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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

私の性格形成に関わったものは・・・

2007-09-01 02:03:13 | 想い
昨日は1日中、ちょっとしたことでしくしく泣いていた。
ストレスがたまっていると、涙が出ると聞いたことがある。
まさに、そんな感じで。
感情とはそれほどリンクせずに涙が流れる。
そして、それがちょっと気持ちいい。
やっぱりストレスがたまっていたのかもしれない。

完璧主義の優等生気質は抜けないな、という話をこの間、ゆうちゃんとメールでしていたのだけれど、
私もいつまで経っても、そういうところがある。

取引先には仕事のできる女でいたいと思い、
彼の前では良き妻でありたいと思い、
友達と一緒のときは明るく楽しい友でありたいと思い、
親のもとでは品行方正な子供でありたいと思う、
そんな私。

この3年くらい、少しそういうところが抜けてきたとは思うのだけれど、やっぱり根本は変わらないのかもしれない。

毎日洗濯をして、毎日床を磨く私。
だけど、雨が降って洗濯が1日分たまったり、床にホコリが落ちていることがある。

彼が悪気なしに、「タオルある?」と聞いたり、「今日、掃除してないんやな」と呟いただけで、私はヒステリックにキレる。
彼はそういう私をちょっと異常だと思っているようだ。

でも、私はそれだけのことで、自分がダメ人間だと決め付けられ、非難されたような気持ちになって、息巻いて反論する。
彼になだめられ、落ち着いた時、自分はちょっとおかしいのかな、と思う。
例えば、料理を彼が1口食べて「薄味やな」と感想を述べただけで、「まずいんか!」とキレる。
たぶん、ちょっとおかしいんだ、私は・・・。
よく考えればたいしたことじゃないのはわかるのに、そのときは抑制がきかない。
自分で自分を落とすことは得意でも、人に落とされることは苦手なのだ。
怒られることも大嫌い。
これは、「いい子」でなければならないと躾けられてきた結果なのか。

才能とは関係ないこと・・・努力でできることであれば、いつも完璧に。いつも誰にも何の文句も言われないように。
そう思って生きてきたように思う。
この数年は随分ましになってきたけれど、それでもまだ時々そういう面が表れる。

姉は私よりもっと優等生気質が抜けないクソ真面目。
母は自分のせいでこうなったと、今も悔やんでいる。

姉とはたった一度だけ、ちゃんと話をしたことがある。
彼女がカウンセリングに通い出した頃だ。
子育てがうまくできないと、彼女は悩んでいた。

一緒にご飯を食べに行って、初めて(たぶん最初で最後だ)腹を割って話をして、そのとき、彼女が言ったことを今でも覚えている。

「あれはどこやったんやろ」
「何?」
「子供の頃、一度だけ、家族で旅行に行ったことがあるやん」
「あー、やっぱりあれは夢じゃなかったんや」

私はそのとき、私の中で特別だった思い出を共有している人間がこの世にいるということが不思議な感じがした。

あれは、本当にどこだったのだろう。
なぜ、旅行に行ったのだろう。
外食すら・・・いや、家で食卓を囲むことすら、ほとんどすることのない家族だったのに。

今も夢の中の出来事のように思い出すことがある。

姉は言った。
たぶん、あのとき、母は離婚するつもりだったんだ、と。
そのために最後に旅行に行ったのだ、と。

私はあまりに幼すぎて、そこまで考えることは出来なかったが、大人になった今でも母にあのときのことを聞けないということは、幼いながらになにかを感じ取っていたのかもしれない。

私と母は決して仲は悪くないし、私はこの世で一番母を尊敬しているけれど、それでもまだあの日のことを聞けずにいる。
あれはどこだったんだろう・・・。
いつかもう一度行ってみたい。
高い山で、雲が霧のように目の前にあって・・・
何も見えなかったんだ。

今日、久しぶりにそんなことを思い出した。

自分の性格形成のことを思うとき、思い出すのは、そんなこと。
それから、もう一つは、ひのき(私が教えていた学習塾)のこともある。

まだ半年も経っていなかったときだ。
何かの話で、私が自分のマイナスなことを言ったら、堀先生が言った。
「マーフィーの法則を知らん?不幸なイメージを抱いてたら、そういう生き方しかできへんで。やめとき」

私はむっとして、返した。
「堀先生は、幸せな家庭で育ったでしょう?」
私には自由奔放に生きている人は皆そう思えた。
すると、堀先生はなんでもないことのように言った。
「別に不幸でもないけど、俺は子供の頃に両親は離婚してるで」

あのとき、自分の中で何かが変わったことを今でも覚えている。

それから、次に私が変わったのは、彼との出会いだ。
私のことを幸せにしたいと言ってくれた人は、確かに何人かいた。
だけど、彼はずっと呪文のようにこう言っていた。
「かおりは幸せになっていいから」と。

私を幸せにするのではなく、幸せになっていいと、そう言ってくれたこと。
それが、私にはとても大きなことだった。

びりけんのマスターも同じようなことをアドバイスしてくれたっけ。
「みんな幸せになるために生まれてきたんやで」と。

あの頃から、少しずつ私は変わってきたように思う。
でも、やっぱり性質というのは、そんなにすぐには変わらないもので・・・
それほど能力もないくせに、いつも完璧でありたいと頑張って、打ちのめされる。

「あれはどこだったの?」
母にあの日のことを尋ねられたら、そうしたら、本当に自分は変われるかもしれないと、いつもそう思う。
だけど、いまだにあの幼い日の思い出を口にはできない。
それが、なぜなのかはわからないのだけれど・・・。

埋没

2007-08-10 23:36:36 | 想い
今日も既に11時を過ぎたが、まだ彼は帰ってこない。
また1時近くなるのだろう。

ずっとこんな日々。
朝30分、夜1時間。一緒に暮らしていても、顔を見るのはそれくらい。
何かおかしいとは思うけれど、仕方がない。

大きなことは望まない。
せめて週に1度でいいから、一緒に晩ご飯を食べたいと思うのだけど。

子供の頃から思い描いていた結婚生活とはまるで違う。

だけど。

「プレゼンが今までで一番うまくいった。すごく褒められた」
と嬉しそうに報告してくれる彼を見ていると、
まあ、いいか、とも思う。
スランプで悩んで、毎日死ぬほど働いて。
真夜中帰宅した後も、まだ夜中3時過ぎるまで家で仕事して。
そうした頑張りの結果が出ていることは素晴らしい。

