ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

みんなの……だったら良いなぁ……

2009年06月30日 | ゲーム
その昔、プレイステーションクラブというものがありまして、年会費5,800円を支払うと隔月でプレイステーションマガジンというCD-ROMが送られてきたものでした。そしてそれとは別にしばしば会員向けに体験版ディスクを送ってくれるという、CD-ROMが珍しかった当時にしては夢のようなファンクラブでした。

そんなファンクラブ事務局から送られてきた体験版の中にはまだ新規タイトルのひとつでしかなかった『バイオハザード』などがありました。その中でも当時の僕を釘付けにしたのが『みんなのゴルフ』でした。当時も今もゴルフに露も興味がなかったのですがゲームとしてとても面白かったです。体験版だけで数ヶ月も遊んだような。


当時『みんごる』を開発していたのは高橋兄弟のキャメロット。その後、一部スタッフがクラップハンズとして袂を別って、キャメロットは任天堂と組み『マリオゴルフ』シリーズ、『マリオテニス』シリーズと名作スポーツゲームをじゃんじゃん生み出してゆきました。「おとなの仕組み」のインタビューでは高橋弟さんがサッカーの話をしていたような、してなかったような記憶があります。

そんな中で『マリオストライカーズ』というサッカーゲームが発表され、サッカーゲームが大好きすぎる僕としてはキャメロット開発のサッカーゲームを期待せずにはいられなかったのですが、蓋を開けてみると海外ディベロッパー製作のかなり大雑把なフットサルのゲームで大変がっかりしてしまいました。


-『みんなの……』(SCE公式)


で、そんなこともすっかり忘れていたころに今日です。『みんなのX』が発表されました。ティザーサイトの雲の切れ間から垣間見える文字を根気強く眺めてみていると、どうにも「サ  ッ  カ  ー」と見えて仕方がありません。ぜんぜん違いますが。てか、『みんなのサッカー』が良いなぁ。『ウイイレ』や『FIFA』じゃないサッカーゲームがやりたいよ、ナムコ!

キャメロットではないですが、『みんごる』を『3』で完成させたクラップハンズのゲームですからやはり期待してしまいます。そしてどうせならサッカーゲームが良いなぁ。動かして楽しいサッカーゲーム、やりたいなぁ。そして何にしても金曜日が楽しみです。

FIFA 10 On the "EDGE"

2009年06月22日 | ゲーム
人喰いの大鷲トリコ

-FIFA10(EA海外公式)

ちょっと前からティザーが公開されていたようですが、今日見てみるとなんと今月号のEDGE(日本では来月入荷?)で表紙!と特集記事10Pとのこと。今回こそは買い逃すわけにはいきません。特集記事のタイトルは‘How EA turned FIFA into the World’s best football game’。確かに。現状のトップは質的に見ても、売り上げ的に見てもEAのFIFAシリーズなのは確かなので異論は出せないのですが、そこはナムコに異議を唱えてただきたい。

ティザーサイトのトップページを見ると、"KICK OFF IN 59(今日の時点で) DAYS"と出ているので前作と同じスケジュールかも知れません。そしてそれは日本版も前作と同様に遅れてローカライズされることを意味しているような。サイトの言語選択にはもちろん日本語は無いので、やっぱりJリーグは期待できなさそうです。せめてEA日本法人がローカライズを今作も出してくれればそれだけで御の字です。


何よりかにより、EDGEの6月号を待つほか無いようです。

Shadow of the colossus

2009年06月21日 | ゲーム
『再会の街で』を観ていると、コロンビアの映画らしくソニー製品が目に付く形で出てきます。アランの診療所においてあるパソコンがVAIOの今は亡きType-V。何で馬鹿でかいメディアパソコンを事務用に使ってるんだろうと。

とか何とか思っていたら、チャーリーが没頭しているゲームとしてPS2の『ワンダと巨像』が取り上げられてました。でもVAIOはこそっとあったのに対して、『ワンダ』の場合は幾度と無くチャーリーがプレイし、結局は最後まで。

