珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

答えるなら5

2020-06-29 | S教団関係
毎度、勝手に答えるので笑ってスルーしてくださいコーナーですが
時々言われる
「海はSでメンタルがやられなかったのは、他人の痛みをわかろうと思わない人だから」「サイコパスだから」
まあ酷い言われようですが、よほど私が嫌な思いをしなかったのが気に入らないんでしょうね。
「アンチになってハラワタが煮えくり返るほど、腹が立ちました」
「落ち込んで苦しんで気を病みましたが、やっとやっと乗り越えました」
とか言ったら満足なんでしょうかね?

これは「何でもそう」ってわけではなくて、あくまでSに限ってのことですよ。
Sに限っては事実なので事実を書いているだけです。

なぜ私が別にアンチになったからって、身近なS会員にも、Sの組織にも、トップの人たちにも腹も立たなかったからというと、単純にチョイ信だったからです。
何もかもを支持して何もかもを信じて絶賛してしたからではないからです。

以前も書いたけど、私は祈るという信仰心はあったと思うけど、組織人として組織活動に忠誠を誓った覚えもないし、打ちだしや指導を何から何まで真に受けていたわけではなかった。
決して反抗的な会員ではなかったけど、それは信仰とは別の、どこにでもある組織上のモラルや規律や、ボランティア精神という程度の認識だった。
学校でも職場であるそれと、同じようにとらえていた。
学校にも変なルールも変な先生もいるし、職場にもおかしな上司もたまにいるけど、人は万能でも神様でもないもんね。

どっちかというと、アンチになってからアンチの言い分の方をバリ信しましたよ。
それこそ、どこの誰がどこまで事実を書いているのかわからないことを共感すべく、聞き漏らすまいと必死になったりね。
だからどっちかというと、アンチ(ネットの書き込みというべきか)がそれこそ完全でも万能でもないと解った時の方がショックだったかもね。

要は信じ込むほどに、自分の思ってたものと違った時に人は傷つくんですよ。

アンチブログを読むほどに、多くの人が身を入れていたのが、Sの人間関係や活動や指導や打ち出しだったのがわかった。
それらを信じて尽力していたためにショックが大きいのがわかった。

思い返せばSって「活動が大半で、祈りはごく一部」だったのかもね。
私は祈りにだけ本気だったので、やめてもケロッとしていたんだと思う。
単純にそういうことですよ。
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