ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

私的BEST GAME OF THE YEAR 2009

2009年12月28日 | ゲーム
たいした本数、新しいゲームをプレイしていない気もしますが、個人的な今年のベストゲームを考えてみたいと思います。と思ったら、あっさりと思いつきました。今年度の一番のサプライズであった『アンチャーテッド2』がベストゲームのような気もしましたが…




















●私的BEST GAME OF THE YEAR 2009
『とらドラ・ポータブル!』(バンダイナムコゲームス)
とらドラ・ポータブル!
キャラクターゲームが好きで好きで生まれてこの方数多くのキャラクターゲームをプレイしてきましたが、その中でも群を抜く完成度だと思います。個人的にアニメ版『とらドラ!』にはまっていたことを差し引いたとしても、スタッフの作りこみと心意気には驚かされるものがありました。

兎にも角にも根幹となるシステムの完成度が異常な高さのがこの全体の完成度を支えていると思います。どこでもセーブが可能なのはもちろんどこでもバックログの閲覧が可能。その上でバックログからそのログの場所まで戻ることが出来ます(ブロック毎という制限はありますが)。

そういった基本的なシステムが充実しているが故にストレス無くフルボイス、オリジナルシナリオ、マルチシナリオが活きてきます。またこのマルチシナリオにおけるシステム、「AIマップ」がこのゲームを単なるアドベンチャーゲームに終わらせていない理由にもなっていると思います。

『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』(以下『YU-NO』)の「A.D.M.S」に非常に酷似しているこの「AIマップ」は「A.D.M.S」と同様に分岐を視覚化し、またEDやアイテム(『YU-NO』と同様アイテムの有無で分岐が左右される)までも視覚化され、正しくSFではない『YU-NO』といった趣。

『YU-NO』のようにアイテムによる分岐があるために普通のアドベンチャーよりもユーザーは能動的にゲームを進めなければいけません。そしてまた『YU-NO』のように分岐が視覚化されているために、どこで分岐したのかが解かるため、どこでユーザーが誤ったのかが一目瞭然です。

『YU-NO』と異なるのはこのシステムをゲーム上のシステムと割り切っているか否かです。『YU-NO』の場合はこのシステム自体をゲーム内の設定に組み込んで、ある意味愚直にユーザーに対してシステムの存在理由を説明していますが、『とらドラP!』の場合、それは単にゲームのシステムです。

しかも『YU-NO』の「A.D.M.S」よりも「AIマップ」はいくらでもセーブが出来たり、バックログにいつでも飛べるなど優しい作りになっています。ただこれもユーザー層を考慮すると好印象です。試行錯誤をしながら繰り返しプレイしてEDを見つけるという行為がゲームをしての面白さを与えています。


ゲームに大切なのはやはり超えられそうな壁を越える時のカタルシスです。そのためにはどうして失敗したのかがユーザーに明らかでなければなりません。どうすれば与えられた命題を成功させることが出来るのか、それを理解させた上で試行錯誤させることでゲームのカタルシスが生ます。

その点で『とらドラP!』はアイテムの有無による分岐は超えられそうな壁であり、「AIマップ」による分岐の視覚化はユーザーに失敗を明示させるものになっています。そして繰り返しプレイを快適に行える快適なシステム(どこでも出来るセーブ、バックログ、バックログジャンプなど)がそれを支えます。

さらに全編フルボイス、オート再生、スキップ、加えてメディアインストール対応など快適の上を行くプレイアビリティを兼ね備えています。もっと言うとシナリオが原作ファン、アニメファンには魅力的なifシナリオが満載でかゆいところに手が届くとはこのゲームのためにあるのではないかと思うほどです。


面白いのは『とらドラP!』はアドベンチャーゲームでありながらもアドベンチャーゲームには当然あるはずの地の文(ex:○○はゆっくりと椅子に腰掛けた。)が全く無いことです。全てが主人公、竜司のモノローグで説明され、完全フルボイスのため自動再生にすればまるでアニメを観ているかのよう。


