改めてSを詐欺とする言い方について、でしゃばって書こうと思う。
政党まで持つ巨大宗教法人は、
自分たちの教えこそ唯一力があって、他は邪教であり、他宗の存在がこの世の不幸の根源という、とてつもなく排他的な思想を
むしろ逆手にとり、これこそを最大の売りにして急成長させてきた。
もっともらしく教学体系を創作し、それが「思想」を超えた真実のように、本に刷り、自前の新聞に書き、口から口に伝えて
「自分たちだけが、特別な秘密を知っているかのように」信じ込ませたということである。
落ち着いて考えれば
そんなわけないでしょ(笑)
どこの神様も、信じるのは自由。
純粋に祈って常識的な行動をとれば、信仰って信じる人には何であれ救いになって力になる。
極めて当然のことである。
故に、Sになんだかんだと不満があるのなら、信者の最大の特徴である「これしか正しいものはない」が魅力で信じ込んでる人たちに、
「正体は祈る力であって、実は教えは何でもよかった。ただ、そういえば(唯一正しいと言えば)、信じて祈る力が強まるからそうした」
と目を覚まさせれば済むことではないか。
こんなの多かれ少なかれ、どこの教団もやっていることである。
S教団はそれを「明確に白状しないだけ」で、とっくに認めている。
気がついたら過去のデタラメはなかったことにしている真意に、あとは会員が気づけばいいだけのことである。
私がそうだったように多くの人は、別に宗教が好きなわけでも何でもなくて、
「唯一の法則というものがある」という魅力にひかれただけなのでは?と思う。
そういう人は、Sが特別なものでもなんでもなくて他の宗教と同じと気づけば、なーんだとさっさと辞めると思うが。
これじゃダメだろうか?
一生懸命祈って、大切にしている人に向かって、「詐欺に加担している」などと犯罪でも犯しているかのような侮辱をし、自分を前科者みたいに卑下して誰が得をするのかな。
これに違和感を感じる人が多いのではないだろうか。
政党まで持つ巨大宗教法人は、
自分たちの教えこそ唯一力があって、他は邪教であり、他宗の存在がこの世の不幸の根源という、とてつもなく排他的な思想を
むしろ逆手にとり、これこそを最大の売りにして急成長させてきた。
もっともらしく教学体系を創作し、それが「思想」を超えた真実のように、本に刷り、自前の新聞に書き、口から口に伝えて
「自分たちだけが、特別な秘密を知っているかのように」信じ込ませたということである。
落ち着いて考えれば
そんなわけないでしょ(笑)
どこの神様も、信じるのは自由。
純粋に祈って常識的な行動をとれば、信仰って信じる人には何であれ救いになって力になる。
極めて当然のことである。
故に、Sになんだかんだと不満があるのなら、信者の最大の特徴である「これしか正しいものはない」が魅力で信じ込んでる人たちに、
「正体は祈る力であって、実は教えは何でもよかった。ただ、そういえば(唯一正しいと言えば)、信じて祈る力が強まるからそうした」
と目を覚まさせれば済むことではないか。
こんなの多かれ少なかれ、どこの教団もやっていることである。
S教団はそれを「明確に白状しないだけ」で、とっくに認めている。
気がついたら過去のデタラメはなかったことにしている真意に、あとは会員が気づけばいいだけのことである。
私がそうだったように多くの人は、別に宗教が好きなわけでも何でもなくて、
「唯一の法則というものがある」という魅力にひかれただけなのでは?と思う。
そういう人は、Sが特別なものでもなんでもなくて他の宗教と同じと気づけば、なーんだとさっさと辞めると思うが。
これじゃダメだろうか?
一生懸命祈って、大切にしている人に向かって、「詐欺に加担している」などと犯罪でも犯しているかのような侮辱をし、自分を前科者みたいに卑下して誰が得をするのかな。
これに違和感を感じる人が多いのではないだろうか。
例えは悪いかも知れないですが、他人から見ればつまらぬぬいぐるみのオモチャであっても、それが娘との大事な想い出の詰まったものだったとしたら、どんなにお金を払ってでも残しておきたいと思うようなものでしょうか?
