SNSには「1ビット思考」が蔓延していると言われる。
私もずっと、リアルではそんなことないのに、ネットになると極端な人多いなーと不思議に思っていた。
最初はネットになると人格が変わるのかと思っていたけど、どうもそうじゃない。
何回か書いているけど、多くを素人が書いてるからかな?と私は思っている。
これはわりと最近思い始めたことだけど、かなり確証をもち始めている。
ふだん、リアルでなかなか口に出せないことを正体を隠したゆえに、思い切って吐き出した感情的なものに、公平さと正確さをもって、的確な文章で書くなんてことは本当に難しい。
例えばSアンチブログによくある記述。
S脳はSの現実をたくさんの客観的な事実として示しても、絶対に認めようとはしません。
Sにとって目の前の創価の現実を認めることは、そのまま自分の人生が間違っていたことを認めることになるからです。
こんなことも、こんな人は実際には殆どいないのでは?私は思っている。
たかだか自分の信条の一部に疑問を持って改めたくらいで、「これまでの人生が間違っていた」なんて飛躍しすぎと思う。
人生なんて、それこそいろんな出来事やめぐりあわせがあって、水や空気だって吸って生きてきたのであって、水や空気までSでできていたわけじゃないのにね。
他人の何か一言が気に障っただけで、人格全否定とか、死ねとか絶縁とか撲滅になるのもどこまでホントかなあ?
本当はそこまで思っていないけど、ただ言葉の表現が未熟で、表記が極端になってしまうだけでは?
うっ憤をスカッと晴らしながら、且つ曖昧さを明瞭に書く。
ある時期から挑戦しているのだけど、正確に言葉を捕まえることは簡単じゃない。
私もずっと、リアルではそんなことないのに、ネットになると極端な人多いなーと不思議に思っていた。
最初はネットになると人格が変わるのかと思っていたけど、どうもそうじゃない。
何回か書いているけど、多くを素人が書いてるからかな?と私は思っている。
これはわりと最近思い始めたことだけど、かなり確証をもち始めている。
ふだん、リアルでなかなか口に出せないことを正体を隠したゆえに、思い切って吐き出した感情的なものに、公平さと正確さをもって、的確な文章で書くなんてことは本当に難しい。
例えばSアンチブログによくある記述。
S脳はSの現実をたくさんの客観的な事実として示しても、絶対に認めようとはしません。
Sにとって目の前の創価の現実を認めることは、そのまま自分の人生が間違っていたことを認めることになるからです。
こんなことも、こんな人は実際には殆どいないのでは?私は思っている。
たかだか自分の信条の一部に疑問を持って改めたくらいで、「これまでの人生が間違っていた」なんて飛躍しすぎと思う。
人生なんて、それこそいろんな出来事やめぐりあわせがあって、水や空気だって吸って生きてきたのであって、水や空気までSでできていたわけじゃないのにね。
他人の何か一言が気に障っただけで、人格全否定とか、死ねとか絶縁とか撲滅になるのもどこまでホントかなあ?
本当はそこまで思っていないけど、ただ言葉の表現が未熟で、表記が極端になってしまうだけでは?
うっ憤をスカッと晴らしながら、且つ曖昧さを明瞭に書く。
ある時期から挑戦しているのだけど、正確に言葉を捕まえることは簡単じゃない。
一つ気に入らないと全否定で、
絶賛したかと思うと罵倒で、
決してそんなことはないのに、その中間は書けないのかな?と思います。
これウェブの書き込みの印象なんですよ。
確かに文章って二極は書きやすくて、中間は書きにくいんですよ。
簡単なのは極端で根性ワル。(そんなのはネットで腐るほどあります)
「中間」は書いても、なんか締まりがなくて退屈でつまらない。
どっちつかずでボンヤリして八方美人的でスッキリしなくなる。
いやいやそんなことない!!
そうなると「中間」をかっちり書きたくなる奴もいます(笑)
スイマセン、何言ってるかわからないですよね( ̄∇ ̄)
個人のつぶやきです。