いくらなんでも出しすぎだろうと思って、見終わった後に調べるとkotakuに記事が。


-Feature: The Colossus and the Comedian(kotaku)


この記事を読むと特にソニーグループ製品だから映画に採用されたわけではなく、主人公チャーリーの孤独を描くための小道具としてビデオゲームを使ったと。でもよくドラマや映画に出てくるようなゲームプレイのシーンにしたくなくてこのゲームを選んだと。その中でも『ワンダ』での巨人に主題との関連性を見出して採用したということらしいです。

誰もが巨人(自分の問題)に立ち向かわなければならないと言うことらしいです。劇中チャリーは現実の問題から避けていようとも、ゲーム中では何度も何度も巨人を打ち倒しています。宣伝のためならPS3のゲームを使ったのに、既に当時旧世代だったPS2のゲームをわざわざ使ってる。仮に任天堂やマイクロソフトのゲームだとしても使ったというほどに真剣に必要としていたようです。


映画を観た感想から言うと、『ワンダと巨像』を用いた演出意図というのは分かりにくいなぁと思いました。特にゲームに詳しくない人が観たら、一部では超有名ですが一般的知名度は思いっきり低いこのゲームから主題との共通性を見出すには相当の洞察力が求められると思います。ゲームリテラシーがあって、よほど深く全体を俯瞰する映画のリテラシーがないと非常に唐突な印象だと思います。

でもゲーム世代が映画に関わり始めているこれからの映画ではより誠実にゲームに向き合ってもらえるやも知れません。

プレイしないゲーム

2009年06月17日 | ゲーム
宮本茂氏、Wiiのゲームに搭載する“ヘルプ機能”の存在を認める(Game spark)
 「スーパーマリオギャラクシー2に深いストーリーは必要ない」発言や、英国でゲーム開発者のヒーロー第1位に選ばれるなど、E3後も話題の絶えない任天堂の宮本茂氏。今週、USA Todayの取材に対し、Wiiのゲームに今後搭載されるというヘルプ機能の存在を明らかにしました。
 “Demo Play(仮称)”と呼ばれているこの機能は、New スーパーマリオブラザーズ Wiiで初めて導入される予定で、主にゲーム初心者のプレイを助けることを目的としたもの。プレイヤーがゲーム中で行き詰まりステージの先に進めなくなった際に、(コンピューター)が自動でそのステージをクリアしてくれるそうです。「今後他のゲームにも導入していく」と宮本氏は確認。
(上記記事より一部引用)


以前から噂されていたヘルプ機能が非公式ではありますが、ようやく明るみに出ました。ゲームは自分でプレイしてこそゲームだろうという批判は多く、批判としては分かるものの、ゲームは必ずしもプレイするものではないということはゲームの歴史を見れば明らかです。

『リトルコンピューターピープル』などのPCゲームに遡るまでも無く、プレイステーションの森川さんの一連のAIゲームや『ポストペット』や「たまごっち」に至るまで、それまでのゲームの定義とはおよそかけ離れたコミット回数の極端に少ないゲームもゲームになっています。

『ポストペット』の八谷さんも仰っていましたが、ゲームはプレイしなくてもゲーム足りえます。関与、コミットメントの回数自体は少なくともプレイヤーのコミットメントにプレイヤー自体が意味を、言い換えれば満足感を、見出せればプレイしていて面白いと感じられるはずです。

反対にどんなにプレイヤーのコミットする場面、回数が多くとも、そのプレイにプレイヤーが意味や満足感を見出せなければ、それは退屈な作業に過ぎません。ゲームとしての昔ながらの定義を満たしていたところで面白くなければ、ユーザーはプレイしたくないはずです。


ユーチューブやニコニコ動画でゲーム動画と呼ばれるゲームのプレイ動画が一種のリプレイ的に人気を博しています。これもプレイしないゲームの一種だと思います。プレイしなくとも、見ているだけで面白いということは既に共有体験としてあるわけです。これも”見る”というコミットメントであるわけでゲームとして成立しています。


