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『私は今でも少し飲みすぎるが、
飲むまいと思えば
飲まないでいられるという自信があるために、
自分で自分に気を許して飲んでしまう。
たいていの酒飲みがそうだろう。』
井伏鱒二
===========================================
今日はライター友達と三宮の「なが坂」さんで
美味しいお昼をいただいた。
彼女が前に一度行って、とても気に入ったというお店。
連れて行ってもらえてよかった。
移転したばかりというそのお店は、白木のカウンターが美しく、
こじんまりとしているが、とてもやすらぐ雰囲気で。
お料理もとても美味しかった。
(デジカメを持っていくのを忘れた!!)
昼間だというのに、二人ともお酒を1合ずつ。
私は秋田の「まんさくの花」。
彼女は奈良のお酒を頼んでいた。
私とご飯を食べるようになってから日本酒が好きになったと言ってくれて、
とても嬉しかった。
「そんな人たくさんいるでしょ?」
と言われて、いくつかの顔を思い出し、「そうね」と言う。
いろいろとおいしかったけれど、特にお造りがよかったな。
タコの火の通し方も絶妙だったし、
イカも甘くて美味しかった。
タコやらイカやら、こういうよくある普通の食材が
一番印象に残っているって、やっぱり一味違うということなんだろう。
炊き合わせの大根もしゅんでいて、とても美味しかったし、
八寸は目にも舌にもいろいろと楽しめた。
こちらの特徴は、最後にお寿司が出ること。

