ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

テレビゲームの何が変わったか メモ書き

2005年09月28日 | ゲーム
 ナムコの岩谷徹氏の近著『パックマンのゲーム学入門』を読んでいて、ふと思い浮かんだのはゲーム、テレビゲームは黎明期のそれと何が変わったのか。
 
 それはテレビゲームの本質の部分だ。『パックマン』などの昔のテレビゲームの面白さはゲームのルールの面白さだ。
 そしてそれ以降のテレビゲームの面白さの本質はゲームへの感情移入、ゲームキャラクターとの一体感、つまりはロールプレイングの面白さこそが面白さの本質なのだ。

 ゲームが複雑に成ったと言われるが、何が複雑に成ったのか。複雑に成ったのはルールではなく、ルールを運営するためのシステムの部分が複雑化したに過ぎない。
 
 で何が言いたいかといえば、ゲームが売れなくなった理由とされているゲームの複雑化はルールの複雑化ではなくて、ルールを動かすためのシステムの複雑化なわけで、もう一度過去のゲームの面白さの本質、面白いルールの創出に力を注げばまだ十字キーとボタンでも十分にユーザーを楽しませることが、驚かせることができるんじゃないだろうか。
 簡単なことではないのだろうけど、やってみるべきじゃないだろうか。

実写映画版、最終兵器彼女

2005年09月26日 | 映画
 実写映画版『最終兵器彼女』公式

 以下妄言
 実写版『最終兵器彼女』はCGをふんだんに使ってちせの兵器としての部分を描くそうな。でも日本の、それも映画界のあのチープなCGでどこまでできるのかまったく持って疑問。映画にだってできないことはある。
 素人の私が言うのはチャンチャラおかしいがもし自分がとるのなら一切CGは使わないで、ちせの兵器の部分は直接には描写しないけどな。反戦的なメッセージは確かにあるけれど、『最彼』の本質はやっぱり恋愛だから兵器を描かなくても高橋しんの描きたかったものは描けるんじゃないかなぁ。


 見てもいない人間がどうこう言うのはやはり問題だけど、面白い映画は断片の情報からでも面白さが感じられる場合が多いような。

天才より凄いやつは今

2005年09月25日 | 音楽
 97年ごろの絶世期の山崎まさよしを見ていた人間からすると昨今の山崎まさよしの変容は世間一般のミュージシャンの音楽性の変化、円熟とは言い難い、言葉は悪いがパワーダウンした感が否めない。
 ライブから遠ざかっていた私には今回の『僕らの音楽2』での『月明かりに照らされて』は相当のショックだった。高音がまるで出ていないのだ。これを歌唱表現の変化と言う言葉で繕うのは不可能だ。明らかに出ていない声を誤魔化すためのアレンジが加えられていた。
 スガシカオの変質を許容できた私も山崎まさよしの変質は許容できなくなってしまった。彼の何が変質したのか、具体例を挙げて言語化できないこと自分自身の能力のなさを痛感させられる。無責任を承知で言うならば曲・詩ともに推敲がされていないというか、安直というか

 過去に生きるのはかっこ悪いが天然パーマツアーの時の山崎まさよしは最高に格好良かった。
 
 

ホワイトバンドを肯定的に考える

2005年09月24日 | 雑記
 今週の『爆笑問題ノススメ』で姜尚中氏が述べていたこと
我々の世代(60年代に学生だった世代)はアメリカ文化にどっぷりつかって、アメリカを批判していたと。と言ったようなことを述べていた。(姜氏は反日の構造も同様のものでないかと指摘していた。)

