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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

文化的雪かき

2008-12-17 00:29:44 | 友達
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『私は今でも少し飲みすぎるが、
 飲むまいと思えば
 飲まないでいられるという自信があるために、
 自分で自分に気を許して飲んでしまう。
 たいていの酒飲みがそうだろう。』

             井伏鱒二

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今日はライター友達と三宮の「なが坂」さんで
美味しいお昼をいただいた。

彼女が前に一度行って、とても気に入ったというお店。
連れて行ってもらえてよかった。

移転したばかりというそのお店は、白木のカウンターが美しく、
こじんまりとしているが、とてもやすらぐ雰囲気で。
お料理もとても美味しかった。
(デジカメを持っていくのを忘れた!!)

昼間だというのに、二人ともお酒を1合ずつ。
私は秋田の「まんさくの花」。
彼女は奈良のお酒を頼んでいた。
私とご飯を食べるようになってから日本酒が好きになったと言ってくれて、
とても嬉しかった。
「そんな人たくさんいるでしょ?」
と言われて、いくつかの顔を思い出し、「そうね」と言う。

いろいろとおいしかったけれど、特にお造りがよかったな。
タコの火の通し方も絶妙だったし、
イカも甘くて美味しかった。
タコやらイカやら、こういうよくある普通の食材が
一番印象に残っているって、やっぱり一味違うということなんだろう。

炊き合わせの大根もしゅんでいて、とても美味しかったし、
八寸は目にも舌にもいろいろと楽しめた。

こちらの特徴は、最後にお寿司が出ること。

↑唯一、携帯で撮った。

夜は1万円くらいするということなのだけど、
お昼は2900円でかなりお値打ち。
このお寿司のおかげでボリューム的にも満足。

一人でやっているお店なので、愛想はいいとは言えないが、
それでも誠実さを感じられるいいお店だった。

その後、カフェでお茶を飲んで帰って来た。

彼女は私が唯一親しくしているライター友達で、年も少し上。
私は基本的に同じ歳か年下との付き合いのほうが多いので、
私の中ではかなり珍しい存在だ。
「同業者」であり、「年上」。
でも、親しくしたいという気持ちがあるので、私はいつもタメ口。
それを彼女がどう思っているのかはわからないが、
なぜか彼女のほうが私に敬語を使うときがある(笑)。

6月に会って以来だったので、話したいこともたくさんあり、
4時間では短かった。

やはり仕事の話が中心になる。
それはいつ話してもとても刺激的だ。
ただ、この半年で私もようやく彼女に話せるような仕事ができはじめたので、
今日は久しぶりに彼女と会った後に卑屈になることがなかった。

卑屈、というのはちょっと違うかな・・・
落ち込む、というのか。

ああ、こういう人こそが本当に「ライター」と言える人で、
私がやっていることなんて、一体何なんだろうかと、
いつも落ち込んで恥ずかしくて仕方がなかった。
だけど、今日は少しだけ胸をはって「こんな仕事をしています」と言えた。
それがちょっと嬉しかった。

ただ、いつものように思うこともある。
これは他にライター友達がいないからなんだろうけど、
「何歳までこの仕事ができるか」とか
「自分より年上の人はどんな仕事をしているか」とか
「これからどんな仕事をしたいか」とか
どうしてもそういった「ライターとしての未来」についてを話すと、
ああ、私は本当にライターをやりたいのかなぁ、と。

ライターとしての自分の未来の姿が浮かばない。

ホームページを見た人から、たまにメールをもらう。
「私もライターになりたいんですけど」という相談。
相談の細かい中身はいろいろだけど、まあ、そういう内容。

いちいち考えてご丁寧にも返事を出すのだけど、
それを書いていると、自分自身を見つめ直す機会にもなる。

「どうしたらライターになれるのか?」と聞かれて、
どうしたらいいのかなぁと悩む。
私が聞きたいくらいだ。

ライター友達の彼女は、企画を出してプレゼンして・・・
ということまでやる。
コピーライター出身だからコピーは抜群だし、
取材記事も書ける。

私はといえば、企画とかはできれば拒否したいし、
コピーは苦手だし、できるのは取材記事くらい。
じゃあ、なんとかやれてるのはなぜなんだろうかと、
その若きライターの卵さんに返事を書いているときに考えていたのは、

「マメだから」。

これしか思いつかなかった

今年はうんと新しい取引先が増えたのだけど、
自分はマメなんだなぁと思うことが多かった。
自分は当たり前だと思ってやっていることなんだけど、
「こんなことまでしてくれるライターさんはいない」
と言われて、やたら重宝される。
それで、「ああ、私って結構マメなんだ」と気付いた。
これがライターを続けていける理由なんだろうなぁと思ったのだが、
そんなことを卵さんにどう話していいかもわからない。

結局のところ、自分が宙ぶらりんだということだ。

今年、いっぱい仕事をさせてもらっている整体の先生は
私の文章をなぜかすごく気に入ってくれている。
それはとてもありがたい。
でも、「もっとあなたらしさを出してほしい」とも言われる。
それを聞くたびに、すっかり技術屋になってしまった自分を感じる。
自分らしい文章が、もう何なのかわからなくて。
ただ、相手が望むように書くこと、それに快感を覚えているだけで。

これが私がなりたかった「ライター」というものなのか?

そして、またいつものこの疑問に戻る。

私は何を書きたかったんだろう?
何になりたかったんだろう?

そういうことをぐるぐる考えていると、
・・・酒が進むんだ(笑)

毎年言ってる気もするけど、
来年は飛躍できるかな?
来年は何か変われるかな?

今は、変わりたいのかどうかも、よくわからない。
ただ、生活のためにはライターとして明日も何かを書き続けなければ、という気持ちがどうしても勝ってしまう。
そう。
明日も、売り物になる何かを書き続けなければ。

ふと、自分が好きだった言葉を思い出す。
「明日のパンは買えなくても、今日、一輪の花を買おう」

明日のパンの心配ばかりして、
花を買えない自分がいる。

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昨日から、村上春樹の「ダンス ダンス ダンス」を読んでいる。
もう内容はすっかり忘れていた。
再読フェア、どんどんやろう。

村上春樹は多くの人に好かれているけれど、
やはり嫌いな人も世の中にはいるんだろうな(にわかには信じられないけど)。

「ダンス・・・」の中の「僕」は、まさに私がやっているライターみたいなことをしていて、その自分の仕事をこう言う。

「仕方ないからやっているんだ。面白くてやっているわけじゃない」

そして、その仕事のことをこう称する。

「文化的雪かき」

あはは・・・と乾いた笑いがおこる。
文化的雪かきか~。
生活維持のために誰かがやらなければならないこと。
でも、ちょっと文化的。
なるほど。

なんて、感心してみたり。

村上春樹の文章を他の人たちは一体どんな気持ちで読むんだろう。
私は文章をかなり音楽的にとらえる癖がある。
ストーリーよりもリズム。
上手い下手よりも、心地良さ。
好きか嫌いか。
自分の感性に合うか。

物書きのくせに、ものすごくフィーリング重視

でも、文章は音楽みたいなのだ。
村上春樹の文章は、本当に心地良い音楽。

「あなたってどういう風に傷つくのかしら?傷つくとどうなるのかしら?」
「キース・ヘリングのバッジをコートにつけるようになる」

こういうセリフのやりとりも大好き。

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さて。
夫も帰ってきたので、そろそろこのへんで切り上げよう。

今日はつらつらと書きたい日。
ライターとしての未来の自分は想像ができないくせに、
書くことのない自分もまた、想像できない。

いろんな矛盾がある。
まあ、酔っ払いのたわごとということで……。


四半世紀の友

2008-09-06 03:05:49 | 友達
昨日は久しぶりにこうちゃんと飲みに行った。
5月以来。

1軒目でビール2杯と日本酒2杯飲んで、
2軒目はいつものバーでビール1杯とウイスキー2杯。

最近、会っていろんな話をしていると、
たいてい途中で一度はこうちゃんが涙ぐむ。

いや、そんな、涙ぐむような話でもないんだけどね。

歳をとったんだなぁと思うのと同時に、
こういう人だから、ずっと友達なんだなぁと思う。
彼女の不器用さと優しさと繊細さが好きで。
それで、もう四半世紀以上も友達でいる。
そして、たぶん、死ぬまでずっと一緒にいる。

「友達」と呼べるのは、やっぱりこういう人。
小学校、中学校、もしくは高校からずっと一緒に生きてきて、
お互いの嫌なところも間違いも全部知っていて、
本当に辛いときに一緒に泣いてくれて、
そして、いつ会っても楽しい。

いろんなことがあるのはわかってるけど、
それを露呈するようなことはしない。
酒に酔ったときに、ほろりと口にする。
その断片を繋ぎ合わせて、状況を把握する。

だけど、何かあったら、
飛んでいけるという確かな想いがある。
そういう友達だ。

まあ、私が「友達」と呼べる人とは
全員こういう関係だけれど。
相手がどうであれ、少なくとも私はそうだ。

毎日忙しくても、仕事の合間にこうやって友達と会うと、
いつも気分がよくなる。
一人で飲んでも美味しいけど、
やっぱり気の合う人と飲む酒は最高だしね。

最近の美味しいもの事情

2008-08-25 13:24:24 | 友達
腰も完治に近づいてきたが、今週は仕事もほとんどやらずに安静に過ごそうと思う。
ずっと憂鬱でお酒もあまり飲む気になれなかったのだが、先週から元気いっぱい。

木曜は中野と祇園の「和ごころ 勝」へ。
ここは前にランチを食べてすごくよかったので、夜行ってみた。
変わらず、雰囲気もよくて美味しかったが、
4200円のランチと6300円のディナーを比べると、
ランチのほうが満足感が高かったなぁ。
夜にあのランチの満足感を得ようと思えば、1万円コースか……。
しかし、とりあえず美味しく楽しく過ごせたのでよかった。

土曜は、あやとふみこと南方の「ちろり」へ。
ここも以前、ゆうちゃんたちと行ってよかったお店だ。
いろいろ候補店を挙げたところ、二人がここを気に入ったようだったので、予約した。

酒飲みには嬉しいお店で、酒に合う一品料理がいっぱいある。
ふみこがあまり夜は出られないので、滅多に3人で夜に集まることはない。
それで、気も大きくなっていて、高いノドグロの塩焼きも「頼んじゃえ~!」ってなノリだ。

ここは前も思ったけど、料理の1品1品のレベルが高いな。
ノドグロうまかった。
白金豚のソーセージもうまかった。
鯖のスモークもうまかった。

そして、酒の充実度も高い。
仕事の話や、家庭の話や、いろいろ盛り上がっているうちに、どんどん酒が進んでしまった。

2軒目のバーで、私はダウン。
JRの最終になんとか間に合って帰宅した。

家に帰ると、風邪気味で寝ている夫が……。
私は「なんで迎えに来てくれへんのー!!
と暴れまくったらしい。(翌朝、夫談

いやだねぇ、酔っ払いは。

でも、美味しい料理と、美味しいお酒はやっぱりやめられない。
これに、気の合う仲間がいると本当に最高で。

風邪気味の夫は「いいなー」としょんぼりしていた。
キッチンを見ると、キャベツの切れ端があって、どうやらキャベツとお肉を焼いて食べたらしい。
一人焼肉か……。かわいそうに……。
風邪ひいてるのに仕事して、酔っ払いのヨメに暴れられて、お気の毒に。
(ちょびっとだけ怒られた。)

