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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

姪っ子のクラスは学級崩壊してるらしい。

2007-12-10 16:21:09 | 想い
「学級崩壊」という言葉はニュースなどで耳にしていたが、実際にそれを目にした人から話を聞いたことはなかった。

昨日、姉が話すのには、姪っ子「ひな」のクラス(小3。普通の公立小学校)は学級崩壊している、とのこと。

それは、参観日のこと。
今は参観日が毎月のようにあって、毎回出席する親もそんなにいないから、1回の参観日に来る親の数は少ないらしい。
私たちが子供の頃って、親が廊下まであふれていたものだが……。

その日も、姉が出席した参観日は5人程度(まず、このことにびっくりする)。
担任は、23歳・女。この春大学を卒業して赴任したばかりのピチピチ講師。

「学級崩壊って、ほんまにあるんやで」
と姉が語る、その現場とは……!
数名親が来ているのにも関わらす、常に5人ほどの子どもが教室内をうろうろしているとか。
それどころか、なんと、ボールを蹴って遊んでいる子もいるという。
動きたい放題、しゃべりたい放題、遊びたい放題。

その間、ピチピチ講師は何をしているかと言えば、笑っているだけ。
時々、注意らしきこともするようだが、ほとんど無関心。
教頭先生が見回りにきていて、その生徒は外に呼ばれ、教頭に何か諭されているとか。そのことにすら、全く無視らしい。

「あの先生が怒ったところ、見たことない」と姉が言う。
「もう、私が怒鳴りつけてやろうかと思ったわ!!」と。(やれやれ~!)

それを聞いていたひなが言う。
「時々、静かにしなさいー!って怒ることあるよ。でも、誰も聞かないし、笑ってるねん。また始まったーって感じ」

なるほど、なるほど。状況も問題点もはっきり理解した。

もう1つ質問。
「その歩き回っている子の親はどうしてるん?」
「ああ、そういう子の親は、来ないから」

なるほど。さらによくわかった。

私はひのきという学習塾で11年教えていた。
進学塾ではなく、おバカさんばかりなので、一昔前は不良みたいな子も多かった。
高校に入れてもほとんど中退してしまう、という学年もあった。
やんちゃだから、15人以上のクラスだと、黙って授業を受けさせるのも大変だ。

「教える」ということは、そんなに難しいことではないと、私は思ってる。
生徒と「仲良くする」ことも。
難しいのは、「叱る」ことだ。

不思議だけど、子供というのは本能で「自分より強いやつか、弱いやつか」というのをかぎ分ける。
特に、ひのきの生徒は非常に野生に近いため(=文化的ではない)、そのかぎ分け能力は高いのだ。
だから、私が最初に堀先生に習ったのは、「なめられるな」ということだった。
なめられて一番困るのは自分だ。授業がやりにくい。授業がやりにくければ、結果、彼らのためにならない。だから、私は決して優しいだけの講師ではなかった。

それでも、自分の担任した生徒には好かれていたと思うけれど、よく他の学年の知らない生徒から「あの先生、コワイ」と恐れられていた。
隣の教室から私が怒鳴ってる声が聞こえるらしい。
「ルール」を守らせるということに対して、私は徹底していた。
別に嫌われても構わなかった。
私が、生徒を好きであれば、それでいい。

ただ、逆に「叱れない先生」を生徒は嫌う。なめる。
「あの先生、あかんわ」と。
学校ではなく塾であり、中学生だったけれど、ひなの話を聞いていて「先生」のあり方は小学校でも同じだと思った。

その証拠に、学級崩壊しているのは、ひなのクラスだけらしい。
ひなは言う。
「隣のクラスの○○先生は、めっちゃコワイねん。だから、あの先生だと、シーンとする」
そして、こう評価する。
「いいなぁ。○○先生がいいわ」と。

しゃべりたい放題、歩きたい放題、怖くもない先生。
そんなもの、たいていの子供は望んでいないのだ。
そこに、1つの救いを見た。

姉はさらに続ける。
「懇談のときも、その先生(ピチピチ講師)は、ひなのこと何も知らないねん」
ほとんどしゃべることもなく、成績も生活態度も、質問をしても何も答えられないらしい。

それは、生徒を見ていないからだ。
見ていれば、愛情を持っていれば、「叱る」ことができるはずなのだ。
無関心にニコニコしているだけなんて、アホでもできる。
「教師」っていうのは、やっぱり「聖職」だと、子供たちの人生を左右する大きな役割と責任のある仕事なんだということを、心して接していかなければムリだ。

この衝撃的な話を聞いた後、夫と二人で話す。
「今の子供が悪いなんてことはない。悪いのは、いつも大人だ」と。
正しいことを、ルールを、勇気や信頼を、友達の尊さを、生きるということの辛さと喜びを、教えてあげるのは「先に生まれた者」の役割。
間接的にでも、そういう学べる環境を作ってあげることが、大人の役割。
そう、子供には何の責任もない。

その子の親にも言いたい。
授業中にボールを蹴っている子供が、将来ろくでもない大人になってあんたを殺しても、あんた、何にも言えないよ。

ついでに。
今の都会の小学3年生は、逆上がりもできないらしい。
クラスの男の子のほとんどができない、とか。
走るのもめっちゃ遅い、何もできない。
毎日ゲームばっかりしてるからだろう。
(ひなはスポーツ万能なので、クラスで2番らしい。姉にそっくりだ。)
ちょっとヤバくないか?日本の将来。

「信じられないねぇ。かおりちゃんの時代は、逆上がりできないのって、かおりちゃんだけだったわよね」と母。
・・・悪かったな!!

