ウイルスが無いとわかって以降、風邪をひいたら皆、これはインフルだ、コロナだ、ノロだ、アデノだ、ただの風邪だと「やたら分けたがる」ことに改めて気づいた。
「風邪じゃないのよ、インフルだったのよ~」
「インフルじゃないの、コロナだったの。味覚障害あったし」
「お腹にきたし、ノロだったの」
「今はコロナじゃなくて、インフルが流行ってますので…」
「高熱が出たけど、コロナでもインフルでもなくてアデノだった。アデノ舐めるな」
なるほど、こんなふうに複数の名前が用意されていると「在る感」が倍増するのだ。
ダレの仕業?みたいなね。
あ~犯人わかって安心というね。
「いや、全部まとめて自分自身からの体内調整だから」とツッコミたい衝動を抑えながら、これを考えた人は頭いいと思う。
宗教を考えていた時によく、「事実である必要はない。信じさせれば事実になる」と思ったけど、信じさせ方が本当に上手い。
複数の名前をつけるのが効果的ゆえ、更に「変異」なんて設定もつくって、また名前を増やしていく。
そうすると脅えるのか何なのか、信じる感が倍増…こういうテクニックが効いているのは確か。
オマケ👇
こういう絵も「空気中に漂ってま~す」と、在る感倍増。