お客さんが入ってきたのにタイミングを合わせ、もう一度深々と謝罪のお辞儀をして、僕は「松庵」を出た。
帰路に付いた途端、自分を責める言葉と後悔の念に襲われた。
“おっさん”の無責任な言葉と僕自身のお節介と、一体どちらが罪深いのだろう?…何の準備もなく、さしたるビジョンもなしに行動を起こした報いだ!…とっちゃんのことだから、という意識が無責任を生んだのではないか?…自分のことであったなら、僕はどのように動いたのか?…そもそも動けたのか?………
帰り道のコースを変え、鴨川の東側、川端通りを自転車を押して歩いていると、突然悲しくなってきた。誰かの役に立つこともできなければ、一人で生きていくこともできない男が、ぽつんと一人歩いているんだ、と思った。
そして、気付いた。毎日手紙を待っている、遠く離れた彼女に対しても、僕には何も求める力はなく、権利もないんだということに。
好きになってくれることを喜ぶ前に、僕がどれだけ好きになれているのか。手紙に返信がないことは、そのことを問われているようなものなんだ、と思った。
とっちゃんの宵山は、終わった。でも、僕はとっちゃんの宵山が始まるずっと前から、一人で僕の宵山を楽しんでいたのかもしれないような気がした。
下宿に帰ると、おばあさんの笑顔が迎えてくれた。「今日は、遅かったんやねえ」という言葉に、日常に戻ることができた安心を感じた。と同時に、とっちゃんに申し訳ないことをしたと、改めて強く思った。
翌朝、新聞を配り終わった後、販売所でとっちゃんのどんな顔や言葉と出会うことになるのだろう。
僕を侵していた漠然とした不安とは無縁のように、翌朝はすっきりとした空と共にやってきた。とっちゃんにかける言葉を考えながら、いつものように新聞を配り終えた。
そっと販売所の引き戸を開けると、とっちゃんの顔が真正面にあった。とっちゃんは、いつものように、いつもの場所に腰掛け、いつものようにタバコを咥えていた。
「ガキガキ~~。今日は、えらい遅かったの~~」
その声もまたいつものように大きく、明るく抜けていた。時計を見ると、確かにいつもより15分ばかり時間を要していたようだ。
「ちょっと、路地間違えて……」
「なんや。まだ間違えてんのかいな。あかんなあ、ガキガキも」
怒りの泡が腹の底から湧き上がったが、何も口には出さなかった。大沢さんは、小さな異変を感じているようだった。山下君は、すっかり仲良くなった桑原君に寄り添うようにしていた。三人を遠く感じた。
カウンターに置かれたお菓子のお盆に手を伸ばしながら、僕はとっちゃんの表情を伺った。少し斜め下から見るとっちゃんの顔は、とても大きく見えた。
すると、とっちゃんは立ち上がりお盆に手を伸ばしてきた。掌一杯にお菓子を握ると、ズボンのポケットに入れた。手を伸ばしたまま茫然と見ていると、その動作を続け様にさらに二回繰り返した。とっちゃんのポケットは両方とも一杯に膨らんだ。しかしそれでもとっちゃんは、もう一度手を伸ばしてきた。もうお盆の上のお菓子は、一掴みしか残っていなかった
僕の中に湧いていた怒りの泡が弾けた。
「とっちゃん!何それ!!」「ん?あかんか?欲しいんやもん」
しれっとした物言いに、弾け始めていた怒りはが暴発した。
「とっちゃん、醜い!汚らしい!……遠慮くらいしたらどうなんや!」
吐いてしまったすぐ後に、すぐ後悔した。救いが欲しくて、三人の方を見た。山下君は驚き、桑原君は微笑み、大沢さんは目を逸らしていた。
「なんやねん。ガキガキだって欲しいから手出したんやろ。ガキガキも、結局わしと一緒やないか~」
とっちゃんは、さらりとそう言って二階へ上がって行った。
*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。
もう2つ、ブログ書いています。
1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)
2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)
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