家族。

2007-12-09 23:23:30 | 想い
次女らしい「調子の良さ」をもち、小学生時代は甘え上手だった。

中学・高校では、「夫婦の愛」なんてものに疑問を感じ(15歳の日記には「この世の中で愛し合っている夫婦なんてどれくらいいるんだろう」と書いている。シビア)、今では考えられないほど、母親が嫌いで、家族団欒なんてものは自分が母親にならない限りは味わうことはないだろうと思っていた。

高校を卒業して母の愛を知った代償として大きなトラウマを背負い、ますます「家庭」なんてものに疑いをもつ。

恋愛をするたびに、「灯りのともる家」という幻想を相手に押し付け、それでもいつだって「幸せになること」を恐れていた。

正直に言えば、わからなかったのだ。
愛のある家庭というものがどんなものなのか。
いや、そんな大げさなものでもない。
「普通の家庭」というのがどんなものなのか、わからなかったから、怖かった。
憧れて止まないくせに、勇気がないから目をそらす。
そうやって、生きてきた日々。

でも、あることをきっかけに、私は自分の壁を崩壊させた。
触ることすらできなかった壁を、見事に打ち破った。

不幸な人生などない。
あるのは、「不幸な思考」だけだ。

そのことに気付いた日から、少しずつ何かが変わり、何かが動き始めた。
ほんの少しの勇気どころじゃない。
死ぬ気で自分の一番恐れていた「幸せ」というものに向き合おうと決意したときから、心の動きと共に状況も変わり始めた。

家族。
これは、自分が生きていくうえで、一番大きなテーマだったと気付く。

今日、両親と、姉夫婦と、姪っ子とが我が家に遊びに来て、
皆で記念写真を撮った。
デジカメの画面を見た時、本当は少し泣きそうだったのだ。
どこにでもあるような普通の家族。
みんな楽しそうに笑っていて。

こんな写真が1枚あればと、ずっと思っていたのだ。

写真館の取材を10年やって、幾組もの家族の記念写真撮影の場に立ち会った。
ライトを浴びる家族は私には眩しくて。
いつも目を細めて見ていた。

いつか私もあの灯りの下に座りたいと、ただ願った。

デジカメに写った家族の写真。
こんな日が来るなんて、あの頃は思ってもみなかった。

中学生の私に、高校生の私に、大人になって人を傷つけていく私に、伝えられたらいいのに。
この写真を渡して、あなたが一番欲しかったものはちゃんと手にしてるよと、昔の私に伝えてあげたい。

『小さくても、古くてもいい。
そこで家族が笑っていられたら、どんなにいいだろう。
それが、私の欲しい家』

15歳の私は、ちゃんと自分の文章で、
未来を予測していた。

つまらないブログは、つまらない自分そのものだ。

2007-12-05 12:36:33 | 想い
冬期講習のチラシのテキストを頼まれたので、久しぶりにひのきに行ってきた。
ひのきにいると、なぜか落ち着く……。
いくちゃんとしゃべったり、森田さんと「東京に行ってしまったさみー情報」を交換し合ったり、相変わらずカッコイイ杉やんを見て目の保養にしたりした。

テーブルの上に生徒のお歳暮でもらったチョコレートや焼き菓子があったので、普通にガツガツ食べた。
名前もわからない若い女の講師が私が「うまい、うまい」と食べるのを見て、
「・・・そんなに美味しいですか?」
と聞いてきた。
(たぶん、なんだ、このあつかましい人は!と思っている)

・・・はい。うまいっす。

テキストの打ち合わせの後、堀先生とゴハンを食べに行った。
日本酒の美味しい「まゆのあな」。

堀先生は、最近、いつもボーっとしている。
言葉もうまく出てこないようだ。
来年のひのきのことを考えて悩んでいるのだろう。
「半病人」風。

だけど、お店に入ってから、いろいろと私の仕事の話や協力してほしいビジネスの話などをし始めると、だんだん顔つきがシャキッとして、言葉も巧みに使えるようになった。
言葉は悪いが、「悪巧み中」や「ハッタリをかます」とき、堀先生はイキイキするような気がする。
でも、これでこそ、昔の堀先生だよ・・・。
こういう堀先生でいてくれたら、来年も大丈夫なんだけどなぁ。

リセット、リセット。
心を、リセットしなければ。

「自分は絶対に幸せにはなれない」と信じていて、「不幸の星の下に生まれた」と平気で口にし、世の中をナナメからしか見られなかった20代前半の私。
あの頃の私に、「マーフィーの法則を知らないの?思えば実現するんだよ」と教えてくれたのは、堀先生だった。

結局、その意味が本当に実感としてわかるのは、6年も7年も経ってからになるのだけれど。

私の堀先生への恩返しは、まだ始まったばかり。

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「感受性が豊か」だと、子供の頃から言われてきた。
そして、私はその感情を、表情や行動にしろ、言葉にしろ、表すことができる。
(それが、良い場合ばかりではなかったけれど)

「書く」ということを自分の友とし、職業とし、生きる糧としたのは、一体なぜだったんだろうかと、最近思う。

もう7、8年くらいは前になると思うが、自分のホームページを始めた頃は、周りは誰も「日記」なんて書いていなかったし、HPをもっていること自体が珍しかった。
自分は「表現者である」という自信もあったし、自分が生きてきて興味をもち、こだわってきた全てを文章に残しておきたいという想いがあった。
料理、器、食材、紅茶、美味しい店、本、音楽、花、ビーズアクセサリー作り、旅、仕事、小説、エッセイ、母の手仕事、そして日記。
これだけのコンテンツをもち、ものすごい量のテキストを書いた。
来る日も来る日も、忙しい仕事の合間を縫って、寝る時間も惜しんで、とにかく書き続けた。

ファンになってくれた人もたくさんいて、当時、BBSは賑わい、いろんな情報交換をし合ったり、感想を聞いたりして、とても楽しかった。
(たまにBBS荒しもいて、それには困ったが)
今のmixiと少し似ているかもしれない。
誰でも自由に行き来はできたが、それでも「常連」さんとの「コミュニティ」のようなものが確かにできていた。

友達には「マメやなぁ、絶対できひん!」と言われていたが、レスも細かく返し、ファンの方からのメールにも感謝して応え、とにかく毎日見てくれたときに、何か新しい情報や日記が更新されているようにと、何があっても書き続けた。

たぶん、楽しかったんだと思う。
文章で表現できている自分、表現者である自分を、しっかり感じられた。
東京でエディターをやっている友達からは、「売ればお金になる知識と文章を、タダで書き散らすなんて、もったいない!」と言われたけれど、「お金にしないから」こそ、意味がある文章たちだったとあのときは思っていたし、今でもそれは間違っていなかったと思う。
アフェリエイトなんてものも、まだなかった。

あの頃はブログもなかったし、自分では作れないから、お金を払って「日記帳」や「BBS」を借りてまで、自分のHPを運営していた。
(広告を載せれば無料だったけれど、私は広告を絶対載せたくないというポリシーがあった)
「私の人生の集大成」だと、そう言って作っていたし、大事にしていたけれど、パソコンが壊れ、HPのファイルを失い、リニューアルし直そうと思い始めて、中途半端なまま数年経つ。
「食材と器で料理は決まる」
見てもらえればわかると思うが、今も少しは形として残っているが、もうほとんど意味のないHPだ。

