昨日は1日中、ちょっとしたことでしくしく泣いていた。
ストレスがたまっていると、涙が出ると聞いたことがある。
まさに、そんな感じで。
感情とはそれほどリンクせずに涙が流れる。
そして、それがちょっと気持ちいい。
やっぱりストレスがたまっていたのかもしれない。
完璧主義の優等生気質は抜けないな、という話をこの間、ゆうちゃんとメールでしていたのだけれど、
私もいつまで経っても、そういうところがある。
取引先には仕事のできる女でいたいと思い、
彼の前では良き妻でありたいと思い、
友達と一緒のときは明るく楽しい友でありたいと思い、
親のもとでは品行方正な子供でありたいと思う、
そんな私。
この3年くらい、少しそういうところが抜けてきたとは思うのだけれど、やっぱり根本は変わらないのかもしれない。
毎日洗濯をして、毎日床を磨く私。
だけど、雨が降って洗濯が1日分たまったり、床にホコリが落ちていることがある。
彼が悪気なしに、「タオルある?」と聞いたり、「今日、掃除してないんやな」と呟いただけで、私はヒステリックにキレる。
彼はそういう私をちょっと異常だと思っているようだ。
でも、私はそれだけのことで、自分がダメ人間だと決め付けられ、非難されたような気持ちになって、息巻いて反論する。
彼になだめられ、落ち着いた時、自分はちょっとおかしいのかな、と思う。
例えば、料理を彼が1口食べて「薄味やな」と感想を述べただけで、「まずいんか!」とキレる。
たぶん、ちょっとおかしいんだ、私は・・・。
よく考えればたいしたことじゃないのはわかるのに、そのときは抑制がきかない。
自分で自分を落とすことは得意でも、人に落とされることは苦手なのだ。
怒られることも大嫌い。
これは、「いい子」でなければならないと躾けられてきた結果なのか。
才能とは関係ないこと・・・努力でできることであれば、いつも完璧に。いつも誰にも何の文句も言われないように。
そう思って生きてきたように思う。
この数年は随分ましになってきたけれど、それでもまだ時々そういう面が表れる。
姉は私よりもっと優等生気質が抜けないクソ真面目。
母は自分のせいでこうなったと、今も悔やんでいる。
姉とはたった一度だけ、ちゃんと話をしたことがある。
彼女がカウンセリングに通い出した頃だ。
子育てがうまくできないと、彼女は悩んでいた。
一緒にご飯を食べに行って、初めて(たぶん最初で最後だ)腹を割って話をして、そのとき、彼女が言ったことを今でも覚えている。
「あれはどこやったんやろ」
「何?」
「子供の頃、一度だけ、家族で旅行に行ったことがあるやん」
「あー、やっぱりあれは夢じゃなかったんや」
私はそのとき、私の中で特別だった思い出を共有している人間がこの世にいるということが不思議な感じがした。
あれは、本当にどこだったのだろう。
なぜ、旅行に行ったのだろう。
外食すら・・・いや、家で食卓を囲むことすら、ほとんどすることのない家族だったのに。
今も夢の中の出来事のように思い出すことがある。
姉は言った。
たぶん、あのとき、母は離婚するつもりだったんだ、と。
そのために最後に旅行に行ったのだ、と。
私はあまりに幼すぎて、そこまで考えることは出来なかったが、大人になった今でも母にあのときのことを聞けないということは、幼いながらになにかを感じ取っていたのかもしれない。
私と母は決して仲は悪くないし、私はこの世で一番母を尊敬しているけれど、それでもまだあの日のことを聞けずにいる。
あれはどこだったんだろう・・・。
いつかもう一度行ってみたい。
高い山で、雲が霧のように目の前にあって・・・
何も見えなかったんだ。
今日、久しぶりにそんなことを思い出した。
自分の性格形成のことを思うとき、思い出すのは、そんなこと。
それから、もう一つは、ひのき(私が教えていた学習塾)のこともある。
まだ半年も経っていなかったときだ。
何かの話で、私が自分のマイナスなことを言ったら、堀先生が言った。
「マーフィーの法則を知らん?不幸なイメージを抱いてたら、そういう生き方しかできへんで。やめとき」
私はむっとして、返した。
「堀先生は、幸せな家庭で育ったでしょう?」
私には自由奔放に生きている人は皆そう思えた。
すると、堀先生はなんでもないことのように言った。
「別に不幸でもないけど、俺は子供の頃に両親は離婚してるで」
あのとき、自分の中で何かが変わったことを今でも覚えている。
それから、次に私が変わったのは、彼との出会いだ。
私のことを幸せにしたいと言ってくれた人は、確かに何人かいた。
だけど、彼はずっと呪文のようにこう言っていた。
「かおりは幸せになっていいから」と。
私を幸せにするのではなく、幸せになっていいと、そう言ってくれたこと。
それが、私にはとても大きなことだった。
びりけんのマスターも同じようなことをアドバイスしてくれたっけ。
「みんな幸せになるために生まれてきたんやで」と。
あの頃から、少しずつ私は変わってきたように思う。
でも、やっぱり性質というのは、そんなにすぐには変わらないもので・・・
それほど能力もないくせに、いつも完璧でありたいと頑張って、打ちのめされる。
「あれはどこだったの?」
母にあの日のことを尋ねられたら、そうしたら、本当に自分は変われるかもしれないと、いつもそう思う。
だけど、いまだにあの幼い日の思い出を口にはできない。