シナリオや脚本が少し原作の色合いが濃いため、原作を読んでいない人やライトノベルに抵抗がある人には少し抵抗感がある部分がありますが、単純にゲームとして非常に面白いです。どうすれば目的のEDにたどり着くのか、それを探って到達するカタルシスは紛うことなきゲームによるそれなのです。



開発はPSP用ソフト、『涼宮ハルヒの約束』を手がけたガイズ・ウェア。システム的なつながりを考えると、ある種『涼宮ハルヒの約束』は前作と言えそうなものでした(モーションポートレートの採用、地の分が無いなど。こちらは未プレイなので外面的なことしか言及できませんが。)。

キャラクター原作をゲーム化するにしても色々と方法はあるわけで、多くの場合それは単純なものに、時にはゲームと呼ぶのもおこがましいようなものに帰してしまっているものが多いです。そんな中で原作の世界観を守り表現した上で、ゲームとしての面白さも実現した『とらドラP!』はキャラクターゲームの中で非常に稀有な存在となりました。本当に凄いキャラクターゲームです。

勝手にPackage Art of the year 2009

2009年12月24日 | ゲーム
個人的に気になっているのがゲームのパッケージへの関心の度合いです。ゲームソフトはもちろん高度大衆消費社会の消費財であるにもかかわらず、他の消費財、例えば音楽CDやビデオソフト、雑誌、本といったモノと比べると、パッケージ自体に煽りコピーが大きく印字されていたりと、あまりにデザイン部分がおざなりに慣れていると思います。CDや本で「ジャケ買い」ということは聞く一方で、ゲームとなるとあまりそういうことを聞きません。

ということで、パッケージアートがあまり注目されないのであればネットの本当の片隅の零細ブログで勝手にPackage Art of the year 2009を決めてしまいたいと思います。ゲームの内容が面白い、面白くないの基準のみで語られることの多いテレビゲームですが、今回の基準はそのゲームのパッケージが如何にパッケージアートとして良いかどうかです。そしてその良いかどうかの基準はぼくの主観のみ。

その基準は唯一、”引っかかるかどうか”です。なのでどうしても”ベタ”よりも奇をてらったものに流れます。(mk2の各サイトを参考にしました。)



●The Best Package Art of DS
『A列車で行こうDS』(アートディンク)
A列車で行こうDS
ゲーム内容のイメージを写実的なイメージと抽象的なイメージの両方で描き、その両方を上質なパッケージアートに落とし込んでいるのがさすがアートディンクといった趣。異なった方向性のイメージが一つのパッケージ上で展開されているにもかかわらず、切り取り方の巧みさで違和感無く混在し、さらに強いイメージを生み出しています。

次点:『スペースインベーダー エクストリーム2』(タイトー)
スペースインベーダー エクストリーム2
前作、『スペースインベーダー エクストリーム』のパッケージも中身もデザインしすぎてデザイン臭にきついモノがありましたが、今作のパッケージは大きなインベーダー一体をロゴと同じ赤でそろえて少しデザイン臭が弱まったような。


●The Best Package Art of Wii
『NEW スーパーマリオブラザーズWii』(任天堂)
NEW スーパーマリオブラザーズWii
全く持って奇をてらってはいないのですが、マリオとルイージ、土管とクリボー、ブロックと?ボックス、キノコが次々と描かれ少々騒がしいながらもこのソフトが皆が知っている「マリオ」であることを強烈にアピールしてきます。またマリオ、ルイージの他にもキノピオが2人、味方としてレイアウトされ、さりげなくも4人マルチプレイをアピールしてます。何よりプラケースまで赤くした力の入れ具合がそれを後押ししています。さすがファースト。

次点:『THE HOUSE OF THE DEAD OVERKILL』(セガ)
THE HOUSE OF THE DEAD OVERKILL
”時代”を出させた紙の表現に「グラインドハウス映画」を意識したと思われるカットが、少し微妙ですが、バカゲーである本作を端的に表現しています。血の様な赤と紙の地のコントラストがゾンビと人間の対立を非常に解かりやすく表現しています。解かっている、解かり易い、良い意味でB級ゲーの鏡といえるパッケージです。惜しむらくは様々なマークの存在。下に集まりすぎたマークは明らかにうるさい。


