ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

マンガ夜話個人的に必要論

2006年02月27日 | 雑記
 高野文子の『絶対安全剃刀』という本がある。『週刊少年ジャンプ』すら読んでいない私にとって80年代に初版が出版された、それも失礼ながら超ドマイナーな作家の短編集を買うということなど普通ありえない。せいぜい浦沢直樹の作品ほどしか読んでいないのに。
 
 では何故購入したかといえば、『BSマンガ夜話』の中で高野文子の『るきさん』が取り上げられた際、援用されていたからだ。

 私には全くの別の地平の作品、エンターテイメント作品ではなく作家性の強い作品。私の興味の範疇の外だ。それをマンガ玄人たちが楽しげに語る。地上波、民放では当時はほとんど見かけることのない人たちが自分たちの言葉で語る。そこにはテレビという広範囲の視聴者を想定した情報の切り取りはほぼない。



 浦沢直樹ほどしか読んでおらなんだ私が西岸良平や高野文子、永島慎二までマンガの幅を広げた。そればかりか夏目房之介のマンガ表現論の著書群や伊藤剛の著書にまで手を伸ばした。ミーハーと言われれば其れまでかも知れないが、『マンガ夜話』は少なくとも私にとってはマンガと言うものに当たる意識の変化を促してくれた重要な番組だった。

 『BSマンガ夜話』公式ウェブ

 近年『BSマンガ夜話』はその人気から徐々にその範囲を広げてきている。数時間にわたる特別番組から、題材をアニメにまで広げた『BSアニメ夜話』、少年マンガとは別のベクトルで成立していたいわゆる少女マンガに焦点を絞った『THE少女マンガ』などなど。
 そしてその一方で大本の『BSマンガ夜話』は昨年の3月の放送を最後に放送されていない。レギュラー出演者のウェブなどを見ると『BSアニメ夜話』の方が題材の知名度の高さから視聴率も良いとのこと。また一部から放送100回を超えてすでに役割を終えたとの声もあった。

 

 初めて高野文子の短編集『絶対安全剃刀』を読んだとき、ミーハーな私には正直『田辺のつる』くらいしかその面白さを理解できなかった。漫画表現というものもよくわからなかった。背伸びをして、別の世界を覗いている感覚だった。

 でも今はなんとなくではあるが、高野文子の良さが分かり始めた。駄々かも知れない。でもまだ『BSマンガ夜話』を見たいと思う。

マーズツインビーアレルギー

2006年02月18日 | ゲーム
 マイルストーン公式『ラジルギ』

 2001年の始めごろセガが唱えていたドリームキャストの生き残りの施策は2004年の下半期ごろまでであったようだ。実感として昨年あたりから、ドリームキャストの特に新品の棚を置いているゲームショップが確実に無くなってきていると感じる。いくら仕入れリスクが下がっても市場が大幅に縮小してしまってはどうしようもなかったのだろう。お店のスペースには限りがある。
 
 だから普通のお店では売っていない、取り扱っていない。大手のチェーンでも扱わない。扱うのはよほどシューティングに思い入れのあるショップ、または客の要望に優しいショップ、そして秋葉原のショップに限られる。入荷できないリスクや諸費用を鑑みて今回はウェブ通販を利用した。



 操作形態は『マーズマトリックス』のような手触りだ。レンジの広い普通のショットとレンジが極端に短く狭い強力なショット。敵弾を吸収するモスキート。それがノーマルショットであり、ソードであり、アブゾネットなのだと。敵弾以外には当たり判定がないところも同じだ。
 そして得点稼ぎが熱いところも同じだ。普通にプレイするだけならば、それなりのゲームでしかない。だが得点に倍率をかけるアンテナを増やすことを意識してゆくと、途端に難易度が上がり、またプレイに張りが出てくる。熱く、面白くなってくる。少なくとも初心者の私にとっては。

 加えて手の生えた自機のデザインやパワーアップアイテムを自機の攻撃で弾け、且つその弾かれたアイテムが違うアイテムに変化するところなんかは『ツインビー』の如くだ。


 結構面白い。ただキャラクターデザインや全体のゲームデザインは個人的に苦手なものなのが少し辛い。同人誌のキャラクターレベルのデザインは一寸…、ネットカルチャーが随所に盛り込まれている点も一寸辛い。