そして、今やネット上の情報はあふれ返り、1つの言葉で検索をかけると同じようなコピー文章がたくさん見つかる。
アフェリエイトばかりで、心のこもった、個人の想いが純粋に伝わるようなHPの割合もぐんと減ってしまった。自分の言葉で書く人が少ないのだ。

そして、ブログ、mixiの登場。
文章を書くことを生業としていない人たちが、気軽に自分の想いを書き綴り、ネット上で発表している。
今まで読まれることばかりだったけれど、私のほうから知り合いのブログを訪ね、その人たちの日常や想いを簡単に知れるようになった。私にとっても楽しみが増えたし、これは本当に良いことだと思う。

この私のブログは、今でも人数にして毎日平均100人くらいは来てくれていて、閲覧回数はその倍くらい。
でも、昔はHPのカウンターは多いときで600くらいはまわっていた。
(「キリ番プレゼント」なんていうのも、今ではもう懐かしい。)
これだけブログが氾濫すると、いろんな人の日記を読まないといけないから、私の日記を読む必要はなくなったんだろうなぁと思う。

なんとなく惰性でこのブログも続けているが、
続ける意味なんて、あるんだろうか。
きっと最近ブログを始めた人にとったら、「そんな難しく考えないでも、書きたいときに書いたら?」という感じなのだろうが、先にも書いたように、私の日記にはそれなりの歴史がある。
少なくとも、小・中・高校生と続けていた習い事をやめるときに抱く感慨くらいのものはあるのだ。

今の私。
毎日ぼんやりと過ごしていて、良くも悪くも心はふにゃふにゃで、
幸せと言えば幸せなんだけど、感受性なんてものは完全に鈍ってしまっている。

誰のせいでもない。
もちろん、自分のせいだ。
自分で水遣りを怠ってしまったがために、こんな枯れて腐ってしまったのだから。

たまに、知り合いのブログを読んだりすると(基本的に見知らぬ人の書くものには興味なし)、みんな上手に書くなぁと思う。
思わず引き込まれるほど、面白い。
ちょっとした日常の想いを綴っているだけでも、共感できるところがあったり、素敵だなと思ったり。気になって、毎日チェックしてしまう。
(昔の私の常連さんたちは、こんな気持ちだったのかな)
その人のことを深く知ることもでき、楽しい。
また、ふざけたような内容でも、上手に書けているなぁ、面白いなぁと思う。

読むたびに思うのだ。
ああ、そうか。
当たり前だけど、誰でも文章なんて書けるんだ、と。
もちろん、取材して相手の気持ちを引き出して書くという、「ライターの仕事」ができるかといえば、それは誰でもできるわけではないとは思う。
でも、人の文章を読むたびに思う。

うまいなぁ。
言葉の使い方を知ってるなぁ。
このエピソード面白いなぁ。
感情がよく伝わるなぁ。
読ませるなぁ。

そして、結論。
『プロの私より、よほど上手だし、よく書けている。』

私がここに書くものはつまらなく、誰の心にも響かない。
自分で読み返すたびに、またつまらないものを書いてしまったな、と思う。
かといって、昔のように自分の赤裸々な想いを綴れば批判が起きる。
だから、今日はこうした、こう思った、という「本当の日記」はもう書けない。

つまり、本当に書きたいことは、ここには書けない。

そして、自分の書いたブログを読んでいると、自分という人間の浅さ、くだらなさ、才能のなさを突きつけられる感じがして仕方がない。
なんでこの程度の文章力で、「文筆業で身を立てたい」なんて思い上がった考えを抱いてしまったんだろうかと思う。
書くたびに、読むたびに、思う。
素人のほうが、よっぽど上手じゃないか!

私はきっと自分のことが何も見えていなかったんだろうな……

赤裸々日記から、今のブログに変えて1年。
こういう書き方も、そろそろ潮時かもしれない。
自分が書きたくて、自分が書いていて楽しくなければ、意味がない。

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※決して、「あなたのブログもそれなりに楽しく読ませてもらってますよー」なんて言葉をかけてほしくて、こんなふうに嘆いているわけではありません。
ブログなんて自己満足で書くものだからこそ、自分で満足いかなければ意味がないので……。
そして、いろいろ考えているだけで、落ち込んでいるわけでもないので、お気遣いなく。念のため。(私の読者は優しい人が多いので……)

わたしの求めるもの。

2007-11-08 12:29:00 | 想い
ぼんやりと、時間が過ぎるのを見ている。
空の青さが眩しい。

今週に入ってから、
心が浮き立つ、ということがない。

料理をあれこれ作って、家の中を磨き立てて、
ライター仕事にしがみつくのは、
こういう時間をもちたくないだけのことだと気付く。

自分と向き合う時間。

お金に困っているわけでもないのに、仕事がないと落ち着かないのは、
「仕事」を理由にできないため。
わかっているけれど、自分と向き合うことができない。

生活は楽しく、幸福で、美しい瞬間がある。
仕事先の人からも認められ、評価を受け、実際の仕事も次々もらえている。
世の中で一番小さな単位くらいの「成功」はおさめているように思える。
だけど、こうやってたっぷりの時間と自由が自分に与えられたとき、
私は自分の底にある空虚さを知る。

それが何なのか、見つめることすら億劫だ。

なのに、偉そうに人の心にはドカドカと土足で入り込むようなことをする。
泥をつけて、それを拒まれると「あんたはそんなに清潔なのか」と叫ぶ。
人の人生なんて誰にも背負えないと知っていながら、
それでも、人の心を動かせるものは、やっぱり人だけなんだと、
その想いが湧き上がるのを押えきれず。

がんばれ、がんばれと、人を口先だけで応援し、
自分の誠意は、相手の心に土足で入りこむ「真っ直ぐさ」なのだと主張する、
こんな愚かなことはない。

人は、人に、決して踏み入られたくない弱さをもっている。
そこに無理に踏み入れると、異常なほどの頑なさで壁を作られる。
そんな壁を、何度も見てきた。
そのたびに後悔してきた。
相手を傷つけたのと同じ衝撃が心に迫るのだ。
鏡みたいに跳ね返る。

人のことにお節介するなら、まずは自分と向き合わなくては。
自分は一体どうなのか。
結婚して、いろんなことが良い循環で動き出して、
まるで最初から傷ついたことも傷つけたこともない、幸せな人間みたいな顔して生きている。
向き合うことも忘れて。