●The Best Package Art of PSP
『己の信じる道を征け』(フロムソフトウェア)
己の信じる道を征け
時差のある分身を活かすという野心的なゲームだった気がしますが、体験版をプレイした限り『Braid』の2番煎じという印象が強く残念な感じでした。ただパッケージもゲーム内容に負けず劣らず野心的なデザインでした。ゲーム内容はともかくゲームのパッケージはその野心が結実したものだと思います。ゲーム内容をデザインとして違和感無く落とし込んでいる点が凄い!ただこのパッケージのせいで売れなかったのかもしれませんが。
 
次点:『銃声とダイヤモンド』(SCE)
己の信じる道を征け
ゲーム内でも用いられているイメージカラーのイエローとブラックを基調としたパッケージが非常に目を引きました。


●The Best Package Art of PS3
『塊魂トリビュート』(バンダイナムコゲームス)
塊魂トリビュート
もともとデザイン的なゲームであったけれど、それを端的にビュジュアル化させた正攻法なパッケージデザインです。とはいっても『塊魂』シリーズの中では最も力の弱いデザインだというのが正直な感想。しかも色々と描かれすぎてごちゃごちゃしすぎていて、メリハリが無く視認性が明らかに悪いです。初代の方がインパクト、デザインとも優れていたと思います、という極めて消極的な選考理由です。今年のPS3はパッケージデザインには恵まれていませんでした。

次点:『ゴッドファーザー2』(EA)
ゴッドファーザー2
XBOX360版もリリースされているマルチソフトですが、XBOX360のテーマカラーのグリーンのパッケージよりもPS3のパッケージの方がマッチしているのでPS3版に。シルエットの中に暗示的なデザインがゲーム内容を表現していて、映画原作リスペクトな前作よりもゲームとしての自立したデザインが素敵です。ただ色んな事情のマークが多すぎるのが残念です。


●The Best Package Art of PS2
該当作無し

徐々に現役を退きつつあるPS2では退役ゲーム機の常としてそもそものリリース本数が減少する中で、ギャルゲー・乙女ゲーの比率が高くなっています。その必然としてパッケージデザインで冒険したり、洗練への欲求が少ないため微妙なものがかなり多かったです。

次点:『地獄少女 澪縁(限定版)』(コンパイルハート)
地獄少女 澪縁
何となく。ではあれなので理由を突き詰めるとロゴとレイアウトに尽きます。他のPS2ソフト、多くはアドベンチャーが主要登場キャラクターをただ並べてロゴを添えただけのものが多い中で、見栄も切っていない無い一枚画という潔さが良かったなぁ、と。


●The Best Package Art of XBOX 360
『Steins;Gate(通常版)』(5pb)
Steins;Gate
ゲーム内容については体験版をいじった限りですが、ここまでの評価には異議があります。ただパッケージデザインはこれまでのアドベンチャーゲームやギャルゲーに多く見られる類型から抜け出た上で、ユーザーに媚びないデザインを抑えた色調で非常に高いクオリティで纏め上げているところが好印象です。

次点:『Steins;Gate(初回限定版)』(5pb)
Steins;Gate
そして次点も『シュタゲ』の初回限定版。通常版の突き放し具合とは打って変わって普通のゲームのパッケージっぽくなっていますが、アートワーク自体のクオリティが高く、レイアウトも小奇麗に纏め上げていてやはり好印象。



今年一年でも数多くのゲームがリリースされてきました。大々的にプロモートされたもの、全く宣伝されないもの様々です。ですがどんなソフトもお店の棚に並べば、ある意味平等です。あまりプロモートされていないソフトでも、そのパッケージの訴求力如何でユーザーの購買を左右することさえあるはずです。少なくとも良いパッケージ(と思ってもらえるもの)の方が購買の肩ぐらいは押すはずです。