夫は、この3年くらいの間に、かなりグルメになった。
美味しいものへの情熱と食い意地がものすごくて、私とも張り合うほど。
祇園で、先斗町で、北新地でと、美味しい料理や酒に舌鼓。
彼はまだ20代半ばなのに、若くしていいもん食ってるよなぁ……とよく思う。
出会った頃は大衆居酒屋で十分の人だったのに……。

今も、もちろんそれはそれで楽しめるが、贅沢も覚えたようだ。
この「どちらも楽しめる」、というのはいい。
何事も経験だよなぁ。

また、どんな世界でも、一流を知るって、大事なことだと思う。
リッツ・カールトンのフレンチは、やっぱり「それだけのもの」があった。
料理だけでなく、一流のホテルマンとは、一流のビジネスとは、ということをいろいろ見て学べた。
昔は、毎月コツコツと数千円ずつ積み立てて、一年に一度だけこういう贅沢をしていたのだ。(あー、久々にリッツのバーに行きたい)

この間みたいに、旅行とは関係なく、一流ホテルに泊まるのも大好き。
でも、いつもじゃない。
例えばこの間の山梨旅行では、一人4900円(朝食付き)のビジネスホテルに泊まったりもしている。
大学時代は旅といえば、ユースホステルばっかりだったし。
ひどいときはお金がなくてユースも泊まれず、サウナやライダーハウス(500円)を泊まり歩いたり……。

超ビンボー旅行も経験したし、一流ホテルも経験した。
経験ってのは財産だなぁといつも思う。
どちらも人に語れるような面白いことがいっぱいあったから。
とりあえず、チャンスがあったらこれからも両方やりたいな。

食べるものも同じく、いつも贅沢にご飯を食べていたらお金がもたない。
新梅田食堂街の1本100円の串カツとビールをオッサンに紛れて立ち飲みで……というのも大好きだ。
極端だけど、どっちも美味しいし面白い。金額と比例する。

とりあえず、健康が戻ってきたので、またバリバリ働きたい。
働かないと、美味しいものを食べるお金もないし……。
そして、やっぱり健康はいいなぁ。
健康だからこそ、いろんなことが楽しめる。そのことを実感。

感謝、感謝。

久しぶりにおもてなし

2008-03-26 22:08:32 | 友達
昨日はちょっと用事があって、いわさきっちとゆうちゃんと会っていた。
いわさきっちに注文していたケーキ「ケーク ア ロランジュ」は私のお気に入り。オレンジとコアントローが香るパウンドケーキだ。
多少、お酒っぽいのがいいのかもしれないけど、私も彼も大好き。

どんなのか気になる人はこちらへ↓
http://blog.goo.ne.jp/nori-i0910/

私も久しぶりに二人に手料理を食べてもらった。
いわさきっちはうちに来たのが、ほぼ1年ぶりだ。

メニューは、
・アスパラガスの白和え
・菜の花と湯葉の煮浸し
・さつまいもの鶏ひき肉あんかけ
・かぶと厚揚げの煮物
・エビとブロッコリーのマヨ炒め
・里芋の含め煮
・春のお茶碗ちらし寿司(塩鮭)
で、今回のテーマは「小料理屋風」。
二人とは割と食の好みが合うので作りやすい。
前回もてなしたときとメニューがかぶらないようにするのが大変だけど。
(今回は1品もかぶってないはず!)


菜の花は近所の農家の人がやっている安売りの店で買った。
普通のスーパーで売ってる量の5、6倍でたったの100円!
かぶも小さめのが7つくらいで葉もたくさんついていて、50円!
安~い!

↓ゆうちゃんは菜の花と湯葉の煮浸しが気に入ったようで、おかわりしてくれた。

嬉しいねぇ・・・
あっさりと出汁、醤油、味醂で仕上げたので、菜の花の苦味と湯葉の食感がいい感じだ。
自分で言うのもなんだけど、料亭の味だね~(笑)
ちなみに、ゆうちゃんは里芋も気に入ってパクパク食べていた。

↓いわさきっちはかぶの煮物が美味しかったらしく、出汁まで飲み干していた。
これも嬉しいねぇ・・・


↓アスパラの白和えも自分ではなかなか美味しくできたと思う。


↓春のお茶碗ちらし寿司はこちら。

卵の黄色と、塩鮭のピンク、ネギの緑がきれい。
寿司飯は、大葉、しょうが、ゴマを混ぜてある。

久しぶりに腕をふるって、私自身も大満足だった。
人をもてなすのって本当に好きだ。
人が美味しい顔をしているのを見ていると幸せ

そして、デザートにいわさきっちが作ってくれたクレーム・ブリュレが出たのだが、これがまた最高!!

簡易のガスバーナーを持ってきてくれて、食べる直前に上の砂糖をパリパリに焼いてくれた。プロだねぇ、やっぱり!
(あまり使い慣れないガスバーナーだったため、若干焼き加減が……という点を差し引いても)

フリーで仕事をする3人。
夕方5時頃からこんな宴会を始めた時、
「今日が平日だなんて!」と言ったゆうちゃん。

ホント、これがフリーの醍醐味なんだよなぁ。
美味しい1日だった。


個人的な連絡[けいこさんへ]

2008-02-12 23:48:14 | 友達
けいこさん。
メールをくださったのに、返信したらエラーが出て返って来ます。
原因不明・・・

仕事用のアドレスからも送ってみたけれど、着いていますか?
連絡の取りようがなかったので、とりあえずここに書いています。

もし、これを見られたら、コメントくださいね。

エネルギーと表現力のバランス

2007-12-29 14:32:43 | 友達
ただ先に流れていくだけの時間が、ふっと逆戻りするような、
そんな感覚になることがある。

高校時代の自分。

沸々と湧き上がるエネルギーをいつももてあましていた。
未熟で、敏感で、反骨精神たっぷりで。
家族との確執と、その中での孤独。
皆と同じような価値観をもちたいのに、もてないジレンマ。
真面目でエリートコースに乗っかっていくだけの同級生たちに、
自分自身を重ね、
それを否定する気持ちと、
どっちにしろそこから逃れきれない自分の弱さとを抱え、
何か、やりきれなかった。

いつも叫びたい気持ちだった。
「なあ、本当にそれでいいのか?」と。

その気持ちが呼応し合ったゆうちゃんと、よく授業を抜け出したっけ。

「廊下の窓から出てたよね」
と、昨日、同級生のK君に言われ、少し恥ずかしかった。
廊下の窓から飛び出して、校舎の屋根の上で授業をサボっていたことを指摘されたのだ。
あの学校では、そんなことする人(それも女で)はいなかったからなぁ。
一気に未熟ではちきれそうなエネルギーだけもてあましていた高校生の私が蘇ってきた。

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不思議な縁で、昨日は高校3年生のときの同級生が5人集まったのだ。
私とゆうちゃんといわさきっち。
それから、O君とK君。
プチ同窓会。

彼らに会ったのは本当に久しぶり。
15年は経ってるだろうか。
二人とも、同級生の多くが進んだ「一流大学卒」⇒「大手企業就職」といういわゆるエリートコースを歩んでいる。
対して、私たち3人は、みんな「フリー」で。

私は会社勤めもできない欠落者のため、最初から物書きだし、
いわさきっちは会社を辞めてお菓子の道へまっしぐらだし、
ゆうちゃんは英文科なんて出てるくせにデザインの仕事をして、
つい先日、独立(フリー)になった。
これで3人揃ってフリーだな、いつでも平日に遊べるな、と笑い合って。

O君とK君が社章をつけたスーツでネクタイを締めて現れたとき、
おおー、みんなやっぱりいい暮らししてるんだなぁとしみじみ思った。
もちろん、自分の選んだ道に後悔はないけどね。
ただ、感情として、「なるほどなぁ」と。

昔話や、他のクラスメイトの「現在」や、懐かしい先生の話。
彼らの仕事の話など、話題は尽きなく、楽しい時間を過ごした。
私の顔を見て「変わらんなぁ」とO君。
嬉しいような、嬉しくないようなコメントだ。
「ふけたな」と言われるよりはマシだと思おう……。

最初はおとなしい口調で話していたら、K君には「しゃべり方変わった」と言われた。
でも、お酒が入って普通にガンガンしゃべり出したら、「やっぱり同じ。戻った」と言われた。
この「勢い」がダメなのかなぁ。もう少し優しく話せるようになりたいと、いつも思っているのだけれど。。。

二人と話していると、大きな会社に勤めて、それなりのポストと報酬をもらって、
それは、とても素敵なことに思えたが、
話を聞いていると、二人とも体や精神を弱らせるほど大変なことやプレッシャーなどもあるようで。
どんな仕事だって、どんな会社だって、ちゃんとやろうと思ったら、楽しいだけじゃないんだなぁと思った。
それが、大人。

彼らと比べると、やっぱり大人にはなりきれていない自分を感じる。

お料理もお酒も美味しくいただき、楽しくおしゃべりした「プチ同窓会」は終わり、梅田で別れた。
私がびりけんにローストビーフを取りに行くというと、K君が「タクシーチケットあるから、送る」と言う。
辞退したが、心から言ってくれているようだったので、それじゃあ、と、一緒にびりけんへ。

11時を過ぎていたから、お店にはもうお客さんはいなくて、マスターだけだった。
「1杯飲んでいくか?」と言われ、K君も座ったので、1杯だけ飲むことに。
どうせタクシーなので、終電も関係なし。

高校生のとき、十数年後にびりけんでK君と二人、お酒を飲んでいるなんて、想像もしなかったなぁ。
高校時代、1年と3年と同じクラスだったのに、しゃべったこともほとんどなかった。
高校時代の私の印象を尋ねると「理屈っぽい気がした」「自由な気がした」とのこと。
両方当たってるかな……。
たぶん、あまり関わりたくない「ややこしそうな女」だったんだろうと思う。
自己中心的で、自己顕示欲が強くて、いつも世の中をナナメから見ていて、口が達者で、なんかコワイ。
もう少しはっきり言えば、そんな印象だったのではないかと思う。
みんなが思ってるほどは、悪いヤツじゃないんだけどね。
まあ、エネルギーをもちすぎてる割に、未熟すぎたということだ。
表現力がなかったのだ、私は。
非常にバランスの悪い人間だし。
だから、「書く」ことにしがみついてるのかもしれないな、ずっと。
「書く」ことでバランスがとれる。

K君は、O君の話によれば、かなり良いお家柄で土地もいっぱい持っている名家とのこと。
初めて知った。
だけど、それでなんか納得した。
「おとなしい」んじゃなく、「品がいい」んだ、この人は。

