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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

終わらない夜の休息

2007-03-12 22:07:33 | 想い
2年前、まだ顔も声も知らなかった人が、
もうすぐ「家族」になる。

不思議。

だけど、とても心地良い不思議だ。

「書くこと」と
「お酒」と
「ブルース」と。

人生の三本柱がまるで同じ人に出会って、
私は急に生きていくのが楽になった。

どんなに仕事が充実していても、
どんなに美味しいものを食べても、
どんなにお金を儲けても、
どんなに優しい友がいても、

決して満たされなかった空っぽのグラスは、
今、完全に満ち満ちて、
喜びで溢れている。

外を歩くと、木蓮が咲き始めていて、
冬の寒さを打ち破るように上を向いて凛としたその白さに
心がすっとする。
透き通るようだ。

「何者にもなれない自分」をまだ抱えたままで、
それでも、以前のような焦燥感はなく、
ただ、今に感謝して生きていこうと、
そんな謙虚な気持ちで空を見上げた。

朝からずっと書いても、書いても、
仕事の終わりが見えない夜は、
こんなふうに心にある言葉を、ちょっと紡いでみると安心する。
これが何よりの休息。

そして、グレンフィディック15年を、
ほんの少しだけ。

30万アクセス

2007-03-06 18:40:12 | 想い
私のホームページ「食材と器で料理は決まる」がもういよいよ30万アクセスまで100を切った。
遅くとも明日、速ければ今日にも30万を達成するだろう。
30万って、結構すごい。
皆さん、どうもありがとう


忘れちゃいけない

2007-02-27 21:13:39 | 想い
昨日、とても嬉しいメールをもらった。
見知らぬ人から。

たまに同じような内容のメールをいただくことがあるが、
私のHPにたまたま辿り着いて、
でも、どんどん読んでしまって、
普段あまりコメントなんかしないんだけど、
言わずにはおれなかった。
ありがとう……

そういう内容のメール。

本当に、たまにだけど、同じようなメールをいただくことがある。
それは、本当に嬉しいことで。

1円にもならない文章を書いてきた意味があったと、そう思える。

たった1文であったとしても、見知らぬ私に「ありがとう」と言いたいものがあったんだと思うと、鳥肌が立つほど嬉しい。
感謝の気持ちが溢れてくる。

昨日、そのメールを読んだ後、昔の日記を読んだ。
記憶が薄れているので、すごく第三者的に読めて、それがとても面白かった。

智志くんに会うまでの私は、とても孤独だったんだなと改めて思う。
とても孤独で、孤独に慣れることのできない女だった。

今では考えられないようなハードな生活。
1日の労働時間は、基本16時間。
毎日書いてるのは、眠い、眠い。
仕事して、酒を浴びるように飲んで。

でも、なんか一生懸命生きてる。
ちっともうまくなんか生きられないけど、でも一生懸命生きてるから、だから、読んでくれた人が応援してくれていたんだな、と思う。

生きていると、いろんなことがある。
幸せなことも、不幸なことも、波が寄せるように行ったり来たり。
だけど、それを幸せと感じるか、不幸と嘆くかは自分次第。

彼に出会った頃は、感謝の気持ちでいっぱいだったのに、
いつしかそれを忘れていたんじゃないだろうか。
結婚が決まって、甘えた自分になっていたんじゃないだろうか。

一緒に歩いていこうと、彼が言ってくれたあの日を忘れちゃいないか?

太陽が照りつける、青い空の下、琥珀色のグラスを手にしながら、
彼は確かに言ってくれた。
「一緒に歩いてみようか」と。
私はそれを信じて、3年間ずっと好きだった人ではなく、数回会っただけの彼と人生を共に歩く決心をした。

あの頃の気持ちを忘れてないか?

もう牛馬のように働いて、酒を浴びるように飲んで、床に転がって寝るような、あんな日々は遠い過去。
そんなことしなくても、私はちゃんと生きていける。

生きていると、いろんなことがある。
だけど、今までちゃんと乗り越えてきた。
今度もちゃんと乗り越えられるはず。

いつの間にか失っていた思いやりの心をもって、彼がいてくれることに、それだけに感謝して、明日を迎えよう。

大丈夫。
きっといろんなことがうまくいく。
私の心がそれを決める。

「淋しい」という感情の記憶

2007-02-24 03:11:53 | 想い
もうすぐ私は、この家を去る。

ちょうど丸5年、この北向きの家で暮らした。
ベランダに出ると、田んぼと山。
遠くにサントリー山崎のウイスキー工場が見える。
この景色が好きでたまらなくて、冬の寒さにも耐えた。