壁を作られて、跳ね返ってきたものを、まともに心にくらったときから、
私は自分の底にある空虚さから目をそらせなくなった。
そして、相変わらず「いい訳」と「逃げ場」を探している。

この日記もまた、いい訳であり、逃げ場でしかないのを知りながら、
自分の心を整理するために、書いている。

BLUESが人生の鍵だった。

2007-10-29 18:52:44 | 想い
昨日は、夫とその仲間たちと一緒にBBQ。
夜は、シカゴで知り合った、マイミクで九州在住のシューさんが大阪でセッションライブに出られるとかで、それを観に行った。

どちらのイベントもとても楽しかったのだけど、
今日は原稿に追われていてちょっと詳しく書く時間がない。
またゆっくり。

ただ、思うのだ。
人との出会いというのは、なんて不思議なものだろうかと。

夫や周りの人に言わせれば「いつも大げさすぎる」私は、
「運命だ!」とか、
「奇跡だ!」とか、
何かちょっとしたことでもドラマの主人公のように叫んでることが多いけど、
本当にそう思うことがあるんだから、仕方がない。

別にじんわりかみしめて、流してしまったっていいのだけど、
ミュージカルのアクターのように、体全身で声を張り上げて、
「これは奇跡よぉぉぉー!!」と文章で表現すると、
なんだかその出来事が、より輝きを増すような気がするのだ。
そして、文章の素晴らしいことは、後で何度でも読めることだ。
普通なら忘れてしまうような感動を、私は自分の文章で何度でも繰り返し味わうことができる。
だから、思うのだ。
「書ける」ということは、2倍感動を味わえるから幸せだ、と。

「こじつけ」と「意味づけ」が大好きな私。
何にでも「意味」を見出したときに、いろいろな物事が肯定されるからだ。
ぼんやりと否定したまま生きたくない、というのが私の考え。

だから、大げさで意味づけが好きな私はこう思う。
「BLUES」は、私の人生の鍵だ。

24歳でBLUESを捨てた私が、堕落しかけた10年間を送った後、
もう一度BLUESを自分の中に取り戻したとき、
まさしく文字通り「BLUES」というキーワードが私と彼を結びつけた。
自分のHPのブルースページに「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」とタイトルをつけていた私。
彼のブログも偶然、同じタイトルで。

ブルース好きなら誰でもわかる、このベタな感覚。
ベタだけど、一番ストレートにブルースを愛していることが伝わる。
だから、こういう表現をする彼に好意をもったのは、今思えば当然で。

正直に言えば、もう絶対に無理だと思っていたのだ。
BLUESを分かち合えるソウルメイトで、なおかつ男性として愛せるような人と出会えるなんて。

なのに、彼はBLUESだけでなく、ほかの幸せもいっぱい連れてきてくれた。
文章を書くこと。
お酒。
自然の中の語らい。
旅。
文学。
家族を大切にすること。
いつも感謝すること。
いつもポジティブな思考をもつこと。
優しくあること。

彼と出会ってからの私の頭上は、毎日が上天気で、
この10年に失っていたものをすべて取り戻すことができた。

そして、新たな出会いも。
彼のバンド仲間はみんな酒飲みのブルースマンで。
そのうえ、優しかったり、ポジティブだったり、物事をよく考えていたりで、
こんな若者がいるなら、日本はまだ大丈夫だなぁなんて、そんなことを会うたびに思わせてくれる人たちだ。

自然満喫のBBQで、ウイスキーをボトル1本空けてしまう人たちはそうそういない。
川で飲むウイスキーの旨さを同じように感じられることが幸せだった。

そして、夢だったシカゴ・ブルースフェスティバルへ行くことも現実になり、
そこで出会ったブルースマンと、またつながって。

昨日は、久しぶりに、本当に久しぶりに、ブルースを堪能した。
あんなライブはシカゴ以来だ。
バーボンがどんどんブルースに溶けてなくなって、3杯も飲んだ。
昼間っからさんざん飲んでいたのに。

この間、B.Bキングの自叙伝を読んだのだけど、その中で、
B.Bキングが、自分がどんなにBLUESを愛しているかと語る。
その語りを読むだけで、私は泣けてきてしまう。
私も自分がどんなにBLUESを愛しているか、気付いてしまって。

BLUESは普遍的なものだとBBは言う。
私もそう思う。
それはきっと、ソウルだけで受け止められる音楽だからだ。
音楽論もテクニックも、言葉さえも、そこには必要なくて。

BBがルシールをかき鳴らす。
それだけで私は、その1音だけで私は、いつも胸が潰れるようだと思う。
魂に直接響くからだ。

その感じを味わえる、もしくは味わうのが好きな人間ばかりが集まったライブハウスというのは、本当に天国のようだ。
「ここにいる人たち、みんなBLUESに魅せられた人たちなんだ」と思うだけで、私は幸せで、そしてわくわくしてしまう。
バーボンを飲みながら、ブルースの洪水に呑み込まれながら、私は思う。
「私はブルースとバーボンがあったらそれだけでいいんだなぁ」と。

シカゴで、世界のブルースギタリスト・菊田俊介さんが私のこの言葉を聞いて、こう言ってくれたっけ。
「そういう女性は、ブルースマンの夢だよ!」

人生で、最高の褒め言葉だ。
そうか、私はブルースマンの夢の女性なのか、なんて(笑)。

BLUESを求めたとき、彼と出会い、そこからすべてが始まった。
ブルースはどんどん人とのつながりを作ってくれる。
不思議なほど、ブルース好きに出会う。
私はいつも満たされている。
笑顔で楽しく過ごしていると、また良いことばかりが起きる。
良い循環が生まれる。
幸せで、幸せで、それが受け止めきれずにこぼれ落ちていくようだ。
昔の私ならあふれる幸せなんて怖くて逃げ出していたけれど、
今は貪欲に、こぼれ落ちる幸せも拾い上げて、
そして、私は強くなる。

昨日は本当に思ったのだ。
BLUESが私の人生の鍵だったんだって。

理想の生活スタイルまであと少し!