コーヒーを読む

2006年02月17日 | 雑記
 偶然書店で平積みされていた山川直人著『コーヒーをもう一杯』を読む。コーヒーのみが物語を縛っているだけで、人情話や恋愛話、寓話、SF?(妄想)など様々な種類のストーリーが綴られている。
 
 話は面白く、構成もうまい。絵もうまいし、構図も面白い。そして個性的だ。確かにそう思う。だが設定や雰囲気には既視感がぬぐえなかった。実際の文化(マンガ、音楽)を作中に登場させるところは昔の”漫画芸術家”の作品のよう、コーヒーで縛った設定や物語の読後感は西岸良平著『三丁目の夕日』のそれにあまりにも近い。(『三丁目の夕日』の場合は夕日町という町で縛っていた。)

 絵についても少しある。確かに絵はうまい。若者と老人の書き分けも出来ている。引っかかるのは若い男性、女性のキャラクターだ。あのくりっとした大きな目はあまりにキャラクタリスティックが過ぎるかな。あまりに可愛らしすぎて、現実的なストーリーや漫画全体の雰囲気と乖離しているように思えてならない。このキャラクターが殊に主役、準主役を担っているために物語の没入が妨げられているように感じる。
 コンセプトのコーヒーも少し苦しい部分がある。ストーリーの重要な部分を占めている話もあれば、完全に蛇足になっている部分もある。(さりげなく関わっている話が一番心地よいが。)

 ここまで書いたが面白いマンガには違いない。エンターブレインから刊行されているもう一冊にも触手を伸ばしてみよう。それにしてもエンターブレインはなんだろうか。こういう作家の本を沢山出すためにゲーム雑誌を作ってるのだろうか。いいことだ。

テレビ局ごとのトリノ

2006年02月13日 | 雑記
 今回のトリノオリンピックの中継をNHK、日本テレビ、フジテレビ、テレビ東京で今のところ見ているが、NHKは横においておくと抜群に良いのがテレビ東京のオリンピック中継。
 日本テレビとフジテレビはちょっと辛い。日本人選手だけが見たいわけではない。素人ながらやはり他の国選手の競技も楽しみたい。にもかかわらず、この二つのテレビ局の中継を今まで見る限り、必要以上に日本人選手にクーローズアップしすぎて他の国の選手の競技がおざなりにされている。点数が出る前に、最悪競技事態すっ飛ばしている。またフジテレビにいたっては昨日の男子スノーボードハーフパイプは酷かった。何故に予選の映像をリピートし続けたのか。疑問だ。

 すべての選手の競技を放送する。当たり前のことだが、難しいようで、ほとんど出来てはいないように今までの印象から感じる。テレビ東京はその当たり前のことをやっているに過ぎないが、相対的にやはり良く映る。テレビ東京好きと言うことを差し引いても今回の中継は良く出来ていると思う。
 

 藤井隆、眞鍋かをり、水野裕子というキャスター陣の人選も非常につぼだ。

新世紀エヴァンゲリオン2forPSP改め新世紀エヴァンゲリオン2~造られしセカイ~

2006年02月05日 | ゲーム

 GAINAX.NET『新世紀エヴァンゲリオン2another cases』
 
 原作付きゲームを作ると言うことが難しいだろうと言うことは想像に難くない。殊にその原作がテーマ性を強く孕んでいるものだと。つまりはアニメで言えば『エヴァンゲリオン』以降のエピゴーネン群、その他影響下にあるものなんかだ。
 何故かと言えば、表現のテーマが物語の奥に秘められているとキャラクターや設定はその表現をするための駒、副次的なものとなる。絶対ではないが。少なくとも大本の『エヴァ』はまさにそうである。

