ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

PS3がCMを打たないのは

2006年10月18日 | ゲーム


 12月2日発売のWiiがすでにCMを投下しているのに、11月11日発売のプレイステーション3はCMを売っていないけど、それは別に何かタクランデイルとかではなくて、CMを今から売っても効果が無いことを知っているんだろう。多分。100万台用意できるWiiと初回8万台と噂されるプレイステーション3では売れる、売ることが出来る量が違う。幾ら今から大量にCMを流したとしても、売る者がないんじゃしょうがないから、CMを打たないんじゃないだろうか。



 そして発売前、2週間前位からお慰め程度にCMを打つんじゃないか。

全くいらない一抹の不安

2006年10月13日 | ゲーム

 Wiiのお披露目会の情報が入ってくるにつけて、文章から出さえ熱気が伝わってくる。もうこれは放って置いてもバカスカ売れることでしょう。あとは認知度が如何に上がるかだけの問題のような気がします。

 肝心のソフトについても『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』を筆頭にカジュアルゲームばかりではないことも明らかなようです。十分に遊べる出来のゲームがそろうと思われます。優等生的な雰囲気はやはり好きにはなれませんが、確実に遊べるものを出してくるのが任天堂であると信じても居るからです。


 しかし不安な点はやはり残ります。まず第一に何処までサードパーティーがWiiのデバイスを活かせるのかと言うことです。ニンテンドーDS登場時も同様のことを心配していましたが、半分はずれで半分当たっていたと自分では思っています。確かにニンテンドーDSには2画面やタッチスクリーン、マイク入力などを活かしたソフトがリリースされていることは事実であります。ですがその一方で、大ヒットしたソフトの一方で、全く活かしきれていないソフトがかなり大量にリリースされていることも事実です。従来の入力を無理やりにタッチ入力にした物や練り込み不足な物がリリースされている物の中で少なくはありません。これと同様の事態がWiiで起こりうる可能性は極めて高いと思われます。現に『レッドスティール』に関する今の段階での評判はその兆候であると言えます。

 またそして最大の不安はゲームがカジュアルゲーム一辺倒になる可能性があるということです。『脳トレ』や『やわらかあたま塾』の大ヒットを受けて知育ゲームが雨後竹の子のように続々リリースされ続けています。『ドラゴンクエストⅧ』の開発会社として知られるLEVEL5が初の自社ソフトとしてリリースを予定している『レイトン教授と不思議な街』も知育的な要素をふんだんに取り入れた作品となっているようです。巨大化しすぎたテレビゲームと言うものがユーザーとメーカーの両方にとって魅力がなくなっていると言うことの証明と言え得るかもしれませんが、古参のユーザーとしては、「開発費が安くても、売れる」という安直な考えの下でカジュアルゲームに市場が覆いつくされてしまうのではないかと不安を覚えます。

 「『ゼルダ』があるじゃないか」と言われそうですが、『ゼルダ』はやはり例外なのではないかと思うのです。任天堂であるからこそ提供できるレベルのゲームであって、他のメーカーには望めないクオリティなのだと。ニンテンドー64の『ゼルダの伝説64』やゲームキューブの『ゼルダの伝説 風のタクト』は確かにずば抜けたクオリティーを誇るもののサードパーティーはどうかと尋ねられれば、なかなか返答に窮するというのが大方の印象ではないでしょうか。

いちっ♪にぃっ♪さんっ♪でゲームが変わったあの頃…

2006年10月12日 | ゲーム
 1994年の12月3日。プレイステーションが発売された。次世代機戦争についての大方の予想は11月22日に発売されたセガサターンが優勢とされていた。けれども次世代機戦争を制したのはプレイステーションだった。

 あの頃のプレイステーションには何とも言えない高揚感があった。何かしてくれるんじゃないか、そんな期待が僕を捕らえて離さなかった。10月までセガサターンを親にねだっていた僕は『闘神伝』や『モータートゥーングランプリ』の映像、そしてカタログの隅に掲載されていた『ボクサーズロード』のスクリーンショットに気持ちを揺さぶられ方向転換してしまった。

 アンソニーとセガールというチンパンジーを使った比較批判型のCMを展開するセガサターンには無いユーモアやどきどき感がプレイステーションにはあった。今現在当たり前となっているCM冒頭のロゴマークと注意を引く効果音はプレイステーションが始まりだった。

 その後も「行くぜ!100万台!」や「良い子も良い大人も」のキャッチフレーズをはじめ、CMに面白さが溢れていた。遊びがあった。余裕があった。『パラッパラッパー』や『IQ』、『みんなのゴルフ』のヒットなんかもこのプレイステーションの雰囲気、土壌、ユーザーの広がりの賜物だったように思う。ちなみに『がんばれ森川君2号』でさえ40万本も売れた。


 それがプレイステーション2の発売で少しずつ変化していったように思う。徐々にCMでも”遊び”や”余裕”が減って行き、出来が良く、小奇麗な、しかしわくわくしないCMが多くなってきた。それは挑戦者という攻める立場から、王者と言う守る立場へのポジションの変化があったのかもしれない。誰からも嫌われないCM、そしてゲーム。あれほど多種多様であったソフトが段々と固定化していったような感覚。100万本売り上げた『パラッパラッパー』の続編もアニメとのタイアップをもってしても20万本弱という売り上げに留まってしまった。

