![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a7/117d0d292f65eb354a79e70d494a52f0.jpg)
多くのRPGはリソースの無駄遣いが顕著です。以前某芝村さんも語っていましたが基本的に通り過ぎるだけの街やダンジョンを無数に作って行く必要のあるフィールド系RPGはJRPG、洋RPGに関わらず大きな無駄があります。日本の老舗メーカーやPCでの展開やマルチ展開を見据えた海外のメガパブリッシャーにこそ出来る芸当であって、国内や海外の中小開発のような限られたリソースしか持ち得ないメーカーにとっては今やほぼ不可能な芸当です。たとえそれを選択し、出来たとしても内容は充実しないものとなるでしょう。
そのせいか近年国内の中小メーカを中心として新規RPGがリリースされていますが、そのほとんどといって良いほど所謂『Wizardry』をベースとした、もしくはそのゲーム性の延長に位置するものであるところに現在のRPG開発の難しさと開発トレンドが見えてくるように思います。軸となる街が1つ、もしくは数箇所あってそこに多くないダンジョンがあるといった具合に。
![アイドルマスター](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/16/a61911f55f9fc311be73af011c8f049f.jpg)
ただこういった形のリソースの節減、部分的集中投下は現代ではRPGの世界ばかりのトレンドではないようです。例えばスマッシュヒットしている『アイドルマスター』なども高品質なモデリングを見せてくれていますが、ゲーム自体を振り返ってみると注力されているのはほぼモデリングのみで他はかなり安い作りとなっているように見て取れます。
![龍が如く](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/2b/919c664fb76e6dd1828558d183e6aa54.jpg)
先月発売された『龍が如く3』も大まかに言ってしまえば、大きな街が2つあるだけのRPGです。そこに固定エンカウントによるアクションゲームを挿入し、アドベンチャーゲームを挿入し、イベントを挿入することによって、総体としての見栄えを底上げすることに成功していますが、かなり限られてリソースのやりくりの後がしのばれます。
今まではこれはほぼ日本だけの事象でした。特に北米市場は近年、経済全体がバブル期であったこともあり潤沢な資金力をバックにリッチなゲームが数多くリリースされ続けていました。非常に好調に推移していましたが、昨年よりの信用バブル崩壊の後、海外パブリッシャーが次々と赤字を計上し、多くのスタジオの閉鎖・統合が発表される事態に至りました。
このような事態に立ち至ると、必ずしもこれまでのように潤沢なリソースを投入することが出来るとは限りません。むしろスタジオの閉鎖や統合などを見る限りにおいては今まで通りに資金が出てくるとは考えにくいです。そうなると海外においても限られたリソースの中での開発を、一部のメガヒットタイトルを除いては、余儀なくされるように思います。
こんなことを空想していると以前からずうっと疑問に思っていたことが頭をもたげだします。それはゲームを作るのに必ずしもハードの性能をたっぷり使わなくてはいけないのかという疑問です。例えば『おとなのしくみ』の堀井雄二さんへのインタビューの中で、ファミコン時代は容量に悩まされていてPSになってディスクメディアを採用したから容量の限界から解放されたと思ったら内蔵メモリが問題になったとありました。
でもこの新たに持ち上がったという内蔵メモリの問題は表現を2Dから3Dへと変えた為に起こった現象だと思います。データの流用はしやすくなる一方でデータ量自体はドット絵の比較ではありません。それまで通りの2Dによる表現であったならば、内蔵メモリは問題にならなかったんだと思います。
つまりハード性能の上限に合わせてゲームを作ることが正しいのかということが言いたいのです。スクロールしない1つの画面のゲームだったり、横スクロールだったりが最先端のゲーム機で動いていても良いのではないかということです。表現に必然があれば、必ずしも3Dであったり、きっちりモデリングしたり、細やかなテクスチャーを施したりする必要は無いのでないかと思うのです。
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例えば『Rez』などはワイヤーフレームやポリゴン数の少ないオブジェクトなどでゲームが構成されています。しかしこのゲーム画面を見て、「モデリングが粗い」、「テクスチャーが細かくない」などと批判する人はほとんどいないと思います。それはクリエーターが、ここでは水口哲也さんが、表現の必然のためにワイヤーフレームやローポリゴンを選択したことがコンセプトと理解されるからです。