仕事がうまくいって、評価を受けたという話を聞いたら、
なんだか泣けてしまった。
頑張ってたもんなぁ。苦しんでたもんなぁ。
これで報われなかったら、ほんまに辞めとき、と言うけれど、結果が出ているのだから頑張ってよかったんじゃないかと思う。

優しい人だけど、意外に根性があるんだ、この人は。

だから、今日も一人で晩ご飯。
ビールと日本酒。
淋しくはないけれど、ぼんやりしてしまう。

家事はカンペキだ。
料理はする。お弁当も作る。床は這いつくばって磨きあげる。洗濯は2日とためたことがない。腰や肩のマッサージまでしてあげる。
生活費は折半。扶養家族でもない。
自分で稼ぎ、彼にまったく負担はかけていない。

私はカンペキだ。
カンペキな妻をやっている。

だけど、なんだろう。これでいいんだろうかといつも不安がある。
漠然とした、不安。
だから、酒を飲んで紛らわす。
少し楽しくなって、まあいいかと自分に言い聞かせ、また新しい朝が来る。

日常に埋没していく自分自身。
打破しようともがいてる。

光はまだ見えない。




おばあちゃんのこと

2007-08-03 23:12:42 | 想い
私がこの世で、一番自分の結婚式を見てほしかったのは、
父親でも母親でも友達でもなく、
おばあちゃんだった。

仏様のように朗らかで、私を誰よりも愛してくれたおばあちゃん。
私もかなりの働き者だが、母はそれより10倍働き者だ。
そして、その母が「こんなに働く人を見たことがない」というのが、
この世界でたった一人、おばあちゃんだけなのだ。

昔の人は誰でもそうなのかもしれないが、
夫に仕え、よく働き、質素で贅沢も知らず、ただ与えられたことに感謝して、いつも前向きに生きてきた。

私はそんなおばあちゃんが大好きで、母には話せないことでも、おばあちゃんには話せた。

「こんな可愛くて(←ごめんね、孫だから)、こんな賢い子が(←これまたごめんね。孫はかわいいから)、なんで結婚できないかねぇ」
と、私に会うたびに心配していた。
昔の人だから、女がいつまでも結婚しないことは不幸だと考えていたのだろう。
実際はそれほど不幸でもなかったのだが。

でも、そんなおばあちゃんの気持ちは痛いほどわかっていたので、
早く結婚して、とりあえず安心させてあげたいと、そう思っていた。

おばあちゃんに最後に会ったのは、ちょうど2年前の夏。
従姉妹の結婚式で、香川県に行ったときだった。
姪のひなを連れて(ひなは私から離れない)、おばあちゃんと3人で、家の周りを散歩した。
とても穏やかで幸福な時間だった。

だけど、それから1年のうちに、認知症になり、うちの両親が来てほしいと言ったけれど、他の兄弟の体裁もあり、結局、施設に入った。

施設では、とても穏やかに、まるで子供のように笑顔で楽しく暮らしているという。
身内が顔を見せると、何か思い出そうとして混乱してしまうので、おじいちゃんですら、最近はなかなか行く機会がない。

でも、母が言う。
「ずっと贅沢もせずに、働きづめで生きてきた人だから、心穏やかに過ごせるなら、それが何より」

最近は、そうなのかもしれないな、と思うようになった。
何も心配せず、ただ穏やかな心で余生を過ごしてほしいと思うばかりだ。

結婚前、しばらく実家でお世話になっていたとき、朝起きて髪を整えたり化粧をしたりしようと、母の小さな鏡台の前に座った。
髪をとかしたくて、ブラシを探そうと、手当たり次第に引き出しを開けた。
そうすると、1枚の写真が入っていた。

もう少し若い頃の、まだ元気なおばあちゃんが一人で写っている写真だった。

私はそれを見て、気丈にふるまっている母の強さを想い、涙が止まらなかった。
きっと母は、毎日鏡台に座るたびに、この写真を見ていたのだろう。
母にとっては、「母」なのだ。

私を入れて6人もの孫がいて、みんな結婚しているのに、
誰一人としておじいちゃん・おばあちゃんを結婚式に招待する人はいなかった。
(私の姉のときは、おばあちゃんが体調を崩していて無理だった)

私が誰よりも見せたかった花嫁姿。
でも、もう見せることはできない。
おじいちゃんだけは、なんとか招待できたが、せめてあと1年早かったらと、悔やんでもどうしようもない想いに駆られる。

先日、おじいちゃんに結婚式の写真を送った。
私が一番きれいに写っているものを。
いつもおじいちゃんへの手紙は、おじいちゃんの名前しか宛名に書かないのだけれど、あえておばあちゃんの名前も書いた。

もう誰のこともわからない。
ただ、ニコニコ笑っているだけ。
でも、もしかしたら、私の写真を見て、一瞬でも記憶が戻るのではないかと、そんな願いをこめて送った。
あんなに私の結婚を望んでいたから、見て安心してほしかった。

おばあちゃんのことを想うとき、いつもこう心で言う。
「心配かけたけど、結婚したよ。とっても優しくて素敵なダンナさまだよ。今、とっても幸せだから、安心してね」と。

母は毎月なんとか時間を作って、おじいちゃんに会いにいっている。
身内の恥をさらすようだが、隣に住んでいる(!)弟夫婦は何の面倒もみてくれない。1日に1度の挨拶すらないという。
母が行くたびに、カビ臭い布団に寝て、雑草が生えた家に暮らすおじいちゃん。
何度も大阪に来てと頼んだが、それでも生まれ故郷を捨てられないおじいちゃんがいる。

前に一度、おばあちゃんのことを日記に書いたら、
「あなたは何でも人のせい。あなたはおばあちゃんに何をしてあげた?」
と書き込んできた人がいた。
人がこんなに弱っているのに、まだ攻めてくるなんて、すごいなぁと思った。
また今日もその人が何か言ってくるのかもしれないな(笑

確かに私は何もできていない。
だけど、私にも生活がある。
そんな毎日のようにいけるはずもない。せいぜい年に数回で。
だけど、もし自分が隣に暮らしていたら、毎日顔を見せる。
毎日ご飯を一緒に食べる。
毎日いろんな話をする。
それができる場にいて、しない身内がいる。
母が嘆くのも当たり前で、私たちは自分にできることをするしかないのだ。

今日、おじいちゃんのところへ行って帰ってきた母が電話をしてきて、かなり長い間、嘆いていた。
愚痴とか怒りとかじゃない。本当に「嘆き」だ。
弟の嫁に、
「他人がそばで暮らしてあげているだけ、感謝しろ」
と言われたという。

