蹴上の日向大神宮を元旦に参拝

2008-01-09 16:08:52 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水を考える場合、大津の第一トンネル東口洞門にある伊藤博文の揮毫した「気象萬千」の石額のすぐ横に「三尾神社」があり、蹴上の第三トンネル西口洞門にある三条実美の揮毫した「美哉山河」の石額の横に「日向大神宮」が存在する。このように見ると、この両社は琵琶湖疏水の大津側の入り口と京都側の出口に存在するので、個人的に“疏水の守護神”と考えている。
 日向大神宮は、蹴上の疏水施設まわりを散策した時や、顧客を案内するたびに参拝しているが、今年は初めて元旦の朝参拝した。いつものように、地下鉄蹴上駅の①番口から三条通に出て左に少し進むと日向大神宮の「一の鳥居」があり、坂道を登っていくと疏水に架かる「大神宮橋」がある。橋を渡ってさらにゆるやかな坂道を登ると「二の鳥居」に達するが、元旦の朝のため参詣を終えた人と多く出会った。途中にある公家味噌の看板のところに三条通につながる車道があるので、大神宮前の奥の広場には約10台の車が駐車していた。「一の鳥居」からゆるやかな登り坂の参道を約15分進むと広場に達する。   
                       疏水に架かる大神宮橋          元旦の参詣者で賑わう本宮前の広場

神宮という名は天照大神を祭神とする伊勢神宮の呼称であるが、江戸時代には鹿島神宮と香取神宮を含めた3社があった。明治以降になって皇室祖先神や天皇を祭神とする神社の多くが社号を神社から神宮に変えている。京都には平安神宮や白峰神宮があり、大津には近江神宮ができた。大神宮の呼称は天照大神を分霊した神社に付けられ日本各地に存在するが、日向大神宮も明治維新前は、日向の宮・日向神社・粟田口神明堂・日岡神明宮などと呼ばれていたそうである。
日向大神宮は京都最古の宮で、外宮や内宮が存在するので「京の伊勢神宮」として有名で、昔は東海道を往来する旅人の道中の安全祈願や伊勢神宮の代参としての参拝客が多かった。いまでも都会地にいることを忘れるくらいの静寂さと風情をもった場所である。
日向大神宮の由緒や史跡の内容については、近くホームページで紹介する予定であるが、手すりのついた石段を登った社務所のある広場に外宮があり、さらに石段を登った高所に内宮が存在し、いずれも京都では珍しい神明造りの建物である。
      
     日向大神宮の外宮               一段上の奥にある内宮

また、内宮の向かって左手を少し登ったところに「天の岩戸」という洞窟があるが、内部に祠があり中に開運厄除けの神が祀られている。また境内神社として10社が存在する。
早朝の参詣には“いのししに注意”の貼紙があるくらい雰囲気のある場所であり、交通も至便である。また東山トレイルの中継基地であり、大津・山科・南禅寺・大文字山に通じる道がある。紅葉の場所としても有名であり、お薦めできる散策場所である。


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