ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

世界観、もしくは設定の大切さ

2007年01月29日 | 雑記
 日本テレビ系列で放送されているクイズ番組、『サルヂエ』が今春をもって終了してしまう。


 『サルヂエ』は元々日本テレビの深夜のバラエティ枠での放送だった。深夜に、つまりは大人向けになぞなぞ番組を放送するという意外性もさることながら、私自身の印象としてはやはり得意な設定こそが『サルヂエ』が人気を獲得し、ゴールデンにまで進出した要因だと思う。

 『サルヂエ』では藤井隆さんと故岡田真澄さんが何故かサルに扮して、ホモサピエンスと侮蔑する芸能人にクイズを出してゆく。これだけでも十分に特殊であったが、さらにセットもバラエティー番組、特にクイズ番組ではそれまで見られなかったような暗めのセット。
 また回答者が4人であったことは満遍なく司会者との掛け合いを楽しむことが出来た。


 深夜の大人向けの時間帯になぞなぞという特殊性を、猿の扮装、暗めのセットがさらにその特殊性を際立たせていた。付け加えるなら、なぞなぞのクオリティも理不尽なものが少なかった。



 なぞなぞという番組の本質の部分も確かに重要である。しかしながら『サルヂエ』が深夜の時間帯で人気を博した背景にはここまでに述べたような演出の力がある。現在の『サルヂエ』を目の当たりにそれが明白となるだろう。潜在視聴者が最も多いゴールデンという時間帯に、明るめのセット、数十人の回答者。
 ゴールデンになってからの番組のリニューアルというものは『サルヂエ』が持っていた特殊性、アイデンティティとも言える部分が猿の扮装以外ことごとく排除されてしまった。またリニューアルによって放送時間が倍加したために、番組内容もそれまでのなぞなぞばかりとはいかなくなってしまった。


 

テレビゲームってどこに行くのだろう

2007年01月01日 | ゲーム


 近頃のテレビゲームを取り巻く状況を眺めてみると、任天堂の大健闘以外目に入ってこない状況に近い。


 自分自身のことを考えてみると、ここ数年、一時期状況に迫られる形でテレビゲームから一旦距離を置いてからというもの、テレビゲームに対してそれまでのようには情熱を持てなくなってしまった。

 

 卒論のテーマとしてテレビゲームを扱ってみたけれども、その実テレビゲームに対して、特に大ヒット作の物語やシステムなどの知識は無かった。もともとRPGも特にプレイしていたわけでなし、『ドラクエ』や『FF』にしても、全作をプレイするようなヘビーゲーマーでもない。気に入ったソフトだけを購入するというスタイルだった。


 その気に入ったソフトだけを購入するというスタイルも、ゲーム断食以降、ますます偏重し、意識的にゲームっぽいゲームを以前に増して購入しなくなってしまった。

 しかしかと言って、現在の知育ゲームの流れに対しては一抹の寂しさをぬぐうことができない。寂しさというよりも、違和感と言うべきか。Wiiにしても同様に、違和感を感じる。
 入力装置の変化によって、ゲームの文法はおろか、消費のスタイルをも変えようとする任天堂の試みは素直に偉大だと思うし、その試みが確実に成功に向かっている現状は大変な事だと感心しきりだけれども、「リモコン」がテレビゲームに未来をもたらすのかと言う事には少なからぬ疑問を持つ。


 ゲームにこれまで以上の身体性を加えたことは、確かに旧来の文法の解体を促進しているとは思えるけれども、しかしそれ以上にこの身体性の付加はプレイヤーにとって現実的な身体的負荷をももたらしてしまっている。
 この身体的負荷は必然的にゲームプレイを短くする傾向を生み出す。いくらテレビゲームをやりたくとも、疲れたらできないもんね。そう、本当に。旧来のテレビゲーム然したテレビゲームとの差別化を図ると、今のところ「リモコン」を前面に押し出してゆく傾向がリリースされているソフトに見ることができる。

 これまでの「テレビゲーム」は難しい→「リモコン」を沢山使うゲーム→身体性を伴う→疲れる→プレイ時間の短縮化→ゲームが短く収まるようにデザインされる

 こんな構図が頭に浮かぶのは私の頭が短絡的だかろうか。「リモコン」の普及がテレビゲームをより深化させてくれるのだろうか。今以上のカジュアルゲームの氾濫だけは回避して欲しい。