「最初は腹が立ったけど、本当ね・・・」
と母が言う。
「他人はそういうものなのかもね。びっくりしたけど。今は、感謝してるわ。おかげさまで、餓死することはないと思うしね」
なんて気丈に言っている。

反面教師じゃないけれど、私は彼のご両親を本当に大事にしようと思った。
母にもそれを告げた。
「さとしくんのご両親を本当に大切にするわ。二人とも体が弱いし」
そう言うと、母はにっこりして(電話だけど、そんな気がした)、
「そうね。それがいい。そうしないとだめよ」
と言った。

ちなみに母はもう40年、大阪で暮らしているが、本当にこんなしゃべり方だ。
私と違って、上品なんだよ、あの人は。

彼に「俺を勝手に殺すな」と怒られそうだけど、
例えば、彼が先に死んでも、私は彼の家族を守っていくだろう。
それは、結婚する時に自分自身に誓ったこと。
うちのアホみたいな健康家族と違うから。
極端な話、私は自分の母親が溺れていても、彼の母親を先に救うだろう。
それは、たぶん、母がそうしてほしいだろうと思うから。
あの人はたぶん自力で脱出できる(笑

明日は、彼のご両親の実家、徳島の「まおまお村」へ行く。(←ウソ)
いや、ご両親の実家へ行くのは本当だ。
彼のご両親と私たちと4人で。
お母さんは「かおりさん、私たちと道中一緒でしんどくないかしら?」と気にしてくれているようだが、全く平気。
お母さんが心配するような「気を遣う人」じゃないんだ、私は。
ご両親には全く気を遣わないので(それもどうか?)、楽しくやれる。
それより、あんなに疲れきっている彼が、徳島まで運転できるのか、そのほうが心配だ。(彼のお父さんも病気で運転が無理。私は無免許)

楽しい1日になるといいな。
彼のお父さんが病気になってから、田舎へ帰ることができなかったので、お母さんもとても楽しみにしているとか。(メル友だから)
よかったなー。

家族が増えるというのは、楽しいことだな。
私は自分の家が好きじゃなかったから、とても楽しいことに思える。
私の母も「家族が増えるのは楽しいわね」と笑っていた。
彼のご両親がいい人でよかった。
鬼姑だったら、困ったけどね。(まぁ、戦うまでだが)

お盆には、彼のお兄さん夫婦の家にも遊びに行く予定。
彼のお兄さんという人が、これまた、彼のいいところだけを詰め合わせたような人で・・・(笑
その奥さんも、いつもニコニコ笑って、おしゃべりな楽しい人。
会いにいくのがとっても楽しみだ。

いろいろな人に止められているけれど、やっぱり自己満足でも一度は彼と二人でおばあちゃんの施設を訪ねよう。
もしかしたら、一瞬だけでも、記憶を取り戻してくれるんじゃないか、なんて。
そんな望みを託して。

おばあちゃんが亡くなるまでは、たぶん私に子供はできないだろう。
以前、おばあちゃんが言っていたのだ。
「おばあさん、かおりちゃんの子供に生まれ変わるから」と。
私はなぜか、その言葉を今でも信じてるんだなぁ。
そして、それが本当であってほしいと、そう思っているのだ。

おばあちゃーん!!

1通のメール

2007-06-26 01:44:09 | 想い
さっき、メールをチェックしたら、1通のメールが届いていた。
このブログを読んでくれている女性からだった。

いつからか私の日記を読むようになり、日に数度も更新をチェックするほど好きになったとのこと。
それほど長いメールではなかったのだが、その中に何度も何度も、「あなたの文章が大好きです」と書いてあった。
そして、「もっともっとあなたの書いた文章を読みたいです」と。

自分の人生の集大成にする!とホームページを立ち上げたのはいつだったか。
もう6年以上前だ。
料理・食材・器・本・紅茶・旅・ブルース・仕事・エッセイと盛りだくさんのコンテンツで、自分のこだわりと好きなものを全部文章にして詰め込んだ。

その中に、「日記」も作った。
なぜか見知らぬ人が毎日読んでくれ、時には私の日記を初めて読んだ日からすべてを遡って読んでくれる人もいた。

私の日記をプリントして持ち歩いていますとか、
プリントしたものを時々読み返して、励みにしていますとか、
どうしてもありがとうと言いたくてメールをしましたとか、
本当に何通もそんなメールをもらった。

・・・どれほど嬉しかっただろう。
いつか自分が書いたものが、たった一人の人の心にでもいいから光になりますようにと、明日また歩ける希望になりますようにと、願いをこめて書き続けてきた私にとって、こんなに嬉しいことはなかった。

もちろん、いいことばかりじゃない。
そんなふうに日記に書いたら、「あなたのような人がそんなものを書きたいなんてあつかましいにもほどがある」とか、「あなたは自分の汚物を自分の日記でさらけ出して、ネット上に流しているのと変わりがない」とか、「もっともっと不幸になれ!あなたが泣いていると、笑いが止まらない」とか、そんなメールも何通か来た。

別にそんなことに落ち込みはしなかった。
気の毒な人だなぁと思っただけで。

でも、知り合いに、「もうダンナからあなたの日記は読むなと言われている」とか、「あなたの日記を読んだら当事者として立ち直れなかった」と言われたときは、かなりへこんだ。
人の悪口や中傷を書いたことはないつもりだけれど、私の赤裸々すぎる気持ちの表現や事件の描写が、現実にその場にいた人間にとっては気に障ったり、傷つけたりすることもあったようだ。
もちろん、そんなつもりはなかったので、後でそれを言われて私自身もショックだった。(こういうところが私の欠落した部分なのだろう)

実は、最近もそういうことがあって、私は落ち込んでいたのだった。

自分がした失敗とか、信じられないような過ちとか、
そういうこともへこむけれど、
自分が書いたものが人を傷つけたと知ったときの落ち込み方というのは、
ちょっと尋常じゃない。

何か書こうと思っても、言葉を選んでしまい、怖くなって。
そうすると、ずっと自分の味方だった言葉たちが、他人のように遠くなってしまい、やり場のない焦燥感を抱えて、ひどく孤独で。

だけど、さっき、見知らぬ人のメールに救われた。
何度も読み返して、ひたすら泣いた。

『ご自身のはけ口でも何でもいいです。
もっともっとあなたの書いた文章を読みたいです』

このくだりで、嗚咽するほど涙が出た。

散々泣いた後、また、言葉たちが私の味方になって、そばに近づいてきた。
ああ、楽になった。救われた。

絵でも音楽でも工芸でも何でもいいけど、
何かをクリエイトしたいと思っている人なら、なんとなくわかってくれるんじゃないだろうか。
「それ」が自分の「味方」だと感じる瞬間の喜びを。

