
👆
堂々とこういうことしても犯罪でも何でもないし、行きたい人が行って、行きたくない人はいかないだけのことである。
皆、案外やってみる前に「そんなことしたらああなる、こうなる」と心配しすぎなのではないだろうか。
私の経験から言うと、ノーと言ってもダメなことなんて実は殆どない。
その時ちょっと何か思われても、時がたてばそれが当たり前になったり、むしろ嫌々従った人の方がいつまでもいつまでも後悔している。
S時代に何度もやったけど、コツは作り笑いじゃない本心からの笑顔で、きっぱり断ること。
いわゆる芸能人に「感染者」の報道が多いのは、彼らはスタッフ同様、番組収録のたびにPCR検査を強制されているからである。
具体的には、エキストラを頼む事務所などに依頼して、いつもは役者をする人が「衛生班」となって派遣される。
そして現場で、何度も何度も検温チェックや検査や消毒をする。
「感染症対策」という印籠をもってやりたい放題ですよ。
人気、評判、影響力が命の業界ゆえ、誰も逆らえない恰好のお得意様で、広報機関になっているのだ。
とにかくPCR検査をしないと「感染者」は作れない。
感染しているんじゃない、作っているので。
だから大きな組織が狙われる。
学校も喉から手が出るほど欲しいマーケット。👇
注意喚起❗
— びんぼ♬ (@binbou415) February 2, 2022
学校から「予防的PCR」の紙きたら、絶対従わない。ワナだよワナ。
いよいよ子供狩りの様相。
ちひろさんの最新の記事です。
2年も続いているパンデミック騒ぎで、何よりも民主主義が危機に陥っているという認識がヨーロッパでは強いという話をしていたら、妙に話がかみ合わないことに驚いた。それで、民主主義という言葉が日本では少し違う意味合いで使われていることに気づいたのだ。
私も日本にいた頃は、民主主義というものにお仕着せの違和感みたいなものを感じていた。何でも皆で決めなきゃいけなくて、自分の意見が主張できないとダメで、最終的には多数決ということで気に入らなくても従わされるみたいな、理念としては立派なのだけれど、現実には無調法なものだという感覚があった。
ところで、今ヨーロッパで民主主義が危機だと言うときの民主主義とは、そういう議会システムのことではなくて、単に人権が守られる国というような意味で言っている。民に主権があるのが民主国家であり、王制や君主制と違って、誰かが自分の考えで人を従わせるということはできない。自由と権利とが守られているのが民主国家だ。つまり、政治について発言する自由と権利があり、自分の健康や生活について自分で決める権利と自由があり、それを守るための公正な選挙や裁判が行われるということを意味している。それが守られなくなっているという危機感があるということなのだ。
日本語の民主主義というのはデモクラシーの翻訳なのだけれど、この訳がそもそも間違っているという話がある。デモクラシーというのは民に主権があるという意味だから、主義ではない。主義といったら、共産主義とか帝国主義とかイデオロギーのことで、どうあるべきなのかという理念を言っている。だから、デモクラシーは本当ならば民主制とか国民主権とか言うべきところなのかもしれない。
パンデミックが始まってすぐに、まずは言論の自由がおかしくなっていることに気づいた。テレビでも新聞でも、パンデミックの状況について一方的な報道しかしなくなったからだ。デモクラシーではメディアはプロパガンダを伝えるのではないのだから、公正中立に報道しなければいけないことになっている。2つの異なる見解があるときには、その両方を伝えて、人々がそれぞれ自分で判断できるようにしなければならない。どちらの見解が正しいとかそういうことは言ってはいけなくて、それがあくまで一つの見解にしかすぎないことをはっきりさせなければいけないことになっている。
それまではともかくもそうした形式は守られていたわけなのだけれど、それがパンデミックが始まったとたんに変わってしまったのだ。これは非常に危険な病気であるという見解だけがくりかえし伝えられ、別な見解がいっさい伝えられなくなったばかりではなく、「・・・からの情報によると」とか「・・・の見解では」とか情報のソースを明確にする表現も使われなくなったのだ。敏感な人は、その時点ですでに何かおかしなことが起こっていることに気づいたと思う。