それが、なぜなのかはわからないのだけれど・・・。
ストレスがたまっていると、涙が出ると聞いたことがある。
まさに、そんな感じで。
感情とはそれほどリンクせずに涙が流れる。
そして、それがちょっと気持ちいい。
やっぱりストレスがたまっていたのかもしれない。
完璧主義の優等生気質は抜けないな、という話をこの間、ゆうちゃんとメールでしていたのだけれど、
私もいつまで経っても、そういうところがある。
取引先には仕事のできる女でいたいと思い、
彼の前では良き妻でありたいと思い、
友達と一緒のときは明るく楽しい友でありたいと思い、
親のもとでは品行方正な子供でありたいと思う、
そんな私。
この3年くらい、少しそういうところが抜けてきたとは思うのだけれど、やっぱり根本は変わらないのかもしれない。
毎日洗濯をして、毎日床を磨く私。
だけど、雨が降って洗濯が1日分たまったり、床にホコリが落ちていることがある。
彼が悪気なしに、「タオルある?」と聞いたり、「今日、掃除してないんやな」と呟いただけで、私はヒステリックにキレる。
彼はそういう私をちょっと異常だと思っているようだ。
でも、私はそれだけのことで、自分がダメ人間だと決め付けられ、非難されたような気持ちになって、息巻いて反論する。
彼になだめられ、落ち着いた時、自分はちょっとおかしいのかな、と思う。
例えば、料理を彼が1口食べて「薄味やな」と感想を述べただけで、「まずいんか!」とキレる。
たぶん、ちょっとおかしいんだ、私は・・・。
よく考えればたいしたことじゃないのはわかるのに、そのときは抑制がきかない。
自分で自分を落とすことは得意でも、人に落とされることは苦手なのだ。
怒られることも大嫌い。
これは、「いい子」でなければならないと躾けられてきた結果なのか。
才能とは関係ないこと・・・努力でできることであれば、いつも完璧に。いつも誰にも何の文句も言われないように。
そう思って生きてきたように思う。
この数年は随分ましになってきたけれど、それでもまだ時々そういう面が表れる。
姉は私よりもっと優等生気質が抜けないクソ真面目。
母は自分のせいでこうなったと、今も悔やんでいる。
姉とはたった一度だけ、ちゃんと話をしたことがある。
彼女がカウンセリングに通い出した頃だ。
子育てがうまくできないと、彼女は悩んでいた。
一緒にご飯を食べに行って、初めて(たぶん最初で最後だ)腹を割って話をして、そのとき、彼女が言ったことを今でも覚えている。
「あれはどこやったんやろ」
「何?」
「子供の頃、一度だけ、家族で旅行に行ったことがあるやん」
「あー、やっぱりあれは夢じゃなかったんや」
私はそのとき、私の中で特別だった思い出を共有している人間がこの世にいるということが不思議な感じがした。
あれは、本当にどこだったのだろう。
なぜ、旅行に行ったのだろう。
外食すら・・・いや、家で食卓を囲むことすら、ほとんどすることのない家族だったのに。
今も夢の中の出来事のように思い出すことがある。
姉は言った。
たぶん、あのとき、母は離婚するつもりだったんだ、と。
そのために最後に旅行に行ったのだ、と。
私はあまりに幼すぎて、そこまで考えることは出来なかったが、大人になった今でも母にあのときのことを聞けないということは、幼いながらになにかを感じ取っていたのかもしれない。
私と母は決して仲は悪くないし、私はこの世で一番母を尊敬しているけれど、それでもまだあの日のことを聞けずにいる。
あれはどこだったんだろう・・・。
いつかもう一度行ってみたい。
高い山で、雲が霧のように目の前にあって・・・
何も見えなかったんだ。
今日、久しぶりにそんなことを思い出した。
自分の性格形成のことを思うとき、思い出すのは、そんなこと。
それから、もう一つは、ひのき(私が教えていた学習塾)のこともある。
まだ半年も経っていなかったときだ。
何かの話で、私が自分のマイナスなことを言ったら、堀先生が言った。
「マーフィーの法則を知らん?不幸なイメージを抱いてたら、そういう生き方しかできへんで。やめとき」
私はむっとして、返した。
「堀先生は、幸せな家庭で育ったでしょう?」
私には自由奔放に生きている人は皆そう思えた。
すると、堀先生はなんでもないことのように言った。
「別に不幸でもないけど、俺は子供の頃に両親は離婚してるで」
あのとき、自分の中で何かが変わったことを今でも覚えている。
それから、次に私が変わったのは、彼との出会いだ。
私のことを幸せにしたいと言ってくれた人は、確かに何人かいた。
だけど、彼はずっと呪文のようにこう言っていた。
「かおりは幸せになっていいから」と。
私を幸せにするのではなく、幸せになっていいと、そう言ってくれたこと。
それが、私にはとても大きなことだった。
びりけんのマスターも同じようなことをアドバイスしてくれたっけ。
「みんな幸せになるために生まれてきたんやで」と。
あの頃から、少しずつ私は変わってきたように思う。
でも、やっぱり性質というのは、そんなにすぐには変わらないもので・・・
それほど能力もないくせに、いつも完璧でありたいと頑張って、打ちのめされる。
「あれはどこだったの?」
母にあの日のことを尋ねられたら、そうしたら、本当に自分は変われるかもしれないと、いつもそう思う。
だけど、いまだにあの幼い日の思い出を口にはできない。
それが、なぜなのかはわからないのだけれど・・・。