ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

平成最後の…

2019年04月30日 | 俳句

 とうとう平成最後の日になりましたね。何をしても〝平成最後の…〟と言って、日本全国まるでお祭り騒ぎみたい!そういう私も〝平成最後の掃除〟をしなくっちゃ~と、頑張ってみたりと…。

 私の父は平成元年に亡くなりました。明治の最後と平成の最初に引っかかり・大正・昭和の4つの時代を生き、本当に昔気質で頑固な、でもとても子煩悩な父でした。だから平成になった年が忘れられないのですが、確かテレビで平成の幕開けは雨だったとか、今日の幕引きも雨と。

 明日になれば〝令和〟です。ならば何をしても〝令和最初の…〟ということになるんでしょうね。いつも黄金週間は出かける予定がないときは庭の草取りをして過ごしていましたが、こんなに毎日雨が降りますとそれもできず、のらりくらりと過ごしています。すると日頃より余計ナマケモノになった気がして、ああ~イヤダ!やっぱり忙しい方が私にはむいているみたい!

 実はこの4月30日は永井荷風の忌日で、〝荷風忌〟が晩春の季語になっています。小説家・随筆家で、明治12年(1879)東京生れ。『あめりか物語』や『ふらんす物語』、『濹東綺譚』などの傑作がありますが、俳句にも『荷風句集』を残しています。昭和34年(1959)、79歳で逝去。

   色町のなくなりてけふ荷風の忌      森澄雄

 2004年刊の句集『虚心』所収の句ですから、森澄雄の晩年のものでしょう。荷風と言えば、「色町」とは切っても切れない縁があります。その色町がなくなって…いわゆる売春防止法で赤線が廃止されたのが昭和33年とか。荷風もそのすぐ後の34年に亡くなっていますし、その時空の隔たりがこの句の骨格。澄雄と荷風の関係は分かりませんが、荷風とその時代を偲んで詠んだ句であることはまちがいないでしょう。

 以前東京へ行ったとき、東京の友人から〝どこへ行きたい。案内するから…〟と言われて、即座に〝吉原!〟と答えて、案内してもらったことがあります。随分前ですから確かではありませんが、大門跡だとか見返りの柳とかは記憶に残っています。荷風が葬られたいと書き残していた遊女の投げ込み寺〝浄閑寺〟には行ったかしら? 近くに建っていた〝一葉記念館〟には行きました。余り時間がなかったからか、ゆっくり見た覚えがないので、是非もう一度行って見たいと思っています。しかし、私の先入観でしょうか、大門跡に一歩足を踏み入れた途端、派手な店や街角に立っている人(男)の目線がとても気になったような…ちょっとコワイ!第一印象でした。

 とうとう夜中になって…もう令和元年ですね。このブログ、本当は平成最後なのに…。写真なしです。また、ガンバロウ!

 

 

  

コメント (2)
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