今、私は週に2、3回しか外に出ない。
まあ、だいたい、1回は仕事(取材や打ち合わせ)、1回は友達と遊ぶ、1回は式の打ち合わせなど。
用事がある日にまとめて買い物なども済ませるので、あとの日は1歩も家から出ない。
1日の歩数は100歩くらいという、非常に不健康な生活だ。
そして、睡眠時間を除いた行動時間の9割はパソコンに向かっている。
体に悪い、悪い。
非常に悪い。
やっぱり、またジムに通おうかなぁ……
ダイエットにもなるし。
それにしても、この3ヶ月、本当に長かった。
歳をとるにつれて時間が経つのがどんどん早くなっていたのに、この3ヶ月で急にスピードダウン。
今まで軽快な音楽が流れていたのに、突然、レコードの回転数が変わって音が伸びた感じ。(←喩えが、年代を感じさせるな……)
時の流れ方が……、そうだなぁ、小6くらいに戻った感じがする。
この3ヶ月で、普段の半年分くらいの睡眠をとり、この3ヶ月で10年分くらいのテレビを観た(私は子供の頃からほとんどテレビを観なかった)。
3ヶ月間「栄養ドリンク」や「カフェイン剤」を飲まなかったのも10年ぶり。
今までは少なくとも週に1本は必ず飲んでいたのに(それもダブルで)。
どっちが体に悪い生活なのか、極端すぎて判断できない……
もちろん、もう夜も眠れないほど忙しい生活は嫌だ。
文化的で人間らしい生活ができないのは嫌だ。
二度と戻りたくはない。
もう10年もやれば十分だ。
そして、自分の好きなことをいろいろできる、このストレスゼロ生活は楽しい。
私の性格だから、家にずっといると悶々として、鬱になって、よけいストレスがたまるんじゃないかと思っていたが、それが全く逆だった。
鬱にもならなくなった。
ただ、この生活に「不満」はないけど、正直に言えば「不安」はある。
それは、楽すぎて自分がダメになってしまうのでは……?という不安。
人間関係がなさすぎる。
彼や友達、家族では、楽すぎて。ただただ楽しすぎて。
もう少しストレスの中に身を置かないと、自分がダメになってしまうんじゃないかと、そんな変な不安があるのだ。
おかしい?
私は今まで「楽に生きたい」と思ったことがないのだ。
何か自分に試練を課していないと気がすまなかった。
そうして人は成長するものだと思っていた。
私みたいな元々がダメな人間はなおさらそうすべきだと。
「楽に生きる」ということは、何か罪のように感じていた。
人を堕落させるための、最も簡単な手段だと思っていた。
もちろん、「楽しく生きる」ことは悪いことだとは思わない。
でも、私の思う「楽しさ」は、砂漠の中で美味しい1杯の水に出会うような喜びであって、最初から温かい毛布を与えられることではなかった。
あったかい、気持ちいい、心地良い、楽しい……、そんなストレスゼロ生活で、果たして私はちゃんと成長できるのか?
どんどんダメになっていかないか?
最近、そんな不安を感じるようになってきた。
もう少し単純な話をすれば、もうちょっと仕事がしたいだけなのかもしれないな。
それも、「人と関わる仕事」が。
人の生き様に触れたり、人の話を聞いたりということが少なすぎて、自分の心がカラカラに乾いていきそうで怖いのだ。
友達はもうたくさんいて、これ以上ほしいとは思わないし、もっとたくさんの人とプライベートで関わりをもっていきたいというような欲望はない。
同じ電車に乗り合わせるのではなく、車窓からいろんな人の人生を見る。
そんな感じの関係がもっとほしい。
これまでの10年は、ひたすらそんな人生だったから、それがないことが少し物足りないのだろう。
これについてはもう少し考えてみる必要がある。
どちらにしろ、仕事も定期的なものをあとちょっと増やす必要があるし。
こんなこと書くつもりなかったのに、気付くと愚痴みたいになってた

今の生活に感謝しないといけないのに、ないものねだり。
こういうときは、私の好きな茨木のりこさんの詩を読む。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
本当はもっと長いのだけど、私の好きなところを抜粋。
乾いていく心も、消えていく志も、全部自分のせいなのに、周りや環境のせいにしてはいけないなと、これを読むとガツンと頭を殴られる。
久しぶりに愚痴を書いて、ちょっとスッキリしたから、また頑張ろう。
本当に、私はばかものよ