※『マリオ』も見ていて面白い。

この種のゲームはこれからますます増えてゆくと思います。既に土壌はあったわけですし、相対的にプレイヤーがゲームに割く労力や時間も減らされてゆく傾向にあるからです。これまでプレイ時間の長さがボリュームを表しており、良いゲームの条件とされてきましたが、それも変質してきています。

合成音声のゲームデザイン

2009年06月14日 | ゲーム
先日『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序ver.1.11』のディスクソフト内に挿入されていたチラシの中で発表された『葛城ミサト報道計画』、Cellを活用するためにSCEとバンダイの合弁会社セリウスが開発に関わったということでどれほど凄いのかと期待されましたが、あけてガッカリ進化はしたもののやはり今までの合成音声の延長線の産物でした。初音ミクなどの登場で俄然注目・ハードルが上がっているだけに、です。



合成音声はゲームの中では昔から、手の届く夢の技術でした。ファミコンで初めて合成音声が聞こえてきたときの衝撃は今でも覚えています。いつもコールドで終わるのに『ファミスタ』をやっていたのは合成音声の「アウトッ!」とかが聞きたかったからだと思います。

ファミコン時代には合成音声がしばしば登場したものでしたが、容量の増加と圧縮技術の進化から合成音声ではなく録音した音声が主流となり、次第に合成音声はロストフューチャーな技術になってしまってました。それが森川さんの『くまうた』で大々的に復活したのです。それも今まで補助的であったり、実際の音声の代替物でしかなかったものがそれ自体の合成っぽさが魅力になり、宇宙のくまの”声”として主役に躍り出ました。



-『トモダチコレクション』(公式)
で、『トモダチコレクション』です。特に公式を観たり、情報を集めたりはしてませんが、パッと見はPCゲームの時代から連綿と続く神の視点のゲームのよう。CMを見る限りアバターを作り、容姿ばかりか内面も設定し、それを観察するというのが趣旨のよう。ちょっと退屈な作りに見えなくも無いですが、『どうぶつの森』の任天堂ですのでゲーム性は信頼しても良さそうな。




普通自然な発音の方が好ましいはずですが、発音が変なことで自然な発音には無い魅力が生まれるというアンビヴァレンツ!アバターはリアルじゃないほうが、イメージとして許容範囲が大きく、結果として似ていると感じられます。音声の場合は違和感が前提の方が下手に流暢なものよりもイメージの破綻が少ないのかなぁ。何ともそこはかとなく面白そうです。ぼんやり面白そう。

メディアとしての中古ゲーム店

2009年06月11日 | ゲーム
テレビゲームは今でこそ文化だ、作品だという声が大きくなってきていますが、黎明期においてはもちろんゲームは文化なんて大それたものではなくて、ゲーム産業を今の形にした任天堂にしてもゲームは子供の玩具であるという姿勢は今でも崩していません。たびたび海外のメディアに取り上げられ、著名な宮本茂さんもご自分のゲームを”作品”ではなく”製品”であることを再三強調されています。

ゲームが製品であった時代において、それは多くの消費財と同様に日々消費されてゆく類のものであり、保存されるべきなどとは考えられません。何と言っても子供の玩具なのですから、飽きたら、子供が大きくなれば捨てるまでです。でも現実としては、子供の玩具であったテレビゲームは捨てられることは少なく黎明期のファミコンですら未だに容易に購入することが出来ます。


何故そんなことが可能になったのかといえば、もちろん「ゲームが売却できた」からです。中古ゲーム店があったからです。新品としてリリースされたゲームはいつまでも生産続けるわけではなく、廃盤となれば流通から消えてしまい、それ以上新規のプレイヤーはそのソフトをプレイできなくなります。生産数の少なかったソフト、いわゆる糞ゲーと呼ばれるソフトをはじめとして、多くのソフトが新品とは別の流通で生き延びることが出来ました。

