおりは好きな文章を書いていいよ」
といつも言ってくれる彼。
それに甘えられたらどんなにいいだろうかと思う。
でも、無理なんだ、それは。
悲しいトラウマ。
そういう生活を想像するだけで、身震いするほど怖くなる。
ありえない。
幼い頃からすりこまれた「稼ぐ人間にならなければ」という想いは
絶対に消えそうもない。
今日、自分が最後に書いた小説を読んだ。
最後まで完成させた小説。
2003年のものだった。
読んでみて、思ったより悪くないと思った。
HPに掲載したときは、たいそう評判が悪かった小説だけど。
ああ、そうか、と気づく。
自分を癒せばいいんだと。
誰かに認められようと思うから苦しいんだ。
これを書き上げたときの喜び、恢復、それを思うと今も涙が出てくる。
それでいいんだった。
それでいいなら、また書ける気がした。
そして、そろそろ働くことにした。
3月・4月とほとんど仕事をせずにいて、
5月も2週間くらいしか働いていない。
当たり前だが、収入を支出が上回って、大変なことになっている。
毎日飲み歩いていたら、そりゃそうだ。
とりあえず、働こう。
来週からまた営業を始める。
どんどん仕事を受ける。
でも、自分のために、何か書けるような気がする。
以前やっていた本のブログから、1つ次に。
これが、今の私の想い。