↑唯一、携帯で撮った。
夜は1万円くらいするということなのだけど、
お昼は2900円でかなりお値打ち。
このお寿司のおかげでボリューム的にも満足。
一人でやっているお店なので、愛想はいいとは言えないが、
それでも誠実さを感じられるいいお店だった。
その後、カフェでお茶を飲んで帰って来た。
彼女は私が唯一親しくしているライター友達で、年も少し上。
私は基本的に同じ歳か年下との付き合いのほうが多いので、
私の中ではかなり珍しい存在だ。
「同業者」であり、「年上」。
でも、親しくしたいという気持ちがあるので、私はいつもタメ口。
それを彼女がどう思っているのかはわからないが、
なぜか彼女のほうが私に敬語を使うときがある(笑)。
6月に会って以来だったので、話したいこともたくさんあり、
4時間では短かった。
やはり仕事の話が中心になる。
それはいつ話してもとても刺激的だ。
ただ、この半年で私もようやく彼女に話せるような仕事ができはじめたので、
今日は久しぶりに彼女と会った後に卑屈になることがなかった。
卑屈、というのはちょっと違うかな・・・
落ち込む、というのか。
ああ、こういう人こそが本当に「ライター」と言える人で、
私がやっていることなんて、一体何なんだろうかと、
いつも落ち込んで恥ずかしくて仕方がなかった。
だけど、今日は少しだけ胸をはって「こんな仕事をしています」と言えた。
それがちょっと嬉しかった。
ただ、いつものように思うこともある。
これは他にライター友達がいないからなんだろうけど、
「何歳までこの仕事ができるか」とか
「自分より年上の人はどんな仕事をしているか」とか
「これからどんな仕事をしたいか」とか
どうしてもそういった「ライターとしての未来」についてを話すと、
ああ、私は本当にライターをやりたいのかなぁ、と。
ライターとしての自分の未来の姿が浮かばない。
ホームページを見た人から、たまにメールをもらう。
「私もライターになりたいんですけど」という相談。
相談の細かい中身はいろいろだけど、まあ、そういう内容。
いちいち考えてご丁寧にも返事を出すのだけど、
それを書いていると、自分自身を見つめ直す機会にもなる。
「どうしたらライターになれるのか?」と聞かれて、
どうしたらいいのかなぁと悩む。
私が聞きたいくらいだ。
ライター友達の彼女は、企画を出してプレゼンして・・・
ということまでやる。
コピーライター出身だからコピーは抜群だし、
取材記事も書ける。
私はといえば、企画とかはできれば拒否したいし、
コピーは苦手だし、できるのは取材記事くらい。
じゃあ、なんとかやれてるのはなぜなんだろうかと、
その若きライターの卵さんに返事を書いているときに考えていたのは、
「マメだから」。
これしか思いつかなかった
今年はうんと新しい取引先が増えたのだけど、
自分はマメなんだなぁと思うことが多かった。
自分は当たり前だと思ってやっていることなんだけど、
「こんなことまでしてくれるライターさんはいない」
と言われて、やたら重宝される。
それで、「ああ、私って結構マメなんだ」と気付いた。
これがライターを続けていける理由なんだろうなぁと思ったのだが、
そんなことを卵さんにどう話していいかもわからない。
結局のところ、自分が宙ぶらりんだということだ。
今年、いっぱい仕事をさせてもらっている整体の先生は
私の文章をなぜかすごく気に入ってくれている。
それはとてもありがたい。
でも、「もっとあなたらしさを出してほしい」とも言われる。
それを聞くたびに、すっかり技術屋になってしまった自分を感じる。
自分らしい文章が、もう何なのかわからなくて。
ただ、相手が望むように書くこと、それに快感を覚えているだけで。
これが私がなりたかった「ライター」というものなのか?
そして、またいつものこの疑問に戻る。
私は何を書きたかったんだろう?
何になりたかったんだろう?
そういうことをぐるぐる考えていると、
・・・酒が進むんだ(笑)
毎年言ってる気もするけど、
来年は飛躍できるかな?
来年は何か変われるかな?
今は、変わりたいのかどうかも、よくわからない。
ただ、生活のためにはライターとして明日も何かを書き続けなければ、という気持ちがどうしても勝ってしまう。
そう。
明日も、売り物になる何かを書き続けなければ。
ふと、自分が好きだった言葉を思い出す。
「明日のパンは買えなくても、今日、一輪の花を買おう」
明日のパンの心配ばかりして、
花を買えない自分がいる。
===========================================
昨日から、村上春樹の「ダンス ダンス ダンス」を読んでいる。
もう内容はすっかり忘れていた。
再読フェア、どんどんやろう。
村上春樹は多くの人に好かれているけれど、
やはり嫌いな人も世の中にはいるんだろうな(にわかには信じられないけど)。
「ダンス・・・」の中の「僕」は、まさに私がやっているライターみたいなことをしていて、その自分の仕事をこう言う。
「仕方ないからやっているんだ。面白くてやっているわけじゃない」
そして、その仕事のことをこう称する。
「文化的雪かき」
あはは・・・と乾いた笑いがおこる。
文化的雪かきか~。
生活維持のために誰かがやらなければならないこと。
でも、ちょっと文化的。
なるほど。
なんて、感心してみたり。
村上春樹の文章を他の人たちは一体どんな気持ちで読むんだろう。
私は文章をかなり音楽的にとらえる癖がある。
ストーリーよりもリズム。
上手い下手よりも、心地良さ。
好きか嫌いか。
自分の感性に合うか。
物書きのくせに、ものすごくフィーリング重視
でも、文章は音楽みたいなのだ。
村上春樹の文章は、本当に心地良い音楽。
「あなたってどういう風に傷つくのかしら?傷つくとどうなるのかしら?」
「キース・ヘリングのバッジをコートにつけるようになる」
こういうセリフのやりとりも大好き。
===========================================
さて。
夫も帰ってきたので、そろそろこのへんで切り上げよう。
今日はつらつらと書きたい日。
ライターとしての未来の自分は想像ができないくせに、
書くことのない自分もまた、想像できない。
いろんな矛盾がある。
まあ、酔っ払いのたわごとということで……。
『私は今でも少し飲みすぎるが、
飲むまいと思えば
飲まないでいられるという自信があるために、
自分で自分に気を許して飲んでしまう。
たいていの酒飲みがそうだろう。』
井伏鱒二
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今日はライター友達と三宮の「なが坂」さんで
美味しいお昼をいただいた。
彼女が前に一度行って、とても気に入ったというお店。
連れて行ってもらえてよかった。
移転したばかりというそのお店は、白木のカウンターが美しく、
こじんまりとしているが、とてもやすらぐ雰囲気で。
お料理もとても美味しかった。
(デジカメを持っていくのを忘れた!!)
昼間だというのに、二人ともお酒を1合ずつ。
私は秋田の「まんさくの花」。
彼女は奈良のお酒を頼んでいた。
私とご飯を食べるようになってから日本酒が好きになったと言ってくれて、
とても嬉しかった。
「そんな人たくさんいるでしょ?」
と言われて、いくつかの顔を思い出し、「そうね」と言う。
いろいろとおいしかったけれど、特にお造りがよかったな。
タコの火の通し方も絶妙だったし、
イカも甘くて美味しかった。
タコやらイカやら、こういうよくある普通の食材が
一番印象に残っているって、やっぱり一味違うということなんだろう。
炊き合わせの大根もしゅんでいて、とても美味しかったし、
八寸は目にも舌にもいろいろと楽しめた。
こちらの特徴は、最後にお寿司が出ること。

