「学級崩壊」という言葉はニュースなどで耳にしていたが、実際にそれを目にした人から話を聞いたことはなかった。
昨日、姉が話すのには、姪っ子「ひな」のクラス(小3。普通の公立小学校)は学級崩壊している、とのこと。
それは、参観日のこと。
今は参観日が毎月のようにあって、毎回出席する親もそんなにいないから、1回の参観日に来る親の数は少ないらしい。
私たちが子供の頃って、親が廊下まであふれていたものだが……。
その日も、姉が出席した参観日は5人程度(まず、このことにびっくりする)。
担任は、23歳・女。この春大学を卒業して赴任したばかりのピチピチ講師。
「学級崩壊って、ほんまにあるんやで」
と姉が語る、その現場とは……!
数名親が来ているのにも関わらす、常に5人ほどの子どもが教室内をうろうろしているとか。
それどころか、なんと、ボールを蹴って遊んでいる子もいるという。
動きたい放題、しゃべりたい放題、遊びたい放題。
その間、ピチピチ講師は何をしているかと言えば、笑っているだけ。
時々、注意らしきこともするようだが、ほとんど無関心。
教頭先生が見回りにきていて、その生徒は外に呼ばれ、教頭に何か諭されているとか。そのことにすら、全く無視らしい。
「あの先生が怒ったところ、見たことない」と姉が言う。
「もう、私が怒鳴りつけてやろうかと思ったわ!!」と。(やれやれ~!)
それを聞いていたひなが言う。
「時々、静かにしなさいー!って怒ることあるよ。でも、誰も聞かないし、笑ってるねん。また始まったーって感じ」
なるほど、なるほど。状況も問題点もはっきり理解した。
もう1つ質問。
「その歩き回っている子の親はどうしてるん?」
「ああ、そういう子の親は、来ないから」
なるほど。さらによくわかった。
私はひのきという学習塾で11年教えていた。
進学塾ではなく、おバカさんばかりなので、一昔前は不良みたいな子も多かった。
高校に入れてもほとんど中退してしまう、という学年もあった。
やんちゃだから、15人以上のクラスだと、黙って授業を受けさせるのも大変だ。
「教える」ということは、そんなに難しいことではないと、私は思ってる。
生徒と「仲良くする」ことも。
難しいのは、「叱る」ことだ。
不思議だけど、子供というのは本能で「自分より強いやつか、弱いやつか」というのをかぎ分ける。
特に、ひのきの生徒は非常に野生に近いため(=文化的ではない)、そのかぎ分け能力は高いのだ。
だから、私が最初に堀先生に習ったのは、「なめられるな」ということだった。
なめられて一番困るのは自分だ。授業がやりにくい。授業がやりにくければ、結果、彼らのためにならない。だから、私は決して優しいだけの講師ではなかった。
それでも、自分の担任した生徒には好かれていたと思うけれど、よく他の学年の知らない生徒から「あの先生、コワイ」と恐れられていた。
隣の教室から私が怒鳴ってる声が聞こえるらしい。
「ルール」を守らせるということに対して、私は徹底していた。
別に嫌われても構わなかった。
私が、生徒を好きであれば、それでいい。
ただ、逆に「叱れない先生」を生徒は嫌う。なめる。
「あの先生、あかんわ」と。
学校ではなく塾であり、中学生だったけれど、ひなの話を聞いていて「先生」のあり方は小学校でも同じだと思った。
その証拠に、学級崩壊しているのは、ひなのクラスだけらしい。
ひなは言う。
「隣のクラスの○○先生は、めっちゃコワイねん。だから、あの先生だと、シーンとする」
そして、こう評価する。
「いいなぁ。○○先生がいいわ」と。
しゃべりたい放題、歩きたい放題、怖くもない先生。
そんなもの、たいていの子供は望んでいないのだ。
そこに、1つの救いを見た。
姉はさらに続ける。
「懇談のときも、その先生(ピチピチ講師)は、ひなのこと何も知らないねん」
ほとんどしゃべることもなく、成績も生活態度も、質問をしても何も答えられないらしい。
それは、生徒を見ていないからだ。
見ていれば、愛情を持っていれば、「叱る」ことができるはずなのだ。
無関心にニコニコしているだけなんて、アホでもできる。
「教師」っていうのは、やっぱり「聖職」だと、子供たちの人生を左右する大きな役割と責任のある仕事なんだということを、心して接していかなければムリだ。
この衝撃的な話を聞いた後、夫と二人で話す。
「今の子供が悪いなんてことはない。悪いのは、いつも大人だ」と。
正しいことを、ルールを、勇気や信頼を、友達の尊さを、生きるということの辛さと喜びを、教えてあげるのは「先に生まれた者」の役割。
間接的にでも、そういう学べる環境を作ってあげることが、大人の役割。
そう、子供には何の責任もない。
その子の親にも言いたい。
授業中にボールを蹴っている子供が、将来ろくでもない大人になってあんたを殺しても、あんた、何にも言えないよ。
ついでに。
今の都会の小学3年生は、逆上がりもできないらしい。
クラスの男の子のほとんどができない、とか。
走るのもめっちゃ遅い、何もできない。
毎日ゲームばっかりしてるからだろう。
(ひなはスポーツ万能なので、クラスで2番らしい。姉にそっくりだ。)
ちょっとヤバくないか?日本の将来。
「信じられないねぇ。かおりちゃんの時代は、逆上がりできないのって、かおりちゃんだけだったわよね」と母。
・・・悪かったな!!