少し、仕事のことで行き詰ってるようだったので、マスターに見てもらった。
お客さんも他にいなかったし、「カード」をやってもらった。
占いじゃない。マスターは「ヒーラー」なのだ。
(別にお金もとらないし、怪しくない。)

私も、過去のことを「許す」ことで、来年は仕事もやりたいことが波に乗るようだったし、今の状況をよく表してくれるような答えをもらった。
K君も、いろいろ言われ、全部思い当たる節があったようで、
「すごい!マスター、なんでわかるんですか?」と驚いていた。
これが、何か改善のきっかけになればいいのだけれど……。

1杯だけ飲んで、ローストビーフを買って、店を出た。
タクシーに乗り込み、家の近くまで送ってもらった。
昔話に加え、文学や音楽の話などもして。
なんか、すごくいい人だった。

家に着くと、1時半をまわっていたにも関わらず、夫はまだ帰宅していない。
今日で仕事納めだから、またギリギリまでやっていたのだろう。
やってもやっても終わらない仕事。
真っ暗な家の中で、一人、ちょっとため息。

その瞬間、高校時代の自分が消えて、また時間が流れ出した。

豪華忘年会

2007-12-17 13:39:57 | 友達
土曜日は、もうすっかり年末行事として定着した、あやとふみこと3人での忘年会。今年で4年目だ。
今回は、芦屋の会席料理。
3人とも行ったことはなかったのだけど、かなり美味しいと定評があったのでそこに決定した。

ちょっと仕事のブログでこのお店のことを書きたいので、ここではざっと触れるだけにしておくが、味もボリュームも雰囲気も期待を上回り、満足度の高い店だった。

普通のマンションの2階の1室といった、こじんまりとした空間に、明るく清潔なカウンター5席。それと、テーブル席が2つほど。
店主はまだ若く、創造力とやる気に満ち溢れている。
そういうことが、入った瞬間に伝わってくるお店だ。

例えば居酒屋でもそうだけど、付き出しの旨い店は間違いない。
だから、先付の帆立と菜の花だけで、料理に期待ができた。
喉が渇いていたから最初はビールを頼んだものの、やはり日本酒にすべきだったと後悔。さっさと飲み干してお酒を注文した。

どれも上品で、基礎のしっかりした味。
そこに店主の創作力と美意識が生かされている。
また、器が見ていて楽しい。
こちらのお店の特長は、3人なら3人ともが全く違う器に盛り付けられて出されること。お料理は同じなのに。
形の違う器に盛るだけで、一見したところ違う料理のように見える。
「器は料理の着物」という魯山人の言葉を実感。
器を「愛でる」、料理を「目で楽しむ」という喜びを感じられ、自分の中の「幸せメーター」がどんどん上がってくるのを感じた。

一番びっくりしたのは、八寸。
普通は、お造りが出てくるのだけれど、ここの演出はちょっと違った。
3人でカウンターに座っていたのだが、その3人分のお料理が1メートルくらいの大きな漆塗りの木の器に盛られて出てきたのだ!
3人とも「わーーー!!」と声を上げる。
この器は、店主が考えて自分で作ったものらしい。

一人分だけ写真見ますか?
これです↓


なんとまあ、美しいこと!!
食べるのがもったいなかった。
日本料理というのは本当に世界でも稀に見る芸術的要素の高い料理だと思う。
3人とも、どれから食べよう・・・と箸をつけるのをしばし悩む。
(最後はきれいになくなったけど

満足度は高かったが、あえて苦言を呈するなら、
お造りの素材とレベルにもう一工夫ほしかったかなぁ。
これだけの技術を駆使して、あの値段を維持しようと思えば、こういう素材を使うしかないのだろうが、せっかくここまで「見せて」くれるだけに、もったいない気がした。
「え?こんなお魚をお造りで食べられるの?!」とか、素材は同じでも「うわ~、このイカなに?めっちゃおいしい!」というような驚きがもう1つあればよかったのになぁ。惜しい。
鯛や甘エビ、マグロ、イカなどでは、少し淋しかったし、やっぱりお造りを食べたときというのは、あまりのうまさに恍惚としたい。
まあ、そういうありきたりの素材をこれだけ楽しませるということが狙いなのだとしたら、それは成功しているけれど。
(あえて。あくまでもあえて苦言を呈しています。かなり良かっただけに、本当に惜しいと感じた1点だったので)

他にも、甘鯛や牡蠣、鰆、堀川牛蒡などの素材もお碗や揚げ物、焼物、煮物で楽しみ、ご飯、デザートまで堪能。
特に、ご飯はブリのあんかけで、これがまた旨かった。
「あんかけご飯」とは思いつかなかったなぁ。
あの味は、是非とも家で再現しようと思う。
美味しいものを食べるたびに、「あー、彼にも食べさせてあげたい!」と思った。
今度連れてきてあげよう。

食前酒、先付、碗物、八寸、焼き肴、炊き合わせ、揚げ物、ご飯と香の物、デザート2品、紅茶で、6500円。
芦屋という場所、これだけの満足度でこの金額はかなりお値打ち。

店主も気さくな方で、話してみるとどうやら私たちと同じ年だということが判明。
料理人として独立して店を構えるには若いのに、よくやっている。
若いからこその感性も非常にお料理や器に生かされていたし、その美意識はかなりのものだった。
お酒も「神亀」や「諏訪泉」「奥播磨」など、基本は押えたラインナップだったし。

3人とも大満足で店を出て、テンション高いまま、あやの家になだれ込んだ。
あやのダンナさんが泊まりでいないということで、私たちは泊めてもらうことになっていたからだ。

入るとすぐ、大きなクリスマスツリーが目に付く。
ベルギーにいたときに買ったものらしく、日本のものとは全然違った美しさ。
うちもこんなツリーだったらいいのになぁ。

暖かい床暖房の部屋で、ウイスキーやビールを飲みながらしゃべった。
話というのは尽きないもので……。

朝が来た。

帰りに、せっかく芦屋まで来たのだからと、パン屋めぐりをして帰る。
1店は前日に行ったところで、こちらはまあ、普通の街のパン屋さんという感じだった。
あとの2店はなかなかこだわりをもっていた。

今回一番行きたかったお店は、すごく店構えも可愛く、パンも美味しそうに見え、かなり興奮してたくさん買い込んだ。
帰って少し食べてみたが……。
期待が大きかっただけに、がっくり。
いや、美味しくないことはない。もちろん。
酵母などにこだわってるようだったし、マスタードを使ったパンがあったりして、オリジナリティーもある。
ワインやビールと合わせて食べる、大人のパンというのがテーマらしい。
確かにそういう意味ではいいのかもとも思ったが、とにかく値が張る。
クロワッサン1つ230円!!
食べて、「この味でこの値段設定はあかんやろ・・・」と思った。
美味しいことは美味しいのだが、人を感動させるものがない。
ということは、「普通に美味しいパン」ということで、普通以上の値段はつけてはいけないのだ。
マスタードやチーズ、スパイスのパンなどを、少しずつ切って焼き、ワインやビールと一緒に楽しむというのはいいかもしれないが、私の求めているパンではなかった。残念。
もう1つ。これは基本だけど、もしこれだけ高級志向のパンを作るのであれば、売り方も考えてほしい。
パンは乾燥したら終わりだ。
ショーケースに入れてほしかったなぁ。
(批判が多くなってしまったので、あえて店名は伏せておく)

もう1店「ベッカライ・ビオブロート」はかなりよかった。
ショーケースに入っている、対面式というだけで、最低限の期待はできる。
ちょうどお客さんが少なかったので、初めてということもあり、ほぼ全てのパンを試食させてくれたのがすごかった。

私はハード系のパンが好きなので、あまり食パンなどは買わないのだが、こちらの山食を試食して、久しぶりにガツンとやられた。
食パンなんてどこにでもあるもの。
だからこそ、これだけの味に出会うと感動する。
最初にこれを試食したものだから、その後のパンはよく味がわからないくらいだった。自然に無口になる。

山食は焼き立てだったのもラッキー!
他にも何点か買って出たが、我慢できなくなって歩きながらちぎって少し食べた。
パンはやっぱり焼きたてに限る!
この甘み、もっちり感、ああ、ついに理想の食パンに出会ったという感じだ。
またあやに買ってきてもらおう!!

今年も美味しくて楽しくて、盛りだくさんだった忘年会。
大量のパンを抱えて家路についた。

来年も変わらず仲良くできますように……



流れに抗わず……

2007-12-16 18:48:25 | 友達
金曜日、ライター友達のみつながさんに「ご飯に行きましょう」と誘われた。
いつものように夜の飲み会かと思ったら、京都でランチ。
その後、彼女が以前取材したレギーナさんという外国人の陶芸作家さんの個展があるので、それを見に行こうという素敵なプラン!

烏丸御池で待ち合わせて、まずは「光泉洞 寿み」さんへ。
こちらも彼女が10月に取材したばかりのお店で、仕上がりの冊子を渡したいという目的もあって決定した。
普通のおばんざいで作った定食のようなものが食べられるとのこと。
私は初めてのお店だったのだが、みつながさんが言うには、私が喜びそうなお庭があるらしい。楽しみにして向かった。

町家の素朴な雰囲気の佇まいで、中は畳敷き。
お庭の見える窓際に座ると、そこには鳥獣戯画を模した焼き物のウサギとカエルが!



これかぁ、私が喜びそうなものって。
信楽焼らしい、そのウサギやカエルは、とても表情豊かでかわいかった。
何よりこういう演出がニクいじゃないか!