もしも”中古ゲーム屋に売却する”という選択肢・価値観が無ければ、今現在過去のゲームは遊べたのか、という疑問があります。中古ゲーム店という受け皿が無ければ、不要とされてしまったゲームは廃棄されていたと想像されます。また仮定での話しになりますが、仮に中古ゲームという市場が無かったら今のような巨大なゲーム産業が形成されたかどうか。定価の新品ゲーム、中古ゲームという価格の幅が生まれたことも幅広いユーザーを育てたのだと個人的には想像します。



文化になった今となってはそういった中古ゲーム店の機能に依存をせずとも、大学などの研究機関やもしくは一般のゲームオタクの人たちが個別にアーカイブスを持っています。そういう意味では中古ゲーム市場はもういらないかも知れません。またユーザーの視点に立ってみても、過去のゲームは今やダウンロードで安価に入手できるインフラ・サービスが整いつつあります。そういう意味でも中古ゲーム市場はもういらないかも知れません。



ただそうは言っても、ゲームにあまりお金をかけたくないライトユーザー、かけられない若年層には新品よりも安く入手できる貴重な手段だと思います。基本的にゲームは新品で購入しますが、新品在庫の入手が難しいレアソフトや定価を出してまで欲しいとは思えないソフトなどを購入する場合は中古ゲーム店で購入します。また良い感じで在庫密度を持った中古ゲーム屋さんでゲームを購入する楽しみというものは、大手量販店やアマゾンでゲームを買うことでは得がたい良さがあると思うのですが。

アーカイブス

2009年06月09日 | ゲーム
-「“アニメの殿堂”必要」――里中満智子さんら、「原画やゲーム基板の保存場所を」と訴え(ITmedia)

そんな中、施設が必要と考える有識者が「計画が流れてしまわないか不安」(里中さん)に思い、「国立メディア芸術総合センターを考える会」を発足。記者懇親会を開いて必要性を訴えかけた。

懇親会には里中さんのほか、検討会主査の浜野保樹東京大学大学院教授、アートユニット・明和電機の土佐信道さん、東京都現代美術館学芸員の森山朋絵さんが参加。「漫画の原画やアニメのセル画、ゲーム基板などを収集し、メディアアートを発信する拠点として、施設は不可欠」と訴えた。
里中さんは、「漫画の原画は作者が個別に管理しているので、捨てられたり、なくなったり、海外の収集家に買われて流出していることも多い。このままでは100年後に漫画の資料が残らない。ハコモノ行政という批判もあるが、漫画の原画を保存するにはハコモノが必要」と話した。
浜野教授も、ゲームの基板やアニメのセル画、アニメ制作に必要な機器などを保存・展示する拠点が必要と主張。「古い名作ゲームを基盤ごと保存しておくにはスペースが必要だが、置き場がなく、どんどん捨てられているのが現状」と訴えた。(上記記事より一部引用)


里中さんはもう大分前から漫画家だか政治家だか分からないような感じです。また浜野保樹さんもメディア論の方ではあるもののちょっと…見るからにあぁ、という顔ぶれです。

-「国営マンガ喫茶」に、自民党PTが「不要」を宣告(産経新聞)
ヒアリングでは、文化庁の事業説明に対して「運営コストを含めた見積もりがいい加減だ」などと批判が続出。河野太郎PT主査は「このマンガ喫茶は予算執行を停止すべきだ」と、鳩山代表と同じ表現を使って不要を宣告した。(上記記事より一部引用)


マンガは京都精華大学のマンガミュージアムや明治大学が米沢嘉博さんの蔵書をベースにした米沢嘉博記念図書館がオープンしますし、しかも米沢嘉博記念図書館のほうは漫画のみならずゲームとアニメのアーカイブス化も表明されています。このアーカイブスがどの範囲までを指すかは分かりませんがでも着実に国内の研究機関を中心としてアーカイブスは構築されつつあります。