 あの世代は政治に関心を持った熱い世代のように見えるが、その実は思想をファッションのように消費していただけだ。彼らの言葉を用いれば、ノンポリと何ら変わりはない。そのファッション性が無自覚であったことを考えると、主体性がない分、ノンポリと言われた人々よりも”ノンポリ”だったと言える。
 ひるがえって昨今のほっとけない運動のシンボル、「ホワイトバンド」に関するネットを中心とした言説を目の当たりにすると、今の世代の思想に対する旧世代との違いを感じずにはいられない。端的に言えば非常にまじめで、潔癖な印象を抱く。自らの生活とホワイトバンドの思想とを照らし合わせて、羞恥心を、嫌悪を抱く、偽善を感じるといった趣旨の主張の多いこと、多いこと。
 安易にファッションのような思想に乗らない人間が増えたと言うことはこの社会が少しは洗練されたことを意味するのかもしれない。だがここで少し考えて見たいのはその思想がどういったものであるのかということだ。反米や反日の思想は誰かを、国際関係を傷つけるかも知れないが、ホワイトバンドの思想はおそらく誰も傷つけない。傷つけるとすれば、そのバンドを身につけることでその思想と自らの実生活の実際に偽善を覚える本人ぐらいだ。少なくとも私はそう考える。自らの生活を省みると言う効果は少なくともある。

 だれも傷つけない思想であるならば、ホワイトバンドを身につけても良いと私は考える。またそれを身に着けることで、自らの偽善的な部分に気付かされるのであれば、別の面で効果があると言える。若いならなおさらホワイトバンドを身に付けることは悪くはない。

 先進国で21世紀に生を受けた人間にとって思想的なムーブメントというものはもうあまり残されていないだろう。それが誰も傷つけないのなら、そのムーブメントに乗ってみると言う選択肢も”あり”だと思う。せっかくのムーブメントだ。乗らない手はない。それこそもったいない。



 ただ私は資質的に何かのムーブメントはエレクトロニクス以外には乗れない人間であるためホワイトバンドは身につけることが出来ないが。


追記:少なくとネット上では賛否を含めて大きな話題となった。話題のされ方がたといネガティブであっても多くの人間が貧困問題に何かしらの意識を抱いたという一点においてホワイトバンドは役割を果たしたといえる。

ソニー

2005年09月23日 | 雑記
 日経記事「ソニー構造改革策発表…」

 事業の選択と集中も結構だが、ソニーに今一番必要なのはソニーのアイデンティティーであるサプライズのある、誰もが購買意欲をそそられる製品の開発だ。
 ウォークマン、CDプレイヤー、MDウォークマン、プレイステーション、フラットブラウン管、VAIO、AIBOなどなど。どれもその新規性、高性能によって一時代を作ってきたソニー製品だが、それ以降は”真似下”と揶揄されてきた松下電器の上を行く後塵の拝しかただった。ただ新規性の面で後を行くだけなら、それでもいいかもしれないが技術的にも劣っているのだから、目も当てられない。

 今のソニーはサプライズもなければ、技術力もない。またゲーム部門に限ればサポート能力すらない。PSPの一件は今のソニーを象徴している。ソフトの面では移植ばかりで新規性に欠け、ハードの面ではドット欠けやボタンの不具合を連発。その対応も後手後手に回り、企業イメージまで損ねてしまった。(関連してライバル企業の任天堂はドット欠け製品を初期不良として扱い、無償交換を行ったこともソニーのイメージを相対的に悪化させた。)
 

 
今部屋を見渡すといたるところにソニー製品が溢れている。コンポ、スピーカー、MDプレイヤー、プレイステーション2、PSPなどなど。やっぱり私はソニーが好きだ。もっと人を驚かす、わくわくさせる製品をリリースしてくれることを願う。


 安価に次世代機を享受してきたユーザーがいうのも何だが、トップシェアをとらなければ、収益を上げられないSCEのビジネスモデルは歪んでいる。
 

体感系家庭用ゲーム機は必然か

2005年09月23日 | ゲーム
 Xavix公式
 WatchImpress記事
 今や世界で活躍するジャッキー・チェンが出演しているCMが印象的なXavixだが、その根本の思想は先日発表された任天堂のRevolutionにも通じる。異なるのは体感ゲームをより具体的に表現している点だ。Revolutionは基本的にリモコン型のコントローラーのみでさまざまなアクションを行うが、Xavixはボクシングゲームにはグローブ型のアタッチメントを付け、ボーリングゲームにはボーリングのボールの形をしたアタッチメントを付けプレイする。
 海外ではXavixは子供向けのゲーム機だったようだが、今回の日本での展開ではターゲットを子供ではなくゲームをあまりしない中高年層に絞られているのも興味深い。ゲームというよりもフィットネス器具の位置づけのようだ。そのためか海外では本体が日本円でおよそ8800円、アタッチメントがおよそ5500円。これに対して日本版は本体が9800円、ボクシングやDDR系のアタッチメントがそれぞれ14800円、テニスやボーリングが7400円となっている。

