いしかわ出身の著名人 その5(No.79)
◇石本他家男(デサント創業者)
( いしもと たけお、明治42年(1909)11月25日石川
県生まれ。昭和10年大阪で石本商店を創業。戦後,グラ
ブやミットの製造販売をはじめ,のちスポーツウエアに
進出。36年社名をデサントとあらため,社長。外国メー
カーと提携し,同社はゴルフ,テニスなどの大衆化の波
にのって急成長した。57年会長。昭和63年5月27日死去。
78歳。
■写真は石本他家男氏
◇山科直治(バンダイ創業者)
(やましな なおはる、1918年2月22日 - 1997年10月28
日)は、石川県出身。石川県立金沢商業高等学校卒。
バンダイを一代で築き上げた名経営者である。
華北で退役。日本電気冶金を経て、山科直治の義兄久
々津一夫が経営する繊維会社「萬代産業」の玩具製造
小会社として1925年に浅草菊屋橋で万代屋(現バンダ
イ)を設立し、1928年社長。1980年会長。1997年(平成
9年)10月28日死去。79歳。
◇畠山一清(荏原製作所創業者、畠山記念館創立者)
(はたけやま いっせい、1881年12月28日 - 1971年11
月17日)は、1881年(明治14年)、金沢で能登の守護
大名畠山氏の血筋を引く家系に生まれる。機械工学者。
株式会社荏原製作所の創立者。
東京帝国大学機械工学科を卒業後、1912年に恩師の井
口在屋と共同でゐのくち式機械事務所を創業した。
1920年(大正9年)にはポンプ販売の事業を発展させて
荏原製作所を設立した。
◇塚本勲(加賀電子創業者・会長)
(つかもと いさお、1943年石川県生まれ。中学時代
は短距離の選手として活躍したほか、スポーツマンと
して活躍。金沢市立工業高校に進学するが一年で中退
し、20万円を持って単身上京。可変抵抗器メーカーに
就職し、営業マンの基本を覚え、24歳で加賀電子を秋
葉原で創業。営業と企画に徹し、工場を持たない典型
的なファブレス企業を築き上げる。18年で東証二部、
29年で東証一部に上場。
◇竹内繁(ウノケ電子工業創業者)
(たけうち しげる)大正15年(1926年)石川県宇ノ
気町生まれ。国税庁、日立製作所(通産省技術院電気
試験所出張勤務)を経て1960年、深江氏らの出資によ
り地元・宇ノ気町にウノケ電子工業を設立する。当初
の社屋兼工場は町から貸与された宇ノ気中学の講堂。
主な創業メンバーは日立製作所時代の部下、平林氏・
上野氏・千田氏らだった。1963年に同社を退職後、金
沢工業大学教授を経て1969年バンテック・データサイ
エンスを設立。
◇細野昭雄(アイ・オー・データ機器創業者、社長)
(ほその あきお)1944年、石川県金沢市生まれ。62
年に石川県立工業高校電気科を卒業し、ウノケ電子工
業(現PFU)に入社。65年、金沢工業大学の情報センタ
ー職員に。70年バンテック・データ・サイエンス
(現エヌジェーケーテクノ・システム)に入社。76年
アイ・オー・データ機器を設立、代表取締役社長に就任。
■写真は畠山一清氏