あんなに他人行儀だった言葉たちが、今はまた私の中に入ってきて、感情のままに文章を形作っていってくれる。

・・・本当に、何とお礼を言ったらいいのかわからない。
私を救ってくれたメールの差出人の方へ。
きっと読んでくれていると思うから。

『ありがとうございました。
これからも書いていきます。』


アルコール依存症予備軍的な日々にサヨナラ

2007-06-25 19:21:21 | 想い
日記を毎日書かなくなってから、「日々を振り返る」という習慣がなくなってしまった。
ブログも更新をさぼりがち。
やっぱり何か毎日書きたいな。しょうもないことでもいいから。

最近の私はどうも調子が悪い。
結婚準備、新居引越し、挙式、新婚旅行、もろもろの手続き・・・忙しくしている間はよかったのだが、それらが一段落してみると、酒浸りの毎日。

私の友達もほとんどみんな酒飲みだし、私なんてまだ休肝日を作っているほうで、ほぼ365日毎日飲むという友達もざらにいる。
だけど、私の酒の飲み方は、アルコール依存症予備軍的な飲み方なので、非常にまずい。
この間もテレビを観ていたら、人と一緒に飲んだり、ご飯の時に飲んだり、とりあえず楽しく飲める人は大丈夫だと。
ヤバイのは、精神的に落ち着くために「とりあえず1杯飲もう」という人。
なんだかわからないけど、「とりあえず飲んでおこう」とか、一人で飲むとか。
これが予備軍なのだとか。

聞いていて、あまりに当てはまりすぎるのでドキッとした。
朝でも昼でも、精神的に不安定になってくると、「とりあえず飲もう!」とグラスを出してくる。
さすがに昼間だと「1杯のつもりが・・・」とずるずるやってしまうことはないが、精神的に依存していることは間違いない。

精神不安をここに書くということを止めて半年。
もう大丈夫だと思っていたけれど、まだ「日記」は必要なのかもしれない。
以前のような日記はもう書くつもりはないけれど、もう少し「書くこと」をはけ口にしていこうかと思う。
誰も傷つけないように、それだけは配慮しながら。

なんだかわからないけれど、漠然とした不安がいつも心にあって。
自分の存在がおぼつかない、というのか。
自分自身ではなんともできず、友達がメールをくれたり、遊ぶ約束をしたりすると、それだけでほっとする。
自分以外の誰かが自分を認め、求めてくれないと、とても不安。

彼?
彼はもう家族になってしまい、絶対的な信頼をおいているので、「第三者」としての存在にはなりえず、この点に関しての不安解消には繋がらない。

いろんなことがわかりかけて、劇的に変化していった30代。
でも、どうしても破れない壁・・・いや、触れない壁が1枚ある。
少しずつ良くなってきているけれど、前を向き始めたときに、過去が邪魔をしたりする。
私がどれほどダメな人間であったかということを示されたりすると、まだまだ土台のできていない私は、すぐに崩れる。

昔ほど、ずるずると芋づる式に自己嫌悪の日々をほじくりだしたりはしなくなったけれど、それでも嫌な映像が自分を追い詰めて、結局そこから逃れるために酒を飲む。

でも、それも今日からやめた。
酒をやめたわけでなく、こういう飲み方をやめた。
どうしようもないときは、書けばいい。何でもいいから言葉に向かおう。

昨日、気付いたのだ。
私にはこういう武器があったんだったって。

ちょっとだけ淋しい日

2007-06-20 21:52:13 | 想い
ブログを開いて、何か書きかけては消し、
またしばらくして開いて書いては、また消し・・・

そんなことをこの3日間、続けている。
書きたいことがあって書こうかどうか迷っているというのではない。
ブログでも何でもいいのだけれど、真っ白な紙(文字が書ける)を
見ていると、安心するのだ。。。

公開するか、しないかはあまり問題ではない。
だから、Wordを開いて書いて消し、また開いて書いて消し・・・
と、別のところでもやっている。

友達にメールを書いては消し、また書いて、結局「ご飯食べに行こう」とか「元気?」なんて書いたのだけ送ったり。

心の中のモヤモヤがどうしても消えない。
今日は久しぶりにドカ食いをした
でも、こんなのも今日を最後にしよう。

せっかく楽しい新婚生活で笑いが止まらないのだし。
小さなことで心を悩ませてしまうのはもったいない

外は、うるさいくらいの蛙の鳴き声。
今晩は、南風がよく入る。

もっといろいろ書きたいけど、感情が思考を邪魔して、
思うように書けない。
一人は嫌いじゃないけど、今日はちょっと淋しいなぁ。
明日は元気になれるかなぁ

私はOKじゃない、それでOK!

2007-06-18 21:55:57 | 想い
もしかしたら、もう随分長い間、私は落ち込んでいるのかもしれない。
なんとか忘れようとして、でも時々それはまた浮上してきて、その繰り返し。

自分のことを話すのは好きだし、おしゃべりな私だけれど、意外に本当に自分の心を苦しめていることというのは、口に出せない。
たぶん、一般的な人がそうであるように。

でも、それは秘密主義なわけではないし(私にヒミツシュギなんて言葉は縁遠い!)、自分のことは自分で解決しようとか、そんな立派なことを考えているわけでもない。

上手に話せるのなら、話したいし、誰かに聞いてもらいたいのだけれど、うまく話せない。言葉が見つからない。
それが正しい理由だ。

文章にしてもいいのであれば、いくらでも上手に相談ができるのだけれど、それすら去年、禁じられてしまい、書くこともできない。
そして、本当に大事なことは、いつだって言葉にならない。

彼がときどき、「かおりー、なんか悩んでるのか?何でも話してや」と優しく声をかけてくれるのだけど、私は「別に・・・」としか答えられない。
この感情を言葉に表すのなんか無理だ。

この間、ポツポツと少し自分の性格について悩んでいることを話したことがあったのだけど、私がそういう話をするのは非常に珍しいことで、彼も少しおどろいていた。
その内容は、もう長い間自分の中で考えに考え続けたことで、かなり言葉としてまとまっていたから、ゆっくり吐き出していくことができたように思う。