 最近のDSのヒットはTouchGenerationシリーズによるところが大きい。そしてそこには未開拓であった中高年層の開拓があった。右脳を鍛えるという付加価値が後押ししたのだろう。フィットネスという付加価値をもったXavixも中高年層に受け入れられるのだろうか。

ゲームの中の戦争感想、試し書き

2005年09月20日 | 雑記
 ゲームにおける暴力が現実にもたらす影響について考えている日本側、考えていないアメリカ側(戦争への間接的転用)という二項対立が目に付いた。

 確かに宮本茂氏の『スーパーマリオブラザーズ』は敵は人間ではないし、あくまで敵を倒すのであって殺すのではない。またファミコンというハードの性能ゆえの抽象性も”殺す”という印象を抱かせない。堀井雄二氏の『ドラゴンクエスト』も同様だ。 小島秀夫氏の『メタルギアソリッド』は敵は人間であるがそこには明確な理由が示されている。またストーリーには明らかな反戦・反核のメッセージが込められている。(もっと言うならば、敵に見つからないことが基本のスニーキング、麻酔銃の存在、『MGS3』での敵兵の怨念という演出などの要素もアメリカのゲームとの理念の相違が見て取れる。)

 でも日本の市場に目を向けて見ると、日本のパブリッシャーに限ってもアメリカのゲーム同様の、またそれ以上の安易な暴力に頼ったゲームが数多くある。例えば『デビルメイクライ』や『鬼武者』なんかはその典型。ストーリーは一応存在するが、それはあくまで”一応”。あってもなくてもいいようなストーリーでしかない。(率直に言うと苦痛。)最大の売りはスタイリッシュアクション。敵のモンスターは赤い血を流す。

 

またアニメ夜話

2005年09月18日 | 雑記
 BSマンガ夜話公式

 また『アニメ夜話』。別に詰まらないわけではないし、よく出来ているとは思うけど、収録のため如何せんライブ感がない。
 夏目房之介氏いしかわじゅん氏もなんか『マンガ夜話』終了のような空気をかもし出している。

 でもやっぱり『マンガ夜話』が見たい。出演者の多くが思い入れを持っている作品を取り上げたときの盛り上がり方、学校のサークルのような和気藹々な雰囲気がやはり見たい。
 民放では決して見れない濃い内容(民放は素人が多数、専門家が少数。夜話は逆。)をもう少しだけ見たい。

TBSはガンパレードオーケストラを

2005年09月18日 | ゲーム
 『BLOOD+』
 毎日インタラクティブ記事『ガンパレードオーケストラ』


 TBSは現在『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』を放送している、土曜日夕方6時の枠で今秋からPS2ゲーム『BLOOD  THE LAST VAMPIRE』の続編、『BLOOD+』を放送する。TBSのキー局であれば、ほぼ放送される。一方アニメ版『ガンパレードオーケストラ』はテレビ朝日とABC放送のみのローカル放送。
 別の話。売り上げのソースが見つからなかったがPS2ゲーム『BLOOD』は投売りされていた印象がある。一方『ガンパレードオーケストラ』の前作『ガンパレードマーチ』はいまだに中古で安くても3000円ほど。加えていまだに新品が売れている。
 
 全く下らない妄想だが、『SEED』が受けたのなら、『ガンパレ』もいけるのではないだろうか。


 日経ガンパレードマーチ
 ここの売り上げの推移を見ると『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のそれを思い起こさせる。