ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

リアルとゲームの良い塩梅

2006年04月26日 | ゲーム
 先月発売されたドリームキャスト用ソフト、『アンダーディフィート』は某雑誌のレビューでも言われていた通り、まさに硬派なシューティングゲームだ。いまどき珍しいくらいに硬派だ。どこぞのシューティングのように一見硬派な戦争もののような様子だが、ボスが変形して人型ロボットになったりするものとは一線を画す。

 なんと馬鹿なことを、と正直思ってしまった。このゲームにおいてはいちいち敵弾がラグを伴って向かってくるが、地上と空中の高低差を表現するために地上兵器から放たれた弾はすぐに自機には当たらない。まず一旦自機と同じ高さまで上昇してから、向かってくる。当たり判定を伴って。

 普通のシューティングであれば、こういった空間の処理はゲームにおけるいわゆる”暗黙の了解”で済ませてしまい、下からの弾は何のラグもなしに向かってくる。と、なりつつもシューティングゲームの定型であるボムは無くなっていない。



 でもこれが面白い。簡単に言えば、バランス感覚に優れている、センスが良いということだ。リアル志向のゲームは、『グランツーリスモ4』しかり、往々にしてリアルというものにとらわれすぎて、身動きが取れなくなってしまうものだが、その呪縛を見事に振り切っている。


 未だに頑なに”ゲーム”的なゲームを良くも悪くも誇示しているシューティングゲームというジャンルにあって本当に珍しいタイトルだ。


 

記号なき世界と記号の世界

2006年04月16日 | ゲーム
 家庭用ゲーム機がスーパーコンピューター並みとの枕詞を携えて語られるようになって、およそ10年。2次元から3次元へとフィールドは進化し、等身はどんどんと上がってゆく。だからこそ画面内のHUDを意識的、集団的に排除してゆこうという考えも生まれる。

 ファミコン時代のグラフィックは記号だった。『スーパーマリオブラザーズ』の宮元茂が述懐しているように、マリオの造形は16×16という当時のドットの制約の中でどうにかして生き生きとしたキャラクターを描くかという問いの答えだった。要はひげ、帽子、でかい鼻、赤いシャツにオーバーオールというマリオの構成要素はキャラクターを引き立たせるための苦肉の策の記号だったということだ。そして配管工という職業はその造形から導き出されたものだろう。

 時代は移り変わり、現在は128ビットの次世代機の時代。もはやキャラクターは記号である必要はなくなった。デザイナーが創造したデザインをグラフィッカーがその通りに画面の中に落とし込むことができる。そこに記号性はない。それゆえ実写と見紛うグラフィックさえ私たちは目にすることができ、その世界で遊ぶことすらできる。

 例えばサッカーゲーム。世界各国の選手は名前だけで、どの選手も似たり寄ったりといったものではなく、顔はもちろんのこと有名選手ともなれば動作さえもゲーム上で再現されている。そこではキャラクターは記号ではなく、そのもの。正確に言えばコピーと言ったところか。


 ファミ通bit Generation記事

 主流は記号のないゲームへと向かいつつある。だが一方で記号性にこだわるゲームも少なからず存在もしている。『Rez』等がその一例だ。設定がコンピュータウイルスとの戦いということもあるのだろうが、そのグラフィックはコンピュータ内部を抽象的に描いたイメージ。まさに記号の世界である。

 今回の任天堂の「bit Generations」も記号の世界である。面白いかどうかは、未だゲームの全体像が見えてこないので何ともいえないが、そのコンセプトとちらと目にしたゲーム画面は昨今のゲームには見られなかった記号の新鮮さが魅力的だ。

 IGN:「digitalish」ビデオ
 海外のゲーム情報サイト、IGNに「digitalish」という名前でビデオがおいてあった。昨年のE3ですでに発表されていたようだ。



 個人的にリアル偏重の傾向には閉口気味なので、こういった記号的なゲームがリリースされることは大変喜ばしい。昨今ゲーム業界で囁かれているのは開発費の高騰である。そしてその大半はグラフィックに費やされる。ならば記号性への業界全体での回帰はありえるやも知れない。やはりある程度は欲しい。