そうした気持ちの部分がお金には換算できないから、この「まごころの財務」とやらが一筋縄ではいかない部分なのだと思います。
自分は、「お金では換算できない貴重な経験をさせてもらった」とわりきって、過去を手放すことにしました。
過去に過剰にこだわって、貴重な未来を曇らすことはもったいないと自分は思っています。
今は、全然好きじゃなくなったとしても、その時好きだった車や遊びにお金を使ったのと一緒というかね。
前は、そのお金が資金源となってどうちゃらと考えたりもしたけど、なんだかそれも偽善というか。
そこまで自分に責任を感じて責められなきゃいけないのかな。その正義という奴から。
そんなことより、
「詐欺だった、犯罪組織だった」じゃなくて、「ああ唯一正しい秘宝なんてものはなかったのね」と理解できたことが、私にはよほど重要でした。
あぁ、やっぱり嘘だったんだなというのが率直な感想です。
対話の某男性。
脱会座談会のガストの話は、最初に読んだ時から違和感ありありでした。
少し前に海さんのblogに、それが本当なら興味深い話だし、にわかに信じられないので詳しく書いてほしいというコメントをしました。
海さんともその話をした事がありましたね。
それぐらいありえない話でした。
この話で思い出したのが、以前書いた記憶があるのですが、とても嘘つきの支部婦人部長の話。
悪びれもせず、思いつくままにその場しのぎの嘘をつく支部婦人部長と一緒の組織で、活動を共にした事がありました。
彼女は2世で女子部時代から活動家。
女子部の幹部を経験し、晩婚で結婚し婦人部にきて、ノルマや報告に追われるうちに、相手が喜ぶような嘘、自分を護るための嘘を次々つくことが癖になっていったようです。
婦人部にきて、あっというまに白ゆり長。地区婦人部長。そして支部婦人部長となりましたが、話を盛るのが得意なので、幹部受けはしてましたけどね。
とにかく嘘をつくことに罪悪感が一切ないような人でした。
でもね、支部の地区婦達も部員さんたちも、みーんな見抜いたんですよ。
その活動報告がすべて嘘だったことも、大半の話が嘘だらけだったことも。
だから、地区婦たちからの信用も部員さんからの信用もまったくなかった。
嘘8割に、ほんの少しの本当の話を混ぜる事で、自分の中ではバレないと思っていたようです。
彼女はそうしないと生きてこれない人生だったのだろうかと思うと、なんとも寂しいですけどね。
彼の脱会座談会を読んでいて、その支部婦とかぶってしまいました。
生き様ってネットでもわかりますね。
辛辣ですみません。
真実の話や体験のつまったサイトに、嘘のコメントはいらないと思います。
「この国には子供の学費の為に内臓を売ってる母親がいます!」
と嘘の演説をした話を書きました。
対話でも、今回が初めてじゃありません。
前にも「自分は外部だったが、恋人だった女子部が妊娠して、『入会しないと子どもは中絶しろ』と娘の母親である婦人部から脅され、入会するしかなかった」
というコメントが入ったことがありましたね。
管理人はその後再度の確認を呼びかけて、「返答がないならデマと認識するしかありません」としましたが、アンサーはなく、その後コメントは削除されましたが。
なんでこんなことが、どこでも同じように起きるんでしょうかね?
皆、自分のアンチには強くでも、身内には弱い。
自分に都合のいいことには甘くなるんですよね。
「彼」がブログを立ち上げると豪語した時(これも嘘でしたが)、当時「ブログを立ち上げてほしいなあ!!そして連携したいなあ」と熱望していた人たちは、立ちあげてもない彼のタワゴトに舞い上がり、句読点だらけの彼の文章を「好きだ」と言いました。
さて、彼がそんなこと言わなければ、つまりそういう「自分の願望をくすぐられるというバイアスがかかっていなければ」、果たしてあの独特の
「彼の文章が好き」
なーんて言葉が本心から出たでしょうか?