この5年……。
つまり、この家で暮らした時間を一言で表すなら、
「悟り」
の時間であったと思う。

それまでの30年間に理解できなかったことを、この5年で随分理解した。

人を愛すること。
人を信じること。
幸せと不幸の根源。
生きる意味。
人との繋がりの強さと脆さ。
両親の愛情。

いろんなことがわかった5年間だった。

いつまで経っても、何者にもなりきれない自分を抱えたままで、
それでも、いろんなことを悟った分だけ、少し生きるのが楽になった。

基盤さえしっかりすれば、これから積み上げていくものが少々脆くても、
最後の最後までは崩れないような気がする。

精神的にも物質的にも、人に求めてもらえないと、不安に駆られていた私。
だけど、最近はやっと「人に求められない自分」を受け入れられるようになった。

いろんなことがこれから始まる。

ふと、この5年で一番大きく変わったことはなんだろうかと考えたとき、あることに思い当たった。
それは、「淋しくなくなった」ということ。

ずっと自分の基本感情は「淋しい」であって、その淋しさを埋めたり、折り合いをつけたりするために、行動があった。
淋しいから人に会い、淋しいから人を好きになり、淋しいから仕事をし、淋しいからお酒を飲み、淋しいから無茶苦茶になろうとし、淋しいから書き続けた。

でも、今は「淋しい」という感情を思い出すことが難しい。
もちろん、人が言うような刹那的な寂しさは覚えることはある。
だけど、ずっと私を支配していた「淋しさ」は永久に消えたかのように、もう存在しないし、思い出すことすらできない。

淋しくないということは、こんなにも生きやすいことだったんだと知る。
孤独からも、呪縛からも、両親との葛藤からも、いろんなことから解き放たれて、ようやく今、自由だ。
これから結婚して、二人で生きていくというのに、自由だ。
一人で生きるより、もっと自由だ。

タイムマシンがあったら、数年前の私に会いに行きたい。
酒を飲んで床に転がってる私に言ってやりたい。

あなたはいっぱい間違いを犯してるかもしれない。
だけど、とにかく「今」をひたむきに生きることだ。
そうしていれば、必ずその魂が孤独から解放される時が来るから。

あの頃の私は、自分が淋しさを感じなくなるなんて、思ってもみなかったけど。

風流を想う日

2007-02-19 16:57:06 | 想い
「おはぎ」をなぜ「ぼたもち」ともいうんだろうって、ずっと不思議だった。
地方によって違うのかと思っていた。

そうしたら、季節の花になぞらえて、「春のお彼岸」にお供えするものは、
「牡丹餅(ぼたもち)」
「秋のお彼岸」にお供えする場合は、
「お萩(おはぎ)」
と呼んでいたことから、2つの名ができたらしいと知った。
今ではごっちゃになって、特にいつの季節だからこれ、ということはないらしいのだけど。

それだけ。

別にオチも何もない、それだけの話なんだけど、お供えの和菓子に季節の花の名前を付けるなんて、古人の風流な心を想い、なんだかじんわりした。
自分の感性が震えるのがわかる。
好きなんだ、こういうの。

最近、どうも調子が悪いんだけど、
華やかな薄紅の牡丹の花や、満月の下で揺れる萩の枝が思い浮かんで、
その瞬間は、幸せな気持ちになった。

最近の私の悩み・・・

2007-02-13 21:14:04 | 想い
最近、「悩み」という悩みはなかったのだけど、もうこの数日間、考えると辛くなる悩みができた。

それは……

徳井クン(チュートリアル)がR-1ぐらんぷり決勝進出!

前評判や予想順位を見ると、どうもかなり有力な優勝候補らしい。

確かに私はチュートリアルが好きだし、徳井クンももちろん大好きだ。
笑いのツボにぐいぐい来る感じだ。
だから、ファンとして優勝してくれたら嬉しいな、というのもある。

だけど、もしそうなったら、福ちゃんは?!

最近、露出が多くなって、よくテレビでも見かけるのだけど(もう毎日チェックが大変!)、必ずと言っていいほど徳井クンと比べられて、「足引っ張ってる」というようなことを言われている。
それを見るたびに、身を切られる思いだ。

これでR-1まで制してしまったら、初のM-1、R-1覇者ということで、大きく取り上げられることは間違いなく、ピンの仕事もぐーんと増え(今でも多いのに)、さらに福ちゃんとの差を見せつけていき、ついには……!!

