俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

5月18日(土)

2024-05-17 21:02:49 | 日記
晴れ

今日は暑かった。明日は信之先生の一周忌と納骨の法事。信之先生も家で過ごすのは今夜が最後となる。白い芍薬の花を供える。いい匂いがして、二輪で花瓶いっぱいに。墓地事務所から、明日は町田でサッカーの試合があるので、渋滞を考えて来るようにと連絡があった。

昨日、図書館で借りた本のひとつ『片手の郵便配達人』(グードルン・パウゼヴァング著/高田ゆみ子訳)を今朝までに読んだ。この本の題名はどこかで聞いていたので、手に取ってみて、借りた。1944年8月から1945年5月までのドイツの山間の村の日常の話。45年の5月1日にヒットラーは自殺している。主人公ヨハン・ボルトナーは大きくて体ががっしりした青い目の17歳の少年。たいした訓練も受けないで入隊し、左手を爆弾で失った郵便配達人。241ページ。

ドイツの小さい村の名前は一度も聞いたことがない。地図を見てもわからないが、ドイツ中部のドルトムントあたりの話のようだ。女性作家によって描かれた村の景色は美しい。淡々と描かれている。ドイツの1944年8月から1945年5月の話の結末が悲劇なのは戦争の不条理で済ませられることではない。誠実で温かいヨハンであったのに。いや、誠実で温かいヨハンであったからこその悲劇と言えよう。話の中にヒットラー・ユーゲントが出て来るが、ヒットラー・ユーゲントは日本にも来ていて、長野から東京に列車で移動するとき出迎えたという人の話を何かで読んだ。敗戦国ドイツも敗戦国日本も、敗戦の思いは民族の思いとしてまだまだ長い間消えないだろうか。戦後の事を私は小さかったのでよく覚えている。山間の七つの村に戦争が沁み込んでいく日常の書き方が1944年8月、1944年9月、1944年9月・・の章立てとなって書き方として興味深い。


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5月17日(金)

2024-05-17 01:40:07 | 日記
晴れ

●図書館の本の返却日。熱心に読んだのは『人間ゲーテ』だけ。一度読み終えてすぐ2度目を読んだ。それでようやくこの本の意図が分かった。ゲーテの入門書だったが、『ファウスト』の一部、二部を曲りなりにでも読んでいて、2回目読んだときはずいぶん納得する箇所が多くて、手元にこの本を置きたくなった。

世界でいちばん美しい抒情詩の一つと言われるゲーテの詩「旅人の夜の歌」(2)が紹介されていた。言葉として、その音を書き留めておきたい気持ち。「この詩には深い意味がある。どこにあるかと言えば表面にある。」とホーフマンスタールが言ったそうだが、それは「色即是空」ではないの、と言いたくなる。そしてゲーテの自然の把握は、峰から梢へと移っている。間違えても梢から峰へ、ではない。この自然の把握も私的には俳句の場合もそうだと言いたい。
  Wanderers Nachtlied       
Über allen Gipfeln       
Ist Ruh,                                                            
In allen Wipfeln               
Spürest du
Kaum einen Hauch;
Die Vögelein schweigen  im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.
  旅人の夜の歌
すべての峰に
憩いあり、
すべての梢に
そよ風の
動きもなし、
森には小鳥の歌もやみぬ。
待てよかし、やがて
汝も憩わん。
(訳:小栗浩)
※この詩を理解するために生成AIのCopilotに質問した。①前置詞のあとの格について。⓶韻を踏むためにスペルの追加があるかどうか、③Walde とWald の違い、balde とbald の違いの3点。AIの答えは、Über allen GipfelnとIn allen Wipfelnはともに3格であること。韻を踏むためにbald ではなく古語・詩語のはbaldeが使われていること。Waldeはbalde 同様、古語・詩語だということだった。
これが正解かどうかわからないが、勘ではAIの答えは正解だと思う。







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