2007-10-23 12:47:03 | 想い
今週のスケジュール表を見たら、真っ白。
なんと、週休5日である。
それも、残り2日間に労働8時間あるかといえば、2日間で合計7時間!
たったの7時間よ・・・

先週は結構忙しかったのになぁ。
毎度のことだが、仕事というのはいつもまとめてやってくる・・・
今週は、ずっと携帯を見つめていても、リンとも鳴らない。
ま、こういう時もあるか・・・。

昨日、なかのと飲みに行って、そのときも話していたのだけれど、
以前のように牛馬のごとく働いてそれなりに稼ぐのと、1日2、3時間の労働で何とか暮らせるだけの収入を得るのと、どっちがいいんだろう?
私の希望としては、週休3日・1日8時間労働で、年収が今よりあとプラス100~150万くらいを稼ぎたい。

これは昔、24歳で半分プータローだった頃に描いていた「理想の生活スタイル」。
わざわざ紙に書き出していたほど、それは自分の中にはっきりとあった。

24歳といえば、昼間は小説書いて、家事をして、週に何回かは夕方から塾に行って……という生活をしていた。もちろん実家。家賃・光熱費タダ。
あとは、酒飲んで、散歩して、ライブ行って、本読んで。
かなり自由人だった。

なんかしないと父親が「先生になれ」とうるさいので、大阪編集教室に行ってみたら、意外にコラムなどが褒められて(コピーはさっぱりだった!「あなたのは当たり前すぎる」と言われた)、先生に目をかけてもらえた。

それで、よし、とりあえず作家よりライターになろうと思って、名刺屋さんに行って「フリーライター」の名刺を作ってもらった。
そこから怒涛のライター生活が始まる。
塾も辞めたり戻ったりだったけど、結局二足のわらじで続けてきたし、とにかくよく働いた。
一時期は稼げて、月に50万、75万と振り込まれたけれど、人間らしい生活はあきらめなければならなかった。

今はあの頃の対極にある。

私は「お金を欲しい」とは思わない。「お金を稼ぎたい」のだ。
それも、ちゃんと労働をして。
自分の仕事でお金を稼ぐことほど面白いことはないと思っている。

ちなみに、脳内メーカーで、旧姓でやってみたら、脳の中「金」ばっかり(笑)。
そして、中心に「友」があった。
これが面白いのは、新姓でやったら、相変わらず「金」と「友」に、「遊」と「愛」が加わるのだ。

あの頃、友に支えられて金を稼ぐことに夢中になっていた私が、結婚して愛と遊びを知ったということか。
こういうこじつけ解釈をしてみるのも、また一興。

話がそれた。
そう、ライターになってからまた「理想の生活スタイル」が遠ざかった。
でも、もう止まるわけにはいかなかった。走り続けた。
走れなくなるまで走ってやろうと思っていた。

そして、2007年、すべてがゼロに戻った。
取引先をすべて失った。
「結婚」という大イベントが控えていたからなんとか精神も安定していたけれど、これがなかったらちょっとどうなっていたかわからない。

また1からコツコツ営業を始めて。
新しい人たちと出会って。
いい仕事をして認めてもらって。
2007年も終わりに近づいた今、ようやく「先」が見えるようになった。

気付けば、もうとっくにあきらめたはずの「理想の生活スタイル」がすぐ目の前にあって。
口開けてぼんやりしている生活でもなく、牛馬のように働く生活でもない。
自分が自分らしくあるために、「これが理想の生活だ」と掲げたあの頃の想いが、今になってようやく形になろうとしている。
やはり、「思えば実現する」のだ。

今週みたいに週休5日だと、ちょっと不安にもなるけど、少しずつ近づいている。
確実に、近づいている。
あと少しだ。

だから、今日思った。
自分の文章もしっかり書いていこう。
24歳で掲げた「理想の生活スタイル」は労働や稼ぎといったものだけではないのだから。

  私がキッチンで料理をしていると、
  隣の部屋からストーンズが流れてきて、
  それに合わせて夫がギターを弾いている。
  窓の外は青い空。
  風を感じる。
  どこまでも歩きたくなるような風景。
  私の大好きな町で暮らす日々。
  仕事のない日は散歩をしたり、モノを作ったり、本を読んだり、
  自分の文章を書いたりする。

私が描いていた理想の生活。
あの頃、何度も日記に書いた。
不思議なことに、これも叶った。
この町で暮らし、夫はストーンズを聴いてギターを弾いている。奇跡だ。

精神的にも今はずいぶん安定している。
また、自分の趣味を楽しむ時間をもとう。
もうずいぶん長い間、忘れていたような気がする。

せっかくここまできたのだから、人生は「思えば実現する」ということを、ぜひぜひ確かめてみたいのだ。

Maybe

2007-10-22 01:11:06 | 想い
夜、彼と大喧嘩。
相手を怒っているはずなのに、自分の存在を消したくなるのはなぜなんだろう。
いつものこと。

落ち着いたときに思うのは、自分はやはりどこか欠落した人間なんじゃないかということ。
その考えと、その考えを打ち払うことに、ひどく消耗した。

ちなみに今はもう仲直りしている。

泣きながらハイランドパークを飲んでいて、
ジャニス・ジョプリンを聴いていた。

私の好きな「Maybe」。

  どうか、どうか、考え直して。
  戻ってきて。
  私のところに。
  あなたの役に立つわ。
  たぶん。たぶん。

そんな歌。

もう10年近くこの歌を聴いてきて、何度も歌詞も読んできた。
それなのに、なぜか今日、初めてこの歌の「意味」がわかった。

ああ、そうだったのか……

思わず呟いた。

なぜ今までわからなかったのだろう。

彼に対して、自分の気持ちをわかってほしいと切実に願ったとき、この歌の意味がはっきりとわかったのだ。
目が覚めるみたいに。

いつかこのことを、小説にしてみたいと思った。

気分転換に、バトンでも

2007-10-21 01:30:31 | 想い
土日だが、仕事がある。
毎回のことだけれど、金曜の夕方にラフ出してきて、「月曜日までにコピーください」という取引先があって。
おいおい。

そんなわけで、現在、仕事中。
ほんちゃんのブログ行ったらバトンがあったので、ちょっと気分転換にやってみよう。

☆マイミクさん全員バトン☆

これ見たマイミクさんは全員やってください。
見た人はコメントのこして自分もやること。
タイトルは…
「これが恋!?」にしてください。

ということです。
まあ、やらんでもいいよ(笑)


■現在使用中のメアドの意味は?
⇒ジャニス・ジョプリンの好きな歌のタイトルが入ってる。

■現在の着信音は?
⇒電話は仕事だと気付かないとまずいので、リンリンうるさく鳴るやつ。

■待ち受け画面は?
⇒リラックマのカレンダー

■自分の名前(本名)を携帯で入力して一番最初に出てきた文字を5位まで書こう
⇒?