今年も面白いパッケージのソフトがありましたが、来年は今年を上回る訴求力の強いデザイン色の強いパッケージを持ったソフトが増えてくれると嬉しいです。

配慮と自主規制

2009年12月21日 | ゲーム
『ぽっちゃりプリンセス』(SCE公式)
ラストグラディエーターズ
配信日当日になって突然延期が発表されていたPSN配信専用ソフト、『ぽっちゃりプリンセス』が当初の発売日から1ヶ月以上延期され、ようやく発売日が12月25日に決定したとSCEから公式に発表されました。

「プレイステーション3向け配信タイトル『ぽっちゃり☆プリンセス』が発売延期に」(ファミ通.com)

今回の経緯はSCEからは「制作上の都合」とのみしか発表されておらず、発売延期の理由は明確ではありません。ただ発売延期発表前と発表後の公式サイト上の画像が4本指のものから差し替えられていた状況を勘案すれば、噂されていたように4本指差別、明確に言うならば差別への配慮であったように考えられます。

「本日配信予定のPS3「ぽっちゃり☆プリンセス」 当日になってまさかの発売延期 原因は4本指!?」(はちま寄稿)

ただこれは公表されている画像の変更から推察されたことに過ぎず、画像が差し替えられているという事実は揺るがないものの、このキャラクターのディティールの変更が団体からの要請なのか、SCE自体の自主的な配慮、規制であるのかはうかがい知ることが出来ません。

指が云々よりも問題なのはこのSCEが「制作上の不都合」としたことが不明瞭なことです。そもそも指でもないかもしれません。考えにくいですが。外部の団体から指摘があったのかどうなのか。指摘があってそれに配慮して修正したなら、そのようにアナウンスすべきですし、そうでないなら、SCE自体が自主規制を行ったならそれこそ行き過ぎていると思えます。


どちらにしろバジェットも売り上げも大きくはないであろうタイトルですので、ネットの一部で話題になっている今以上には問題は大きくならないでしょう。何があったのかはわかりません。ただこの問題を今のままにしておくと、する必要のない配慮をしてしまうことになりかねません。そもそも問題が表面化すらしていないので、実際に団体が圧力なりをかけたかどうかさえ疑わしい。

けれどもこの「制作上の不都合」が明らかにならず、プロセスが不明瞭なままであったならば、今回の『ぽっちゃりプリンセス』の配信延期は団体からの圧力が原因とされ、今後自主規制という形で4本指のキャラクターを少なくともゲームで用いることは難しくなってしまいます。そういう将来はゲーム業界にとって好ましくない状態だと思います。


願わくばSCEがこの問題をオープンにするか、ゲームメディアが取材をするかですが…オープンにするようだったらSCEは初めから修正などしないでしょうし、ゲームジャーナリズムではない単なる情報メディアに過ぎない日本のゲームメディアには望むべくもないことかもしれません。そもそもキャラクターデザインについては一ミリも切り込んでいませんし。

ラストグラディエーターズを探して

2009年12月14日 | ゲーム
○『ラストグラディエーターズ』を探して
古いゲーム批評を押入れから出して読んでいると、その中で「注目メーカー全特集」と言う記事ありました。特集されているメーカーの中で一際目立っていたメーカーが、ある意味で今は亡きKAZeです。当時から、そして今でもまったく持ってピンボールゲームに意義を見出せていなかったぼくもインタビュー記事を読んで初めてピンボールゲームに、というかKAZeの一連のデジタルピンボールに惹かれてしまいました。

と言うことで、KAZeの一連の作品、具体的には『ラストグラディエーターズ』、『ネクロノミコン』と『パワーレンジャー ピンボール』を探しに行きました。『ラストグラディエーターズver9.7』はともかく、この3作品とも特にレアソフトと言うことも無く高くても1000円以下で購入が可能なソフトであるようなので、容易に買えるだろうと高をくくってゲームショップに向かいました。向かいましたが…

結論から言えば、サターンのソフトを取り扱っているゲームショップが圧倒的に減ってしまっている現状に愕然としました。次世代ゲーム機の浸透や売れ線である任天堂ゲーム機のために棚を空けるということもあるのでしょうが、やはりPSE法の施行がボディブロウのように効いてきている印象です。後にゲーム機などは適用除外されましたが、時既に遅しというか棚撤去の背中を押した格好になっているようです。