今のこの気持ちも、そういうふうに時間をかけて、ゆっくり言葉にして話せたらいいのだけれど、とりあえず今は形にはならない。
ただ、今日、自分の中で1つの区切りはついたような気がしている。
自業自得だといわれれば、そうかもしれないし、不可抗力だと思えば、そう言い張ることもできるような気がする。

いろんな意味でショックは大きかったけれど、もう忘れようと思っている。
反省すべき点は、今後に生かしつつも。
「損得の前に善悪がある」
この言葉を実践しようとしても、その「善悪」の判別が人それぞれであれば、必ずしも良い結果にはならない。

昔、中学生のときかな、ある友人に、こんなことを問われた。
「大阪に、ゴジラが現れたとする(←どんな設定や?)。私は建物の下敷きになり、あなたに逃げてほしいと言ったとする。あなたは一人なら逃げられる。さて、どうする?」
ちなみにこの友人は、中学生でこんなことを聞くくらいだから、ちょっと変わっていた。今はどうしているのか知らない。

私は言った。
「逃げられるとしても、やっぱり最後まで、あなたを助けようとする」と。

そうすると、彼女は「それは間違っている」と言った。
「それは、私の気持ちを無駄にすることになる。そこは、自分だけでも逃げることが優しさなんだ」と。

彼女の言いたいことはとてもよくわかる。
だけど、私はやっぱり万に一つの可能性にかけて、最後まで彼女を救い出そうとするだろうと思った。たとえ、二人とも死ぬことになっても。

今日、20年ぶりくらいに、こんなことを思い出した。
人にとっての「善悪」の価値観は違う。

だから、「私なら・・・」と思う。
私なら、いろんなものを失っても、人の想いを大事にしたいと。
それが自分の「善」。
でも、そうでない人もいる。人の想いをつぶしても、守らなければならない大事なものが他にあると。
それはその人の「善」。

「損得の前に善悪がある」なんて、それを実践する人によって異なり、あまり意味などもたないことだと、今日初めて思った。

中3のときのあやが手紙で私のことをこう書いた。
「無謀かつ情熱的」だと。
20年経った今でも、これ以上に私のことをぴったり言い当てた言葉は見当たらないと思っている。
(「オッサンと少女が同居している」というのは次点)

ゴジラが現れて、建物の下敷きになっている友を、私はやはり今でも置いて逃げることはできない。
それが、友の願いであり、愛であったとしても。
結局それは、自分本位、自己満足、自己愛の表れなのかもしれないが。

それでも今は、こういう生き方も、決して間違いではないと思っている。

今年、ひのき(私が教えていた塾)が人材不足でヤバイという状況になったときも、戻るつもりでいた。
結局、大丈夫だったのだけど、ある人に話したら、「結婚するんやし、自分のことをもっと考えや」と優しい言葉をもらった。
だけど、私は忠犬ハチ公だから。

23歳、大学4回生だった。
作家になると就職活動もせず、ふらふらして、酒ばっかり飲んでいた私を、救ってくれたのは、ひのきだった。
子供たちの未熟さと優しさを、生きていくことのひたむきさを、不器用な人間のせつなさを、そして、そういうことと触れ合うことの大切さを、教えてくれたのはひのきだった。
私はひのきと出会わなければ、ずっと自分の中の優しさを知らなかった。
未熟な子供たちと接することで、私は自分の中にある優しさに気付くことができた。ひのきにいれば、いつも少しだけ優しくなれた。

私にとっては、灯りのともる家だった。
この世でたった一つの居場所だった。

今は、ここに本当の灯りのともる家がある。
長い間の、両親との確執もなくなったように思う。
だからといって、あの頃受けた恩は絶対に忘れることができない。
あのとき、ひのきがなければ、たぶん、今の幸せもないからだ。

話がずれたが、以前の私とは違い、完璧ではないおかしな自分のことも、少しだけ認め、好きになれるようになったように思う。
向上心をもつことは大事だけれど、完璧になる必要など、きっとない。
たぶん、以前なら、今日はやりきれない夜だった。
だけど、今の私は起こった全てのことを日記に書かなくても自分の中で折り合いをつけられるし、いろんなことを前向きに捉えることができる。

去年、社内報を辞めたとき、私は本当に辛かった。
大好きだったひのきを辞め、今まで中途半端にしていて迷惑をかけていた社内報の仕事に全力を注ごうと決めた時だっただけに、ショックも大きかった。
辞めなければならない理由というのがわからず、モヤモヤした時間を過ごした。
辞めてから、取引先(社内報の会社の大元)の社長の意向だったと、こういう結果になってごめんと言われ、なぜ最初にそれを話してくれなかったのかと、不思議だった。
何でも白黒はっきりしないと気がすまない私にとって、「辞めなければならない理由」がはっきりしないことで疑心暗鬼になり、とても苦しい時間を過ごしたからだ。
どんな理由であれ、理由さえわかればよかったのだ。
元々、いつ切られても仕方のないフリーの身。
ただ、信頼関係があると信じていたから、「切られる」ということは想定せずに、いつも全力で優先して仕事をしていた。
だから、やめることが決まってからの3ヶ月間は本当に辛かったな・・・
人生でも忘れることのできない3ヶ月間だ。

だけど今になれば、辞めてよかったと心から思う。
社内報の仕事は大好きだったし、本当に心から、会社の発展を祈っている。
忘れた日は1日だってない。
それでも、自分は結果的に辞めてよかったんだと今は思える。
所詮、組織の中でやっていくには不向きな人間だし、長くいればいるほど、迷惑をかけただろうし。

いろんなことがうまくできている。
いや、自分の心次第なのかもしれない。
愚痴や不満を言い続ければ、そういう空間しか生まれないし、感謝をすれば、また感謝したくなるような状況が生まれる。

ひのきを辞めた、社内報を辞めた、そういう自分にとって大きな変化も、良しと捉えれば、それは「良し」となる。
あの頃も幸せだったことは確かだし、今、全く違う状況の中で、それでも幸せなことも事実。
世の中のことは、白か黒かじゃないんだな。
グレーの部分が大半で。
私はもっとそれを受け入れなくてはならないと思う。

読んでいる人にとっては、何を言いたいのかわからないかもしれないが、今日これを書くことによって、随分救われた。
たまにはこんな日記もいい。
また明日、がんばろうや。
ねぇ。