■短髪?長髪?
⇒長髪

■背は小さい?
⇒たぶん。

■何でも頼れる方?ちょっと頼れない方?
⇒その時々で違う。

■積極的?消極的?
⇒臆病者で自意識過剰だが、消極的だったことはない。

■(目が悪いとしたら)眼鏡?コンタクト?
⇒どっちも。基本はコンタクト。

■(一緒にいるときは)ずっと盛り上がりっぱなし?落ち着いてる?
⇒ずっと盛り上がりっぱなしやったら、しんどいよね?

■デートするなら遊園地?ショッピング?
⇒遊園地はディズニーなら行く。ショッピングは相手のなら行く。

■髪は癖毛?ストレート?
⇒天然ストレート

■優しい?近付きがたい?
⇒昔は、怖そう、真面目そう、暗そう、性格悪そう、と言って、誰も近づいてこなかった。今は人間が丸くなったので、みんな近づいてくれる。

■天使?悪魔?
⇒凡人。

■普通?ちょっと変わってる?
⇒性格は普通だけど、趣味が変わってる。

■髪の色は?
⇒赤系の茶色

■香水は?
⇒基本的につけない。

■(どっちかゆうたら)オタク?ヤンキー?
⇒どっちかっていわなくても、オタク。

■自分の名前を呼ばれるとしたら?本名?あだ名?
⇒どちらでも。

■性格は真面目?馬鹿?
⇒馬鹿なこともクソ真面目にやる。

■不器用?几帳面?
⇒この選択肢はおかしいと思う。
手先は器用。生き方は不器用。几帳面じゃないけど掃除好き。

■眉は太い?細い?
⇒太い。今は2分の1くらいにしてる。

■連絡とるなら?
⇒なんでも。

■エロい?普通?興味なし?
⇒エロくなくなった。

■痩せぎみ?ポッチャリ?
⇒人生で痩せた人になったことがない。

■子供っぽい?大人っぽい?
⇒人生で大人っぽいと言われたことがない。

■好みのタイプは年上?年下?タメ?
⇒気にしたことがない。

■あなたが恋人にバレンタインあげるなら?
⇒手作りのお菓子

■遠距離恋愛できる?
⇒別れる。

■束縛はされたい?されたくない?
⇒適度に。

■どっちかというとお姫様系(王子様系)?お笑い芸人系?
⇒そりゃ、お姫様(笑)

■「好き」「かわいい」「面白い」言われてほしいのは?
⇒関西人はみんな「面白い」って言われたいねん。

■お酒は強い人?
⇒ビール1杯、日本酒2合、ウイスキー2杯くらいが気持ちよく酔えるというくらいの強さ。

■好きな酒は?
⇒ほんまに美味しいやつなら日本酒。スコッチ、芋焼酎、ビールも捨てがたい。

■酒での失敗談は?
⇒梅田の改札で倒れていた。
 道ゲロ。
 人の家でも眠りこける。
 「武士の娘」になりきる。

■ストレス解消法は?
⇒ストレスがたまらないよう、自由に生きる選択をしてきたので、ストレスがたまらない。

■今この瞬間の髪型は?
⇒ストレートのセミロング。1つにくくってる。

■今この瞬間の服装は?
⇒赤いチェックのパジャマ

■あなたの勝負服は?
⇒わからん

■煙草は?
⇒自分は微妙な味も見分けるために鼻と舌の感覚を大事にしたいので絶対吸わない。でも、そばで吸われても全く平気。

■あなたの人生で一番の思い出は?
⇒結婚式

■口癖は?
⇒「結構」って言うらしい。結構。

■これを聴くと切なくなるという思い出の曲は?
⇒パーシー・スレッジの「男が女を愛するとき」。

■なんで?
⇒まあ、いろいろあるのよ。

■好きな相手で音楽の好みは変わる?
⇒変わるなら、もっとモテたと思う(笑)。
 20歳くらいでブルースばっかり聞いてる女、気持ち悪いし。

■結婚は何回したい?
⇒もうしたくない。

■異性の友達はいる?
⇒数人は、二人でも飲みに行くくらいの人がいる。

■男女の友情はありえる?
⇒充分。

■グッとくる異性の仕草は?
⇒幸せな顔でご飯を食べる。

■外見で好きなタイプは?
⇒福山雅治

■内面で好きなタイプは?
⇒泉谷しげる

■交際、結婚相手に喧嘩が必要?
⇒もうしたくない。消耗する。

■今やりたいことは?
⇒回転寿司で何皿食べられるか、チャレンジ

■次に遊びに行く予定は?
⇒来週月曜になかのと飲み。今月はそれ以外にもまだランチ、来客、バーベキュー、ケーキ屋巡りの約束がある。

■財布の中身は
⇒3万くらい。この間まで6万入ってたのに、どこへ?

■何歳(いつ)に戻りたい?
⇒戻るなら死んだほうがいい。

■マイブームは?
⇒するめ

■1日の睡眠時間は?
⇒今は5時間半が基本。

■好きな色は?
⇒オレンジ、黄色

■今までしたバイトは?
⇒塾講師、家庭教師、パン屋、スーパーのレジ、ケーキ屋、巫女、ステーキハウス

以上です。
思ったより長くて、途中で始めたことを後悔したわ(笑)
気分転換のつもりが、若干、疲れた・・・

人のを読むのは面白くて好きだけど、自分でやると大変。
でも、こういうのって、自分のことを知る作業だねぇ。

仕事します!

気分がのらないのはなぜ?