○中古レトロゲームの現状
サターンの取り扱いが減っているのを尻目に、ファミコンやスーパーファミコン、プレイステーションといった”勝ち組”ハードは古かろうとも棚が存続されたりしていました。またゲームキューブやゲームボーイアドバンスなど(ここにはプレイステーションも含まれますが)現行機種で下位互換が実現されている機種もまたその棚を大きくとは言わないまでもそれなりの規模で未だ残していました。

問題はサターンをはじめとした過去のハード戦争で敗れ去っていった所謂”負け組”ハードです。ファミコン、スーパーファミコンに敗れ去ったメガドライブ、メガCD、PCエンジン、CD-ROM2そしてネオジオ。プレイステーションに僅差で負けたセガサターン。(不思議なのは負けたはずのニンテンドー64は棚を残していたりすることです。)プレイステーション2に勝てなかったドリームキャストやXBOXがそれです。


○ようやく見つけるも
そして何軒か回ってようやく『ラストグラディエーターズ』を一部店舗で展開されていると言うゲオのレトロゲーム100円均一セールのワゴンの中に見つけることが出来ました。『ラストグラディエーターズ』の他に気になってはいたものの食指は伸びなかったソフトを数本一緒に購入。探していたソフトを見つけることができ、100円で買えたのは嬉しかったのですが、一方で100円は投売りと言うことです。

ゲオの100円均一ワゴンにはメガドライブ、PCエンジン、セガサターン、ネオジオ、ワンダースワン、ドリームキャストの6機種のゲームが入っていました。そしてそのワゴンには「(上記6機種について)12月12日(土)を持ちまして、買取を終了させていただきます」といった趣旨のポップが添えられていました。投げ売られているということはそういうことだとは思いましたが、買取の終了は取り扱いの終了を意味します。


○ゲームのアーカイブス化と中古ゲーム
映画はDVD化ということでよほどのマニアックな作品以外は古い作品も現在でも観る事が可能です。小説も文庫化などされて100年以上前の作品が未だに流通し、容易にアクセス出来ます。ゲームも昨今ようやくWiiを中心に過去のハードのソフトも遊べるようになってきていますが、比較的アーキテクチャが複雑といわれるセガサターンやアーキテクチャを公開したため、個々に複雑化したPS2など難しいものもあります。

立命館大学などで全機種エミュレータを開発などの動きもありますが、それはあくまで研究のためのエミュレートでありぼくのような一般人には縁遠いものです。なので現時点で、一般人が過去のゲームにアクセスするもっとも容易な方法は当時のハード、当時のソフトを用意することです。その機能を担っていた中古を扱うゲームショップはさながら図書館・博物館のようなゲーム文化の公共性を有していました。

しかし結局PSE法の施行によって結果的にゲーム文化は断絶されてしまいました。それほどプレゼンスが高くなかったであろうレトロゲームの取り扱いを中止させるには十分な役割を果たしたようです。ゲーム機自体を売ることが出来なければ、ソフトの取り扱いを中止するのもやむを得ません。図書館のなどのようなある種の文化的側面を持ちつつもそれは商売です。しかも収益構造が脆弱なゲームショップにゲーム販売以上を期待するのは酷なことかもしれません。

ラストグラディエーターズ※後から調べると、どうやら正規ケースは透明のよう。少しがっかりです。※追記:どうやら『ラストグラディエーターズ』は中古店やオークションに出品されているものを見ると、黒いプラケース、透明(裏紙白)、透明(裏紙緑)の3種類がありそう。『Ver9.7』以外に。


ソニー/セガのミーティング資料流出、PS3にドリームキャスト・PS2エミュレータ登場?(joystick Japan)
過去のゲームがプレイステーション3でサポートされるのではという噂が絶えません。でもたとえそれが実現したとしてもすべてのゲームがサポートされることはありえず、ユーザーに用意された手段は究極的にはオリジナルを用意する外ありません。けれどその手段が中古ゲームの取り扱い中止で次第に狭められてしまっているのが現状です。確かにネット流通は留保されていはいますが、アクセサビリティという点で難があります。