ご飯はというと、本当に普通の家庭の食卓に並びそうなおばんざい。
とても美味しくいただいた。
生麩も2本つけてもらったのだが、これがすごく美味しかった。

そこで予定より長話をした後は、ほんの5分ほど歩いたら私のハマッてしまったタルト専門店があるので、そこでタルトと紅茶でほっこり。
お土産にタルトやフィエテなど4個を購入。

そして、店を出てタクシーをつかまえ、銀閣寺のそばにあるギャラリーへと向かった。
個展はとても素晴らしかった。
私は純日本風の陶器しか見ないため、最初は多少戸惑った。
説明されなくても、一目で外国人の作家さんが創られたんだろうなぁと思うような作風で。
だけど、目新しい分、見れば見るほど面白く、なかなか飽きることがなかった。

茶道の濃茶で使う茶入れを模したような作品があり、「茶道が好きなのかな?」と思いながら見ていたら、やはりそれは「茶入れ」のつもりで創ったのだという。
ただ、お菓子を入れたり、蓋を取って花器にしたりと、いろいろに使ってほしいとのこと。

今回、もしどうしてもほしいものがあったら1万円以内なら買おうと思っていた。
その茶入れを模した作品で少し小さめのものが1万円くらいであり、買うならこれだなぁと思っていたら、なんと売約済み!
他にも素敵なものはいろいろとあった。
深い緑のような青のような、宇宙的な色をしたお茶碗や、練上のような技法で模様を作った陶板、葉や鳥の絵が入ったガラスなど。
だけど、どれも予算オーバー。
普段ならせっかく個展に来たのだからと1つくらいは買うところなのだが、貧乏な今日この頃……、断念した。

そんな私とは真逆に、みつながさんは4品も購入。
ああ、羨ましい・・・。

作家のレギーナさんは、とても笑顔が素敵な方。
作風にはその繊細さと好奇心の強さと自由な感覚があふれていた。

ギャラリーを出たあとは、近くにある「ユキ・パレス・コレクション」へ。
こちらもみつながさんが取材されたお店で、いろいろなアンティークを扱っている。
器やアクセサリーはもちろんのこと、2階にあるアンティークレースや刺繍が素晴らしかった。
子供の頃から私は母親の影響で刺繍が好きで。
自分でするのはもちろんだが、刺繍の本を見ていることがまず好きだった。
(家にいっぱいあったから)

こちらのお店にある刺繍の作品を見ていたら、子供のときに見ていたのと同じような懐かしい図案がいくつもある!
もし知ってる人がいたら教えてほしいのだが、今の幼稚園ってどうなんだろう。
私が幼稚園のときは「スモック」を着ることになっていて、そのスモックには他の子と区別するためにか刺繍をすること、と決まっていた。

今でもはっきり覚えているけれど、私は素朴なデイジーの刺繍をしてもらった。
今になって思えば、あれはかなり「母らしい」選択だったと思う。
いかにも母が好きな感じの図案だ。
およそ子供にはふさわしくない。
そう、他の子供に比べてその刺繍は美しかったけれど、非常に地味だった。
お友達はみんな動物やキャラクター的なもの、お花にしたって幼稚園の子供らしいかわいらしいものを刺繍してもらっているのに、私は地味なデイジー。
だから、強烈に印象に残っているのかもしれない。

あの頃、こういうことって義務付けられていたけれど、今ってどうなんだろう?
お母さんたちは刺繍とかできるのかなぁ。
私の親世代っていうのは、みんな裁縫・料理って普通にできた(と思う)けど……。

話がそれたが、アンティークの刺繍を見てそんなことを思い出していた。
レース編みも見事!
私は一時期、レース編みもハマッてしまい、せっせと編んでいた時代があった。
本気で冬の間中、雪で外に出られずに家の中で女たちがレース編みをするようなヨーロッパの文化に憧れたりもした。

また、いくら見ていても飽きないのが、ボタン!
ロイヤルコペンハーゲンの白磁のアンティークボタンなどあるのだ。
色や形など、どれも素晴らしい。
これが一番好きな陶芸作品を見ているときの心地良さと似ている。
螺鈿っぽいものがあって、これがまた美しい。
ボタンも子供の頃、空き缶にいっぱいハンパものを入れてもらっていて、それで遊ぶのが好きだった。
今思えばどうやって遊んでいたのかわからないが、とにかく色や形を見ているだけで幸せだったものだ。
あの頃も貝ボタンは好きだった。
今日ふと思ったが、私が螺鈿の輝きを見るとなぜか懐かしい気持ちになるのはこのせいかもしれないなぁ。
貝ボタンが記憶のルーツか!

そんな感じでかなり長い間、そのお店にいた。
ほしいものがあったら大変だと思っていたのだが・・・ついに出会ってしまった!
あふれるほどたくさんの商品の中で、私の目に飛び込んできたグラス。
「あー、これ、手に取ったらヤバイなぁ」と思いながらも誘惑に負け、手に取ってみた。

うわー。1930年代もの。
チャーリー・パットンやサン・ハウスと同じ世代か!!
(この一瞬にして思い出す比較例のマニアックなこと!)

ハンドカット。
丸いかわいらしい葉を描いた切子だ。
大きさは、お猪口サイズ。
「あ、これ、スコッチをシングルで飲むのにピッタリ……」
そう思ったら、もう手放せなくなった。
値段を見ると……ジャスト1万円!!!!

底には適度に厚みがあり、全体に均整もとれている。
個性的だけど主張しない、やさしい雰囲気だ。
これでスコッチを飲みたいという欲望に負ける。
(葛藤と闘い、多少息苦しい)

さっき、レギーナさんの個展で我慢したのに、私の意志はあっけなく崩れ去った。
みつながさんも「買っちゃえ!買っちゃえ!」と私を煽る。
もういよいよ店を出るというときになって、
「すみません。これください」
レジに持っていってしまった。
あーあ。

だけど、レジにいた店員さんの言葉がよかった。
「いいものを選びましたね」

なんていうのかなぁ、プロだなって思ったのだ。
確かにこれは「いいもの」だけど、値段的なことを言えば、もっと高いものだっていくらでもあるお店だ。
だけど、この店員さんの一言で「あ、いい買い物できたんだ」という気持ちになれた。
こういう一言ってすごい。
もし、全てのお客様に言っていたとしても、だ。

包んでもらって、店を出た。
心地良い疲労感!
私は日本酒用のぐいのみは20個くらい持っているけど、ウイスキーのストレート用のグラスはなかなか気に入るのを持っていない。
でも、ウィスキーはロックよりもストレートで飲むのが好きだし、1つはそれ用のお気に入りのグラスを持ちたかったのだ。
嬉しい!!

私もみつながさんも、お互いほしいものが買えて、ほくほくしながらバスに乗った。
次は祇園へ。
「ぎおん小森」という甘味処を目指す。
こちらはみつながさんが好きなお店だという。

祇園の京都風情あふれる通りに、それはあった。
昔のお茶屋さんのままの造りで。
長い廊下を渡り広いお座敷のような部屋に案内される。
畳でお庭を見ながらゆっくりとお茶を飲めるのだ。
本当に素敵なところばかりを知っている人だ。



クリーム白玉あんみつを食べ、文学談義を交わす。
みつながさんが「谷崎さんや、」と話し出したから、
「誰?谷崎さんって?」と思ったら、谷崎潤一郎のことだった(笑)。
谷崎や川端が歩いた京都の場所を自分も歩くたびに、彼らに想いを馳せるのだという。
谷崎の「瘋癲老人日記」や川端の「掌の小説」の話題なんて、誰かとしたのは久しぶりだ。

一番面白かったのは、私が谷崎の「細雪」を「途中で何度も投げ出そうと思ったくらい、面白くなかった。最後まで読むのが辛かった」と言うと、彼女がこう言ったことだ。
「えー!嘘でしょう?私は『細雪』読んで、笑い転げてるのに!」
あんなに面白いユーモア小説はない、という。
なんというか……、人の感性ってのはすごいなぁ。
同じ本を読んで、こんなにも思うことが違うのだから。
私が笑い転げるのは、太宰の「正義と微笑」だ。
実は、今も久しぶりに読み返している。
太宰は好きじゃないけれど、あの作品だけは何度も読み返す。たまらない。
ユーモア作家としての太宰の才能がキラキラしている作品だと思う。

そんな感じの話をいっぱいして、誰もいない祇園の広い座敷で、クリームあんみつ食べて……。なんという贅沢な時間!!

お昼から会っていたのだけど、既にもう8時前。
このまま帰ってもよかったのだが、私が一昨日「蜃気楼」に忘れたものを取りに行くというと、席が取れたらそこで1杯だけ飲みましょうか、ということになった。
電話してみると、カウンターの席なら大丈夫とのこと。
どちらにしろ忘れ物は取りに行かなければならなかったし、ついてきてもらうことにした。

3品ほど簡単なお料理を注文し、ビールとワインで乾杯。
私が今、仕事のことや自分の文章のことで悩んでいるのを知っていたみつながさんは、とても力強い言葉をくれた。
「流れに抗ってはいけない」と。
今はそういう流れなんだから、それを無理になんとかしようと焦ったり動いたりしても、抗えば抗うほどダメなんだと。
仕事がないなら、その時間をもっと自分や夫のために使えばいいと。
あなたは書ける人だから大丈夫だと。
「起こることで必要じゃないことはないから。全部意味があるから」と。
他にももっとたくさんの言葉で私を励ましてくれた。
私はただ頷くだけで……

自分の中でもぼんやりとわかっていたことが、こうして確かに「言葉」としてインプットされたことで、漠然とした想いがはっきり形になった感じだ。
「ありがとう、ありがとう」と、頭を下げた。
すっきりした心で飲むと、お酒が美味しかった。

みつながさんといる間に、仕事の電話が1本入った。
それは、私が長年ずっとやりたかった仕事への架け橋になるような案件で。
まだ「話」でしかなかったのが現実となり、いよいよ来週は取材だ。
(この件に関しては、またの機会にじっくり書こう)

私が興奮して電話があったことをみつながさんに告げると、
「ほら!そういうものよ。人には『気』みたいなものがあって、外に出て気持ちが前向きになったから、そういう流れがきたんだと思うよ!」と言ってくれた。
みつながさんも、自分の気が上昇しているときに、よく次の仕事の話が来るのだという。

いっぱい私の話を聞いてくれ、素敵なものを一緒に見て、美味しいものを食べて、そして、大切な言葉をくれた彼女に、この日は本当に感謝した。
やっとトンネルから抜け出せた。
来週からは抗わずに流れに身を任せ、やっていこう。

正直に言えば、まだ自分が何をしたいのか、どこへ向かっているのかはわからない。
だけど、とにかく前向きな心で流れに身を任せていく。
そうすれば、ふと立ち止まったときに、そこが私の進みたい方向だったのだと、気付くかもしれない。

10 years ago

2007-11-19 00:20:08 | 友達
金曜日、ろこちゃんに会った。
高校時代に二人で何度も通った喫茶店で待ち合わせ。
私たちの通った高校のすぐそばにある。
久しぶりに会ったろこちゃんは、何も変わっていなくてほっとした。

仕事を始めてから会う機会が減り、ずっと「空を飛びたい」と言っていたろこちゃんが客室乗務員という仕事を選び、東京へ行ってしまってからさらに会えなくなり、年賀状で毎年のように「今年こそは会おうね」と言い合うだけになっていた、この数年間。

向かい合って、顔を見て、「何年ぶりだろう」と二人で考えてみたら、驚いたことに、ほぼ10年ぶりだった。
だけど、一瞬で10年という月日は溶けた。

「先月会ったくらいの感覚だね」と笑い合う。
懐かしい店で、懐かしい人たちの話題。
今の自分達の生活。
疑問に思っていた、客室乗務員という仕事についてのあれこれ。
話は尽きず、大笑いしたり、せつなくなったり。

店を出て、高校へと向かう。
門の外から校舎を眺める。
淋しいことに、あの美しい校舎はもうない。
面影すらなく、ただの新しい建物が並んでいるだけだった。

「あの辺りが、ピン館の場所やんね」
「あそこに、グラウンドがあったよね」
そう言って、面影を探そうとするのだけれど、悲しいことに正確になぞらえることは困難だった。

だけど、目を閉じればはっきり思い出す。
きしむ廊下、階段のてすり、踊り場の鏡、むき出しの蛍光灯、飾り窓、ボロボロの旧体育館、何度も走り抜けた「ささやきの小道」、「みんなで押したら動いた」という伝説のある五号館、丸い形をした水道、ほったて小屋みたいに並んだ部室、そこから見える北グラ、その脇の細い道を通ると出てくる、あの私の青春がつまった体育館。
今も、彼らがボールを打つ音が聞こえてくるようだ。
あの、体育館に響く、音。