ゲームに話を限定してみてもゲーム学会系を中心にたしか立命館大学の細井浩一教授が中心となって10年以上前からゲームアーカイブスプロジェクトとして既にテレビゲームを対象としてアーカイブス化を開始しています。また全てのゲームに対応したエミュレーターも開発していたような気もします。ただしアーケード基盤はどうも範囲外のようでその点だけはパブリックなアーカイブスは無いかもしれません。


個人的には10年前くらいからゲーム、マンガ、アニメの基礎研究が国内でも活気付きはじめアーカイブス化も果たされ始めているので、新しく国が新規に大きな箱を建てるのはアーカイブスの分散を招くような気がしてならないので、新しく作るのではなく現在あるプロジェクトを拡張させる形で研究予算を各研究施設、研究者に付けたほうがはるかに有用だと思います。


2009年06月06日 | ゲーム
人喰いの大鷲トリコ
『ICO(イコ)』『ワンダと巨像』に続く最新作『人喰いの大鷲トリコ』(ファミ通)

以前から関係者によってトレイラーが流出していた『TRICO』こと『The Last Guardian』の邦題がファミ通にて『人喰いの大鷲トリコ』と発表されました。邦題の評判があまり芳しくないみたいですが、こんなタイトルを付けることが許されるクリエーターは上田さんを含めてそんなに多くないと思います。こんなタイトルを付けられるって凄いことだと思います。E3で公開されたトレーラーの素晴らしさもあいまって、余計にそう感じます。

にしてもです。邦題が発表された今週発売のファミ通の記事が凄く良いです。ゲームの具体的内容が見えてこないためか余計な憶測記事などが少なく、『トリコ』の大き目のスクリーンショットでこれでもかと紙面が埋め尽くされていて、珍しく見ていて気持ちの良い記事でした。普段のファミ通も余計な憶測記事やセンスがいいとは言いがたいキャラ付けなどやらずに、写真を大使いにされた記事を見たいです。

Rreplay

2009年06月06日 | ゲーム
楽しみにしつつも、不安視していた『ヱヴァンゲリヲン:序』が面白いどうこう以前の問題としてガッカリな出来だったことに凹みました…

リードプラットフォームはおそらくPS2でそこからデータをコンバートしているからか網戸越しに見た様なザラザラした残念なグラフィック。モデリング自体は頑張ってるのに。あとどこかのレビューでも触れられていたように演出の統一が…客観視点が3D、主観が2D(1枚絵)かと思ったら、そうでもなく。3Dと2D(1枚絵)がルール無く入り乱れてます。

確かに演出は『2』と比べてかなり力が入ってます。旧サキエルとの戦闘は大胆なカメラワークやしっかりとしたモデリングで迫力十分ですが、それ以外が…微妙にシーンが省かれて、そして構成があまり上手くないのでストーリーの展開がテンポが良いと言うより唐突と言った方が正しいと思います。それを統一感のない演出で繰り広げられるわけなので、言わずもがな。

そして何と言っても残念なのがフルボイスではないこと。キャラゲーの一番重要なのは何を置いてもフルボイス。そしてボタンの決定音が『2』と同じ…なのが残念な印象。しかも今作は初のバグ(音声のスキップ等)を搭載していて…

『とらドラ!ポータブル』が尋常じゃない完成度だったので余計に色あせて見えます。そして何よりこの内容で一般的なPSPソフトより割高なのが、余計にそういう思いを強くさせます



そして全く異なる『無限回廊』の続編、『Replay(仮)』。動画を見るとよく分かるように、何度もプレイすることで攻略するパズルアクション。前作がデザインは面白かったもののテレビゲームのパズルというにはあまりにも100%な再現性のため、何度もプレイする気にさせてくれないゲームでしたが、その反省か今回はゲームプレイを巻き戻すことやゴーストを利用することで何度もプレイしクリアするタイプのゲームになったようです…

