今日は予報通り午後から雨に…このごろは天気予報がよく当たるので、かえって困ることもあります。先日の筍堀を今日に延ばしたらどうかという案が出たのですが、天気予報を見て変更。とうとう17日の水曜日にと決めましたが、今度はどうでしょう。お天気だといいのですが…。
ところで、「筍」は「たかんな」「たこうな」ともいい、初夏の季語なんです。しかし、出るのがだんだん早くなっているような…4月になるとすぐスーパーにも売り出されるようになりますから。これも地球温暖化のせいではないでしょうか。この世の中何でもかんでも旬を待つより先取りが歓迎されますので、生産者は先に先にと…。そのためハウス栽培が盛んになり、品種改良も進んできたのでしょう。今では茄子も胡瓜もトマトももう完全に季節感がなくなりましたものね。
その点、筍はまだ人工的には出来ないでしょうから、自然環境に任せるしかないはず。それとも私が知らないだけで、もうどこかで開発されているのかしら? 聞くところによると今年の筍は出るのが遅く、収穫も少ないので、そのため値段も高いとか。
しかし、季節はまだまだ春ですので、俳句ではやはり今頃のものは「春の筍」とか「春筍(しゅんじゅん)」として詠まないといけないのでしょうね。でも、歳時記を見ても「春の筍」では芭蕉時代の句は一つも載っていません。当時はまだ春には余程のことがない限り筍は出ていなかったのではと思うのですが…。
春筍に土の香りのなかりけり 小島健
たかんなの土出でてなほ鬱鬱と 山口誓子
この二句、どちらも筍を掘った時の「土」を詠んでいます。前句の、春にはまだ土の香りがないというのはなぜなのでしょうね。たまたま乾燥していた時に掘ったから?いや、そんなはずはないですよね。いくら乾燥していても土の中でできるものですから…それなら貰ったか買ったもので、もうきれいに洗ってあったからとか…。いろいろ考えてみてもピンときませんが、ここはやはり「春筍」だからいいのでしょうか。
それに比べて誓子の句は、土の香りがプンプンしてきます。それも「鬱鬱と」とありますから、きっとこれは真っ黒な湿った土から掘り出されたばかりの筍でしょう。そもそも〝雨後の筍〟というように雨の降った後には筍がたくさん出ますからね。早く掘らないと固くなり美味しくなくなります。土の中に深く埋まっているものほど柔らかくておいしいんですよ。
ああ、私は筍は掘りたてでないとダメなんです。子供のころから母が掘ってきたばかりの筍を食べつけていますので、スーパーで買ったものなど食べられません。香りはないし、固くって…。でも季節のものなので一度は食べたいと思い買ったことがありますが、後悔しました。だから朝市などで土のついた掘りたてを見つけた時買うこともありますけどね。