○レトロゲームへのアクセサビリティ
ゲームはもはや文化です。任天堂は工業製品というかもしれませんが、映画や音楽、文学と同様の文化です。けれどもゲーム業界自体が軽視し続けてきたためか、未だ文化として社会的なコンセンサスは得られていない様相です。だからこその中古ゲーム論争だったのかもしれません。厳しい出版業界すら、新品書籍販売を圧迫していると非難されるブックオフを毛嫌いはしていますが、中古販売禁止を法廷にまで持ち込んではいないのですから。

今ようやくネットでのダウンロード販売などのシステムが整理され始めて、メーカも過去のゲームの資産価値に気づき始めています。ビジネスとして成り立っているのかという点は微妙のようですが、ハード的にエミュレートするのであれば元データをいじる必要はほぼ皆無であり、開発費をかけることない新たな収益として期待はされているようです。また版権会社のような会社が著作権を纏めてもいるようです。

研究も重要ですが、やはりゲームは遊んでなんぼ、ユーザーに遊ばれてこそなんぼでは無いでしょうか。古典文学の研究者でもない一般人が『徒然草』を今でも読めるように、気軽に『ガールズガーデン』をプレイできるようなアクセサビリティがゲームが文化として深められるのには必要だと思います。普通の人たちが遊んでこそのゲームです。でも実際はレトロゲームは2003年ごろのファミコンの”発見”まで大して省みられていませんでした。

古い文学が新しい文学に劣っていないように、古いゲームが新しいゲームに劣っているわけではありません。新しいゲームさえあれば良いわけでも無いはずです。だからこそのファミコンの”発見”だったわけです。歴史が存在するから文化として成立するわけで新しいゲームしか省みられないのであれば、それはまさに工業製品と変わりがありません。でも現状はその逆で、徐々に中古レトロゲームは消滅していっています。


文化としてゲームを担保するものはレトロゲームに他なりません。そのレトロゲームを扱うゲームショップの棚が限られているとしたら、ネットオークションやネットショッピングに期待するしかないのです。しかしネットオークションなどでは一般的に敷居が高すぎます。昔の文学を近所の書店で気軽に購入するようにはいきません。そこではやはりダウンロード販売などの施策といった研究者、研究機関では出来ないメーカー側の努力が不可欠だと思います。

いまさらFIFA09をやってみる

2009年12月05日 | ゲーム
ちょっとあんまりにも『FIFA10』にのれないので、久しぶりに『FIFA09』をプレイしてみると『FIFA09』と『FIFA10』の違いがよくわかりました。


○『FIFA09』は『FIFA10』と比べると、少し動きが硬く(もちろんそれは360度ドリブルが非搭載だからですが)、”あたり”の際のアニメーションは不自然(それでも十分だけど)で、『FIFA10』の着実な進化が差異として感じることが出来ます。スタミナの消費もきつめになり、リアルになりました。

○ただ『FIFA10』はその進化と同じくらい気になる部分が…。気になったのはリスタート時。ホイッスル(ファウル・ラインを割る)→暗転→リスタートという流れは変わらないのですが、『FIFA09』までは暗転後、普通に再開されるのですが、『FIFA10』では暗転後、表現のしがたい残像が現れます。

○そしてまた気になったのが試合後の試合結果表示の画面。『FIFA09』までは「進む」であったのに『FIFA10』では何故だか「アドバンス」です。英語での「Advance」を単純にカタカナ表記しただけのそれです。意味は通ってますし、他の場面では次の画面に行く際に「進む」と表記されているので単純に見落としただけでしょうが。

○付け加えるならアシスト設定、というかアシストON時のクロスです。『FIFA09』ではアシストが聞いた状態のクロスもそれなりのクロスを打つことが出来ます。けれども『FIFA10』ではアシストONの場合、かなりの確立でほぼファークロスになってしまいます。かなり展開が限定されてしまいます。


何で今作にぼくがのれなかったのか、ぼんやりとその理由が見えてきた気がしました。ちょっと間をおくか、『FIFA09』に戻るか、『FIFA10 ワールドカップ南アフリカ大会』を待ちたいと思います。