あー。
嫌だ。考えたくない。
でも、考えてしまう。

コンビの場合、一人の才能が大きすぎると、ピンで活躍するようになり、ついには相方は行方知れず……というパターンも多々ある。
大昔の漫才ブームのときで言えば、「伸介・竜介」「ツービート」。
最近では、DonDokoDonのぐっさんがいい例で、平畠さんはどこへ行ったのやら……。
あんなふうになったらどうしよう……

せめて、品川庄司の庄司か、雨上がりのホトちゃんくらいの存在は残してほしい。
トミーズ健ちゃんのように、ローカルで地味にパネラーやるのでもいい。

こうなってくるともう徳井クンにだんだん腹が立ってきて
ドラマに出たりするのはいいけど、やっぱり芸はチュートリアルでやってほしい。
勝手な言い分だけど……
きっと才能が有り余ってるんだろうなぁ。

……ということで、こんなことが今一番の悩みという、お気楽な私
毎日、毎晩、心を痛めている。
日曜日のR-1までこんな日が続くんだろうなぁ。
ああ、福ちゃん……

明日元気になれpart2

2007-02-08 01:58:12 | 想い
日記を読みに来て、1日に2つも3つも更新されている日があって、「ええ?」と思う人もいるのではないかと思う。

「今日こんなことがあった」
「今日何をした」
「今日、こんなことを思った」

といった日記ではなく、「part2」はテーマを決めてエッセイ風になんやかんやと考えてることを綴っていけたらいいなと思っているので、興がのってるときはいくつも更新したりする。

さっきのオトンの話も、1ヶ月前の話なのだけど、自分の中で熟成されて書きたいと思えるまでこれだけかかった。
前の日記だったら、その日に書いていたはずで、もっとよけいな思いも書いてしまっていたのではないかと思う。
感情的になって。

私の赤裸々日記が好きだった人には物足りないかもしれないけど、これからもブログはこんな感じでやっていきたいと思っている。

自分としては、その日の感情を垂れ流しにしない生活に慣れてきて、また少しずつ創作意欲も湧いてきたように感じている。
起こった出来事や湧き上がった感情を、そのままぶつけずに、少し置いて、冷静になって、客観的に書き起こすという作業。
それが、やっとできるようになってきた。

感情のはけ口ではなく、「書きたい」と思う意欲によって文章を綴ることができるようになったのはよかったのではないだろうか。

こんなのでもよかったら、また読みに来てください

灯りのともる家

2007-02-08 01:41:30 | 想い
結婚が決まって、何が一番よかったかと尋ねられたら、迷わず口にできることがある。
「両親を許せたこと」だ。

詳しくは書かないが、両親の仲は非常に悪く、私とオトンの間にもずっと確執があった。
子供の頃は「大好きなパパ」だったのに、大人になって許せなくなり、愛情と憎しみの間でずっと揺れ動いていた。

オカンのことは尊敬していたし、頭も上がらなかったが、それでも結局のところ、私は「仲の悪い両親」というものを許せなかったのだと思う。
オトンだけに矛先が向いていたのではなかった。

早く家を出たくて仕方がなかったし、早く自分の家がほしかった。
10代半ばからは、あたたかい家庭の子供になれなかったから、あたたかい家庭のお母さんになるんだと、そればかりを願って生きてきた。

でも、青い鳥は逃げてばかりで。
私はいつしか自分の理想の家を「灯りのともる家」と呼ぶようになり、エッセイや小説にも何度もそのことについて書いた。
自分の生きるテーマの1つのようにもなっていた。

だけど、結婚がようやく決まり、まだ半信半疑で戸惑っていた両親が、ようやく「これは本当のことなんだ」と信じてくれたとき、変化が起きた。

実家に帰ると、2人がとてもニコニコしていて。
なんだかずーっと家族が私の結婚の話で盛り上がって、笑っているのだ。

この間、また実家で式の打ち合わせをしていると、オトンが昔話を始めた。
実家の「家」を買ったときの、もう33年も前の話だ。
初めて聞いた話が興味深くて、ふんふんと聞いていると、オトンが言った。

「住んでいた大阪の街は工場地帯でな、その頃はスモッグがひどかったんや。それで、子供たちの健康のこと考えてな、会社からも遠かったし、知ってる人も誰もおらんかったけど、この町に家を探しに来たんや」

オカンも横で頷いて、「そうそう……」と思い出話に参加する。

オトンは続けて、「子供2人、まだ小さくてなぁ……、そんな2人連れてここまで来て……」と、私と姉のことを話した。
その瞬間、オトンの顔は、今まで見たこともないほど、愛情に満ちた表情になった。優しい父親の顔だった。