だんだんわかった。

2007-06-11 23:01:03 | 想い
シカゴから帰ってきた。

改めて思った。
日本はええなぁ。
私はやっぱり日本以外のどこにも住みたくないな。

それは一つの感想。
だからといって、シカゴの旅が悪かったわけではない。
その全く逆で、本当に素晴らしい旅だった!
1年に1回はシカゴに行きたい。
それくらい。

シカゴのことは後でゆっくり書こうと思うが、本当に楽しかった。
いろんな人との出会いがあった。
毎日ブルースを聴いた。
私は、この旅の中で自分に1つ決着もつけた。
それについてもまた書こうと思う。

今日先に1つ言うとすれば、私は本当にブルースが好きなんだと実感したということと、何かにひたむきに向かう人は素敵だということを学んだということだろうか。

そして、わかったことがある。
私は書き続けよう。
彼が「ただ言葉が好きなんだ」と書いていたのを読んだ時、本当にそうだと思った。
私もただ言葉が好きだから書き続けようと思った。
だけど、今は少し違う。
6日間、書かなかっただけで、私はもう死にそうだ。
疲れて帰ってきても、まずやりたいことはこれしかなくて。

これからお風呂に入って、それから、あふれてくる何かをとにかく書いてみようと思う。
書かなければ私は死んでしまう。
理由なんかない。
そういうふうに生まれついた。ただ、それだけ。

想定外の「幸せ」プラン

2007-06-02 10:14:53 | 想い
頭や心をフル活動させて、朝から晩までひたすらに働き続けてきた自分の「心の状態」をよく思い出す。
映画の登場人物の気持ちを想像するような、そんな距離感と親しみ。

大学のドイツ語の授業でカフカを読んで、
「人間の最も大きな罪の1つは怠惰だ」
という言葉に、何かしら衝撃を受け、
自分がそれまで漠然と感じてきたもの…………動いていないと悪いことをしている気分、きちんとしていないと“誰か”に怒られる…………の正体が、はっきりわかった気がした。

漠然としていたものが、言葉になってインプットされると、それはもう呪縛のようなもので。
「怠惰は罪」
休もうと思っても、自分で自分を許すことができず、スケジュールのほんの小さなスペースすら「何か」で埋めてきた。
もちろん、それはいつも「仕事」であったわけではない。
料理・掃除といった「家事」であったり、友達と会うことであったり、日記を書くことであったり。
多少、病的に自分を律していた。

例えば、「疲れているときは絶対に座らない」。
朝家を出て、真夜中に帰る。
当然、疲れている。
私も普通の体をもった人間だから、座ったらもう動けなくなるのはわかっている。
だから、絶対に座らない。
家に帰っても、そのまま家事をしたりして、やることをやってから座る。

そういう私にとって、「お酒」というのはガチガチの自分を解き放してくれるもので。
酔っ払って帰ってきた日だけは、何にもしないでそのまま布団の中にもぐり込む。
「怠惰は罪」という呪縛はどこかに消え去って、ひどく安らかで、心地良くて。
私にとって、「お酒」というのは、ずっとそういう日々の「相棒」みたいなものだった。
完璧にできない完璧主義者で、肩の力がガチガチに入った私を、解放してくれるヤツ。
それが、刹那的なものであったとしても、だ。

だけど、最近この相棒はあまり優しくない。
いや、私がいつからか、相棒との付き合い方を間違えた、というべきか。
「怠惰は罪」と呪縛をかけてしまった自分を解き放してくれていた間はよかったのでが、今はお酒を飲むことで怠惰になっている。
もちろん、呪縛はかかったままだから、私は徹底的に落ち込むハメに陥る。

私はひどくバランスの悪い人間で、物事は常にALL or NOTHING!
グレーゾーンを心にもたない。「あいまい」ほど苦手なものはこの世にない。
だから、環境や接する人や状況が変わると、うまくバランスをとれなくなる。
そして、崩れる。

今はまさにそんな時期で。
この半年の変化といったら、それまでの10年分よりもっと大きな激動の半年間だったのだから。
10年やってきた2つの仕事から離れ、全てを白紙に戻し、
もう結婚などしないだろうと思っていた人生もまた、ひっくり返った。

どう生きる?
どこに向かう?
私は何がしたい?

もう一度、ゼロから考えないと進めない、そういう不器用さとバランスの悪さをもっている。
とても時間がかかるし、自分にはとても負担になる作業だ。

だけど、逃げてばかりもいられない。
今の幸せを受け止めて、その自分でまた新たに人生に挑まなければ。
あまりにも想定外の「幸せ」を、自分の中でどう処理していいのやら……、そんな気持ちもある。
不幸をはねのける人生プランは、いくらでも用意していたのに。
幸せな気持ちを抱きながら生きる人生プランは全く白紙だったから、これから描いていかなくては。

そんなことを言うと、「肩の力抜いて何も考えなければいい」と言われることもあるが、それができるなら苦労はしない。
考えて、考えて、それでもちゃんと進んでいく。
そういう生き方しかできないし、ぶつかっても転んでも、まっすぐ歩くこのやり方しかわからない。

お酒がまた良き相棒となったときが、次の一歩なのかもしれないな。

レイ・ヴォーンの「Life By The Drop」を聴きたくなった。
酒びたりの人生で終るつもりはないけれど。


鬱が晴れた朝

2007-05-11 11:52:43 | 想い
今朝はとても気分がいい。
「鬱」が晴れた日は、生まれ変わったような気持ちになる。

例によって、一昨日の夕方から昨日にかけて鬱で。
もう自分ではどうしようもないのであきらめていたが、仕事が進まないのが困る。
普段なら3時間程度で済むはずの仕事に半日かかってしまった。
心の中に鉛が入っているかのように気が重く、
体もだるくて、何もする気が起きないのだ。

理由はない。
何かに悩んでいるとか、落ち込んでいるとかでもないので、もうどうしようもなく、「またか・・・」という感じで、ただそれが去っていくのをじっと待っている。
仕方なく、昼間っからウイスキーを流し込んで、気分を高揚させて仕事をした。

今朝になったら、嘘のように気分がいい。
体も軽いし、何でもできそうな感じ。
暗く沈もうと思ってもできない。

前は「毎日、日記を書く」ということを日課にしていたので、この「鬱」の日でも書いていたから、そういう日の日記はもうめちゃくちゃだった。
で、心配してコメントをくれた人が、翌日けろっとしている私の日記を読んで驚く・・・というか、拍子抜けする・・・というようなことも多々あったようだ。
今は毎日書くということを義務付けていないし、なるべく「日記」ではなく、テーマをもった雑記風に書きたいと思っているので、もうあんなふうに人を心配させることはないのだろう、と思う。

このいつやってくるかわからない「鬱」は、ずっと付き合っていくしかないのかもしれないな、と、最近は気楽に考えるようにしている。
昨日は世界が沈んでいくかのような悲惨な気持ちでいたのに、今朝は世界の美しさに目を細めてうっとりしている。
五月晴れ!!
風が透き通ってる。

仕事は後回しにして、少し散歩をしようかな


結婚式は何のため?