これは悪口でも何でもないんです。
私には非常に興味深いことで、注目したんですよね。
人は、自分が好きとか、信じたいとか、自分に都合がいい如何で、どれだけモノが偏って見えるかってことに。
こんなこと、「覚醒した」「もう騙されない」「自分は物事をフラットに見れる」「根本を変えなきゃダメなんだよ」
なんて人に偉そうに言う人ほど、何度でも騙される。
個人的にはずばり、ルフランさんのコメントを聞きたいですね。
決して責めたりは致しません。
但し、正々堂々お答えくださいませ。
活動家であったからこそ彼が嘘を言ってないのがわかるという趣旨のコメントがありましたが、元活動家であれば脱座談会を頻繁に開き続々と脱会者を出すことができるとは到底考えられません。
それにも増して不気味なのはこうなるまでに違和感ありまくりの彼に対しての妙な遠慮の空気。
多少はおかしいと感じていそうなのにうやむやに褒めそやす。
疑いの意見に対してもよくわからないふんわりとしたたしなめ。
そういう意味に限って言えば本気で彼を信じて思いきり擁護していたルフランさんのほうが人間的だなとは思いましたね。
そう思いたい。
でも、悪意がないからといって真実のコメントが集まるブログにウソを書いていいのかといったら違うはず。
私自身は、彼に違和感を感じた頃に、コメントを遡って読み直していました。
彼が初めて、対話に登場したのは3年ぐらい前でしたね。
脱会座談会を開催した事をコメントしたのは、今年の1月からでした。
脱会者の元に毎回数十人集まるのは、サバさんと同意見でどう考えてもおかしいなと思いましたが、1番違和感を感じたのはガストの件ですね。
婦人部長だという彼女は、松戸の人だと書いていましたが、彼は都内の人です。(そのような記載が1月初旬のコメントにあります)
彼女の女子部時代の役職を大B長と書いたのに、今現在の役職は「婦人部長」としか書いていなかった。
30~40年前に脱会した彼には、今現在の役職の詳しい呼び名を知らなかったのでしょう。
本当に実在するなら、ちゃんと書けるはず。
その婦人部長とやらが、松戸から都内の彼の家まで行き、上がり込んでPCを借りる。
どう考えてもありえません。
コメント時間は夕刻5時ごろでしたから、仕事を持つ婦人部長なら尚更、そのような時間は戦争です。
7時の会合に間に合わせる為に、やる事は満載。
そんな時間にたかがコメントするだけの為に、1度しかあった事のない人の家に、松戸から都内まで行きますか?
非活の婦人部じゃなくて、婦人部長ですよ。
会合漬けの日々です。
もしも、行くなら4人の婦人部のうち誰かと一緒に行くのが普通ではないでしょうか?
婦人部は図々しいと言われていますが、そのへんのけじめはハッキリしているので、一人で壮年・男子部の部屋なんかに絶対に上がりこみません。常識です。
それをガストで1度会っただけの人の家に上がり込むなんて・・・誰が信じるのでしょうか。
10月11日に初めてガストで出会い、4人でline交換、14日にお茶の約束をして、その時に新聞配達、役職もやめ脱会決意。
そして16日には彼の家に上がり込んでPCを打つ。
これ初対面から、たった1週間の出来事ですよ。
配達員が月半ばで配達を放り投げる話なんて、にわかに信じがたい。
10月いっぱいは配達するでしょう、普通。
あとは、文体が彼と婦人部長が全く同じなのも決定的でした。
あのブログの中で、信じている人達が異様なまでに彼を賞賛することで、彼の嘘はどんどんエスカレートしていったように思います。
それとも、常日頃から自分を認めてもらうためには、嘘をつく人だったのか?
どちらにしても、親族、親子、パートナーを脱会させたくて色々なアプローチをしながら苦しんでいる人が大勢いるなか、こんな嘘をついて一体誰が救われたのか…という事ですね。
これはいろんな経験でつくづく思いました。
冷静ではいられない感情をぶつけ、冷静じゃない心で読むブログなら、簡単に「真実」なんて銘打たないことですね。
真実って厳しいものと思いますよ。
管理人さんも、自らが体験した事実のコメントを集めて、悩める方々のために立ち上げたブログだと思うので、その根底を狂わすような振る舞いは想定外のことだったと思います。
自分もこのことを踏まえて、自分のコメントの重さを意識しながら、正直な人間でありたいと考えています。