なんだかとても温かい空気がそこにはあって。
私は、家を出て10年経って、初めて、実家から自分の家に帰ることが淋しかった。
もう少しここにいたいと思った。

自分の家に帰る道で、なんだかふっと笑いがこみ上げてきた。
自分が20年も探し続けて、あんなにも求め続けてきた「灯りのともる家」はなんだったんだろうな、と思った。

チルチルとミチルは青い鳥を探しに出ても見つからなくて……、実は青い鳥は最初から自分の家にいたことに気付くんだっけ。
「青い鳥」という童話。

なんだか同じようなことをしていたんだな、と思った。
それも20年という長い時間。

なーんだ……
私は最初から「灯りのともる家」に住んでたんじゃないか……

私は最初から、幸せな子供だった。
ちゃんと両親に愛されて育っていた。

そのことに気付いた瞬間、長い長い間凍り付いていたものが解けるみたいに、自分の心を固くしていたものが、ホロホロと崩れ落ちていくのを感じた。
鎖から解き放たれた囚人みたいに、自分が自由になっていくのを実感していた。

それが、両親を「許した」瞬間だった。

そこから、いろんなことが変わっていったように思う。
私は、私自身を、もう嫌いではなかった。
自分が、この世に存在していていいのかと、いつも悩み、いつも自分自身を責めていた理由は、ここにあったのかと、驚いている。

両親に愛されていると、確かに知ることが、私にはこんなにも必要だったのだ。
本当に長い時間だった……

生まれてきてよかったんだな、私。

ぐちぐちぐち

2007-02-04 11:53:21 | 想い
今、私は週に2、3回しか外に出ない。
まあ、だいたい、1回は仕事(取材や打ち合わせ)、1回は友達と遊ぶ、1回は式の打ち合わせなど。
用事がある日にまとめて買い物なども済ませるので、あとの日は1歩も家から出ない。
1日の歩数は100歩くらいという、非常に不健康な生活だ。

そして、睡眠時間を除いた行動時間の9割はパソコンに向かっている。
体に悪い、悪い。
非常に悪い。
やっぱり、またジムに通おうかなぁ……
ダイエットにもなるし。

それにしても、この3ヶ月、本当に長かった。
歳をとるにつれて時間が経つのがどんどん早くなっていたのに、この3ヶ月で急にスピードダウン。
今まで軽快な音楽が流れていたのに、突然、レコードの回転数が変わって音が伸びた感じ。(←喩えが、年代を感じさせるな……)

時の流れ方が……、そうだなぁ、小6くらいに戻った感じがする。

この3ヶ月で、普段の半年分くらいの睡眠をとり、この3ヶ月で10年分くらいのテレビを観た(私は子供の頃からほとんどテレビを観なかった)。

3ヶ月間「栄養ドリンク」や「カフェイン剤」を飲まなかったのも10年ぶり。
今までは少なくとも週に1本は必ず飲んでいたのに(それもダブルで)。

どっちが体に悪い生活なのか、極端すぎて判断できない……

もちろん、もう夜も眠れないほど忙しい生活は嫌だ。
文化的で人間らしい生活ができないのは嫌だ。
二度と戻りたくはない。
もう10年もやれば十分だ。

そして、自分の好きなことをいろいろできる、このストレスゼロ生活は楽しい。
私の性格だから、家にずっといると悶々として、鬱になって、よけいストレスがたまるんじゃないかと思っていたが、それが全く逆だった。
鬱にもならなくなった。

ただ、この生活に「不満」はないけど、正直に言えば「不安」はある。
それは、楽すぎて自分がダメになってしまうのでは……?という不安。
人間関係がなさすぎる。
彼や友達、家族では、楽すぎて。ただただ楽しすぎて。
もう少しストレスの中に身を置かないと、自分がダメになってしまうんじゃないかと、そんな変な不安があるのだ。

おかしい?

私は今まで「楽に生きたい」と思ったことがないのだ。
何か自分に試練を課していないと気がすまなかった。
そうして人は成長するものだと思っていた。
私みたいな元々がダメな人間はなおさらそうすべきだと。

「楽に生きる」ということは、何か罪のように感じていた。
人を堕落させるための、最も簡単な手段だと思っていた。
もちろん、「楽しく生きる」ことは悪いことだとは思わない。
でも、私の思う「楽しさ」は、砂漠の中で美味しい1杯の水に出会うような喜びであって、最初から温かい毛布を与えられることではなかった。

あったかい、気持ちいい、心地良い、楽しい……、そんなストレスゼロ生活で、果たして私はちゃんと成長できるのか?
どんどんダメになっていかないか?