昨日、姉が話すのには、姪っ子「ひな」のクラス(小3。普通の公立小学校)は学級崩壊している、とのこと。
それは、参観日のこと。
今は参観日が毎月のようにあって、毎回出席する親もそんなにいないから、1回の参観日に来る親の数は少ないらしい。
私たちが子供の頃って、親が廊下まであふれていたものだが……。
その日も、姉が出席した参観日は5人程度(まず、このことにびっくりする)。
担任は、23歳・女。この春大学を卒業して赴任したばかりのピチピチ講師。
「学級崩壊って、ほんまにあるんやで」
と姉が語る、その現場とは……!
数名親が来ているのにも関わらす、常に5人ほどの子どもが教室内をうろうろしているとか。
それどころか、なんと、ボールを蹴って遊んでいる子もいるという。
動きたい放題、しゃべりたい放題、遊びたい放題。
その間、ピチピチ講師は何をしているかと言えば、笑っているだけ。
時々、注意らしきこともするようだが、ほとんど無関心。
教頭先生が見回りにきていて、その生徒は外に呼ばれ、教頭に何か諭されているとか。そのことにすら、全く無視らしい。
「あの先生が怒ったところ、見たことない」と姉が言う。
「もう、私が怒鳴りつけてやろうかと思ったわ!!」と。(やれやれ~!)
それを聞いていたひなが言う。
「時々、静かにしなさいー!って怒ることあるよ。でも、誰も聞かないし、笑ってるねん。また始まったーって感じ」
なるほど、なるほど。状況も問題点もはっきり理解した。
もう1つ質問。
「その歩き回っている子の親はどうしてるん?」
「ああ、そういう子の親は、来ないから」
なるほど。さらによくわかった。
私はひのきという学習塾で11年教えていた。
進学塾ではなく、おバカさんばかりなので、一昔前は不良みたいな子も多かった。
高校に入れてもほとんど中退してしまう、という学年もあった。
やんちゃだから、15人以上のクラスだと、黙って授業を受けさせるのも大変だ。
「教える」ということは、そんなに難しいことではないと、私は思ってる。
生徒と「仲良くする」ことも。
難しいのは、「叱る」ことだ。
不思議だけど、子供というのは本能で「自分より強いやつか、弱いやつか」というのをかぎ分ける。
特に、ひのきの生徒は非常に野生に近いため(=文化的ではない)、そのかぎ分け能力は高いのだ。
だから、私が最初に堀先生に習ったのは、「なめられるな」ということだった。
なめられて一番困るのは自分だ。授業がやりにくい。授業がやりにくければ、結果、彼らのためにならない。だから、私は決して優しいだけの講師ではなかった。
それでも、自分の担任した生徒には好かれていたと思うけれど、よく他の学年の知らない生徒から「あの先生、コワイ」と恐れられていた。
隣の教室から私が怒鳴ってる声が聞こえるらしい。
「ルール」を守らせるということに対して、私は徹底していた。
別に嫌われても構わなかった。
私が、生徒を好きであれば、それでいい。
ただ、逆に「叱れない先生」を生徒は嫌う。なめる。
「あの先生、あかんわ」と。
学校ではなく塾であり、中学生だったけれど、ひなの話を聞いていて「先生」のあり方は小学校でも同じだと思った。
その証拠に、学級崩壊しているのは、ひなのクラスだけらしい。
ひなは言う。
「隣のクラスの○○先生は、めっちゃコワイねん。だから、あの先生だと、シーンとする」
そして、こう評価する。
「いいなぁ。○○先生がいいわ」と。
しゃべりたい放題、歩きたい放題、怖くもない先生。
そんなもの、たいていの子供は望んでいないのだ。
そこに、1つの救いを見た。
姉はさらに続ける。
「懇談のときも、その先生(ピチピチ講師)は、ひなのこと何も知らないねん」
ほとんどしゃべることもなく、成績も生活態度も、質問をしても何も答えられないらしい。
それは、生徒を見ていないからだ。
見ていれば、愛情を持っていれば、「叱る」ことができるはずなのだ。
無関心にニコニコしているだけなんて、アホでもできる。
「教師」っていうのは、やっぱり「聖職」だと、子供たちの人生を左右する大きな役割と責任のある仕事なんだということを、心して接していかなければムリだ。
この衝撃的な話を聞いた後、夫と二人で話す。
「今の子供が悪いなんてことはない。悪いのは、いつも大人だ」と。
正しいことを、ルールを、勇気や信頼を、友達の尊さを、生きるということの辛さと喜びを、教えてあげるのは「先に生まれた者」の役割。
間接的にでも、そういう学べる環境を作ってあげることが、大人の役割。
そう、子供には何の責任もない。
その子の親にも言いたい。
授業中にボールを蹴っている子供が、将来ろくでもない大人になってあんたを殺しても、あんた、何にも言えないよ。
ついでに。
今の都会の小学3年生は、逆上がりもできないらしい。
クラスの男の子のほとんどができない、とか。
走るのもめっちゃ遅い、何もできない。
毎日ゲームばっかりしてるからだろう。
(ひなはスポーツ万能なので、クラスで2番らしい。姉にそっくりだ。)
ちょっとヤバくないか?日本の将来。
「信じられないねぇ。かおりちゃんの時代は、逆上がりできないのって、かおりちゃんだけだったわよね」と母。
・・・悪かったな!!