ろこちゃんとは3年間、一度も同じクラスにはならなかった。
だけど、私が男子バレー部のマネージャー、ろこちゃんが野球部のマネージャーで、一緒の更衣室を使っていたことから、友達になった。
お互いの先輩マネージャーに紹介されて。

「なんて呼ばれてるの?」と聞くから、
「だいたいみんな『さんちゃん』って言うけど・・・」
と私が答えたら、ろこちゃんはこう言った。
「えー、なんか、さんちゃんなんてイヤだ。私は『かおりちゃん』って呼ぶね」
それから、私は「かおりちゃん」になった。
彼女はこういう天然マイペースなところがある(笑)

久しぶりに懐かしい場所で、ろこちゃんとしゃべっていたら、いろんなことを思い出した。
高校の空気が戻ってきたみたい。
また、話に出る同級生が、みんな公務員や先生、一流企業に勤め、海外などでも活躍しているのを聞き、高校時代の「異端児」だった感覚まで蘇ってきた。
なんだか別世界のようなのだけど、自分もそこに途中までは足を突っ込んでいたんだなぁと不思議な気分。
でも、負け惜しみではなく、そこに入らなかった自分の生き方が私は好きだし、誇りをもっている。
「自ら選んだ道」であれば、甲乙などつけられるはずもない。
ただ、自称「金の亡者」である私は思った。
「みんないい会社で働いて、金持ってるんやろなー。ええなー」と(笑)。

昔話にも花を咲かせながら、たっぷりしゃべった5時間。
だけど、10年間に蓄積した想いを語るには5時間では物足りなくて。
また会うこと、次はうちに来てもらうことを約束して、別れた。

帰りに思った。
なぜ10年も会わなかったのだろうかと。
遠く離れてしまったこともあるし、ろこちゃんが東京に行った頃の私の精神状態はあまり良くなかったこともあるだろう。
「求めること」「追いかけること」ができなかった。
1年空き、2年空くと、7年はあっと言う間で、気付けば10年。

もう私のことなど何とも思っていないんだろうなぁと思うから、ますます「会おう」と言いづらくなっていた。
だけど、結婚しましたの葉書を送った後、彼女から素敵なお花が届いた。
そこに添えられていたメッセージからは、私の結婚を本当に心から嬉しく思う気持ちが伝わってきて、・・・そして、最後にこうあった。
『腹心の友より』

私はそれを目にした瞬間、なんだかこみ上げてくるものがあって、ボロボロ泣いた。
『腹心の友』
それは、昔、私たちが使っていた言葉だ。
こんなに離れても、まだ私を「腹心の友」だと言ってくれるんだと思ったら、もっと素直になろうと思えた。
「今度大阪に帰って来たら、会いたい」と、ようやく言えた。

そして、それは実現した。

私の腹心の友は相変わらずの天然マイペースで、私は一緒にいると心安らいで、話しているだけであたたかい気持ちになれた。
私の仕事や生活に興味をもって、じっくり話を聞いてくれる。
あの頃に戻ったようだった。

10年は完全に溶けた。
これからまた、新たな友情が築かれるはず。
10年前の心が荒んでいた私とはもう違う。
自信をもってろこちゃんに会える。
それが、今は本当に嬉しい。

友達はみんな読書好き

2007-11-16 00:16:00 | 友達
私の友達は、なぜかみんな本を読む。
中には本好きが高じて(?)、図書館司書になってる人もいる。
別に大学とか行っていなくても、本は読む。
本と言っても、ビジネス本とかじゃない。主に小説。たまに随筆。

私はたぶん蔵書が多いほうなので(自分で所有しないと気がすまないから、借りるということをしない)、ほとんど「私設図書館」のようになっている。
会うときに「なんか本持ってきてー」という友達も少なくない。

前に、びりけんのマスターが「俺は本を読む友達は信用できるねん」というようなことを言っていたことがあった。
マスターも本好きだからだと思う。
これは別に、一般的に本を読まない人間が信用できないというわけではなくて、自分の感性に合った人間かどうかをはかっているということなんだと思う。

私も別に本が好きかどうかを確かめて友達になったわけではないのだが、なぜか100%みんな本を読む人たちだ。
本を読みたいだけでなく、所有したい欲望の強い私は、いろんな人に本を貸す。
自分の好きな本を読んでもらうのは、とても嬉しい。
精神的共有が好きな私ならではのことだ。
別に感想は同じでなくていいのだ。読んでくれること自体が嬉しくて。
私がどういうものに感動し、どういう言葉が好きで、どんなふうなものを書きたいか、それを知ってもらえるだけでもありがたい。

会うと、「最近、どんな本読んだ?」とか「あれ読んだ?」「あの本良かったわ」などといった話題になることも少なくない。
だけど、「最近どんな映画観た?」とか、「あれ観た?」「あの映画良かったわ」という話題になったことは一度もない。

みんなあまり映画を観ないのだろうか?
それすら確かめたこともないほど、「映画(ビデオ・DVD)」の話題ってない。
不思議なものだ。

だけど、本だけじゃなく、映画が好きな人でも友達になれると思う。
とりあえず、文化的じゃない人は無理だなぁ。
これは私の持論だけど、本や映画が好きな人っていうのは、ちゃんと人生というものを見つめている人だと思う。
他人の生き様を通していろんなことを考えるのだから。
それに興味がない人は本も映画も楽しくないだろうなぁと思うのだ。
人としての良さ悪さではなく、「深み」という点で物足りない気がする。

映画・・・
映画の話なんて、ここで書いたことがあったろうか?
何回かあるか。

実は長い長い間、映画を観ていない。
大学くらいまでは、ビッグタイトルくらいは映画館で観るタイプだったのだけど。
社会人になってから、一時期はビデオを週に1本観ていた時期もあった(半年くらいだったけど)
映画好きな人って、本当に毎日1本とか観るからなぁ。

なんでだろう。映像が苦手なのかなぁ。
ものすごく変な話をするけれど、えっちな映像を観ても「ふーん」って感じで何とも思わないけど、官能的な文章を読むと、やや興奮する(笑)。
つまりはこういうことだ。
私は視覚より文章から得る刺激のほうが強く感じられる、ということなんだろう。
(違う?例が悪い?)

私が好きな映画。
なんだろう?
一番を挙げるんだったら、チャップリンの「街の灯」。
チャップリンは大好きでほとんどの作品を観たと思う。
でも、これが最高。

今から15年くらい前、レンタルビデオ屋でこの作品に書いてあった店員のコピーがすごかった。
たぶん、自分が今までに見たコピーで一番すごいと思うものだ。

  「このラストをまだ観ていない人が羨ましい!」

実際に観て、このコピーを実感。
今も思う。
このラストをまだ観ていなくて、これから観る人がいるんだったら、羨ましい。
一度観てしまった者は、もう二度とあの感動を味わうことはできないから。

本でも同じ。
すごく感動した本は、貸すときに羨ましく思う。
ああ、これからあの感動を味わえるのか!と。

今年は近年まれに見る、読書をしない年だった。
月に1冊・・・・?
今月は、中野に勧められた「日本で一番小さな出版社」を読んで、その後、東野圭吾の本を1冊読んで、今は、なかにし礼の「戦場のニーナ」を読んでいる。

友達の本の趣味っていうのもなかなか面白い。
小川洋子の「ミーナの行進」が良かったという、あやといわさきっち。
二人とも乙女座?(そんなの関係ねぇ?←使ってみた)

私は、今年はあんまりいい本を読まなかったなぁ。
数もほとんど読んでないし・・・

今年のベストワンは、佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」。
あとは、BBキングの自叙伝「だから、わたしはブルースを歌う」。

それから、5年くらい前の本だけど、エッセイを読まないから読んでいなかった、村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」。
村上春樹の文章は、やっぱりすごい。
この一言に尽きる。

本はやっぱりいいなぁ。
言葉は、神様が人間だけに与えてくれた宝物!

楽しい時間はあっと言う間

2007-09-18 12:12:01 | 友達
世間は3連休。
私も3連休だったが、彼だけは毎日仕事・・・

15日も会社へ。
17日も会社へ。
16日だけは、あやととしくんが遊びに来るため、午後まで家で仕事。

こんなに仕事しないといけないなんて、彼は仕事ができない人なんじゃないかと疑ってもみたが、どうやらチームの人は上司もひっくるめてみんな休日出勤のようなので、本当に仕事が多い(人が少ない)んだと納得した。
こんな会社に納得はできんが、とりあえず彼がボンクラというわけではないらしい。

それでも、彼はやっぱりあまり愚痴は言わんなぁ。
16日はあやととしくんが来てくれて、かなりリフレッシュしたようだった。

今回は、居酒屋ごっこ。
・・・なんてことはない。
ひたすら飲む会だ。

ビール、日本酒、ワイン、ウイスキー、焼酎。
いつものように私が料理して。
秋らしく、秋刀魚のおろし煮や、さつまいもとエビのかき揚げ、ベランダのバジルを摘んで作ったバジルチーズコロッケ。
定番のチキンのトマト大葉ソースや、豚肉のレタス巻き。
じゃがたらバター、豚肉と玉ねぎのピリ辛炒め、大根と帆立のサラダ。

あとは、あやが持ってきてくれた、チーズやサラミ、ピザ、ケーキ。
いろいろ食べて飲んで、ひたすらしゃべって。
本当に楽しい時間だった。

昼3時に来てくれたので、6時頃、時計を見てほっとした。
「まだ日も暮れてない。まだまだしゃべれる」と。
なのに、次に時計を見たらもう10時をまわっていた。
あの4時間はどこに消えてしまったんだろう?

飲み会のときって、だいたいこんなふうに、時間を途中で消失してしまう。
私達が酔っ払ってるのをいいことに、誰かがいたずらして時間を進めてしまったんじゃないだろうか?

