俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

11月25日(月)

2013-11-25 06:32:34 | Weblog
 鎌倉報国寺
★冬の水ひたすら澄みて金魚飼う  正子

○今日の俳句
地響きをたてて木の実の時雨かな/桑本栄太郎
凄まじい木の実の降り方に驚く。「地響き」といい「時雨」といい、植物とは思えないほどの生命のありようだ。木の実をすっかり落として冬を越すのだ。(高橋正子)

○桜紅葉

[桜紅葉/東京大学・小石川植物園]

★早咲の得手を桜の紅葉かな/丈草
★霧に影なげてもみづる桜かな/臼田亜浪
★潮風に桜うすうす紅葉かな/稲畑汀子
★桜紅葉のくれなゐ濃きに父想ふ/大橋敦子
★観音の桜紅葉の中に立つ/長谷川幸恵
★桜紅葉これが最後のパスポート/山口紹子
★いつせいに公園の桜紅葉かな 石川元子
★茶畑へ散り込む桜紅葉かな 小川玉泉
★川岸の桜紅葉も終りけり/家塚洋子
★桜木の紅葉し初めてうひうひし/丹生をだまき

 桜の紅葉(「旅」2004年11月号/一部抜粋)
 紅葉の代名詞になっている楓よりも、どちらかと言えば桜の紅葉に味わい深さを感じる。桜は、春に咲き誇る花はもちろんだが、秋の陽の温もりと朝の冷え込みに少しずつ色づいてゆく葉にもまた、独特の魅力がある。写真とともに、都美女、蕪村、福永耕二、鈴木孝信、玉貫 寛、原 裕らの桜の紅葉を詠った俳句で桜の紅葉を楽しむ。(安田桂之)
 桜の紅葉が好きなので、私にとっては、いわゆる桜の名所がそのまま紅葉の名所でもある。よく散歩をする京都の鴨川沿いの桜にしても、秋晴れの日などは、空の青と雲の白に映えて綺麗だし、雨の日のしっとりと濡れた感じもまた何とも言えない。桜の紅葉の色は、黒っぽい赤、真っ赤、赤茶、茶、柿、黄、黄緑、緑、茶っぽい緑など、極めて変化に富んでいながらも落ち着いた調和を保っている。
 近年、気候温暖化の影響か、楓の紅葉時期が遅れているという。また、色がくすんでいて、赤茶けて汚いという声も聞かれる。それは、桜の紅葉も例外ではない。だが、私が惹かれる桜の紅葉は元来が楓ほど色鮮やかではなく、むしろくすんでいたり、赤茶けていたりする、その寂びた味わいがいいのだろう。
 山桜とちがって、染井吉野は都市の美だ。身近なところで花を愛でるために、さまざまな時代にさまざまな人々の手によって人工的に都市に植えられてきた。だから、クルマやバスに乗って山へ「紅葉狩り」に出かけなくても、桜の紅葉ならいつもの散歩道で日常的に接することができる。
 身近な桜は、紅葉の名所の楓のように赤くなったときだけ葉を見るのではない。冬枯れの季節も花の季節も青葉の季節もずっと見てきたその樹が、それこそ紅葉してゆくのを見るからこそ心が動くのである。
 秋、朝夕の気温が下がり、昼との寒暖の差が激しくなると、葉枝の付け根に離層という裂け目ができる。すると、通り道を切断された養分が葉にたまり、赤色の色素ができるのだという。そして、さらに気温が下がると緑色の色素が衰え、隠れていた赤や黄、褐色などの色素が見えるようになる。これが紅葉の仕組みだそうだ。裂け目がさらに深くなると水分の通り道もなくなり、いよいよ葉は枯れる―落葉である。
 歌の世界では古くから、花と言えば桜を指すように、紅葉と言えば楓を指したという。ただ、銀杏の黄色も含め、紅葉する落葉樹は楓だけではなく、歳時記を紐解くと、桜紅葉、漆紅葉、銀杏紅葉、柿紅葉、梅紅葉、白樺紅葉などの季語が見受けられる。また、紅葉とは元々、緑色の葉が赤色や黄色になることだから、「もみいづる」や「もみづる」というように動詞としても用いられたという。特に、「桜紅葉」は俳人の美意識を刺激するのか、「紅葉」とは別に項を立てて例句を挙げている歳時記もある。その本意は、「楓よりひと足早く紅葉し、散ってしまう」というものだ。
 楓に比べれば少ないものの、俳句には桜紅葉を題にとったものがあるのに、写真集や雑誌特集、テレビ番組などにはなぜかない。「桜の一年」を追ったものの一つの季節としてなら稀にあるが、桜紅葉だけをテーマにしたものがないのはどうしたことだろう。


◇生活する花たち「アッサムチヤ・グランサム椿・からたちの実」(東京・小石川植物園)
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コメント (1)
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