 そしてプレイステーション3。何だろうか、この拭い切れない既視感は。前評判が反対であるのはあるが、どうもニンテンドー64を見ているような感覚だ。そして今の任天堂はまるでプレイステーション期のSCEを見ている感覚。あのわくわく感。CMから伝わってくる”余裕”や”遊び”。今のSCEに一番足りない物があの任天堂に感じるのだ。


 その任天堂が新しくリリースする家庭用コンソール、Wiiは何の因果か、まぁ何も無いというのが真相だとは思うが、12月2日となっている。10年来のプレイステーションユーザーとしては何とも感慨深く、残念な気分だ。11月11日と言うプレイステーション3の発売日を思うと改めてそう思う。もうSCEには”遊び”も”余裕”も無い。



 いちっ♪にぃっ♪にぃっ♪でまたゲームは変わるのだろうか。

ナンとかとPS3とWiiとDSは使い様

2006年10月11日 | ゲーム

 昔の人はうまいことを言うもので、何とかとハサミは使い様なんてことを言いますが、それは今の世の中でも多分に当てはまるようなことだと思うわけです。昨今流行のニンテンドーDSや年末に発売が予定されているWiiも、もっと言えばプレイステーション3なんてのも使い様なんじゃないかと言われているわけです。


 ハサミは確かに何でもできる。紙を切れれば、人を傷つけることも出来てしまうって言うんですからやっぱりそれは使い様、使う人の工夫や心がけ一つ。それはゲームでも同じこった。DSを使えばTouch Generationのようなゲームが作れる一方で、その一方で愚にも付かない苦痛なゲームが山ほど作られちゃうって寸法。Wiiもその例外には居られないってことだぁね。んだんだ。

 まぁプレイステーション3も今のままではそこから逃げられない。何でもできるスーパーコンピューター並(今回は自称ではなく他称)な者で今までの考えで作っていてはそれこそ「ナンとか」の誹りを逃れられないだろうよ。ミドルウェアとかそういう発想じゃ、それこそ自分の首を絞めちまう。グローバル化の中を帆船で航海するようなもんだぁよ。そりゃ。


 誰が一番使いこなすんだろうね、ハサミを、さ。

深夜番組からゴールデンタイムへ、

2006年10月05日 | ゲーム
 テレビ業界のことについて、視聴者としての知識しか持ち合わせては居ないが、番組制作のノウハウとして深夜番組がある種の実験場となっているのは理解している。深夜の時間帯で成功した番組はその規模や時間を大きくし、ゴールデン番組へと進出してゆく。特にこのシステムはテレビ朝日で多いような気がするが。

 例えば『愛のエプロン3』。私は『2』の頃からの視聴者ではあるが、30分の番組から1時間へと放送時間を延ばし、調理をする出演者もグラビアアイドル中心から俗に”大御所”と呼ばれるような豪華な出演者へとシフトしていった。無名に近いグラビアアイドルは出演しなくなり、昔から出演している若手も限られた人々となってしまった。

 時間が30分も伸びてしまったが、もとの『愛のエプロン』、『2』は30分の番組として設計されたものであろうから、それをそのまま1時間の番組にするには必然的に時間は余る。番組を1時間用にリフォームしなかったためか、残った30分を埋め合わせるために蛇足と思われるような出演者のプライベート映像を加えていた。

 私が年をとったからか、放送時間が早まったからか、以前ほどの興味を持って見ることは無くなってしまった。以前は出演者が調理した料理の試食を面白おかしく拝見し、最後に示される料理人によるお手本に食欲をそそられ、番組で紹介されたレシピを元に料理に励んだりもしていたが、いまやそんなことをしなくなってしまった。

 本当にテレビ朝日はこういったパターンが多い。『銭形金太郎』は深夜の時間帯では筆舌に尽くしがたい壮絶な貧乏生活を送る人、常人には理解の難しい夢を持っている人、私以上の駄目人間など様々な人々の貧乏生活を垣間見れる番組であったが、ゴールデンタイムに移動してから、LOHASな生活を送る人が中心になり、もはやそれは”貧乏生活”と呼べるものではなくなってしまった。またこの番組においても、時間が45分から1時間に延びたにも関わらず、番組のリフォームを行わなかったため、”貧乏さん”以外の企画で時間を満たしていた。
 同様の例に『マシューベストヒットTV』があったが、あの番組はゴールデン進出後、振るわなかったようで深夜にで出戻りしてしまい、戻った先で結局9月で終了してしまった。
 

 これを見て、この一連の流れを見て何かに似ているのではないかと思う。それはもちろんテレビゲーム。一作目は意欲にあふれた実験作であった。粗はあるが、それを補って余りある新鮮な魅力があった。だからこそヒットした。しかしながら、ヒットしたがゆえに、その作品は戦略的な意味合いを帯びてゆくこととなり、予算が前作以上に投下される。そうすると様々にリッチにしてしまうのが人の常。そして段々と巨大化してゆく。巨大化、リッチ化によって本来の持ち味は相対化され、次第にその人気を失ってゆく。こういう安易なストーリーに還元される。


 『愛エプ』も『銭金』も『マシュー』も昔の方が面白かった。これは単純な回顧ではないと思う。どうか『ぷっスマ』や『くりぃむなんとか』などはどうかゴールデンに出さないで欲しいなぁ。