この酒飲みの朗らかな夫婦は、いつもあたたかい気持ちをくれる。
私の親友なのに、彼はすっかり自分の友達にしてしまって。
それでも、こうやって夫婦同士で集まって楽しい時間を過ごせるというのは、なかなかいいものだと思う。

「次はうちに来てねー」と声をかけて帰って行った。
こういう会は二ヶ月に1度くらいはやらないとなぁ。

それにしても、
結婚したときに二人で言っていた、「人が集まる家」になりつつあるなぁ。
私は昔から、人を家に呼んでもてなすことは好きだったけれど、まあ、前は忙しかったから。
今は毎月2回くらいは誰かが来てくれて、ホームパーティーみたいなことをしている。
もう少し料理のレシピも増やさないと、だいぶんネタが尽きてきた。

17日は彼が会社に行ってしまったので、私はゆうちゃんと京都に買い物に行った。
雑貨屋さんでいろいろ買って、
私が最近ハマっている「上島珈琲」でオレンジミルク珈琲を飲んで。
珈琲なんて飲まなかったのに、これはもう毎日でも飲みたい。
それくらい美味しい。

その後、和菓子屋さんでわらび餅などを買って、鴨川で食べた。
私はビール、ゆうちゃんはお茶。
ゆうちゃんは、私が買わなかった種類の和菓子も少し分けてくれた。
なんて親切な人なんだ!
「いいのか?! 本当にいいのか?! 大切な食料を・・・」
と興奮して攻め寄ったら、
「いいよ。いいよ・・・」とちょっと引き気味だった。
ああ、ありがたい。
私の友達はみんな優しいなぁ。

鴨川を見ながら、なんてことない話題のおしゃべり。
それは、なんだかとても穏やかな時間だった。
風も柔らかくて、空もきれいで。
17歳の頃も、いつもゆうちゃんとは空を見てたなぁ。
自分の存在意義を探して悶えていたような、あの頃とはもう違うけど、それでもやっぱりこれから自分が何ができるのかと考えて、どこかへ辿り着こうとしていることには変わりがなくて。

夕方、日が暮れる前に電車に乗って帰ってきた。
ゆうちゃんと別れてふと車両を見たら、中野が乗っていた。
おお、ラッキー。
しゃべりながら帰った。

とても良い休日だった。


新居パーティー!最高の35歳軍団&気配り王子

2007-06-04 10:42:34 | 友達
土曜日は、私の友達を呼んでの「新居パーティー」。
5、6人しか集まらないかなぁと思いながらも声をかけたら、みんな来れると言ってくれて、結局9名が集まり、私と彼を入れると11名!!
それほど広くない我が家のリビングは、いっぱいになった。
ただ、ウイスキー樽の大きな座卓が大活躍!
詰め詰めにしたら、とりあえず全員で座卓を囲むことができた。



いつもパーティーのときは、料理をどんどん作るのに忙しく、写真を撮るのを忘れる。今回も、最初に撮ったこの1枚のみ。
メニューは、
・ブルスケッタ(バゲットにトマトとモッツァレラチーズをのせて)
・サーモンとモッツァレラチーズのバゲット
という、前菜のバゲット2種から始まり、
白浜で彼と釣ってきたアジを使い、
・アジの南蛮漬け
さらに、
・鶏肉にチーズとハムとインゲンを巻いたもの
・ごぼうとひじきの煮物
・ほうれん草の胡麻和え
・豆腐と海藻のサラダ
・鶏ひき肉と豆腐の茶巾しぼりあんかけ
といった、あっさり系のお惣菜。
それから、後で、
・スナック春巻き(カレー風味)
・じゃがいもときのこのキッシュ
などのアツアツで、ちょっとボリュームのあるメニューを出した。

あと2品ほど用意だけはしていたのだが、またもや途中でダウンして、結局作らず仕舞い。
ただ、皆がチーズやスナックを持ってきてくれていたし、としくんも点心を持参してくれた。
最後には、いわさきっちがホワイトチョコのガトーショコラを出してくれたので、食べるものには困らなかったのではないかと思う。
(これは私が寝ている間に切り分けられたのだが、誰かが残しておいてくれたのを食べさせてもらえてよかった。めちゃくちゃうまかった!)

お酒は腐るほどあった。
のぶえちゃんがビールを12缶も持ってきてくれたし、こうちゃんなんか自転車で24缶入りのダンボールを運んでやってきた!!
これだけで既に36本・・・
他にも、ゆうちゃんが美味しい日本酒を、かどやが黒糖焼酎とチンザノを。
私ももらいものの白ワインを冷やしていたし、秋田から取り寄せた日本酒も2本出した。
なかのやのぶえちゃんも、それぞれ飲みたいものを3缶プラスして、ふみこもビールを、彼もビールを・・・
もう家の中のアルコール量、すごい!!
史上最高の量が集まった。

夕方6時スタートで、夜中に帰った人が3名。
残りは結局、朝まで飲み、しゃべり、ぶっ倒れ、眠りこけ、始発で帰っていった。

私はといえば、午後から買い物に行って料理を作り、皆が集まってからも給仕に忙しく、ほとんど誰ともしゃべることができなかった。
そのうえ、かなり体調が悪く、ビールを1缶飲んだだけで顔が熱くなり、なんとなく「ヤバイな・・・」と感じていた。
でも、楽しいし、この日のために用意していた日本酒をどうしても飲みたくて、3種類を少しずつ飲んだ。

そして、信じられないことに、たったこれだけで、私は潰れてしまった。
ビール1缶と日本酒1合も飲んでないのに。
皆もよく知っていることだが、私はこれくらいで酔っ払うほど弱くはない。
40度のウイスキーを1合だって飲めるのに・・・

恐ろしいことに、最初の2時間くらいしか記憶がなく、次に気付くと、誰かが私を起こしていた。
隣の部屋で、布団が敷かれて、その上に寝ていた。
これは、かなりびっくりした。
今まで酒の上での失敗や過ちは星の数ほど繰り返してきたが、こんなにびっくりしたことはない。
自分がなぜ寝ているのか、まったく理解できず、呆然としていた。

後日、彼が言うには、急に私が立ち上がって隣の部屋に行き、寝てしまったというのだ。
「眠い」と思った記憶すらなく、全く覚えていない。

そして、またやってしまった!と思ったのは、料理だ。
もうこれはある意味、特技になるかもしれないが、「じゃがいもときのこのキッシュ」が焼き上がっていたのだ!!
「キッシュが美味しかった」と言われ、血の気が引いた。
・・・誰が作ったん?!
「いや、普通に立って、普通に料理してたで」と、彼。

まーったく記憶なし!

酔っ払って記憶を失っても、料理をする私・・・
またそれが「美味しかった」らしいので、びっくりだ。
配合とかちゃんと覚えていて、間違えていないし、オーブンまで使っている。
前にもパーティーのとき、「あさりの酒蒸し作れなかったな・・・」と思っていて、皆の皿を見たらあさりの殻が大量に乗っていて、ギョッとしたことがある。
「え、普通に作ってたよ」と皆。
全く記憶がないのに、ご丁寧にネギの小口切りまで添えている。
これぞ真の料理人?!

とにかくせっかくのパーティーだというのに、ホスト役の私が最初から最後までほとんど参加してない状態で、ほぼ床についたままで終わるという、なんとも不思議なパーティーになってしまった。

だけど、私を除いても10名もいるのだから、あまり関係はなかったようで、皆で勝手に楽しくやってくれたと聞いてほっとした。
かどやはすっかり「主(あるじ)」だったし、皆も思い思いにしゃべり、飲み、食べ・・・。
かなり盛り上がったようだ。

それに、本当の主である私が倒れていてもなんとかなったのは、やっぱり彼のお陰。
「気配り王子」と呼ばれるほどの気配りで、頑張ってくれた。
それでもまだ、「最後のほうで、あやさんが話しかけてくれたのに、あまりにしんどくてちゃんと答えられなかった」とか、「ふみこさんたちを最後に見送れなかった」とか、そんな反省をしているくらいで。
王子は素晴らしい

朝、皆が帰った後を片付けていると、すごい量の酒瓶と空き缶が出てきた。
空き缶⇒34缶
日本酒4合瓶⇒3本
ワイン⇒1本
チンザノ⇒1本
黒糖焼酎⇒1本
梅酒⇒2本

あの~、誰ですか?こんなに飲んだの(笑)

その日、仕事帰りだった人や、翌日仕事の人もいたし、皆、私の友達だから「無理の利かない35歳」!
それなのに、まるで学生時代みたいに、ちょっとハメをはずして、真夜中や明け方まで何時間も何時間も飲み続け、しゃべり続けてくれたことが、私はとても嬉しかった。
もし、彼女たちがお行儀よく、11時くらいに「じゃあ、そろそろ終電で……」なんて言い出して全員が去ってしまったら、少し淋しかっただろうなと思うのだ。
主婦も半分以上いて、子供をダンナに預けてきた人も3名いて、そんな状態でもこういうときには盛り上がってくれる。
最高の35歳軍団だ。

私の友達といっても、それぞれが友達というわけでもないのだが、皆、私を通して集まってくれ、すぐに仲良くなってくれているのもとても嬉しい。
そして、メールをくれるのだ。
「あなたの友達はみんないい人」
「みんな楽しくてあったかい」
「すぐに友達みたいになれて、不思議」
「みんな、最高やね!」
そんなことを言ってくれる友達に対して思う。
いやいや、「あなた自身」がそういう人だから、あの空間があるのよ、と。

あなたがいい人だから、みんないい人になるし、
あなたが楽しくてあったかいから、皆が楽しくてあったかく接してくれるし、
あなたがすぐに心を開くから、皆がすぐに友達になれるし、
あなたが最高だから、皆が最高の時間を一緒に過ごせる。

私は、といえば、このうえなく幸福だった。
自分の大好きな友達があんなに大勢集まってくれて、同じ場所にいて酒を酌み交わせる・・・これ以上の幸せな時間はなかなか見つけられない。

友達がいてくれたら、いろんなことあっても、やっぱり大丈夫だなぁ。
こんなことなんでもない!!
そう思える。

1つだけ残念だったのは、あまりに早く、そして長い間ぶっ倒れていたこと。
もっとみんなとしゃべりたかった。
私の体はどうしちゃったんだろう。
お酒を飲むと少量でも分解しきれず、すぐに眠ってしまうし、起き上がれない。
鋼鉄の女の誇りはもうどこかへ消え去った。
毎日何もしないのにただしんどくて。疲れやすい。
自分の体が、自分のものじゃないみたい。

あさってから、いよいよシカゴ。
元気に過ごせるといいのだけれど。
健康だけが自慢だったのになぁ・・・


結婚式のこと その3「友達は素晴らしい!」

2007-05-30 22:33:43 | 友達
不覚にも、陣内&紀香の披露宴を見て泣いてしまった

正直に言えば、というか、友達や両親や彼も知っていることだが、私は結婚式なんてしたくなかった。
ずっとあんなものは「茶番劇」だとしか思っていなかったからだ。
もちろん、友達の結婚式に行けば感動もするし、嬉しくも思う。
だけど、自分があんなことをするなんて、とんでもないと思っていた。

だけど、結婚式を自分がやってみてわかった。
結婚式って、本当に素晴らしい。
あやとダンナのとしくんが「結婚式に出席するのが好き」と言っているのを聞いてずっと意味がわからなかったけれど、今はよくわかる。私も今は早く誰か結婚して私を招待してくれないかと思っている。
結婚式に行きたくて仕方がない。
芸能人の披露宴の番組なんか一度も観たことがなかったのに、今日は観たのもそういう理由だ。

私はなんて想像力が乏しい人間だったんだろうかと思う。
自分が経験してみるまで、あの素晴らしく幸せな空間の意味がわからないなんて。

ずっと書きたかったけれど、何をどう書いていいのかわからないくらい感動が大きくて、一番重要な「結婚式のこと その3」を書けずにいた。
でも、今日は書こうと思う。

私は友達を12人招待した。
11歳で出会った四半世紀を共にしたこうちゃんを始め、皆20年来の友人だ。

式場のスタッフと何度も進行の打ち合わせをしたのだが、私がずっと主張し続けたのは、とにかく「友達全員が何らかの役割をしてほしい」ということだった。
普通は友人代表がスピーチをしたりするのだけれど、それは嫌だった。
だから、全員に1つずつ、申し訳ないけれど役割をお願いした。
受付、証人代表、一言スピーチ、ウェルカムボード作成、プチギフトのケーキ製作、退場のエスコート。