2007-05-02 02:15:35 | 想い
結婚式っていうのは、何のためにするのかなと、挙式後、改めて考えてみた。

正直に言えば、私は「結婚式をしたい」と思ったことがなかった。
昔からそう主張していて、「夢がない」と周囲の人に言われたこともあった。
実際することになっても、最後の最後まで、「なんで結婚式なんてやることになっちゃったんだろう」と思い悩んでいた。

「自分が主役になれるんやで」などと、結婚式肯定派の意見を聞くたびに、よけい嫌になっていた。

・・・こっぱずかしい。

単に、それが理由だ。

人のお世話をするのは大好きだけど、人が私のために何かをしてくれるなんて、申し訳なくて、しんどくて。
「主役」の自分を思い描くたびに、どうしていいのかわからなくなって、混乱していた。

だけど、挙式が終わってみて思う。
あんなこと考えていたこと自体が、傲慢だった。
「申し訳ない」と思い、それを伝えること自体が申し訳なかった。

私は、自分の友達のことを本当にわかっていたんだろうか?
知っていたはずだ。
私の友達はみんな、「人の幸せを自分のことのように喜び、人の不幸を自分のことのように悲しむ」人たちだということを。
そういう人たちだから、今まで付き合ってきたはずだ。

みんな本当に楽しそうで。
本当に幸せそうで。
「いい式だった。呼んでくれてありがとう」とまで言う。

私は何を見ていたのかな。
どうしてそのことがわからなかったのだろう。
本当に傲慢だった。

結婚式って、何のためにするんだろう?
この疑問の答えは見つかっている。

自分がいかに多くの人に支えられ、たくさんの愛情をもらって生きてきたかということを再確認するためにあるのだ。
少なくとも、私にとってはそうだった。

「結婚した」ということも重要だけど、それ以上に「結婚式をした」という、この経験によって得たものは計り知れない。
友達はすごい!本当にすごい!
それを実感した。

挙式の話はたくさんあるので、少しずつテーマを決めて書いていきたいと思う。
とりあえず、今日はここまで。
あふれる思いはあるのだけど、仕事が忙しくてなかなか書けない。
でも、忘れないうちに、少しずつ書いていきたいと思う。
読み返すたびに、きっとこれは私の新たな力になる。

この場を借りて。

参列してくださった皆さま、どうもありがとうございました。
それから、お祝いのメール、コメントをくださった皆さま、どうもありがとうございました。

心から、感謝!

第一歩を踏み出そう

2007-04-28 20:12:18 | 想い
おじいちゃんが来た。

母が、昨日の晩、高松まで行って、今日連れて来てくれた。

おばあちゃんが施設に入ってから、めっきり弱ってしまったおじいちゃん。
今年90歳。
周りのお友達もみんな亡くなって、淋しい毎日を送っている。
大阪に来ることを何度もすすめたが、住み慣れた土地を離れるのは嫌なようで、弟夫婦の隣に一人で住んでいる。
母が1ヶ月に1回は行って、様子を見たりお世話をしたりしている。

私の結婚式も何度も誘っても、体がしんどいからもう行きたくないと言っていたのだが、急遽、「やっぱり最後かもしれないから、行く」と言い出した。
式場の人には迷惑をかけてしまったけれど、なんとか席を確保。
気が変わらないように、手紙も出して、絶対来てねとお願いした。

そして、今日、母が連れて来てくれた。
一緒に実家でご飯を食べた。
とても嬉しそうに笑っているおじいちゃんの顔を見て、ああ、来てくれてよかったと、しみじみ思った。

ここにおばあちゃんがいれば・・・と思わずにはいられない。
だけど、また彼と2人で会いに行くつもりだ。
もう、私の事もわからないかもしれないけど。

おじいちゃんだけでも来てくれてよかった。
6人も孫がいて、孫の結婚式に出るのは最初で最後。
来てくれることになって、本当によかった。
私の幸せな姿を、おばあちゃんにも話してくれたらいいな。

・・・・・・・・・・・・・・・

いよいよ明日。
本当に明日だ。

昨日は、のぶえちゃんが企画してくれて、中野ともんちゃんと4人でお祝い会をしてくれた。
明日来てくれるだけで、もう十分なのに。

自分がもてなしたり、企画したり、盛り上げたりは大好きだから、いつもそうやってきたけれど、人にこういうことをしてもらうことが初めてで、なんだかどうしていいのかわからない。

申し訳ない、と言うと、中野が「一生に一度のことやん!」と言った。
そうか。
結婚っていうのは、とっても大切なイベントで、周りの人をとっても幸せにするんだなぁ。
みんなニコニコしてる。

毎日、いろんな人の想いにじんわりしている。
とても嬉しくて、ありがたくて。
感謝の気持ちが勝手にどんどんあふれてくる。

もう迷いや不安はない。
ただ幸せをかみしめて、一歩を踏み出そう。

これが本当の第一歩。
明日、踏み出す。



挙式1週間前。どうしていいのかわからない。

2007-04-23 14:01:04 | 想い
週末、ゆうちゃんに会って、結婚式で使う「ウェルカムボード」を引き渡してもらった。

テキスタイル・デザイナーのゆうちゃんが作ってくれたウェルカムボード。
2月から3ヶ月間、構想と制作に時間をかけてくれた。

ゆうちゃんに頼んでおけば間違いはないと思っていたけれど、
そのあまりの出来の素晴らしさに、胸が詰まるほど感動した。
想像をはるかに超えた仕上がりだった。

技術的な素晴らしさはもちろんだが、プラス、私のことをよく「わかってくれている」ということを感じた。
私がどんなものを好み、どんなものに感動するのか。
親友というのは、本当にありがたい。

持って帰って、彼に見せると、彼も驚嘆の声を上げた。
挙式が終わっても、ずっと家に飾ろうと話した。

プロの仕事っていうのは、こういうことをいうんだなぁ・・・
私はプロのもの書きとして、これほどのレベルのものができるだろうか。
そんなふうに、自分自身を振り返る。
もっともっとスキルを磨かなくてはと、いい刺激にもなった。

・・・・・結婚式まであと1週間を切った。

今朝も、メソメソしている
仕事をしている間はいいのだが、ちょっと休憩したりぼんやりしたりしていると、なんだかとてもしんどい。

どうしていいのかわからなくて。

彼にも昨晩話していたのだが、「一生の思い出になるようにやりたいことやりたい」とか、「一生に一度の記念に残るように楽しもう」なんて思えるような余裕ゼロ。
自分自身が楽しむなんて、考えることもできない。

来てくれる人がみんな楽しんでくれるだろうか、いやな思いをしないだろうか、お金遣わせて申し訳ない・・・考えるのはそんなことばかり。
当日、もしちょっとでも自分が粗相をしたら、せっかくの結婚式なのに、終わった後、また勝手にへこんでしんどくなるんだろうなぁと、そんなことを考えて、先にしんどくなっているという有様。
究極のネガティブ精神、全開!