このパンデミックがおかしいことに最初に気づいたのは、ウィルス学者や免疫学者たちだった。伝えれらている内容が、学術的な正確さをまるきり欠いていたからだ。それで、学者としてそれを正そうとして発言しようとしたところ、どこのメディアも扱ってくれないばかりか、自力で作った動画まで検閲を受けて削除されるという事態になり、尋常でないことが起こっていることに気づいたのだ。言論の自由が侵されている。こうしたことが起こるのは、人々の意志に逆らって何かを実現させようという闇の支配力が働いているということだから、一体誰がどういう目的でやっているのかと疑い始めた。
それで、お金の流れを調べていた人たちが、世界中のテレビや新聞がある財団から巨額の資金を受けていることを突き止めたのだ。その財団とは、WHOとかGAVIとかと深い関係があり、感染予防の薬剤にも投資していたことから、目的が明らかになった。
このパンデミックが起こる前は、世界的な情報操作が行われているなどということは、多くの人は想像もしていなかった。そんなことは独裁的な共産主義国ではあるかもしれないけれど、民主国家で起こるはずがないと思っていたのだ。一部の人たちは前からそういうことを言っていたけれど、パンデミックが起こる前までは、まさかそんなことはないだろうと思っていた人がほとんどだった。
だからある意味、パンデミックのおかげでこうしたことがわかったのは、よかったとは言える。こんなことでもなければ、私たちはいつまでも気づかずに操られていたままになっていただろうから。
ところで、政府の感染対策による被害者が出始めてから、事態はさらにひどくなった。マスクを決して外してはいけないと言われた子どもたちが、スクールバスの中で酸欠から意識不明になり、心不全を起こして亡くなるという事故が起こり始めたのだ。それを伝えた動画は削除され、子どもたちにマスクをさせるなと訴えていた医師がメディアからも医師会からも攻撃され始めた。いくら危険な病気があることを信じていたとしても、感染対策で人が死ぬようなことがあったら、対応を変えることを考えるものだ。そうした議論もないまま、ただ起こった事実をもみ消しにかかったのだから、これはもはや言論弾圧にとどまらない。人の命を守る人権さえも消えてなくなっていることを目の前につきつけられたようなものだった。
こうなると、お金で買収されただけだとも思えない。人の命を犠牲にするようなことに加担したら、重罪に問われることになるからだ。そうしたことから、それまで都市伝説としか思っていなかったようなことが徐々に表に出てき始めた。闇の支配というものが本当にあったということを、信じないわけにはいかなくなったのだ。暗殺者が雇われているばかりでなく、地下に想像を遥かに越えるトンネルシステムが存在していて、そこで子どもたちを使った脅迫が行われていることもわかってきた。パンデミックが始まる前ならば、そんなことを言うだけで頭がおかしいんじゃないかと思ったと思う。
いくら議会だとか三権分立だとか司法だとかのデモクラシーのシステムがあっても、人を買収したり脅したり心理操作したりして動かしてしまえば、システムは人権を守る機能を失ってしまう。与党も野党もすべてを同じように操作してしまい、裁判所や警察まで買収して、医療機関もメディアもお金と脅しとで動くようにしてしまったら、デモクラシーのシステムは存在していても、独裁制と同じことになってしまう。経済は自由競争の原理で動いているのだから、まさかそんなことができるはずがないとこれまでは思われていた。ところが、このような事態になって、それが現に起こっていることを認めないわけにはいかなくなった。
それで、今のお金のシステムが、ごく一部の人たちがお金をどんどん増やせるようになっていることが見えてきたのだ。人が借金するほどお金の量がどんどん増えていくという奇妙なシステムになっていて、だから銀行は借金させればさせるほど、多くのお金を持つことになる。人々は借金を返すために次々生産しなければならず、相対的にどんどん貧しくなっていくことになる。何も生産せず、ただお金をまわし続けることでお金を増やしていく少数の人たちがいて、一方でほとんどの人は働き続けなければ生活していくお金が稼げない。そしてこの格差はお金が回れば回るほど大きくなっていくわけだ。