私の自己満足かもしれないけれど、みんなに1つずつ何かをしてもらえたことで、私自身はとても嬉しかった。

いわさきっちは60人もの美味しいケーキを焼いてくれ、ゆうちゃんは信じられないほど素敵なウェルカムボードを作ってくれた。
とても大変な作業だったことは知っている。
だけど、二人とも言うのだ。
「こういう機会を与えてくれて、ありがとう」と。

お礼を言うのは私のほうなのに、なぜか「ありがとう」と言われて、なんだかたまらなかった。

結婚式の証人代表と二次会の幹事を務めてくれたあやは、とにかくもう終始テンションが高くて。
まるで自分が結婚したかのように、満面の笑みを浮かべて、もう本当に幸せそうにしてくれた。
そして、「私にスピーチさせてほしかった。かおりちゃんのことをいっぱい話したかった」と言ってくれた。

後であやに指摘されて気付いたのだが、彼のことは、挙式でも証人代表の人がスピーチをして、披露宴では上司が2人長い時間スピーチをしてくれて、テーブルインタビューでも2人話してくれて、そのうえ、ライブでも演奏の前に3人が長めのスピーチをしてくれた。
それに対して私は、テーブルインタビューの短い話が5人。
たった1人も私の事を長く語ってくれる人はいなかった。

演奏の前のスピーチは予想外で、それがわかっていたら、最後の演奏のときに、もんちゃんにスピーチをしてもらえばよかったと後悔している。
が、そんなことを言っても始まらない。

後で、彼も私に「ごめんな。俺ばっかりで、かおりのことをしゃべってくれる人がいなくて悪かったな」と謝ってくれた。
あやもそれをすごく気にしてくれて、「私がかおりちゃんのことを言いたかった」と何度も(酔っ払って?)言ってくれた。

私も言われてみれば、そうだなぁと思い、一瞬は残念にも思ったが、自分のことを誰かに語られるなんて恥ずかしいので、まあこれでよかったかなとも思う。
たぶん、そう思えるのは、かどやのおかげだ。

かどやは、私が14歳からの友達で、波乱万丈の人生を生きている。
全く違う、何の接点もない人生を歩みながらも、なぜか20年も友達で。
「テーブルインタビューで一言もらうから」
そう言っただけで、彼女はなんと4冊も図書館で「結婚式のスピーチ」の本を借りて勉強してくれたという。
たった1、2分ほどのお祝いの言葉。
それなのに、そこまでしてくれた。

三次会の場で話しているときに、「スピーチ練習してきたのに、本番では1行も言えなかった」と言って、スピーチの内容が書かれたメモを見せてくれた。
確かに、1行も言えていなかった。
横で聞いていた愛ちゃんが言った。
「かどや、式場に行く電車の中でも練習してたんやで」と。

かどやは中学のとき、勉強が全然できなくて、私がいつも家に行って一緒に宿題をしていたような友達だ。高1の途中で中退して、それから2度の結婚と出産を経験している。
私にとっては、人生の師のようなもので。
いつだって、私はかどやの後ばかり追いかけていた。
「私といたら大丈夫やから」
中2の時、そういわれたことを今でも覚えている。
私が書いた2作目の小説は、かどやとゆうちゃんのことをまぜて書いたものだ。
それくらい、私の人生には大きな人だった。

だけど、正直に言って、あまりに歩んできた道のりが違いすぎるから、私はどこかで遠慮していたのだ。
彼女にとって、私はそんな重要な友達ではないと。

だけど、結婚が決まった時、誰よりも表情や言葉に出して喜びを表してくれたのは、彼女だった。
そして、三次会のテーブルで、こうちゃんが「ほんまにさんのうさんのことが好きやねんなぁ」と言ったとき、彼女は確かにこう言った。
「うん。だって、さんちゃんがいなかったら、私の人生、ないから」

その言葉の強さに、聞いていた皆が絶句した。私も何もいえなかった。
なぜかこうちゃんは泣いた。
「私の事が好きやのに、かどやみたいに素直に言えへんから、かどやの言葉聞いて羨ましくて泣いたんやろー」
そんなふうに、おちょくったつもりだったのに、こうちゃんは、初めて素直に「うん」と言った。そして、また泣いた。酔っ払っていたのかもしれない。

こうちゃんのことも、いつも追いかけていた。
中学の頃、いつも一緒に学校に行くのに、待ち合わせ場所に私が現れると、こうちゃんはどんどん無言で自転車を走らせる。私は必死に後を追う。
高校を卒業したときも、「東京に行く。もうほっといて!」と言って、すがりつく私を見捨てて東京へ行ってしまった。
嫌われているのかな、と思ったときもあった。

だけど、素直に「うん」と言って泣いている。
酔っ払っているにしてもだ。

そして、そんなこうちゃんを見て、またもらい泣きしているかどやがいた。
(みんな酔っ払い?)

あの日、私は本当に幸せだった。

もちろんずっとかどやのことは好きだったし、良い友達だったけれど、結婚式を終えて、改めて彼女のことが好きになった。
なんでこんないいヤツやねん・・・と何度も思うことがあった。
結婚式の後、すぐに写真をプリントして、持ってきてくれた。
その時、一番キレイだった写真を大きく引き伸ばし、額に入れてプレゼントしてくれた。
そして、自分とは関係なかった私の友達の写真もプリントしてきて、手紙まで添えて「渡しておいて」と。
そして、すぐにいわさきっちのケーキを自分でも注文してくれた。
「さんちゃんのおかげで、こんな美味しいケーキを作る人とも知り合えた。ありがとう」と言って。

私は想像力がなかったんだろうか。自分が経験してみてやっとわかる。
自分のことのように喜んでくれる友達がいることが、どんなに幸せかを。

自分の親友・・・あや、ふみこ、ゆうちゃん・・・が結婚した頃というのは、私自身は人生でも一番ボロボロの頃で、彼女たちの幸せをただ純粋に喜んでお祝いできたかというと、それは否だ。
もちろん、嬉しかったし、よかったなぁとは思った。
だけど、あの頃の私は、自分が今日どう生きるかで精一杯で、彼女たちにもっと何かしてあげられたはずなのに、それをすることができなかった。
人の幸せはただ「眩しいもの」で、自分とは縁のない、なんだか遠いもののように感じていた。
そんな自分を思い返し、後悔なんてものでは収まらない・・・自分をただ責めるのみの状態に陥る。
自分の小ささを責める。

こんな小さな、どうしようもない私の幸せを、本当に自分のことのように喜んでくれる友達の顔を見て、なんだかたまらなかった。
主役?とんでもない。
彼女たちにひれ伏して、謝りたいような気持ちだった。

引出物に、私と彼が作ったエッセイ集を入れた。
そこにも、彼女たちへの想いを綴ったが、感謝の気持ちは語りきれない。

話がそれるが、このエッセイ集は2日前まで徹夜のようなことをして作り上げたのだけど、作ってよかったと想っている。
読んでくれた人は、是非感想をほしいし、もし読みたいという人がいらっしゃったら送るので、是非メールをほしいと思う。

「出会い」
「音楽・友達・お酒」
「書くこと」
「両親」
という4つのテーマで、2人がそれぞれエッセイを書き、それを1冊にまとめた。
2人の人間が何の相談もなく書いたとは思えないくらい、それは似ていた。
彼のお母さんが、「最初読んだときは思わなかったんだけど、2回目読んだとき、二人の文章が似てるというのがわかった気がするわ」と言っていた。

この冊子はもう何度も「やめようか」という話も出たのだけど、作ってよかったと思う。
彼のバンドのケンちゃんや斉藤ちゃんが、「すごくよかった。文章に引き込まれて、どんどん読んでしまった」と言ってくれたのが、とても嬉しかった。
かどやなんて、10回も読み返したと言って、「ここがよかった」と、文章をほとんど暗記していた。これもまたびっくりだ。
何度も何度も泣いたという。
それが、私が一番嬉しかったこと。

彼のお母さんは控えめに、「あと2冊ほしい」といってくれた。
保存版と、自分がいつも読むものとを分けたかったらしい。
それもすごく嬉しかった。

うちの親は、最初は冊子のことに何も触れていなかったのだが、ある時、母が言った。
「2回読んで、同じところで2回泣いた」と。
「え?どこ?」と聞くと、「言わない」と恥ずかしそうに微笑んだ。
それを見て、あー、私はやっぱり母親に似ているんだなぁと思った。
あつかましいくせに、恥ずかしがりや。

私は、きっと母はここで泣いたんだろうなと思っているのだけど。

でも、この冊子を作ってみて、改めて思ったことがある。
それは、やっぱり彼のほうが文章が上手なんだなぁということ。
私は彼の半分の時間で書いているけれど、時間的なことだけじゃなく、やっぱり文章は下手だ。
なぜ自分はもの書きになったんだろうかと、改めて思う。

私の文章を一番好きなのは、やっぱり母。
母はあんなに恥ずかしがっていたのに、「かおりちゃん、あと6冊ちょうだい」と電話してきて、友達に配っていた

彼は本当にリズムのよい美しい言葉を上手に使う。
それは、読んでいて、とても心地良い。
この文章に私は惹かれたのだと改めて思う。

わかってはいたけれど、並べて書いてみたときの、自分の荒削りな稚拙な文章が目につき、情けなくなる。
これが、10年も文章で食べてきた人間のものなのかと。

だけど、私の言い訳を書くと、「両親」の章では、これはモデルが悪い!
彼の両親と私の両親では、差がありすぎて。
ひたむきに生きる小さな背中に涙するような彼の文章に対して、私のは「うちの両親は今日もモリモリご飯を食べています」だもんなぁ・・・

なんてね。
めでたい席ではかけないことが多すぎるんだよ、うちの親は。。。
仕方ないね。本当はお母さんに伝えたいことがもっとさたくさんあったんだけど。でも、彼女が、私が書ける範囲で書いたことをちゃんと感じとってくれて、感動してくれたことがとても嬉しかった。

結婚式は本当にしてよかったと心から思う。
友達の素晴らしさ、両親の愛情を、改めて感じることのできる場所だった。

今更だけど、本当に幸せ。
ありがとう。



結婚式のこと その2「音楽は、愛だ!」

2007-05-09 23:13:20 | 友達
こんなふうに言うと、おこがましいのかもしれないけれど、
ずっと守りたい「音」があった。

出会った頃・・・15歳の彼女。
まだバランスをうまく保てない心を抱えて、少し尖って。
でも、まっすぐに自分を取り囲む全てのものを見つめて、
いつも模索していた。

その中で、初めて彼女自身が「見つけた自分の音」だったと思うから、
その想いを知っているから、
何があっても、この「音」を守りたいと思っていた。

いつも、いい音を生み出せるよう。
そんな音を出せる心でいられるよう。
それを、ずっと祈っていた。

私にとっては、特別な音。

だから、自分の結婚式ではどうしても、もんちゃんにドラムを叩いてほしかった。
それが夢だった。

ステージのある披露宴会場。
どうしてもドラムセットを借りたいと交渉し、OKをもらった。

叩いてもらうのは2曲。
1曲は、彼のやっているブルースバンドと一緒に、名曲「Sweet Home Chicago」。
これはもう、本当に名曲中の名曲で、いろんな人が演ってるんだけど、この曲の魅力というのは、「演奏者の個性が出る」ということ。
日本で言うと、「上を向いて歩こう」みたいな存在かな。