クリエーターとして最先端の技術を使いたいのはわかりますが、PS時代頃から必ずしも最先端の表現がそのゲームに適しているのかと首を傾げたくなるようなゲームが増えてきているように思います。もちろん最先端の技術を追いかけることは重要です。最先端の技術が競い合ってこそ新たな表現を生み出しますし。けれど明確なコンセプト無しに、最先端の技術を無為に乱用したゲームでは面白くありません。
![山内薄](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/af/0b47a8a9001d3aadad50471b4a724fac.jpg)
過去の2Dの表現は決して捨ててきた、劣った表現ではないはずです。けれどもそういった”過去の表現”は今までゲーム業界から否定され続けていました。
![久多良木健](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d0/9895f170cbce3c272db56637bf5ae666.jpg)
ニンテンドー64では任天堂は2D表現を規制し、PS3では2Dシューティングの開発を拒絶したというエピソードは有名な話です。最先端のハードを作ったのだから、それに見合った表現をしてほしいというのは人情だとは思いますが決してそれだけではないはずです。
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こういった進化主義的な考え方に一石を投じたのは2000年に開催された「BIT GENERATION」というビデオゲームを扱った小規模な美術展でした。それまでもある種のパロディとして散発的にいわゆるファミコン調のドット絵をモチーフとしたものはありましたが、ゲームの歴史を描くことによってメルクマールとして明確な形で後年日本のゲーム史に刻まれる事象として大きなものはこれが初めてでした。
![レベルX](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/36/94ad09626dc2c02af8a151cadf8133c5.jpg)
この美術展がファミコンをはじめとした過去の表現の評価へとつながり、よりブラッシュアップされ規模を拡大してファミコン製造終了の年、2003年には「レベルX」として大々的に開催されました。この再評価の流れが2004年にはGBA用ソフト「ファミコンミニ」シリーズにつながっていったと思います。またこのファミコンの再評価の延長線上に”GAMEの原点へ”と銘打った「BIT GENERATION」シリーズへと続き、現在ではそのコンセプトは「Art Style」に引き継がれています。
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このファミコン再評価の流れはパルコに代表されるようなCM業界やアイコンとしてファッション業界などへ、またビジュアル面ばかりの評価にとどまらず、音楽業界でもテクノを中心としてチップチューンが流行となり、いまでは1つの表現として定着した感すらあります。そしてようやくゲーム業界にもグラフィックや音楽面で表現として省みられることが多くなってきました。
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近年のリソースの集約化の影響もあってかグラフィックや音楽ばかりではなく、ゲームシステムまでもある種の回帰が起こっています。『勇者のくせになまいきだ。』などはグラフィックもさることながら、1画面に収まるステージの中でのアクションであり、かつ全ステージを通してのスコアを競うシステムからして、ファミコンをはじめとしたこれまでの日本のゲームをネタにしたネオファミコン世代と評したくなる内容となっています。
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ファミコンなどのレトロゲームといわれるゲーム攻略してゆくCS放送の番組、「ゲームセンターCX」をモチーフとした『ゲームセンターCX』では、ゲーム内ゲームという形で8ビット、16ビット時代の、具体的にはファミコン、MSX、スーパーファミコン時代のタイトルを髣髴とさせるゲームをその周辺文化ごと収録したメタゲームというかなり近年の日本のゲーム状況、とりわけレトロゲームの評価を象徴するゲームとなっています。
ただまだまだパロディ、メタの域を出ていません。Xboxライブアーケードなどの家庭用ダウンロードソフトの中では作品規模や価格や容量の問題でそういった傾向もありますが、やはり経済的な必然が表現の必然を優先している印象が強く、過去の表現が選ばれているとは言えない状況です。
昔の表現やシステムは決してそれ自体は、古くはあるかもしれませんが、決して劣ったものではないはずです。その表現に必然性があれば、むしろ今の最先端のゲームシステムを用いるよりもしっくりくるはずです。例えばPS3やXBOX360で昔の表現やシステムを用いたら、それまで出来なかったことが出来るかもしれません。最先端の3Dばかりが表現ではないはずです。市場はまだ無いかもしれませんが。