2007-10-14 20:26:01 | 想い
沖縄の話も全然書いていないし、最近はその他の日記も書いていない。
どうも、気分がのらないのだ。
こういうことは非常に珍しい。

仕事が忙しすぎるわけでもないし、精神的に不安定なわけでもない。
物理的にも精神的にも余裕はあるのだが、どうも「書く」ということに対して気分がのらない。

取材の仕事は順調に入ってくるし、しばらく音信不通になっていた会社からも連絡があって、ちょっとした仕事の話をもらった。
完全に流れが来てる。これに上手に乗っていこうと思う。
久しぶりに商業誌なので、ちょっと嬉しい。

彼とも楽しく仲良くやっているし、何の悩みもない。
だから、何かあって書けないわけではないのだが、
どうものらなくて・・・。

理由がわからないので、明日になったら急に書き出すかもしれないし、しばらく無理かもしれないし、どうなることやら。

いつも読んでくれている方、更新してない日が続くとつまらないかもしれないけど、時々覗いてやってください。

日常に帰るための旅

2007-09-25 03:36:00 | 想い
連休1日目は、私も急ぎの仕事をポツポツしていて、
連休2日目は、私の両親と彼と4人で、ご飯を食べに行った。
母のリクエストで、私の好きな京都の寿司・割烹の店に行った。
そんなに気取ったところではなく、居酒屋使いのできる店だ。

私は自分の両親と外食をあまりしたことがない。
記憶にあるだけで、3度目だろうか。
結婚して一番よかったことは、両親との確執がなくなったことだと思う。
こんなふうに楽しくご飯を食べられる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
だから、とても彼に感謝している。

この日もそうだったけれど、結婚してから両親に「昔話」を聞く機会が増えた。
私が全く知らなかったことが次から次へと話題に出てくる。
両親と本当に何も話してこなかったし、随分距離があったのだなぁと思う。
でも、少し縮まったし、これからもっと縮まっていくだろうと思っている。

連休3日目は、ゆうちゃんといわさきっちと3人でビストロ・ド・ヨシモトにランチに行った。
ここはやっぱりおいしい。
今日もかなり満足した。
その後、お茶して、パン・カンテでパンを買って帰った。

楽しい休日。
だけど、少し自分の心が疲れていることに気付く。
だからって、しゃべらないわけでもないし、元気がないわけでもないのだけれど。
なんだろうなぁ、この感じ。

こういうとき、ふと思う。
・・・旅に出たい。

私がいう「旅」とはちょっと違うけれど、10月に沖縄へ行く。
これで、47都道府県、すべてに行った。
残念ながら、埼玉、群馬、茨木、愛知は旅行ではなく仕事だけれど。
でも、この日本のすべてに足を踏み入れたことになる。

この沖縄旅行では、彼のお友達・原田くんに会うから、彼も少しリフレッシュしてくれたらいいなぁと思う。
私自身も。

旅はいい。
若いときは本当にひたすら旅を続けていた。

思っていたことがある。
私は帰る場所を知るために旅に出るんだなぁと。
日常に帰るために、旅に出るのだ。
なんだか矛盾しているようだけれど、旅の終わりに「さあ、帰ろう」と思わなければ旅に出る意味も半減したものだ。

リフレッシュしてほしい、とは思うけれど、それは決して非日常に逃げたり、一時的にでも日常を忘れたりするためではない。
私は、そういう旅は好かん。

本当のリフレッシュというのは、日常に帰ることを受け入れるということだと思っている。
自分の帰る場所を知ることだと思っている。
少なくとも、そういう旅を私は繰り返してきた。

来年は久しぶりに急行きたぐにに乗って、東北へ行きたい。
普通の4人がけのシートに丸まって寝て。
ああいう旅を、今の自分は求めているのかもしれないな、と思う。

もちろん、ここに帰って来るために。

ごめんなさい

2007-09-24 23:16:40 | 想い
とにかくもう、びっくりした。
一昨日の日記の反響に関してだ。
本当にごめんなさい。
心配をかけてしまって、本当に反省しています。

そんなたいしたことでもなかったのに、酒に酔った勢いで書いてしまって。
それは、別に大げさに書いたとかではなく、うまく自分の気持ちが表現できていなかったから、誤解を生んでしまったなということで。

確かに今冷静に読んだら、もう二人の仲は終わりみたいな書き方をしている。
そりゃ、皆さんが心配するのももっともだ。
だけど、本当にごめんなさい。
自分ではそんなつもりで書いていなくて。

レスにも書いたけれど、「もう充分に幸せは味わった」というのも、だからこれでこのまま二人の関係が悪くなっても言いという意味ではなくて、充分に幸せは味わっているのだから、もっと自分も大人になって我慢していかないといけないなぁという自分への戒めのつもりだった。

いや、でも確かに今読めば、めちゃくちゃ絶望的だ。
ごめんなさい。

文章というのは難しいなぁ。
たくさんの人が心配してくれたけれど、意外に大丈夫です。
本当にごめんなさい。
あまり感情のままに書くのはやめますね。

わかっているつもりなのだけど、書くことで自分が恢復できるものだから、ついついしんどいときには書いてしまって。
いらぬ心配をかけて反省したり、誤解を招いて後悔したりしてしまう。
だけど、またいっぱいになるとつい吐き出してしまって。

今回のことは、私が悪かったのだと思う。
思いやりが足りなかった。
疲れていたらニコニコできなくて当たり前。

でも、私がキレてしまったのは、そんな単純な問題ではないのだけれど、それを逐一書くこともできないし、難しいところだ。
またこれを中途半端に書くからいけないんだよなぁ。
すべてを書くか、書かないか、どちらかにしないといけないと、今回のことで改めて思った。

とにかく、心配してくださった皆さん、ごめんなさい。
もう大丈夫です!!

1980年代後半の青春

2007-09-20 22:08:52 | 想い
さっき、テレビをつけたら、ジュンスカが出ていた。
20周年ということで再結成したらしい。

「歩いていこう」と
「全部このままで」
を歌っていた。
1980年代後半の青春が、一瞬で蘇る。

音楽っていうのは、不思議だなぁ。
その曲を聴いていた頃の記憶が鮮やかに現れる。

ジュンスカの音を聴いていたら、それに混じって、
木のぬくもりが残った廊下や踊り場の鏡、
休み時間に食堂まで駆けていった「ささやきの小道」や、
授業をさぼって空を見ていた校舎の屋根の上。
そして、体育館に響くボールの音が現れて、
なんだか少しせつなくなった。

歳をとったジュンタを見て、
自分もあれから20年生きたんだと実感。

私もあの頃より、少しは大人になったかな。


偽って生きなければ、この世はカラフルだった。

2007-09-15 00:15:33 | 想い
久しぶりの企業取材。
とてもいい感じの会社で、働いている人たちも生き生きしていて、話を聞いているだけでこちらまでパワーをもらうことができた。
これからどんどん、こんな取材の仕事が増えていく。
やっと、本来の自分に戻れた気がする。