最近、そんな不安を感じるようになってきた。

もう少し単純な話をすれば、もうちょっと仕事がしたいだけなのかもしれないな。
それも、「人と関わる仕事」が。
人の生き様に触れたり、人の話を聞いたりということが少なすぎて、自分の心がカラカラに乾いていきそうで怖いのだ。

友達はもうたくさんいて、これ以上ほしいとは思わないし、もっとたくさんの人とプライベートで関わりをもっていきたいというような欲望はない。

同じ電車に乗り合わせるのではなく、車窓からいろんな人の人生を見る。
そんな感じの関係がもっとほしい。
これまでの10年は、ひたすらそんな人生だったから、それがないことが少し物足りないのだろう。

これについてはもう少し考えてみる必要がある。
どちらにしろ、仕事も定期的なものをあとちょっと増やす必要があるし。

こんなこと書くつもりなかったのに、気付くと愚痴みたいになってた
今の生活に感謝しないといけないのに、ないものねだり。

こういうときは、私の好きな茨木のりこさんの詩を読む。


   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて

   初心消えかかるのを
   暮らしのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ


本当はもっと長いのだけど、私の好きなところを抜粋。
乾いていく心も、消えていく志も、全部自分のせいなのに、周りや環境のせいにしてはいけないなと、これを読むとガツンと頭を殴られる。

久しぶりに愚痴を書いて、ちょっとスッキリしたから、また頑張ろう。

本当に、私はばかものよ

ブルースの生神様

2007-01-24 22:03:57 | 想い
「ブルースの生神様」と呼ばれた男がいた。

ロバート・ロックウッド、あのロバート・ジョンスンの義理の息子だ。

そのロックウッドが、昨年11月21日に亡くなっていたことを今日知った。
2ヶ月以上もそのことを知らずにいたことが悔やまれる。
知ったからといって、どうなるものでもないのだけれど。

歳を聞いて驚いた。
享年91歳。
寿命が延びた昨今でも、大往生といってもいいだろう。

だけど、もう決してロックウッドのプレイを生で観たり聴いたりすることはできないのだと思うと、なんとも悲しい。

こうやって年々、偉大なるブルースマンが亡くなっていくのだ。

ブルースの生神様は、本当に神様になった。

さようなら、ロックウッド。
素晴らしいギタープレイをありがとう。

「明日天気になれ。part2」スタートにあたって

2007-01-15 22:20:11 | 想い
皆さん、お久しぶりです!

昨年末、日記を終わらせて、何か別の形でやりますと宣言していましたが、更新が遅くなって申し訳ありません。
次はどんな形でやっていこうかなぁといろいろ考えていてました。

2週間、全く更新していないのに、アクセス数を見ると、減ってはいるものの、やっぱり1日に50人~70人くらいの人は見に来てくれていて、とてもありがたかったです……
早く何か形にしないとなぁって思っていました。

それで、とりあえず、タイトルは「明日元気になれ。part2」
何の芸もないです……(笑)

でも、内容は今までとは全く違うものにしようと思っています。
更新も、今までのように毎日はしませんし、もちろん、振り返ってその日の日記を書くということもしません。

私は6年間、ずっと本気で日記を書いて公開していました。
「今日は何をして、何を考えたか」
たぶん、読んでいる人は、本当に人の日記を覗き見しているような感覚になることもあったのではないかと思います。

これからはもう少し、普通の「ブログ」に近いものになるかと思います。
私の「日記」が好きだったという人には、少し物足りないかもしれません。
でも、もうこの「日記」をはけ口にしなくても、生きていけるようになったので、新しい形で文章を書いていきたいと思っています。

何も書かずにおくということは、元々考えていませんでした。やっぱり、何か作品という形にする前に、「今日」書き残しておきたいことが日々あります。
それは、いろんな「考え」であったり、「読書の感想」であったり、「美味しかったもの」であったり……。
「あっ、これ書いておきたい!」ということがあるので、そういうものを、これからはメモ程度に書いていこうと思っています。

そのため、「本とBLUES」のブログ、「料理」のブログはどちらも閉鎖し、内容はHP内に移して、そこで充実させていこうと思っています。
ブログはこれ1本でいきます。

それから、友達に「私は“生かおり”の人生を見られるからいいけど、読者の人は日記がなくなって淋しいのでは?」と言われたので、もしそういう人がいてくれるならと思い、「最近の私はこんな感じですよー」と、ある程度の報告も兼ねられたらいいかと思っています。

沖縄にいる彼の友達も、この日記を通して彼のことを知ってくれている面もあったようなので、たま~には彼のことにも触れていきます(笑)

これからもどうぞよろしくお願いします。
HPも充実させていきますので、たまには覗いてくださいね!!