この話は、まるでミヒャエル・エンデの「モモ」の話そのままだ。人々が時間を節約すればするほど、
その時間を奪って生きる灰色の男たちが増えていく。そして人々はあくせくと働くことしか考えられなくなってしまい、お金は増えるけれど、時間がなくなっていく。灰色の男たちはどんどん増えていき、人々の生活をあらゆる場面で支配していくようになる。
まさに、今使われている金融システムこそが、そうしたものだったのだ。そして今や、一部の大金持ちが全世界を買収できるほどのお金を持つようになってしまったわけだ。このパンデミックでは、世界中のメディア、世界中の政府がまったく同じことを言い、まったく同じ対策をまったく同じ論理で推し進めている。しかも人々の人権を奪うような形で。まるで、世界中が買い占められてしまったような具合にだ。こうなって初めて、金融システムの闇というものがはっきりと認識できるようになったのだ。
つまるところ、人はお金で動くので、お金が無尽蔵にあれば、世界を支配できてしまう。政治システムがデモクラシーであろうと何だろうとだ。お金を使って脅したり心理操作させたりすることもできる。彼らはそういうテクニックを研究するのにも莫大な投資をしていて、人心操作の達人だったのだ。どういう層の人でもどういう考えの人でも、操作してしまうマニュアルを持っている。感染対策に批判的なことを言うと、ヨーロッパではナチだとか極右だとか言われる。一方イスラエルでは、左翼だと言うそうだ。要するに、その国の人たちがドン引きするような名前で呼ぶようにして、人を操作している。右だとか左だとか何主義だとかは、まったく関係がない。
言論弾圧はデモクラシーを脅かす最も危険なものなのに、それを行うために何と「デモクラシーの危機」までもが使われていた。ひと頃よく動画がシェアされていたから見た人もいると思うけれど、世界中の政治家やニュースキャスターが、「これは私たちの民主主義にとって大変危険です!」This is extremely dangerous for our democracy! とまったく同じ言葉、まったく同じ言い方で言っていたりした。そういう言葉を連発しろというマニュアルがまわっていたらしい。要するに、彼らにとって邪魔になる動きが出てくると、それは少数の過激な人々がやっていることで、民主主義を守るためには弾圧すべきであるという論理を使えというのだ。それで実際、多くの人はそうした論理で心理操作されてしまい、人の人権を侵害したりするようなことを平気でするようになってしまった。
この2年間は、そうした深い闇の支配構造、腐敗の構造を知るまたとないチャンスだったのかもしれない。現実に経験してみなければ、こんなことはとても信じられない。一年くらい前から、緊急放送による情報開示があるんじゃないかと言われていたけれど、あのときにはまだ闇の深さがこれほどだとは思っていなかった。事実を公にすればそれで片づく問題だと思っていたのだ。だけどあれから、闇の深さが途方もないものだとわかってきたら、これは一回や二回の放送ではどうにもならないということが見えてきた。心待ちにしていた情報開示ではあったけれど、多くの人はとても信じられず、受け入れることができなかっただろう。
だから、この闇の支配から世界を解放するには、多くの人々がこの闇の構造を知ることがどうしても必要だったのだ。いくら政権を変えても、その政権を取った首相がお金で買収され脅されて取り込まれていって、結局同じことになってしまうというのを、私たちはもう経験してきた。左だろうが右だろうが、自由主義だろうがあるいは自然主義だろうが、本当にどうにでもしてしまえるのだ。それで民主主義はいくら何を変えても、一向に人々が生きやすい社会を作るように機能しないように見えていた。