昨日は、森絵都の『カラフル』を読んだ。
ちょっとファンタジーだけど、ほっこりするようないい話で、なかなか面白かった。
今は田口ランディを読んでいる。

文学もまた自分の中に戻りつつある。
本を読もうという気持ちが戻ってきた。

適度に忙しく、適度に自分の時間があり、
仕事とプライベートのバランスがとてもよい。

昔は、自分の存在意義を求めて悶え、淋しさを埋めるために彷徨い、落ち着いて生きるということがなかった。

ふと、今日思った。

「偽りのない生活」

今、生まれて初めて、そういう生活をしている気がする。
もう自分に何かを課する必要がないのだ。
そのままで、100%で生きる。
そして、それが、本来の自分であることに気付いた。

ブルースも、文学も、お酒も、美味しいものも、仕事も、自然も、今の私にはとても楽な、良い距離にある。
この「距離」というのがわかるだろうか?
近すぎても苦しいし、遠すぎても淋しい。
無理に入れても窮屈だし、無理に避けても虚しい。
ちょうどよい距離で、みんな私のそばにある。

「~ねばならない」という想いから逃れたとき、偽りのない自分が見えた。
ほっとしたような、懐かしいような、そんな気持ちで、
今の自分を見ている。

何かから逃れようとし、何かを手に入れようとし、必死にもがいていた自分。
人ともモノとも距離のとり方がわからなくて、随分不器用に生きていた。
極めてバランスの悪い人間。

だけど、偽りのない生活が今ここにある。
なぜだかわからないけれど、もう何も怖くないのだ。
子供の頃からあれほど臆病だったのに、何も怖くない。
失うことも、何者にもなれない自分も、明日も。

「明日」なんて、そんなたいしたことじゃなかったんだなぁ。
逆に、希望にあふれているとも想わない。
この世は白でも黒でもない。
とてもカラフルな世界だったんだ。

それ以上でも、それ以下でもない、100%の幸せ。

2007-09-11 17:26:24 | 想い
なんか、とても楽になった。
元気になった。

人にはそう見えなかったかもしれないが、ずっと元気がなかったんだ、私は。
もやもやを引きずっていて。
やりきれない想いがあったり、どうしても許せない人がいたり。
自分がどこへ向かえばいいのか悩んだり。

だけど、いろんなことが吹っ切れた。

本当はここに書きたかった。
実は、何度も書いては削除した。
以前の私なら、きっと心の細かな変化まですべて書き綴っているだろうけれど、もうそうする必要はなかった。

行ったり来たり。
心の中ではうろうろ迷っていたけれど、それでも自分の中で折り合いをつけることができた。

仕事は軌道に乗り始めた。
新しく出会った人たちは、皆とても良い人で。
大きな期待を寄せてくれるし、それに応えたいと思うし、また、応えられるという自信がなぜかある。
この仕事は、何年後かに振り返ったときに、自分をつくる「起点」となった仕事になるのではないかと、そんな予感がしている。
そうであってほしいし、必ずそうしてみせる。

他の取引先でも、とても頼りにしてもらっていることを実感する。
WEB関連は、いつも急ぎの仕事ばかりだけれど、「質の良いものを最速で」という自分のモットー通り、良いものを早く仕上げるから、とても重宝してもらっている。
今日も「明日中にできますかー」という仕事が1本入ったが、他の仕事は後回しにして優先してやっている。

自転車操業状態になってきたけれど、
それでも、

今日1日、一生懸命働いて、
ご飯が食べられて、
美味しいお酒が飲めて、
そして、夜、彼が帰って来る。
それ以上でも、それ以下でもない、100%の幸せ。

一生分の幸せを、この何ヶ月かに味わって、
ああ、もう思い残すことないなぁ、なんて、そんなことすら考えるほど、私は幸せになった。
厳密に言えば、「幸せになった」のではなく、
「幸せを感じられるようになった」のだけど。

自分がこんなふうに思える日が来るなんて、
あの頃の私は、想像すらしなかったのだから。

仕事のスタイルが変わったとか、
彼と結婚したとか、
家族との確執がなくなったとか、
「状況」としての変化ももちろんあるのだけれど、
やっぱり一番変わったのは、私の「心」。

『不幸な人生などない。
あるのは、不幸な“思考”だけだ』

この言葉の意味が、今は深く深くわかる。
不幸な“思考”に支配され続けてきた人生は、もう過去のもの。
今はただ、「今」だけを見て、感謝して生きている。

朝夕の冷たい風が、秋を連れて来た。

  『秋来ぬと 目にはさやかに見えねども
    風の音にぞ おどろかれぬる』

古今和歌集だったか。
秋が来るといつもこの歌が浮かんでくる。
まさに、そんな感じだから。

仕事の合間の休息。ちょっとした独り言日記でした。

世の中の苦しみを「知る」、そこからだ。

2007-09-11 00:18:47 | 想い
インターネットはすごい文明だと思う。
だけど、悲しいかな、人間はせっかくの文明を犯罪にも使ってしまう。
本当は、もっと社会がよくなるために、使わなくっちゃ。

さっき、シューさんの日記を読みに行ったら、こんなバトンがありました。
私のこの日記は毎日100人以上は見てくれている人がいるので、少しでも協力できればと思い、バトンをもらってきました。

世の中の苦しみを、知識としてすら、ほとんど知らない自分。
もっと高いアンテナを立てて、少しでも知る努力をしないといけないな・・・。


☆以下の文章をご覧になって、共感していただけましたら、バトンとして回していただけたらと思います。


*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**

《ムコ多糖症》って病気を知ってますか?
  この病気は人間の中でも小さい子達に見られる病気です。
  しかし、この《ムコ多糖症》と言う病気はあまり世間で
知られていない(日本では300人位発病) つまり社会的認知度が低い為に
今厚生省やその他製薬会社が様々な理由を付けてもっとも安全な
投薬治療をする為の薬の許可をだしてくれません。
  《ムコ多糖症》は日々病状が悪くなる病気で、
発症すると殆どの人が10~15歳で亡くなります。
  8月7日「SCHOOL OF LOCK」というラジオ番組で湘南乃風の若旦那が
語ってから私達に出来ることを考えました。
  それで思いついたのがこのバトンという方法です。
  5~6歳の子が厚生省にスーツ姿で出向いて自分達が生きる為に
必死に頭をさげてたりしています。
この子達を救う為に私達ができる事は、この病気を多くの社会人に
知ってもらって早く薬が許可されるよう努力する事だと思います。
  みなさん協力お願いします。
  [ムコ多糖症]
ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損している為、
体内に蓄積することで様々な異常が引き起こされる病気。
  多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。
重症の場合は成人前に死亡する。
  今のところ有効な治療法が無いので、
骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の1つである。
ムコネット http://www.muconet.jp/