 当然にゲーム化し辛い。旧来のアニメ作品などならば、大抵は世界は善と悪で成り立っており、毎回の物理的戦いによって話が進む。テーマが存在したとしても大枠はその善と悪の対立。だが『エヴァ』では敵との戦闘は物理的なものに限られない。精神攻撃によって内面に向き合わされたりする。また厄介なのは敵ばかりではない。作品の中では主人公を始めとしてキャラクターが葛藤する。これがテーマ性の発現であり、物語の核の一つである。よって『エヴァ』の魅力なのである。だが一体どうやってゲームに出来るのか、普通出来ない。だから過去の『エヴァ』ゲームでは『エヴァ』に真剣に向き合ってこなかった。アドベンチャーゲームにしたり、カードを集めたり、マージャンさせたり、使徒をたまごっちのように養育するだけだった。そこに『エヴァ』である必然性はない。『エヴァ』という題材も全く生きていない。

 例外はベック開発のニンテンドー64ソフト『新世紀エヴァンゲリオン』とアルファシステム開発のプレイステーション2用ソフト『新世紀エヴァンゲリオン2』だけだ。前者はストーリー、特に使徒との戦闘に徹し、後者はテーマ性に徹した。これはもう『エヴァ』との格闘だ。特に『エヴァ2』のシステムには感動すら覚えた。システム自体がもう『エヴァ』なのだ。面白いかどうかはともかくとして、真剣に『エヴァ』と向き合い、『エヴァ』をゲームに落とし込んでいる。

 その『エヴァ2』のPSP移植版が正式に発表された。発売日、タイトルも発表された。内容は芝村ディレクター曰く、半分以上作り直しているので移植とは言えないそうな。確かに今週号のファミ通の記事を見ると霧島マナらしきキャラクターも確認できる。期待してよいかもしれない。だが残念なこともある。『エヴァ2』の試用版で実装されていたと言うコスチュームの要素はどうも今作でも実装されていないようだ。よってCEROも前作と同様に収まるかもしれない。自己中を承知で言えば、『エヴァ』は私たちの世代のものであり、私たちの世代に合わせて欲しかった。今の中高生のものでは決して無い。


 『造られしセカイ』というサブタイトルはエヴァファンからの批判に対して芝村氏が皮肉で答えたのかな。
追記:もちろん買う。でも一体どこまで改善されているかと言うと疑問な点が多い。某所の商品情報を見ると新規イベントらしき一場面が。どうも毒にも薬にもならないような前作の犬イベントのようなものが増加されているだけかもしれない。

抵抗勢力、凋落の日

2006年02月01日 | ゲーム
 ファミ通.COM記事「『EXIT』がiアプリに」

 PSP版『EXIT』が発売されたのは昨年の12月15日。そして今年の1月31日には携帯電話用アプリとしてリリースされた。内容は記事によるとほとんど同じであると言う。
 携帯電話の高性能化の賜物と言うべきか、多くの人の手に『EXIT』が行き渡るであろうことは一ファンとして嬉しい限りである。
 ただしかしである。PSP版『EXIT』の定価は4800円である。一方でこの携帯アプリ版『EXIT Light』は月額制ではあるが315円。一ヶ月だけ見れば、その価格はおよそ15分の一。発売されて一ヶ月強しか経っていないソフトがペットボトルのジュース2本ほどの値段で楽しめるのだ。

 
 コアなユーザーであれば、ゲームを買うことに抵抗は無いだろう。だがライトユーザーにとってゲーム一本に5000円、7000円近くのお金を拠出することに抵抗があろうことは容易に推測できる。そういったライトユーザーがPSP版、携帯アプリ版どちらを購入するのかと言えば、もちろん後者だろう。
 携帯アプリは電子機器の進化の必然である。そしてゲーム業界とは異なり、成長分野である。この流れはもはや規定路線であり、どうしようもない。どんどんと据え置きの、携帯のゲームが今にもまして移植されてゆくだろう。そしてユーザーは、少なくともライトユーザーはそれを選択するだろう。

 その選択の帰結として私が親しんできた”ゲーム”は、なくなってしまうかもしれない。携帯アプリでしか存在できなくなるかもしれない。それがユーザーの選択であるとしてもやはり淋しい。携帯アプリ、タッチパネルを用いたゲームは旧来的なゲームとは異なる。僕らのゲームでない。