どんなふうにでも変えられる。やる人次第。それが面白い。
彼のバンドは、リーダー・ほんちゃんがハープを吹くので、それがとてもいい。個性を出している。

もう1曲は、「ラブ・ミー・テンダー」。
こちらは、サウス・トゥ・サウスのバージョンで、やってもらった。
単純だけど、歌唱力で決まるという意味で、難しい曲だ。

前日にスタジオに入ってもらって、一度あわせただけで本番。
でも、絶対大丈夫だとわかっていた。
「思っていた」んじゃない。「わかっていた」。

私はもんちゃんのドラムを聴くと、だいたい泣く。
栃木にお嫁に行ってしまう前の最後のライブのときは、号泣してしまって、周りをドン引きにさせた
だから、もう絶対泣くだろうと思っていた。

当日。

披露宴のライブタイムが始まった。
1曲目がもんちゃんの入ったブルースバンド。
彼の友達・カナヤンが最初に素敵なスピーチをしてくれた。
でも、私の座っている場所からは、もんちゃんの顔がよく見えない。
花嫁はなかなか自由に動けないので、「音」をしっかり聴くことにした。

5年ぶりに聴く、もんちゃんの「音」。
どれほど待ち焦がれたことだろう・・・
私は、もんちゃんのドラムの、この世の中で一番の熱狂的なファンだ。
いつもは普通のライブだけど、今日は、この日だけは、私のために叩いてくれている・・・そう思うと、たまらなかった。

バンド自体もとてもまとまっていて、全員が「いい感じ」で演奏できているのがよく伝わってきた。
ほんちゃんのハープと歌、カナヤンと斎藤ちゃんのギター、けんちゃんのベース、そして、もんちゃんのドラム。
そこに、途中で呼ばれた新郎が参加して、ギターソロ!!
家で練習していたときは、「三味線みたい」とうるさがっていたこともあったけど(ごめんやで!)、この時の彼のギターソロはめちゃくちゃカッコよかった!

それに、披露宴だとか、お祝いだとか、なんだとか言う前に、
ステージにいるメンバーがすごく楽しそうで。
ちょっと羨ましかった。あの輪に入りたいとすら思った。

高校時代、男子バレー部のマネージャーをしていて、いつも一緒に練習して、いつも同じ気持ちでいたはずなのに、試合になるとコートに出ている部員が羨ましくて仕方がなかった。
あの気持ちに少し似ていた。

もんちゃんのドラムは、5年ぶりに聴いても、やっぱりまっすぐに響いてきた。
「メトロノームみたい」と言われるほど、安定したリズム。
力強く、直線で、ずんと心に届く。
まじりっけがない、というのか。
ただひたすらまっすぐに、届く。

ただただ、嬉しかった。

2曲目は、彼のお友達の原田くんが「乾杯」を弾き語りしてくれた。
ベタな曲かもしれないけど、うちの親も、彼の両親も、とても楽しみにしていたし、親戚の人たちも友達も・・・みんなの心にはっきり感動を残してくれたので、この曲をお願いして、本当によかったと思う。
原田くんの歌には「何か」がある。
それが何なのかは、私にはわからないけれど・・・

原田くんは、初めて会った2年前と同じように、やっぱりきれいな目をしていた。
そして、本当に彼を大事に思ってくれていることが伝わってきて・・・
いい友達をもって、彼は本当に幸せだと思った。

3曲目は、もう一人、彼の友達で音楽をやっているハセくん。
歌のプロで、音楽スクールで講師を始めたらしい。
それくらい力のある人だし、こだわりやプライドも持っている人。
氷室京介の歌を歌ってくれた。
私はちょっとそのあたりの歌に疎いので、初めて聴いたのだけど、やっぱりハセくんも心を込めて歌ってくれているのが伝わってきて、じんとした。
私の友達はちゃんとこの歌を知っていたらしく、好評。
姪のひなのも、この「おにいちゃん」のことが気に入ったらしい
タイプ?(笑)

後日談だが、ハセくんは、私と彼のためにオリジナルの歌を作ってくれるという。
ありがたい・・・
楽しみだ。

カラオケみたいな感じで歌ったし、音響もあまりよくなかったので、最高の出来ではなかったようだが、十分良かった。
10代のときに、彼とハセくんで作ったCDがあるのだが、とてもキレイな声をした人だ。あの声がもうちょっと生かせる音響だったらよかったのだけど。申し訳なかったなぁ。

そして、ラスト。
もんちゃん、再び!!

原田くんの歌、ハセくんのベース、新郎のギター。
一夜限りの夢の(←私にとっての)共演!!

この曲のときは、もんちゃんが自分の席に私を座らせてくれたので、真正面でドラムを観ることができた。
曲の間中、ずっと目を合わせていた。
何度も、何度も。

これが恋人同士なら、「この曲はおまえのために捧げるぜ!」みたいな(笑)

・・・いやいや、恋人じゃなくても、私のために叩いてくれていたのだけど。
それが、一音、一音から伝わってきた。
この音をまた覚えておこうと思った。
これからいろんなことがあっても、思い出して、また前を向けるように。

そんな「音」。

ちなみに、彼のギターはというと、すごく頑張っていた!!
実は、前日も当日も、ずーっと挙動不審の顔面蒼白
その理由は、挙式の緊張じゃなく、この曲を上手く弾けるかということだけだった。

もう私は、子供の発表会の日のお母さんみたいな気持ちで・・・

若干、走ってたけど・・・でも、よかった。
これを助けてくれたのは、やっぱり安定したもんちゃんのドラムと原田くんの歌だったと思う。

上手に弾くとか、記念になるとか、そういうことじゃなくて、
彼は本当に嬉しかったと思う。
大事な友達と一緒に演奏できて。
それも、私の親友まで交えて!!
だから、出来云々じゃなくて、十分良かったんじゃないのかな。

・・・こうして、ライブタイムは終わった。
アンコールをしたいくらいだった。

彼の周りは音楽をやっている友達がいっぱいいる。
それは、本当に素敵なこと。
別に、音楽じゃなくて、スポーツとかでもいいんだけど、やっぱり何か一つのものを一緒に創り上げていく喜びっていうのは、格別だから・・・
単なる友達であることにプラス、もう一つ何か強い絆のようなものが生まれる。
それがとても羨ましい。

彼は幸せ者だなぁ・・・

私も、もんちゃんの演奏を聴けて、とても満足。
本当は、毎日、毎日、毎日、聴きたい。
もっともっと、いろんな曲を聴きたい。

もんちゃんも、改めてブルースをやりたいと思ったようで、栃木に帰るまでずっと「あのバンドいいわー。入りたい」と言っていた。
私に頼まれたから、じゃなくて、心から演奏を楽しんでくれたこともとても嬉しかった。
よかったなー・・・

たった一人でバンドに参加したもんちゃんを、あたたかく受け入れてくれたメンバーのみんなには本当に感謝!
特に、ほんちゃんはとても良くしてくれた。
もう感謝しきれない。

いろんな人が参加してくれた披露宴ライブ。
誰が欠けても、あんないい時間は作れなかったと思う。
私も彼も本当に幸せだった。

演奏した人も、聴いていた人も、みんなが楽しんでくれたようで、
やっぱり音楽はすごいと、そのまま愛になると、スティービー・ワンダーの言っていた言葉をふと思い出した。

音楽は、やっぱり、愛だ。



しゃべりっぱなしの休日・・・

2007-04-12 10:42:23 | 友達
次々起こるいろいろな問題。
一難去って、また一難。

早く挙式を終えてしまいたい。
もうこれ以上、何も起こらないうちに・・・

昨日は久しぶりに1日お休みで、朝はふみこの家に遊びに行った。
引っ越して近くなったので、徒歩15分。
11時から14時半までしゃべりまくった。
あー、スッキリ

家に帰ると、水道の人が3人来た。
今日、水道の支払い明細が届いて見たら、たった10日ほどしか暮らしていないのに、水道代が6000円を越えているのだ!!
ありえない

慌てて電話したら、調べに来てくれた。
気のいいおっちゃん3人組。
どうやら、地下のパイプに欠陥があるらしく、近々大工事に・・・

おっちゃんらに「奥さん、奥さん」と呼ばれることに、何か違和感を感じた。
奥さんかぁ・・・
なんか、あんまり嬉しいもんでもないな。

そうこうしているうちに、母から電話があって、母の友達がお祝いを持って来てるというので、実家へ。
母の友人のオバチャンとしゃべりまくる。

夕方からは、かどやと高槻で飲んだ。
またしゃべりまくる。
5時半から11時半まで。
6時間もしゃべって、酒飲んで、なんかもうフラフラ。
朝からしゃべり通しの休日だ。

かどやのお母さんからも、お祝いをいただく。
ウェッジウッドのワイルドストロベリーのお皿とワイングラス。
私がワイルドストロベリーを集めてるって言ったことなかったと思うのだが、偶然それを選んでくれたようだ。
かなり嬉しい。

でも、それ以上にメッセージカードが嬉しかった。
子供の頃から大好きだった、かどやのオバチャン。
優しいメッセージを贈ってくれた。

かどやの話は相変わらず面白くて、今回は勤め先のスナックでおっちゃんに気に入られすぎて、ママさんに妬まれ、店を追い出されたという話だった。
ドラマみたい

いろんな世界を教えてくれる、この友達は、やたらと私の花嫁姿を楽しみにしてくれている。
「絶対、可愛いと思うねん!早く見たい!」と。

ありがたいなぁ・・・

かどやの息子は今春から高校生。
何度か勉強を見ていたのだが、無事に合格した。
彼女もできて、今、春真っ盛りらしい

高校生の息子かぁ・・・
「奥さん」と呼ばれるだけで、「ん?」と反応している私。
随分、出遅れてしまった。

最近、甘いものが食べたくて仕方がないので、
キャラメルプリンパフェを作ってみた。
キャラメルプリン、生クリーム、バナナ、コーンフレーク、チョコシロップ。

舩木倭帆さんの硝子の器に盛り付ける。
宙吹きで、どうしたらこんなに美しい形を生み出せるのだろう。
もうお歳で、だんだん吹けなくなっていくためか、舩木さんの硝子の価値はどんどん上がる一方。
美術館に展示されるほどの硝子。

こういう硝子で甘いものを食べていると、世界一贅沢している気分になる。
100円均一で買ったキャラメルプリンの素で作ったんだけどね