だけどそれこそが、作られた状況だったのだ。この2年間、医学の専門家や弁護士から始まって、少しずつこの深い闇の構造に気づき、私たちはこれまでいいように操られていたのだということに気づいていった。それが今、多くの人が薬害の犠牲になり、何十万という人が街に出て抗議活動するようになった。そしてついに、カナダでのトラック運転手たちまでもが抗議活動を始め、これが世界中に飛び火したのだ。この人たちはいわゆるインテリではないし、政治システムについて知っているわけでもない。ただ、政府が人間を大事にしていないことを肚で感じ取って、どうしても抗議しなければならないと思ったのだと思う。
そこまで来て、ついに動き始めたようだ。医学的な知識でもなく、法的な権利でもなく、政治的な構造でもなく、「もうこれは受け入れられない」という感覚。それこそは、政治システムを越えた生得の権利に目覚めた人の感覚だ。この地上に生を受けた者は誰でも天と地とに守られて生きていく。それは、どのような政治システムに生きていようが変わらない真実であり、それを冒そうとする力を跳ね飛ばす力が天から与えられている。その力を使えという意志。それなんだと思う。そこに来たとき、私たちはあらゆる支配を突き破って世界を解放していくことができる。
トラックは形にすぎない。だけどそこにあるのは、この国を支配から解放したいという多くの人々の熱い思いなのだ。それがトラックの列という形になって国土を走っていく。それは、生得の権利としての人権に目覚めて、それを自分の手で守ろうと立ち上がった人々の力だ。この地点に来て、世界は本当の意味で支配から解放される。この2年間の長い厳しいプロセスのあとで、私たちはようやくこの地点まで来たのだ。
>敏感な人は、その時点ですでに何かおかしなことが起こっていることに気づいたと思う。
そう!!これですよ、これ。
ニュース記事の論調が、まるで能面のように意思も表情もなくなった。
個人的には敏感な意識はなくて、あまりにも解りやすく露骨に変わったのに、なぜ皆これをオカシイと思わないのか不思議でしょうがなかったですね。
>いくら議会だとか三権分立だとか司法だとかのデモクラシーのシステムがあっても、人を買収したり脅したり心理操作したりして動かしてしまえば、システムは人権を守る機能を失ってしまう。
>与党も野党もすべてを同じように操作してしまい、裁判所や警察まで買収して、医療機関もメディアもお金と脅しとで動くようにしてしまったら、デモクラシーのシステムは存在していても、独裁制と同じことになってしまう。
>経済は自由競争の原理で動いているのだから、まさかそんなことができるはずがないとこれまでは思われていた。
>ところが、このような事態になって、それが現に起こっていることを認めないわけにはいかなくなった。
ここの分部、非常に重要なことを言っておられると思います。
その通りですね。
保守だの左だの、そんな縄張りの上をいってるんですよね。
ただこの先が、人の心理が大きく作用すると思う。
>それまで都市伝説としか思っていなかったようなことが徐々に表に出てき始めた。
>闇の支配というものが本当にあったということを、信じないわけにはいかなくなったのだ。
>パンデミックが始まる前ならば、そんなことを言うだけで頭がおかしいんじゃないかと思ったと思う。
こういう自分の概念を覆すことがあった時、目を開いてそこを徹底的に追及していく人と、受け入れる度量がない(敢えて言わせてもらうとね)に分かれたんじゃないかなあと思う。
どんな破壊的なことが起ころうと、自分の概念にないことは「陰謀論だ」と耳をふさいで、その自分の概念の中で辻褄を合わせようとする人と、自分より現実にフォーカスを合わせる人と。
「今まで習ってきたのはこれだけど、そこに答えはない」なんて、偏差値教育がめちゃ嫌うような力?
そういうものが求められている気がするけどね。
海さんが対話されているあのお方、こうした記事を読んでどう思うのだろうか。
まずもって、これは自然発生的な感染症であって、政治と無関係と思っています(笑)
政治的な意図があるなんて陰謀論は、笑われるから言わない方がいいと言われてしまいます。
中村篤史はオカルト医師で、尾身茂は小池百合子は感染を抑えるために精一杯頑張っているのに、中傷するのはやめなさいと怒られてます。