人の世話をしたり、人に何かしてあげるのは大好きだけど、人に何かをしてもらうのは、本当に心苦しい。
友達が本当に心から楽しみにしてくれていて、「おめでとう」と言ってくれて、それが嬉しくて嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいで、ああ、もうお腹いっぱいという感じ。
もうこれ以上、みんなが私のために嬉しい顔見せてくれたら、ありがたくて、もったいなくて胸が潰れそうだ。
どうやって、感謝の気持ちを伝えたらいいんだろう。
どうしたら、そのありがたい気持ちに応えることができるんだろう。

結婚式で使う音楽を聴いて、気持ちをならしておこうと思うのだが、既に泣けてくる。ヤバイ、ヤバイ、もう本当にダメだ。
泣き崩れて、バージンロードを歩けなくなるんじゃないかと不安になる。
友達と目が合ったりしたら、絶対ダメだ。

いろんなことを考えて、一人で家にいると、息苦しい。
ふみこに「なんか申し訳なくて・・・」とメールしたら、「何言ってんの~幸せのおすそわけするくらいのつもりで余裕もって」と返事が来た。
ありがたい・・・

本当にどうにかならないんだろうか、私のこの性格
しんどいよ・・・


いろんなことが難しい

2007-04-18 02:23:29 | 想い
母がいつも言っていたことを思い出す。

自分が調子のいい時、幸せな時、楽しい時、そんな時に人に優しくしても、それは当たり前のこと。誰でもできる。(むしろ、できない人はヤバイ)

そうじゃなくて、自分が本当に辛いとき、しんどい時、悲しい時、そんな時にどれだけ人に優しくできるか、それがその人の価値なのだ、と。

本当にそうだなぁと思う。

なかなか難しい。

結婚まであと2週間を切った。
自分が本当に人と一緒に暮らしていけるのか、不安になってきた。
他人が一緒に暮らすのだから、できるだけのことをしてあげたいと思う。
だけど、それがよけいなことだと思われたときに、「ああ、そうか」と流すことがどうしてもできない。

できるだけのことをしてあげたいという気持ちに対して、
できるだけ返してあげたいという気持ちをもつのはそんなに難しいのだろうか。
私には、いろんなことが、よくわからない。

最近、なんかもう・・・ろくに寝ていないせいか、すぐにカリカリしてしまう。
右腕の痺れ&痛みは、結局、首のヘルニアで。
この1週間ほとんど3時間以上連続で眠れたことがない。
慣れてきたけれど。

自分が信じていたものが、パリンと壊れて、
また、落ちていきそうだ。
とても暴力的な気分になる。

2週間後に挙式を控えた花嫁が言うことじゃないな。

だけど、自分自身に不安を覚える。
あんた、大丈夫かと。
誰かと生きていく選択を、私のような人間がしてもいいのだろうか。

なんだかよくわからない。
わからないから、もう何もしないでおこう。
毎日の自分の業務だけをしっかり果たしていけば、それでいいのかもしれない。
これをしてあげたい、あれをしてあげたいと思うから、ダメなんだ。

どこまでが優しさで、どこまでが依存なのか、自分でもわからない。

生きていくのは、やっぱり難しいな・・・
うまくできるようになったと思っても、すぐにダメになる。
結局、最後には矛先は自分へと向かう。
やっぱり何にも成長してない。

神様からの新居祝い?

2007-04-02 02:19:11 | 想い
新居に引っ越した最初の夜に見た夢は、とても幸せな夢だった。
起きてからも、じんわりとして、少し泣いた。

それは、17歳からトータル10年も付き合っていた人の夢だった。
私は、その人に、今自分がどんなに幸せか、
これからどんなに幸せになるかを、
とても幸福な笑顔を浮かべて話していた。

その人も、笑顔だった。

起きてから、ああ、やっと笑顔が見れた、と思った。

24歳から10年以上、その人の「いい夢」は見たことがなかった。
いつも悲しい夢ばかりで。
いつも、泣き出しそうな顔や、恨みがましい顔で、私を見ている夢だった。
ごめんなさい、ごめんなさいと、私はただ謝るだけで。

最終的に「一緒にいない」ということを選択したのは、私のほうだった。
それまで、確かにいろんなことがあり、その人から私を捨てたこともあったのだけど、それでも、私が「一緒にいないこと」を選んだ。

  僕は、本当にこの世の誰ともわかりあえないらしい。
  かおりを除いては。

そう言っていた人だから、ずっと心配だった。
私がいなくなったら、この人は本当に孤独になってしまう・・・
いつも、その人の「孤独」を心配していた。
誰ともわかりあえないくせに、淋しがりやの人だったから。

だけど、本当に孤独だったのは、私のほうだった。
心配無用。
いつの間にか、その人は結婚していた。
この世に、私以外にも、わかり合える人は存在していたらしい。
その知らせを人の噂で聞いたのは、もう随分前だ。
まだ、私も彼と出会っていなくてひとりぼっちだった頃だ。
だけど、心からほっとした。

その後、その人の夢を見たことがあったかどうかは、定かではない。
だけど、記憶のある限り、その人の夢ではいつもうなされた。
ごめんなさい、ごめんなさいと、罪悪感で押しつぶされそうになる夢ばかりで。

だけど、幸せな夢を見た。
それも、新居に引っ越して、初めての夜に。

暖かい朝の光が差し込む中、私は何度も何度もその夢を思い返した。
これは、神様からの新居祝いだろうか・・・。
なぜ、「今日」なんだろう、と思った。
新しいスタートを切る私に、神様がちょっとサービスしてくれたのか?

懐かしい、笑顔だった。

神様、ありがとう。
いろんなことを清算して、新しい私になっていく。
今、本当に幸せだ。