↑唯一、携帯で撮った。
夜は1万円くらいするということなのだけど、
お昼は2900円でかなりお値打ち。
このお寿司のおかげでボリューム的にも満足。
一人でやっているお店なので、愛想はいいとは言えないが、
それでも誠実さを感じられるいいお店だった。
その後、カフェでお茶を飲んで帰って来た。
彼女は私が唯一親しくしているライター友達で、年も少し上。
私は基本的に同じ歳か年下との付き合いのほうが多いので、
私の中ではかなり珍しい存在だ。
「同業者」であり、「年上」。
でも、親しくしたいという気持ちがあるので、私はいつもタメ口。
それを彼女がどう思っているのかはわからないが、
なぜか彼女のほうが私に敬語を使うときがある(笑)。
6月に会って以来だったので、話したいこともたくさんあり、
4時間では短かった。
やはり仕事の話が中心になる。
それはいつ話してもとても刺激的だ。
ただ、この半年で私もようやく彼女に話せるような仕事ができはじめたので、
今日は久しぶりに彼女と会った後に卑屈になることがなかった。
卑屈、というのはちょっと違うかな・・・
落ち込む、というのか。
ああ、こういう人こそが本当に「ライター」と言える人で、
私がやっていることなんて、一体何なんだろうかと、
いつも落ち込んで恥ずかしくて仕方がなかった。
だけど、今日は少しだけ胸をはって「こんな仕事をしています」と言えた。
それがちょっと嬉しかった。
ただ、いつものように思うこともある。
これは他にライター友達がいないからなんだろうけど、
「何歳までこの仕事ができるか」とか
「自分より年上の人はどんな仕事をしているか」とか
「これからどんな仕事をしたいか」とか
どうしてもそういった「ライターとしての未来」についてを話すと、
ああ、私は本当にライターをやりたいのかなぁ、と。
ライターとしての自分の未来の姿が浮かばない。
ホームページを見た人から、たまにメールをもらう。
「私もライターになりたいんですけど」という相談。
相談の細かい中身はいろいろだけど、まあ、そういう内容。
いちいち考えてご丁寧にも返事を出すのだけど、
それを書いていると、自分自身を見つめ直す機会にもなる。
「どうしたらライターになれるのか?」と聞かれて、
どうしたらいいのかなぁと悩む。
私が聞きたいくらいだ。

ライター友達の彼女は、企画を出してプレゼンして・・・
ということまでやる。
コピーライター出身だからコピーは抜群だし、
取材記事も書ける。
私はといえば、企画とかはできれば拒否したいし、
コピーは苦手だし、できるのは取材記事くらい。
じゃあ、なんとかやれてるのはなぜなんだろうかと、
その若きライターの卵さんに返事を書いているときに考えていたのは、
「マメだから」。
これしか思いつかなかった

今年はうんと新しい取引先が増えたのだけど、
自分はマメなんだなぁと思うことが多かった。
自分は当たり前だと思ってやっていることなんだけど、
「こんなことまでしてくれるライターさんはいない」
と言われて、やたら重宝される。
それで、「ああ、私って結構マメなんだ」と気付いた。
これがライターを続けていける理由なんだろうなぁと思ったのだが、
そんなことを卵さんにどう話していいかもわからない。
結局のところ、自分が宙ぶらりんだということだ。
今年、いっぱい仕事をさせてもらっている整体の先生は
私の文章をなぜかすごく気に入ってくれている。
それはとてもありがたい。
でも、「もっとあなたらしさを出してほしい」とも言われる。
それを聞くたびに、すっかり技術屋になってしまった自分を感じる。
自分らしい文章が、もう何なのかわからなくて。
ただ、相手が望むように書くこと、それに快感を覚えているだけで。
これが私がなりたかった「ライター」というものなのか?
そして、またいつものこの疑問に戻る。
私は何を書きたかったんだろう?
何になりたかったんだろう?
そういうことをぐるぐる考えていると、
・・・酒が進むんだ(笑)

毎年言ってる気もするけど、
来年は飛躍できるかな?
来年は何か変われるかな?
今は、変わりたいのかどうかも、よくわからない。
ただ、生活のためにはライターとして明日も何かを書き続けなければ、という気持ちがどうしても勝ってしまう。
そう。
明日も、売り物になる何かを書き続けなければ。
ふと、自分が好きだった言葉を思い出す。
「明日のパンは買えなくても、今日、一輪の花を買おう」
明日のパンの心配ばかりして、
花を買えない自分がいる。
===========================================
昨日から、村上春樹の「ダンス ダンス ダンス」を読んでいる。
もう内容はすっかり忘れていた。
再読フェア、どんどんやろう。
村上春樹は多くの人に好かれているけれど、
やはり嫌いな人も世の中にはいるんだろうな(にわかには信じられないけど)。
「ダンス・・・」の中の「僕」は、まさに私がやっているライターみたいなことをしていて、その自分の仕事をこう言う。
「仕方ないからやっているんだ。面白くてやっているわけじゃない」
そして、その仕事のことをこう称する。
「文化的雪かき」
あはは・・・と乾いた笑いがおこる。
文化的雪かきか~。
生活維持のために誰かがやらなければならないこと。
でも、ちょっと文化的。
なるほど。
なんて、感心してみたり。
村上春樹の文章を他の人たちは一体どんな気持ちで読むんだろう。
私は文章をかなり音楽的にとらえる癖がある。
ストーリーよりもリズム。
上手い下手よりも、心地良さ。
好きか嫌いか。
自分の感性に合うか。
物書きのくせに、ものすごくフィーリング重視

でも、文章は音楽みたいなのだ。
村上春樹の文章は、本当に心地良い音楽。
「あなたってどういう風に傷つくのかしら?傷つくとどうなるのかしら?」
「キース・ヘリングのバッジをコートにつけるようになる」
こういうセリフのやりとりも大好き。
===========================================
さて。
夫も帰ってきたので、そろそろこのへんで切り上げよう。
今日はつらつらと書きたい日。
ライターとしての未来の自分は想像ができないくせに、
書くことのない自分もまた、想像できない。
いろんな矛盾がある。
まあ、酔っ払いのたわごとということで……。