そして動画を見れば一発ですが、昨年大絶賛された『Braid』のシステムをそのまま採用しているいわゆるリスペクトの塊です。前作はパズル性こそ薄かったもののトリックアートをゲームに落とし込んだアイデアは抜群のインパクトであっただけに事実上の続編がこういった形になってしまったのは非常に残念です。まぁ、売れてしまえば良いんですが。

カズVSネガティブキャンペーン

2009年06月05日 | ゲーム
PSP go

-PSP goニュースリリース(SCEJ)
PSPとMS16GBを併せたよりはリーズナブル。ゲーム機としてのメリットは少なめかも。公式発表後にもかかわらず、未だに不明瞭な点があるのが困りモノ。一番不明で、一番気になる「PS」ロゴマークの入った独自端子というのは本当に独自端子なのか、内臓16GBメモリへのアクセスは現状のMSと同じくらい容易なのか、それともウォークマン・ソニックステージのように管理ソフトでがちがちなのか、などなど。

-新型PSPにゲームショップ店長が激怒「私達お店はもういらないって事?」 (ガジェット通信)
予想されていたように、早速ゲームショップブログを中心にPSP goへのネガティブな反応が現れています。時流といえばそれまでですが、CDなどとは異なりゲームはデジタルガジェットである一方で未だに子供の玩具でもあります。PSP goは所詮高価な大人向けのゲーム機ですし、心配は心配としてありえても稀有に過ぎないと思います。そもそも流通も未確定ですし、売れるかどうかも少し微妙ですし。




-E3 2009特別編 SCE 平井一夫CEO インタビュー(AV Watch)
そして想定されたネガティブな反応に対するカズのコメントが早速インタビューとして上がっています。ただカズやSCE自体もまだ決めていない部分が多々あるようなので、既存のユーザーや小売店の不安を払拭するには至っていません。過去のレアタイトルのアーカイブス化は面白そうですが、PSPだと『攻殻機動隊SAC』くらいしか思いつかないのが残念。海外タイトルがラインナップされたら嬉しいですが、それこそ権利関係が大変そうです。

また現行ユーザーのUMD資産への施策が述べられているのも興味深いです。ネット上で要望の高いUMDドライブをリリースするのか。それとも現行PSPをドライブ化するアプリをCFW用アプリのように提供するのか。でもそんな事するとカオスなPSP市場が今以上のカオスに陥ってしまいそうです。ただPSNは他に比べると緩い(PSNにPSPが複数台登録できるなどなど)ので、完全にありえなくはなさそうです。

デュアルスティックやタッチパネルにしなかったのは本当に正解だと思います。フォーマットの一貫性を保った上でのバリエーション展開でなければ、市場ごと縮小しかねません。それは過去のゲーム機たちが証明してくれています。だからこそのゲームボーイアドバンスSPであり、ゲームボーイミクロだと思います。ただ残念ながら下位互換をを削ったミクロは大きく受け入れられたとは言い難い結果となってしまいましたが。次世代のPSPに期待です。

もうPSPとPSP goは別物なんだから、別物として流通も販売会社自体も分けちゃえば良いのに。SCE販売・流通じゃなくて、ソニー販売・流通にしちゃえば何の問題も無いじゃん。そうすれば子供やゲーム屋さんは蚊帳の外に置ける。ウォークマンやipodの脇にでもこっそり置いておけば、「16GBなのに安いっ!」って買ってくれるよ。「Media GO」はSCEじゃなくて、SONYなんだから。



関係ないですが、PSNでまたファミ通とのコラボがいつものようにひっそり展開中です。タイトル「GAME DIGGIN」日本のMTV世代(笑)にはとても懐かしいVJの鉄平さんがナビゲートという豪華使用。ファミ通記者が苦手な僕はきついものがありますが、特にVol.2には飯田和敏さんをゲストに招いての『太陽のしっぽ』をプレイと超豪華なコンテンツです。飯田さんのゲームがPSに戻ってこないかな。