明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

悲痛な叫びをまとった喪中ハガキ

2011-12-01 12:03:35 | 想い
この時期になると、喪中ハガキが何枚か届く。
今年もちらほら、3、4枚。

同級生の親世代が亡くなるような歳になってしまったな・・・
そんなことを考えながら淋しい気持ちでハガキを見ていたら、目が留まった。

喪中ハガキにしては珍しく、小さな字がぎっしりと印刷されている。
見ると、高校時代の部活の顧問の先生のものだった。

今年の1月9日、先生は亡くなった。
このブログにもお通夜の様子は書いたと思う。
まだ52歳という若さ。
食道動脈瘤破裂出血性ショックが死因だった。

普通にお正月を迎え、元気に何事もなく暮らしていた、そんな中での突然死。
ご家族の気持ちを思うとやりきれない。

この先生と私は特に親しかったわけではない。年賀状のやりとりすら行っていなかった。
10年以上ぶりの再会が、あのお通夜。
部員からの知らせでなんとか参列させてもらうことができた。

思い入れがあるのは、先生の奥さんが私の同級生だったからということもあって。
同じ部活のメンバーだった。
私は特に仲良くはしていないし、ほとんどしゃべったこともなかったが、
それでも同級生ということで、印象には残っていた。

お通夜で、打ちひしがれながらも、気丈に挨拶をしていた彼女を思い出すと、今でも涙が出てくる。

その先生のご両親からの喪中ハガキ。
普通は定型文で送られてくるものだが(それで十分だと思うが)、ぎっしりと細かい字で書かれたハガキを見て、
ご両親の悔しさ、悲しさ、淋しさ・・・いろんなものが伝わってきた。

以下、失礼ながら一部抜粋。

今も悲しさと、寂しさ、悔しさをかみ締めております。
正月二日、家族で新年の会食をして、一週間後の死です。
体育の教師をしておりましたので、体を過信していたのでしょう。
今でも「只今」と帰って来る気がいたします。
いろいろな面で、お世話になった皆様、長い間のお付き合いをありがとうございました。
折に触れて思い出してやっていただければと願っています。


ご両親はお二人ともご健在のようで、差出人はご両親の名前だった。
おそらくまだ70代だろう。
自分より先に息子が逝ってしまう、それもある日、何の前触れもなく、突然に。
そのショックを思うだけで、胸が痛い。

喪中ハガキを見て泣いたのなんて、初めてのこと。
一文一文、一言一言から、悲痛な叫びが聞こえてくるかのようで、読むごとにキリキリと心を締め付けられた。

いつ、突然やってくるかもわからない「死」。
今日生きていることのほうが奇跡なんだと、そんな気持ちで感謝して生きなければならないと思う。

先生、ありがとう。
改めてご冥福をお祈りします。

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2 コメント

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Unknown (シュー)
2011-12-01 21:25:54
ちょっと胸が痛くなる話ですね。

ぼくも同じような経験をしたことがあります。
後輩のjazzプレヤーたちにお店でライブをさせていました。 かれこれ8年くらい前でしょうか 医学系大学のジャズ研のバンドで リーダーのサックスプレーヤーK君は僕の先輩の弟子で優れたプレーヤーでしたが 大学卒業後 急に逝ってしまいました。

親子3代にわたる医者の家の長男、お父さんの落胆ぶりは涙を誘うものがありました。

後日、お父様から手紙をいただきましたが その中には 跡継ぎとして過度の期待ばかり抱いて 息子のいろんな面をみてやれなかった自分が恥ずかしいと、 思い返せば息子がどんな趣味を持ち、どんな友達や先輩と付き合っていたかも知らない情けない親でした 息子が皆さんとどんな時間を過ごしていたか 少しでもいいですから教えていただけないでしょううか?

そんな内容の手紙でした。

僕自身もK君を自分の息子のように可愛がっていましたからお父さんの気持ちが痛いほどわかり 読んでる最中にメガ潤んできました。

K君のバンドのメンバーは皆立派なドクターとなり僕の店に時々顔を見せにきてくれます、その時うは必ずK君の話題になるのですが 彼をずっと覚えていてあげること、それが一番の供養だと思います。

52才でお亡くなりになった先生、確かにお若くて悲しいですが 多くの教え子の心の中に生き続けていらっしるでしょうね。
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Unknown (かおり)
2011-12-02 14:04:01
シューさん

Kさんはかなり若くして亡くなられたようで、ご家族の悲しみの大きさは相当だったのでしょうね・・・。
そのお手紙、心が痛みます。
でも、きっとどんなふうに息子さんと接していたとしても、「あれもしてやりたかった」「これができていなかった」と思ってしまうんでしょうね。
私は人の親ではないですが、それが親心というものなのかなと、読んでいて思いました。
私の先生も然り。

覚えていてあげること、思い出すこと、
それが何よりの供養になるのかもしれません。

「生」も「死」も考えさせられることの多い今日この頃です。

いつも優しい言葉をありがとうございます
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